小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

コスイギン首相

知性の宝冠

『新・人間革命』第21巻 宝冠の章 391p

伸一一行は「赤の広場」にあるレーニン廟に献花した。
午後5時、クレムリンで、8か月ぶりにコスイギン首相と再会したのだ。昨年秋に引き続いて、二度目の会談とあって、打ち解けた語らいとなった。

伸一は、「私は政治家ではありません。日本の一壮年として、率直にお話しさせていただきます」と前置きい、コスイギン首相の米ソの緊張緩和に対する努力を讃えた。次いで、平和建設のための未来展望について、さまざまな観点から意見交換した。

コスイギン首相は、日中平和友好条約がどうなるのか、特に反覇権条項がどうなるのかに強い関心を持っていた。日中平和友好条約の締結が進められようとしているなかでのソ連の対応について、首相が伸一に率直に意見を求める一コマもあった。

この時期、中ソ関係は、最悪の事態を迎えていた。しかし、激しく非難し合ってはいても、戦争へと迷走することはなかった。両国首脳は、伸一という一つのパイプを通して、戦争を避けようとする、互いの心音と息づかいを感じていたのかもしれない。

伸一は、険悪化する中ソの関係を改善するためには、自分が両者の架け橋になろうと覚悟を決めていた。対立する両者に、対話の必要性を語り、友好と平和への歩みを開始させることは、いかに難しいかを、彼はよく知っていた。両者から反感をかい、憎まれることもある。しかし、だからこそ、自分がやるべきであると、彼は心を定めていたのだ。

ソ連対文連、モスクワ大学が主催する「さよならパーティー」に、山本伸一たち、訪ソ団一行が招かれて出席した。伸一は、関係者に深く、丁重に感謝の意を表したあと、今後の友好への決意を力強く語り始めた。

「よく『日本人は熱しやすく冷めやすい』と言われます。」「その場だけを取り繕うとうする発言、約束は、いくらでもできます。しかし、それでは本当の友好は確立できないでしょう。『建設は死闘』です。真の友好の道を開くのは、その決意と行動です」

伸一は、一部の政治家たちの、口先だけの実践なき"親善"や"友好"を憂えていた。いや、怒りさえ覚えていた。「私は、永遠に日ソの平和交流を貫いていきますーーその決意を、遺言にも似た思いで、ここに語っておきます」

通訳をしていた一人の日本人女性が「長い間通訳をしてきて、日本人の悪い面はいやというほど目にしてきた。今、先生の話を聞き、初めて通訳をしてきてよかったと心からいうことができます」と涙ながらに訴えた。

訪ソ団一行が 空港に向かう時、伸一は 一人の老人との対話を思いだしていた。孫と釣りをしている老人と話すと戦争で家族を失ったという、老人は「わしらは、戦争に苦しめられてきた。この子たちには、あんな思いは、絶対にさせたくはない。もう、こりごりだ・・・。戦争はいけません。絶対に、絶対にいけませんや」戦争の辛酸を、幾たびとなく、なめてきたのだろう。

伸一は、その顔を、その声を、忘れることができなかった。"民衆は、心の底から平和を求めている。その声をくみ上げ、その心結ぶのだ!"

彼の目には、地上に延びる精神のシルクロードが映っていた。"この精神のシルクロードを築き上げることこそ、モスクワ大学の名誉博士号という「知性の宝冠」を賜った私の使命なのだ!彼ははやる心で、星辰の彼方を仰いだ。


< 宝冠の章 終了>
< 新・人間革命 第21巻 終了 >



太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋


モスクワ大学の名誉博士号授賞

『新・人間革命』第21巻 宝冠の章 348p

「ヤー・チャイカ」(私はカモメ)これがテレシコワ飛行士の、宇宙からの第一声であった。この日、ソユーズ18号は計画通りに、軌道科学ステーション・サリュート4号とのドッキングに成功したことが報じられていた。

1961年、ソ連のガガーリン少佐の乗ったボストーク1号が、世界初の有人飛行に成功した。多くの人びとが、"次は最初の女性飛行士を乗せた宇宙船を打ち上げるであろう"と思っていた。

彼女は、航空クラブに入って、自ら努力を重ねていた。そして、見事選ばれた。しかし、それは困難への挑戦への始まりでもあった。そのなかで彼女を支えたものの一つが、母への思いであった。

「地球が見える嬉しさは、たとえようもありません。地球は青く、他の天体と比べて格別にきれいでした。」この母なる地球を守らずしては、人類の未来はない。国益から人類益への思考の転換を、人間は突きつけられているのだ。

女子部の代表が質問した。「テレシコワ議長は、宇宙飛行士をしながら、妻として、母として、一人三役を果たしてこられましたが、そのためにどのような努力を払われたのでしょうか」

「妻の時は妻に専念し、母でいる時には母に専念し、ベストを尽くしました。」

人間は、常に幾つもの課題をかかえているものだ。大事なことは"すべてやり切る"と心を定め、その時、その時の自身の課題に専念し、全力で取り組んでいくことである。子どもと接している時に、仕事のことで悩み、仕事中に子どものことに心を奪われていれば、どちらも中途半端になってしまう。日蓮大聖人は『一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし』と仰せである。

5月26日も、まさに分刻み、秒刻みで、スケジュールが組まれていた。午後6時半からは、ソ連対文連とモスクワ大学が主催し、歓迎レセプションが開かれた。その夜、コワレンコ副会長が宿舎に尋ねてきた。「コスイギン首相が、クレムリンでお会いしたいとのことです」

伸一は、「首相は多忙であるので、ご迷惑にならないように 5分とさせていただきます」と言うと、コワレンコは 「新しいソ日関係を開くことができるのは山本先生だけです。私たちは、今回の先生の訪ソに賭け、最大に力を入れています。山本先生の発言は重要です。ソ連と中国、ソ連と日本の間に横たわるすべての問題に、先生のアドバイスが必要です。」

伸一は、丁重に答えた。「私の発言が重きをなせばなすほど、慎重にならざるをえません。日本の為政者は、私の発言を受け入れるとは限りません。むしろ、私の動きに警戒心さえいだいている人も多い。私は余計な波紋を日本に広げたくないんです。このことを、どうか、よくご理解いただきたいのです」

「もちろんです。しかし、先生という存在は、政治の次元など突き抜けています。大きく抜きん出た指導者です。どうか、もう一度、考え直してください」彼が帰った時には、既に午前1時を回っていた。

翌日、山本伸一たちは、モスクワ大学旧館のゴーリキー記念図書館を訪問した。
この日、伸一に対するモスクワ大学の名誉博士号授賞式が予定されていた。名誉博士の受賞の話を聞かされたのは、モスクワに到着してからのことであった。

伸一は、感謝の意を表したあと、たいした貢献もしていないため、時期尚早であるため、辞退すると言った。モスクワ大学のストリジャック主任講師は絶句した。

モスクワ大学の名誉学術称号は、ダーウィン、ゲーテ、インドのネルー初代首相、中国の周恩来総理など、人類史に輝く巨人たちに贈られている。伸一は、同大学の名誉学術称号の重さをよく知っていた。それだけに、まだ自分など頂戴すべき立場ではないと考えたのだ。

ストリジャックは懇願するように語った。「この名誉博士号は、モスクワ大学として、先生の平和、教育への貢献を讃え、捧げたいと、決定したものです。もし、先生にお受けいただけなければ、私たちが困ります。」

峯子が「お断りするのは失礼ではないでしょうか」と口を開いた。辞退すれば多くの方々に迷惑をかけてしまうことになろう。この真心をお受けし、全力を注いで、日ソの未来のために尽し抜こう!「わかりました。それでは、僭越ながら、ご好意を、ありがたく頂戴いたします」

ゴーリキー記念図書館では、前年の9月に伸一が図書贈呈を行った三千冊の本が、広く一般公開されることになり、書籍展示会のテープカットに臨んだ。


太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋


核廃絶への提言

『新・人間革命』第20巻 懸け橋の章 279P~

当時、「ソ連の核兵器は、世界が平和のために必要な保障である」というのが、ソ連の公的な主張であったからだ。その見解を根底から覆すことになる、画期的な発言といってよい。伸一は、勇気ある言葉だと思った。

首相はそれから、核実験の禁止に始まる核兵器全面廃止のプロセスについて考えを語った。伸一は、首相の話を受け、ソ連が核兵器の廃絶へ、積極的にイニシアチブをとるよう強く望み、こう訴えた。「核廃絶を実現していくためには、各国、特に核保有国同士が、深い信頼関係で結ばれることが不可欠といえます。」

「根底に相互不信がある限り、核兵器の全廃などできようはずがないからです。その意味でも永続的な交流が必要です。それには、政治、経済の次元を超えた、文化、教育の交流が大事であるというのが、私の一貫した主張です。」不信を信頼へーーそこに、人間が共に栄えゆくための、最も重要なカギがある。

伸一は、食料問題に言及し、首相に提案した。首相は、自らの信念を吐露するように、確信にあふれた声で語った。「人間が戦争のための準備ではなく、平和のための準備をしていれば、武装に莫大な資金や労力を費やしたりせずに、多くの食料を作ることができます。食糧問題を解決する道は、平和にあります」指導者の言葉は重い。伸一は、コスイギン首相の「心」に触れた思いがした。

時間は、既に1時間半が経過していた。首相の予定していた会見の時間を、大幅に超えているに違いない。伸一は、これ以上、時間を取らせてはならないと思った。

会見場を出ると、通訳を務めたモスクワ大学のストリジャック主任講師が、興奮した様子で語りかけた。「感動しました。本当に実りある会談でした」

「コワレンコさん、こういう優れた日本人をどこでみつけてきたのですか。どこで発見したのですか」とそして、首相は、こう述べたという。「これからは密接に関係を保つことを、あなたに命令します。もし、クレムリンで困難な問題が起こるなら、直接、私に電話しなさい」

さらに首相は、帰宅後、愛娘のリュドミーラ・グビシャーニに、伸一との会見について、こう語ったのである。「今日は、非凡で、非常に興味深い日本人に会ってきた。複雑な問題に触れながらも、話がすっきりできた嬉しかった」

ともあれ、一民間人である山本伸一の手によって、歴史の歯車は、音を立てて回転し始めようとしていた。日ソの新たな友好の道が開かれただけでなく、中ソの対立の溝にも、一つの橋が架けられようとしていたのである。

伸一は、正午からは ソ連対文連友好会館を訪れ、日露両文のコミュニケに調印した。すべての公式行事は無事に終了し、明日羽田に到着すると連絡すると、学会本部の十条が羽田に、反共・反ソ的な勢力が、空港で先生を待ち伏せして、何かするかもしれないと話した。

日程を変えられないかという十条に伸一は「私は、中国、ソ連に、友好の橋を架けようと決意した時から、覚悟を決めている。生命をなげうつ決意なくして、世界平和の実現など、できようはずがない。それなのに、学会本部が右往左往していたのでは、みっともないではないか!」伸一は、泰然自若としていた。

学会本部では、首脳幹部が心を一つにして唱題に励むとともに、無事故で伸一を迎えられるよう、万全の準備を重ねてきたのである。

夕刻、トロ―ピン副総長の主催で、歓送のパーティーが開かれた。副総長は、「この10日間でソ日両国の強いパイプができあがり、平和の土台が築かれました。この10日間は、世界をゆるがした10日間であったといえます。」とソビエト政権が樹立されることになる10月革命を描いた本のタイトルになぞらえた。

帰国すると、伸一は訪問中から書き始めたソ連についての新聞や雑誌への寄稿は、帰国後1か月余りで本1冊分ほどになった。寸暇を惜しんでの執筆であった。

10月初めに、モスクワ大学のストリジャック主任講師と学生たちが来日、10月末からホフロフ総長夫妻が来日。

友誼の潮は、21世紀の大海原へ、勢いよく流れ始めたのだ。やがてそれは、教育・文化の、そして平和の、大潮流となるに違いない。

未来を開け!開墾の鍬を振るえ!勇敢に恐れなく、生命のある限りーーこう伸一は、自らに言い聞かせたていた。

<懸け橋の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第20巻より 抜粋

ソ連コスイギン首相との歴史的会見

『新・人間革命』第20巻 懸け橋の章 270P~

ソ連首脳の訪日は、日本政府にとっても、大きな関心事であった。前年10月、田中角栄首相が訪ソし、日ソ平和条約の交渉継続を合意していた。しかし、ソ連首脳の訪日については、一向に具体化しなかった。


首相は答えた。「訪日の計画はあります。ブレジネフ書記長も、N・V・ポドゴルヌイ最高会議幹部会議長も訪日を希望しています。年内は無理でしょうが、日程も検討しています。」

伸一は、首相の話が一段落すると語り始めた。伸一は、創価学会と公明党の立場の違い、宗教団体と政党との次元の違いを、首相に正しく認識してもらいたかった。言うべきことを、言うべき時に、明確に語っていく勇気が必要である。あいまいさは、後々の大きな誤解を生む元凶となる。

それから、伸一は、創価学会の歴史に触れ、学会が軍部政府の弾圧と戦ってきたことを述べた。さらに、メンバーの平和のスクラムは、全世界へと広がっていることを語った。

首相は、静かに頷くと、伸一に尋ねた。「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか」伸一は即座に答えた。「それは、平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です。」

伸一の生き方の根本にあるのは、仏法の生命尊厳の哲理を根底にして、人類の幸福と平和を打ち立てることである。人間の生命を磨き、豊かな社会を築き上げることである。つまり、広宣流布であり、立正安国の実現である。

しかし、それを、そのまま表現したとしても、本当の意味は伝わらなないに違いない。仏法を根底にした私たちの主張や思想も、社会に即した表現がなされてこそ、説得性をもち、人びとの理解と共感を得ることが可能になるのだ。

コスイギン首相は、張りのある大きな声で語り始めた。「山本会長の思想を、私は高く評価します。その思想を、私たちソ連も、実現すべきであると思います。今、会長は、『平和主義』と言われましたが、私たちソ連は、平和を大切にし、戦争を起こさないことを、一切の大前提にしています」

最も語り合いたかったテーマに、話は移っていた。コスイギン首相の目には、平和建設の決意が燃えていた。伸一は、首相を凝視しながら、強い語調で訴えた。「ソ連の人びとと同様に、中国の人びとも、平和を熱願しております。中国は、決して侵略主義の国ではありません」語らいは、まさに佳境に入ろうとしていた。

その年の3月から8月にかけて、ソ連軍と中国軍の衝突があり、中ソ関係は緊迫していたのだ。伸一は、3か月前に中国を訪問した実感を、コスイギン首相に伝えた。

「中国の首脳は、自分たちから他国を攻めることは絶対にないと言明しておりました。しかし、ソ連が攻めてくるのではないかと、防空壕まで掘って攻撃に備えています。中国はソ連の出方を見ています。率直にお伺いしますが、ソ連は中国を攻めますか」

首脳は鋭い眼光で伸一を見すえた。その額には汗が浮かんでいた。そして、意を決したように言った。「いいえ、ソ連は中国を攻撃するつもりはありません。アジアの集団安全保障のうえでも、中国を孤立化させようとは考えていません」

「そうですか。それをそのまま、中国の首脳部に伝えてもいいですか」コスイギン首相は、一瞬、沈黙した。それから、きっぱりとした口調で、伸一に言った。「どうぞ、ソ連は中国を攻めないと、伝えて下さって結構です」

伸一は、笑みを浮かべて首相を見た。「それでしたら、ソ連は中国と、仲よくすればいいではないですか」首相は、一瞬、答えに窮した顔をしたが、すぐに微笑を浮かべた。心と心の共鳴が笑顔の花を咲かせた。

さらに話題は、核兵器の問題に移っていった。首相は、憂いをかみしめるように語った。「既に現在、核は全世界が滅びるほど、充分にあります。」「核兵器をこのまま放置しておけば、ヒトラーのような人間がいつ現れて、何が起きないとも限りません。そうなれば、地上の文明を守る手立てはないのです。人類は遅かれ早かれ、核軍縮を決定するに違いありません」その言葉に伸一は驚きを隠せなかった。


太字は 『新・人間革命』第20巻より 抜粋

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