『新・人間革命』第10巻 幸風の章 P130~
伸一は言った。「ありがとう!あなたが、広宣流布への決意を定めてくだされば、私がアメリカに来た目的は、すべて果たせたといっても過言ではありません。一人の人が、あなたが、私と同じ心で立ち上がってくだされば、それでいいんです。大河の流れも一滴の水から始まるように、あなたから、アメリカの平和の大河が始まるからです。わがアメリカを、よろしく頼みます」
その青年は、伸一の手を、両手でぎゅっと握りしめた。
ロサンゼルス会館では、アメリカのメンバーと勤行し、懇談会をもった。
「なぜ、今回文化祭を行ったのか、なんのための文化祭であったのか。アメリカの人びとに、学会の真実の姿を見てもらい、学会への理解を促すということも、大きな目的の一つです。しかし、何よりも、大切なことは、皆さんが幸せになっていくための文化祭であるということです。」
「今回の文化祭は、グラウンドの整地から始まり、寺院の起工式の準備をしながら、練習に励むという、極めて大変な条件のなかでの文化祭であったと思う。」
「皆さんは、文化祭を大成功させるために、不可能と思われた限界の壁、困難の壁を、一つ一つ破ってこられた。そしてこの文化祭を通して、自身と、信心への揺るぎない確信をつかまれたことと思う」
「実は、それが、何よりも大事なことなんです。人生には、さまざまな試練がある。病に倒れることもあれば、仕事で行き詰まることもある。その時に、悠々と乗り越えていくためには、生命の鍛錬が必要です。精神の骨格となる、信心への大確信が必要なんです。」
「この文化祭に全力で取り組み、唱題を根本に、あらゆる困難を克服してこられた皆さんは、“仏法に行き詰まりはない”との体験をつかまれたと思います。こうした体験を、どれだけ積んできたかによって、仏法への揺るぎない大確信が育まれ、何があっても負けることのない、強い自身の生命が鍛えあげられていきます。」
「そのための『場』となるのが、学会活動です。また、文化祭でもあります。つまり、自分の幸福の礎を築いていくための活動なんです。」メンバーから拍手が起こった。学会活動の意義を、よく理解することができた、喜びの拍手であった。
伸一は、「来年は、ブラジルでも文化祭をやろう」と南米本部長の斉木と妻に言った。二人を文化祭に招いたのは、そのためでもあった。
斉木の妻は、幼少から喘息に苦しみ、娘の病を治したい母が入会し、母の勧めで信心を始めた。斉木と結婚すると克服したと思った喘息の発作が起きるようになった。彼女はブラジルに単身赴任する斉木が帰国する3年の間に信心でこの病気で苦しむ宿命を転換しようと真剣に学会活動に励んだ。
帰国した斉木は、健康になった妻を見て、学会に関心をもつようになり、やがて入会したのだ。山本伸一は、再び単身赴任する斉木に 入会したばかりの青年であったが、男子部の南米部長に任命した。
彼は、仕事にも、人一倍、力を注いだ。学会の組織での信頼も厚かった。ブラジルの男子部は、最初100人ほどであったが、2年を迎えるころには、5~600人になっていた。
会社から帰国の支持が出たが、斉木は、生涯をブラジル広布に捧げ、ブラジルの土になるのだ!と決意する。彼は、東京外国語大学を卒業し、商社マンとなって以来、エリートコースを歩き続けてきた。商社マンとしての彼は、未来を嘱望されていた。
しかし、そんな自分の栄誉栄達よりも、はるかに大きく重要な、人間としての使命があることを、彼は自覚しつつあった。帰国すると会社に辞表を提出し、貿易の仕事で独り立ちする決意をした。
ブラジルをはじめ、南米の組織は、さらに大きな発展を遂げようとしていたのである。
伸一は言った。「ありがとう!あなたが、広宣流布への決意を定めてくだされば、私がアメリカに来た目的は、すべて果たせたといっても過言ではありません。一人の人が、あなたが、私と同じ心で立ち上がってくだされば、それでいいんです。大河の流れも一滴の水から始まるように、あなたから、アメリカの平和の大河が始まるからです。わがアメリカを、よろしく頼みます」
その青年は、伸一の手を、両手でぎゅっと握りしめた。
ロサンゼルス会館では、アメリカのメンバーと勤行し、懇談会をもった。
「なぜ、今回文化祭を行ったのか、なんのための文化祭であったのか。アメリカの人びとに、学会の真実の姿を見てもらい、学会への理解を促すということも、大きな目的の一つです。しかし、何よりも、大切なことは、皆さんが幸せになっていくための文化祭であるということです。」
「今回の文化祭は、グラウンドの整地から始まり、寺院の起工式の準備をしながら、練習に励むという、極めて大変な条件のなかでの文化祭であったと思う。」
「皆さんは、文化祭を大成功させるために、不可能と思われた限界の壁、困難の壁を、一つ一つ破ってこられた。そしてこの文化祭を通して、自身と、信心への揺るぎない確信をつかまれたことと思う」
「実は、それが、何よりも大事なことなんです。人生には、さまざまな試練がある。病に倒れることもあれば、仕事で行き詰まることもある。その時に、悠々と乗り越えていくためには、生命の鍛錬が必要です。精神の骨格となる、信心への大確信が必要なんです。」
「この文化祭に全力で取り組み、唱題を根本に、あらゆる困難を克服してこられた皆さんは、“仏法に行き詰まりはない”との体験をつかまれたと思います。こうした体験を、どれだけ積んできたかによって、仏法への揺るぎない大確信が育まれ、何があっても負けることのない、強い自身の生命が鍛えあげられていきます。」
「そのための『場』となるのが、学会活動です。また、文化祭でもあります。つまり、自分の幸福の礎を築いていくための活動なんです。」メンバーから拍手が起こった。学会活動の意義を、よく理解することができた、喜びの拍手であった。
伸一は、「来年は、ブラジルでも文化祭をやろう」と南米本部長の斉木と妻に言った。二人を文化祭に招いたのは、そのためでもあった。
斉木の妻は、幼少から喘息に苦しみ、娘の病を治したい母が入会し、母の勧めで信心を始めた。斉木と結婚すると克服したと思った喘息の発作が起きるようになった。彼女はブラジルに単身赴任する斉木が帰国する3年の間に信心でこの病気で苦しむ宿命を転換しようと真剣に学会活動に励んだ。
帰国した斉木は、健康になった妻を見て、学会に関心をもつようになり、やがて入会したのだ。山本伸一は、再び単身赴任する斉木に 入会したばかりの青年であったが、男子部の南米部長に任命した。
彼は、仕事にも、人一倍、力を注いだ。学会の組織での信頼も厚かった。ブラジルの男子部は、最初100人ほどであったが、2年を迎えるころには、5~600人になっていた。
会社から帰国の支持が出たが、斉木は、生涯をブラジル広布に捧げ、ブラジルの土になるのだ!と決意する。彼は、東京外国語大学を卒業し、商社マンとなって以来、エリートコースを歩き続けてきた。商社マンとしての彼は、未来を嘱望されていた。
しかし、そんな自分の栄誉栄達よりも、はるかに大きく重要な、人間としての使命があることを、彼は自覚しつつあった。帰国すると会社に辞表を提出し、貿易の仕事で独り立ちする決意をした。
ブラジルをはじめ、南米の組織は、さらに大きな発展を遂げようとしていたのである。
太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋
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