小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

イタリア

スカラ座公演

『新・人間革命』第30巻(上) 暁鐘の章(前半) 400p

3日、伸一は、スカラ座にカルロ・マリア・バディーニ総裁を訪ねた。そして、総裁の案内でミラノ市長を表敬訪問した。この年の秋、民音などの招聘で、スカラ座の日本公演が行われることになっていたのである。前年のウィーン国立歌劇場に続き、オペラ界の最高峰の日本公演として大きな期待が集まっていた。

スカラ座でも、バディーニ総裁、フランチェスコ・シチリアーニ芸術監督らと会談した。総裁の顔には、日本公演にかける並々ならぬ決意がみなぎっていた。総裁は、言葉をついだ。「この公演は、山本先生の力がなければ、実現しなかったでしょう」思えば、秋月英介が日本公演の交渉に当たったのは、16年前のことであった。

日本でのアジアでも例がなかった。日本の文化・芸術関係者は、決まって「夢想だ!」と一笑に付した。民音や学会などに世界最高峰の大歌劇団を呼べるわけがないというのだ。

困難の壁に、一回一回、粘り強く、体当たりする思いで挑んでいく。その行動の積み重ねが、誰もが“まさか!”と思う壮挙を成し遂げ、新しい歴史を創り上げていくのだ。翌4日、伸一は、モンダドーリ出版社に招かれ、教育出版局長らと懇談した。同社からは、後に、『法華経の智慧』が出版され、大きな反響を呼ぶことになる。出版は、思想を流布し、精神の対話を育み、文化向上の力となる。

4日夕刻、青年の代表らと信心懇談会を開催した。イタリアは青年のメンバーが多く、結婚観についても、言及していった。「両親や身近な先輩のアドバイスを受け、周囲の方々から祝福されて結婚することが大切であると申し上げたい。

人生には、いかなる宿命があり、試練が待ち受けているか、わからない。それを二人で乗り越えていくには、互いの愛情はもとより、思想、哲学、なかんずく信仰という人生の基盤の上に、一つの共通の目的をもって進んでいくことが重要になる」

「近年は、世界的な傾向として、すぐに離婚してしまうケースが増えつつあると聞いています。しかし、どちらかが、しっかり信心に励み、発心して、解決の方向へ歩みゆくならば、聡明に打開していける場合が多いと、私は確信しています。ともかく、確固たる信心に立つことが、最も肝要です」

伸一のミラノ滞在は、三泊4日にすぎなかった。しかし、彼と身近に接したミラノの青年たちが、心に深く焼き付けたことがあった。それは、彼が、ホテルのドアボーイや料理人、運転手など、すべての人に、平等にねぎらいや感謝の言葉をかけ、丁重に御礼を言う姿であった。

仏法では、万人が等しく「仏」の生命を備え、平等であると説く。まさに伸一の行動が、それを体現していると感じたという。

6月5日、マルセイユの空港に到着した一行は、直ちにフランスでの諸行事について打ち合わせを行った。6月6日、伸一は、とレッツ市庁舎を訪問した。ジョン・フェロー市長は、フランス国旗と同じ、色を配した儀礼用の懸章をつけて、あいさつに立った。

「私どもは、誠実と忍耐、真心と熱意、旺盛なバイタリティーとエネルギーで行動される“平和の大使”である山本先生を、ここに名誉市民としてお迎えいたします」市長から伸一に、市のメダルと名誉市民章が贈られた。この陰には、メンバーの誠実な努力と対話があったにちがいない。

6日午後、欧州研修道場では、伸一が出席して、ヨーロパ広布20周年を記念する夏季研修会が晴れやかに開幕した。これには、地元フランスの百人をはじめ、18カ国5百人のメンバーが集った。伸一は、マイクに向かうと、こう提案した。

「本日6月6日は、21世紀への飛翔を遂げる研修会が開催された日であると同時に、初代会長の牧口常三郎先生の生誕の日であります。この意義深き日を、『欧州の日』と定め、毎年、この日を節として、
互いに前進を誓い合う記念日としてはどうかと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」

著書のなかで牧口は、平和への道筋として、「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」から「人道的競争」に入ると予見している。伸一は、人類の平和のために、今こそ世界に、「人道的競争」への確かな潮流を創っていかなくてはならないと、決意を新たにするのであった。

翌7日、ヨーロッパ広布20周年の記念総会が開催された。山本伸一は、この席でも、御書を拝して、参加者と共に、仏法の法理を研鑽し合った。




太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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イタリア創価学会の発展

『新・人間革命』第30巻(上) 暁鐘の章(前半) 390p

伸一は、今日、ルネサンスの理想を実現するために著名な思想家たちは、「新人間主義」「人間性革命」などを提唱し、人間自身の変革に最大の関心をよせていることに言及した。そして、それなくしては、人間が時代と社会の主役となり、真の幸福を手にしていくことはできないと指摘。

さらに、人間の変革のためには、自己自身を律し、無限の価値の創造をもたらす、生命の根本法が必要不可欠であると訴えたのである。「その法こそが、南無妙法蓮華経であり、人間の生命をあますところなく解き明かした日蓮大聖人の仏法なのであります。ここに、多くの思想家たちが理想とする人間変革の方途があり、この生命の大法にこそ、人類の未来を開くカギがあります」

参加者の多くは青年、なかんずく大学生である。「自身の将来のためにも、広宣流布の未来のためにも、今は、しっかり学問に励んでいただきたい。学生時代は、学問に打ち込むことが信心に通じます。信心即生活であり、学生にとっては信心即学問であると明言しておきます」

学会の役職の考え方について語った。「学会の役職は、権威ではないし、役職のいかんによって、信心が強いか、弱いかが決まるわけでもない。したがって、役職というモノサシで人を評価し、後輩たちを下に見るようなことがあっては絶対にならない。どこまでも互いに尊敬し合い、信頼し合い、励まし合って、信心に取り組んでください。

学会の組織は、広宣流布の責任を担うための責任職です。役職に就けば、苦労もあり、大変であると思う。同時に、それだけ、功徳、福運が積めることは間違いありません」伸一は、青年の育成に全力を注いだ。放っておいたのでは人は育たないからだ。

31日フィレンツェ郊外のセッティニャーのにある庭園で、イタリア広布20周年を記念する友好文化総会が開催された。イタリアのメンバーにとっては、自国での初めての大行事である。皆、何日も前から、準備や練習に励んだ。舞台一つ造り上げるのも一苦労であった。

会場に到着した伸一は、真っ先に、陰で行事を担っている運営役員の青年たちのもとへ向かい、全力で
激励した。フィレンツェでの、多くの青年の誕生は、伸一に「地涌の義」を強く確信させ、世界広布への大いなる希望を感じさせた。

伸一の席には人波が絶えなかった。その一人ひとりの話に、真剣に耳を傾け、渾身の力を振り絞るように、激励と指導を重ねた。“この時を逃せば、もう、お会いする機会はないかもしれない”との強い思いが、伸一にはあった。一瞬一瞬が勝負であった。

会場に、役員として走り回る小柄な日本人壮年がいた。14年前のイタリア訪問の折、エレベーター前で励ました小島保夫である。自分に光は当たらなくとも、新しい青年たちを励まし、黙々と皆のために尽くす存在は貴重である。組織が強くなり、発展していくためには、リーダーのもとに、そうした影の力となる人が、どれだけいるかが決め手となる。広宣流布とは、結局は連携プレーであり、団結のいかんにかかっている。

「人を頼むのではなく、自分こそが広布の責任者であると決めて、一人立つことです。そして、日々、弛みなく、もう一歩、もう一歩と、全力で前進していくーーこの小さな行動、小さな勝利の積み重ねこそが、歴史的な大勝利をもたらします」

6月1日、ローマクラブのアウレリオ・ペッチェイ会長と会談した。会長は前日にロンドンからローマの自宅に戻り、朝、ローマを発ち、自ら車を運転して、4時間がかりで訪ねて来たのである。72歳にして疲れも見せず、精力的に動く姿に、伸一は感嘆した。

会談を終えた伸一は、青年たちの代表と、ダンテの家へ向かった。人間は、いくら地位や、名声や、財産を得ても、「死」という問題が解決できなければ、真実の生き方の確立も、幸福もない。伸一は、人びとが仏法という永遠の生命の大法に目覚めてこそ、新しき生命のルネサンスがあるとの確信を強くいだいていた。

6月2日、山本伸一は、百人ほどのメンバーに見送られ、ミラノ行きの列車に乗り込んだ。この時の青年たちが、雄々しく成長し、イタリア社会に大きく貢献していった。そして35年後の2016年(平成28年)7月、イタリア共和国政府とイタリア創価学会仏教協会のインテーサ(宗教協約)が発効される。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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オーストリア、イタリアへ

『新・人間革命』第30巻(上) 暁鐘の章(前半) 378p

伸一の一行は、一路オーストリアの首都ウィーンへ向かった。伸一は、思った。“文化交流と友情の苗は、大地に深く根を張り、幹を伸ばし、21世紀の大空に、大きく枝を広げるにちがいない。また、やがて、この国にも、御請訓に照らして、地涌の菩薩が陸続と出現する時が来るはずだ。時代は変わる。ブルガリア広布の朝は、きっとくる!”

三年後の1984年(昭和59年)創価大学とソフィア大学との学術交流協定が調印される。また、92年には、伸一の写真展が、首都ソフィアの文化宮殿で開催され、開幕式にはジェリュ・ジェレフ大統領も出席している。

また、特筆すべきは、伸一の初訪問から20年後、2001年5月3日を記念し、ブルガリアにSGIの支部が結成されたことである。まさに、御請訓のままに、時代は動き始めたのだ。

5月25日、山本伸一たちは、ウィーンの空港に到着した。伸一がオーストリア入りするのは、20年ぶりであった。当時、メンバーは誰もいなかったが、今では、支部が誕生し、支部長の永村嘉春らが出迎えてくれた。

永村は27歳の時、世界広布に生きようと、オーストリアに渡った。仕事もなく、就職できなければ日本に送還される。懸命に祈った。翌日、荷物をまとめて部屋を出た。隣室から現れた中年の男性が、いきなり、「君、仕事は?うちで仕事をしないか」と言われた。永村は窮地を脱した。強気一念の祈りある限り、行き詰まりはないと確信した。 

永村は伸一がパリを訪問するたびに、列車に18時間も揺られ、訪ねてくるのであった。ウィーンの空港で伸一は、「あなたに会いにきました。弟子が必死に奮闘しているんだもの。精一杯応援したいんだよ」

26日、イギリスのオックスフォード大学のブライアン・R・ウィルソン社会学教授と会談し、対談集『社会と宗教』の発刊に向けて、最終的な打ち合わせを行った。夜、信心懇談会が開かれた。この席で待望のオーストリア本部が結成された。

27日は、ウィーン国立歌劇場を訪問し、エゴン・ゼーフェルナー総監督と会談した。前年秋に民音の招聘で行われた日本公演に対して、民音の創立者として御礼を述べたかったのである。友好の核心は誠意を尽くすことにある。この日は、文部省も表敬訪問し、フレッド・ジノワツ副首相と会談した。彼は、後に首相となる。

ハイリゲンシュタットにある楽聖ベートーベンの記念館を訪れた。二階の二部屋だけの小さな記念館である。伸一は丹念に見て回った。

このあと、メンバーと夕食を共にしながら懇談し、オーストリア本部の出発を祝った。永村に言った。「広宣流布は、長い戦いだ。無理は長続きしないものだよ。知恵を働かせて、よく睡眠をとるように心がけ、体に気をつけるんだよ」

伸一は、永村が昼間は一向に同行し、夜遅く職場に戻り、仕事をしていたことを知っていた。しかし、永村はそんなことはおくびにも出さなかった。中心者の彼に、この誠実さがある限り、オーストリアSGIは、やがて大きく発展していくだろうと思った。長い目で見た時、勝利を収めるのは誠実の人である。人生にあっても、広布にあっても。

5月28日、イタリアのピサ国際空港に到着した。大勢のイタリアの青年たちが伸一を迎えてくれた。20年前ローマの空港に出迎えてくれたのは、仕事でイタリアに赴任していた一組の日本人夫妻だけであった。以来20年、はつらつと集った多くの青年たちの姿に、彼は新しい世界広布の時代の到来を感じ、胸が高鳴るのを覚えた。

メンバーとの懇談会のなかで伸一は、ルネサンスに言及していった。伸一は、人類史という大きな流れの中で、広宣流布の意味を確認しておこうと思った。人間の生命を変革し、民衆を蘇生させる創価の人間革命運動の真価は、歴史を俯瞰するなかでこそ、より鮮明になるからだ。

ルネサンスは、人間を「神」と「教会」の軛から解き放ち、その限りない可能性を開花させていった。それは、まぎれもないヒューマニズムの勝利であり、人間的自由の賛歌であった。「しかし、人間は真の自由を手にすることができただろうか!残念ながら、違うといわざるを得ない。

ルネサンスによって解き放たれた人間は、自身の心を師とし、欲望や感情に翻弄され、片や、それを抑え込もうとする外なる力に縛りつけられ、求め続けた幸福から、著しくかけ離れた時代をつくってしまった」仏典には『心の師とはなるとも心を師とせざれ」とある。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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世界広布への道

『新・人間革命』第7巻 早春の章 P239~

1月18日 スイスジュネーブに到着した。ジュネーブは一面の銀世界であった。
現地の人びとの冬の生活を実感するため皆で市内見学に歩く。

「寒い寒いと言って、ぬくぬくとした部屋のなかにいたのでは、何もできずに終わってしまう。こういう時は、"雪なんかに負けるものか!"と自分に言い聞かせて、外へ出て行けば、寒さも、それほど辛くは感じないものだ。」

「そして、何よりも、行動すれば、縮こまった心の世界が大きく広がっていく。信心も同じことだよ。批判され、叩かれるからいやだと思って、閉じこもっていたのでは、何も事態は開けない。しかし、勇気をもって、戦うぞと決意してぶつかっていけば、敵をも味方にすることができる・・・」

「大切な会員が一人でもいるならば、どこまでも激励に行くというのが、学会の会長の精神であり、幹部の在り方です。」

「先輩が一人ひとりのメンバーを"宝"のごとく思い、全魂を傾け、大誠実をもって、守り励まし、育んんでいくところに、学会の強さ、美しさがある。」

翌日はイタリアのローマへ向かった。ポンペイの遺跡を見学する。カメオの貝細工を見て、伸一は、
「知恵があるね。人間が社会で生き抜くうえで大切なのは知恵だよ。広宣流布も、人生も、勝利していくためには知恵が必要だ。知恵を出すには、旺盛な責任感、使命感をもって、題目を唱え、強い生命力を湧現しながら、考え抜いていくことだ。」

バルワー・リットン卿が書いた『ポンペイ最後の日』について語る伸一。「『ポンペイ最後の日』は、人間にとって、人生にとって、何が最も大切かという、根本問題を問いかけているように思える。」

「どんな人であれ、生死の苦悩から逃れることはできない。世界中から金銀財宝を集めても、どんなに地位があり、権力をもっていても、この問題だけは決して解決できない。大聖人は『世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此身の死するとなるべし』と仰せになっているが、誰でも死ぬのは怖いし、また、それほど大事なものが生命といえる。だからこそ、その大切な生命を何のために使うのかーーここが焦点だよ」

「ところが、人間は、ともすれば、この根本問題から目をそらして、眼前の楽しみや利害に心を奪われ、流されていってしまう。残念なことだ。しかし、私たちは日蓮大聖人の仏法を持ち、地涌の菩薩の使命を自覚して、人類を救うため、広宣流布のために働いている。最も大切な生命を、最も崇高な目的のために使う、最高の人生なんだ」

伸一は、絵の勉強のためにローマの美術学校に留学して卒業後も イタリアで 絵で生計を立てようとしていた小島寿美子に、言った。

「人生は短いよ。また、何があるかもわからないし、無情なものだ。しかし、仏法という永遠常住の法に生き抜くならば、永遠の幸福の道を開くことができる。だから、確固不動の自分をつくり、何があっても、どんなに苦しく、辛いことがあっても、生涯、広布の使命に生き抜くことだよ」

文化祭のシートレコードを皆で聴いた。「学会歌は元気が出るだろう。寂しくなったら、勤行のあとに、このシートレコードを聴いて、勇気を出していくんだよ。」

「御書には、仏法者の進むべき道は明確に示されている。しかし、励まし、指導してくれる人がいないと、ともすれば、自分の弱い心や感情、わがままに負けてしまいそうになる。」

「信心というのは、その弱い自分の心との戦いなんだ。御書にも『心の師とはなるとも心を師とせざれ』と仰せじゃないか。自分の心を制することができてこそ、まことに信仰の勇者といえる。」

伸一は、今、ここにいる人たちに、人生の大飛躍の種子を、懸命に植えようとしていたのである。

世界広布の歯車は、ヨーロッパでも、また、アメリカでも、勢いよく、回り始めていたのである。



太字は 『新・人間革命』第7巻より

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