『新・人間革命』第14巻 智友の章 P7~

<新・人間革命 第14巻 智友の章 開始>

1969年(昭和44年)第32回本部総会が開催された。会長の山本伸一が 講演を始めた。
「この1年は、昭和35年の私の会長就任から満10年に至る、総仕上げの1年となります。同時に、
この一年は、"第7の鐘"が鳴り終わる昭和54年までの、10年間のスタートであり、勝利への飛躍台となる1年であることを、知っていただきたいのであります。」

「そこで、来年5月3日までの目標として、750万世帯の達成を掲げて進みたいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」

常に新しき決意で、広宣流布に敢然と勇み立つことこそが、創価の大精神である。この時、地涌の菩薩の大生命が脈動し、自身の境涯革命がなされていくのだ。そして、そこに、わが人生の栄光と大勝の道が開かれるのである。

ついで山本伸一は、開学を目指して準備が進められている創価大学の在り方と、現今の学生運動について言及していった。

伸一は、学生運動の提起した問題の本質は、教授の精神の老い、権威主義などによる教授と学生の隔絶感、対立にあるととらえていた。吉田松陰という一人の青年教師が、長州・萩の松下村塾で、近代日本の夜明けを開く原動力になった塾生たちを育んだように、教師の情熱、魂の触発を、彼は最も重視していたのである。

さらに伸一は、民衆に開かれた大学として、将来、通信教育部を開発する展望を語っていった。次いで、創価大学の基本理念として、「人間教育の最高学府たれ」「新しき大文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」との、三つのモットーを発表したのである。

「いかにして平和を守るか。これこそ、現代の人類が担った、最大の課題であります。今、私どもの作る創価大学は、民衆の側に立ち、民衆の幸福と平和を守るための要塞であり、牙城でなければならないと申し上げておきたいのであります。」

いかなる大学を作るかが、いかなる時代の指導者を育むかを決定づける。それは、そのまま、日本の、さらに、世界の未来を決定づけてしまう。

東大設立の目的は、鎖国による遅れを取り戻し、西欧文明を急速に吸収し、国家のための働く人間をつくり出すことにあった。伸一は、ここに、今日の日本の大学教育の限界があると考えていたのだ。

21世紀は、「国益」の追求から「人類益」の追及へ、「分断」から「融合」へ、「戦争」から「平和」へと向かわねばならぬ時代である。

人材像もまた、単に知識や技術の吸収にとどまらず、人類の幸福を実現する高い理念と優れた人格をもち、技術、学術を使いこなしていける創造的な人間へと変化していかねばならない。

まさに、仏法の人間主義ともいうべき生命の哲学を根底にした、創価大学の誕生が待たれるゆえんであった。伸一は、ここで、学生運動に話を移した。

「健全な学生運動の発展ために、日本の将来のために、学生運動の第三の道を考えることも必要ではないか」彼が最も心を砕き続けていたのは、学生運動の行方であった。いずれの大学も、学校側は、学生たちの突きつけた問題に対して、なんら根本的な解決を図ろうとはしなかった。各大学では、校舎を占拠し、バリケードを築いていった。立てこもった学生たちを、力ずくで排除しようと、警官隊を導入する大学もあった。

スチューデントパワーの台頭は、決して日本だけの現象ではなかった。フランスのパリ大学でも、アメリカでも、青年の純粋な心は曇りのないレンズのように社会の歪みを正直に写し出し、容赦なく批判の矢を放つ


太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋