『新・人間革命』第19巻 陽光の章 236P~
翌5日、山本伸一は、サンディエゴの市庁舎を表敬訪問した。ピート・ウイルソン市長は、40歳の若さあふれるリーダーであった。市長は、頬を紅潮させて言った。「今回企画されているパレードや花火大会などの催しは、市の歴史に残る祭典となると思います。コンベンションの大成功を祈るとともに、深く感謝を申し上げます」
学会の行事の開催を、市民が心から喜んでくれるーーその状況がつくられた時、広宣流布の流れは大きく加速する。そこに「仏法即社会」の勝利の実証がある。市長から最高賓客の証として「市の鍵」を贈られた。
夕刻、伸一はサンディエゴ会館の開所式に出席した。伸一は、信心の根幹をなす。南無妙法蓮華経とは何かについて、一つの側面からわかりやすく語っていった。「自然界を見ても、さまざまな法則というものがある。それを正しく認識し、合致した生活を営んでいくところに価値の創造があります」
「南無妙法蓮華経とは一言するならば宇宙の根本の法則であり、宇宙を動かしている根源の力であるといえます。それを大聖人は、一幅の本尊として顕されたのであります。その御本尊に唱題する時、わが生命が宇宙の法則と合致し、最大の生命力が湧現し、幸福への確かな軌道を、闊歩していくことができるのであります」
それは、アメリカのメンバーが最も知りたい問題であった。「なぜ」ということがわかれば、納得して信仰に励むことができる。人びとが納得できるように説明するために、努力し、心を砕いていくことは、リーダーである幹部の責務といってよい。
4月6日の午後1時、「サンディエゴ・コンベンション」が「スプリング・フェスタ・パレード」をもって、晴れやかに開幕した。先だって、サンディエゴ郡から山本伸一に「名誉郡民」の称号が贈られた。
隣接したメキシコのティフアナ市の市長からも、「市の盾」が贈呈された。メンバーが良き市民として、日々、黙々と、地域のために献身してきたことが実を結んだのである。
全米各地をはじめ、メキシコ、パナマ、プエルトリコ、ベネズエラなどから集った32チーム総勢約3千人のメンバーによる、1マイル(約1.6キロ)余りにわたる大パレードである。メンバーは、各地の特色を生かした衣装で、歌い、奏で、踊りながら行進した。
沿道に並ぶ万人の歓呼の声に包まれながら、パレードは、晴れやかに、堂々と進んでいった。弾ける笑顔がまぶしかった。参加者には、信仰で人生の試練を乗り越えた体験があり、歓喜と希望があった。
不和を克服して、仲むつまじくパレードに参加している夫妻もいた。肝臓がんの宣告を受けたが、唱題根本に乗り越えた、ブラスバンドの指揮者の青年もいた。鼓笛隊には、父親を亡くし、母と共に家計を支え、弟を大学に進学させた女子部員もいた。
メンバーのなかには、あのベトナム戦争で夫を失った女性もいた。また、徴兵され、帰還したあと、心的障害や健康障害で苦しんできた青年もいた。しかし、そうした悲しみや人生のさまざまな試練を信心によって克服し、晴れやかにこの日を迎えたのである。
パレードにはフロート(山車)も登場した。掉尾を飾ったハワイのメンバーのフロートは山から滝が流れ落ちるという、手のこんだ趣向であった。このフロートを見ると、ハワイに住む、パシフィック方面長になっていたヒロト・ヒラタの、健康回復を願って伸一は心の中で題目を唱えた。
パレードが終わると伸一は直ちに、出場者に、メッセージを送った。メンバーは大歓声をあげ、「フォーエバーセンセイ」の涙の大熱唱となった。
冬の寒さを耐え忍んできた人ほど、春の陽光に感動を覚える。苦労して頑張り抜いた人ほど、伸一のメッセージに彼の真心を強く感じ、その喜びは大きかった。
翌5日、山本伸一は、サンディエゴの市庁舎を表敬訪問した。ピート・ウイルソン市長は、40歳の若さあふれるリーダーであった。市長は、頬を紅潮させて言った。「今回企画されているパレードや花火大会などの催しは、市の歴史に残る祭典となると思います。コンベンションの大成功を祈るとともに、深く感謝を申し上げます」
学会の行事の開催を、市民が心から喜んでくれるーーその状況がつくられた時、広宣流布の流れは大きく加速する。そこに「仏法即社会」の勝利の実証がある。市長から最高賓客の証として「市の鍵」を贈られた。
夕刻、伸一はサンディエゴ会館の開所式に出席した。伸一は、信心の根幹をなす。南無妙法蓮華経とは何かについて、一つの側面からわかりやすく語っていった。「自然界を見ても、さまざまな法則というものがある。それを正しく認識し、合致した生活を営んでいくところに価値の創造があります」
「南無妙法蓮華経とは一言するならば宇宙の根本の法則であり、宇宙を動かしている根源の力であるといえます。それを大聖人は、一幅の本尊として顕されたのであります。その御本尊に唱題する時、わが生命が宇宙の法則と合致し、最大の生命力が湧現し、幸福への確かな軌道を、闊歩していくことができるのであります」
それは、アメリカのメンバーが最も知りたい問題であった。「なぜ」ということがわかれば、納得して信仰に励むことができる。人びとが納得できるように説明するために、努力し、心を砕いていくことは、リーダーである幹部の責務といってよい。
4月6日の午後1時、「サンディエゴ・コンベンション」が「スプリング・フェスタ・パレード」をもって、晴れやかに開幕した。先だって、サンディエゴ郡から山本伸一に「名誉郡民」の称号が贈られた。
隣接したメキシコのティフアナ市の市長からも、「市の盾」が贈呈された。メンバーが良き市民として、日々、黙々と、地域のために献身してきたことが実を結んだのである。
全米各地をはじめ、メキシコ、パナマ、プエルトリコ、ベネズエラなどから集った32チーム総勢約3千人のメンバーによる、1マイル(約1.6キロ)余りにわたる大パレードである。メンバーは、各地の特色を生かした衣装で、歌い、奏で、踊りながら行進した。
沿道に並ぶ万人の歓呼の声に包まれながら、パレードは、晴れやかに、堂々と進んでいった。弾ける笑顔がまぶしかった。参加者には、信仰で人生の試練を乗り越えた体験があり、歓喜と希望があった。
不和を克服して、仲むつまじくパレードに参加している夫妻もいた。肝臓がんの宣告を受けたが、唱題根本に乗り越えた、ブラスバンドの指揮者の青年もいた。鼓笛隊には、父親を亡くし、母と共に家計を支え、弟を大学に進学させた女子部員もいた。
メンバーのなかには、あのベトナム戦争で夫を失った女性もいた。また、徴兵され、帰還したあと、心的障害や健康障害で苦しんできた青年もいた。しかし、そうした悲しみや人生のさまざまな試練を信心によって克服し、晴れやかにこの日を迎えたのである。
パレードにはフロート(山車)も登場した。掉尾を飾ったハワイのメンバーのフロートは山から滝が流れ落ちるという、手のこんだ趣向であった。このフロートを見ると、ハワイに住む、パシフィック方面長になっていたヒロト・ヒラタの、健康回復を願って伸一は心の中で題目を唱えた。
パレードが終わると伸一は直ちに、出場者に、メッセージを送った。メンバーは大歓声をあげ、「フォーエバーセンセイ」の涙の大熱唱となった。
冬の寒さを耐え忍んできた人ほど、春の陽光に感動を覚える。苦労して頑張り抜いた人ほど、伸一のメッセージに彼の真心を強く感じ、その喜びは大きかった。
太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋