『新・人間革命』第12巻 新緑の章 P35~
このころアメリカでは、ベトナム戦争の拡大政策にともない、若者たちの間に、兵役の恐怖が広がっていた。また、各地で反戦運動が活発化していた。
そのなかで、脱社会的行動をとり、自己の心の充足を求める「ヒッピー」と呼ばれる若者たちが増えていった。笠原たちの布教は、この「ヒッピー」の若者たちにも向けられた。彼らは、人間革命を根本に、一国の宿命の転換をも可能にする仏法の法理を、確信を持って語っていった。
そして、「ヒッピー」の若者たちのなかにも、信心をする人が出始めたのである。
まさに、「"ヒッピー"から"ハッピー"へ」の転換劇であり、それは、アメリカの創価学会を象徴する、一つの言葉ともなるのである。
笠原は、オーディションへの挑戦を続けたが、人種差別や、肉体的な限界も感じ、日本に帰ろうかとも考え迷い続けていた。そのさなかに、山本伸一に会い指導を受けたのである。彼は、これからどうするべきかを考え、懸命に唱題を重ねた。
広布の大舞台に比べれば、あの"ブロードウェー"の舞台さえも、色褪せて見えるのである。彼はアメリカ広布のために、この国の土になろうと決めたのだ。
人生の道は、人それぞれであり、さまざまな生き方がある。しかし、広宣流布の大使命に生き抜くならば、いかなる道を進もうが、最も自身を輝かせ、人生の勝者となることは絶対に間違いない。妙法は「活の法門」である。すべてが無駄なく活かされていく。
笹原は、ダンサーをやめたあと、自分が活躍できなかった分、仏法を持った多くの優秀なダンサーなどの芸術家を育てようと心に誓った。
こうして、芸術家を育成する、アメリカの組織の伝統がつくられていったのである。そのなかで、やがて、ベース奏者のバスター・ウィリアムスやピアの奏者のハービー・ハンコック、サックス奏者のウェイン・ショーターなど、ジャズ界の世界的な音楽家がメンバーとして活躍していくようになる。
現地の幹部が尋ねた。「若い世代を育成するための要諦というのは、なんでしょうか」伸一は、「後輩を信頼し、尊敬することです。信心して日が浅いからとか、年齢が若いからといって、自分より下に見るというのは間違いです。そして、自分以上の人材にしようという強い一念をもち、伸び伸びと育てていくことです。」
「そのうえで、広宣流布のリーダーとしての考え方や行動などの基本を教え、しっかりと、身につけさせることだ。基本というのは、体で覚えなければならないことが多い。頭でわかっていることと、実際にできることとは違う。」
「たとえば、自身や火災の場合の、適切で迅速な行動も理解していればできるというものではない。そのためには、訓練が必要になる。信心の世界でも同じことがいえる。」
「御書には『鉄は炎打てば剣となる』と仰せです。だから、青年の立場でいえば、積極的に訓練を受け、自らを鍛えていくことが大切になる。」
「また、成年を育成するためには、実際に仕事を任せ、活躍の舞台を与えることです。人間は、責任をもち、経験を積み重ねていってこそ力がつく。何もやらせなければ、いつまでたっても成長はない。」
「幹部の側に、"失敗しても、責任は私がもつから大丈夫だ"という、大きな度量がなくてはできない」
「まずは自分がやって見せて、模範を示し、実際にやらせ、そして、励ましていくことです。もちろん、問題点は問題点として明らかにし、次の課題を示すことも必要だ。しかし、もっと大事なことは、やればできるという自信をもたせ、希望を与えることです。」
伸一は、全魂を込めて青年の育成の要諦を教えようとしていた。
太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋