『新・人間革命』第3巻 月氏の章 P111~
マハトマ・ガンジーが、亡くなった時、
荼毘に付したラージ・ガートに立ち寄った山本伸一。
1947年8月15日 インドは イギリスの植民地から独立を達成した。
このインド独立の父こそ、マハトマ・ガンジーだ。
50年以上にわたるガンジーの不休の戦いは 南アフリカで始まった。
インド人の顧問として赴いた南アフリカで経験した「人種差別」の壁。
有色人種というだけで、一等車から放り出されたガンジーは、
人権闘争の契機となった、「マリッツバーグ」から
20年以上にも及ぶ「非暴力」の民主抵抗運動を始める。
南アフリカでの長い戦いに勝利して帰国したガンジーを インドの同胞は英雄として迎えた。
ガンジーにとって、非暴力は、単なる手段や戦術ではなかった。
「非暴力は臆病をごまかす隠れ蓑ではなく、勇者の最高の美徳である」と断言する。
ガンジーは、何よりも民衆の心に沁みついた「恐怖」を追い払った。
民衆が毅然と顔を上げ、背筋をぴんと伸ばした時、民衆の上に君臨する、
傲慢なる権力者は転げ落ちていかざるをえない。
ネルーは、民衆の心から「恐怖」を追い払ったことを、
ガンジーの「最大の贈り物」と評している。
「恐怖」とは何か。
それは、自分の心がつくりだした幻影にすぎない。
怯えるものは、自分の心の影におびえているのだ。
今、ガンジーもまた、「民衆よ、恐れるな!」と叫んだのである。
その叫びに、民衆は立ち上がった。
ここに、インド独立の真の夜明けが始まったといってよい。
伸一は この時、一個の人間として、ガンジーの“魂の火”を永遠に消してはならぬと、
深く心に誓っていたのである。
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋
マハトマ・ガンジーが、亡くなった時、
荼毘に付したラージ・ガートに立ち寄った山本伸一。
1947年8月15日 インドは イギリスの植民地から独立を達成した。
このインド独立の父こそ、マハトマ・ガンジーだ。
50年以上にわたるガンジーの不休の戦いは 南アフリカで始まった。
インド人の顧問として赴いた南アフリカで経験した「人種差別」の壁。
有色人種というだけで、一等車から放り出されたガンジーは、
人権闘争の契機となった、「マリッツバーグ」から
20年以上にも及ぶ「非暴力」の民主抵抗運動を始める。
南アフリカでの長い戦いに勝利して帰国したガンジーを インドの同胞は英雄として迎えた。
ガンジーにとって、非暴力は、単なる手段や戦術ではなかった。
「非暴力は臆病をごまかす隠れ蓑ではなく、勇者の最高の美徳である」と断言する。
ガンジーは、何よりも民衆の心に沁みついた「恐怖」を追い払った。
民衆が毅然と顔を上げ、背筋をぴんと伸ばした時、民衆の上に君臨する、
傲慢なる権力者は転げ落ちていかざるをえない。
ネルーは、民衆の心から「恐怖」を追い払ったことを、
ガンジーの「最大の贈り物」と評している。
「恐怖」とは何か。
それは、自分の心がつくりだした幻影にすぎない。
怯えるものは、自分の心の影におびえているのだ。
今、ガンジーもまた、「民衆よ、恐れるな!」と叫んだのである。
その叫びに、民衆は立ち上がった。
ここに、インド独立の真の夜明けが始まったといってよい。
伸一は この時、一個の人間として、ガンジーの“魂の火”を永遠に消してはならぬと、
深く心に誓っていたのである。
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋