小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

アメリカ

アメリカの地涌の若人に贈る詩

『新・人間革命』第30巻(下) 暁鐘の章(後半) 7p
<新・人間革命 第30巻 下 開始>
<暁鐘の章(後半) 開始>

1981年、6月16日、大西洋を越えて、山本伸一の一行がニューヨークのジョン・F・ケネディー国際空港に到着した。

このニューヨークでは、以前、現地の宗門寺院に赴任した住職が狡猾に学会批判を重ね、それに紛動された人たちによって組織が攪乱され、メンバーは、なかなか団結できずにいた。伸一は、徹底して皆と会い、地涌の使命に生きる創価学会の確信と誇りを、一人ひとりに伝え抜いていこうと心に決めていた。
「アメリカは、自由の国ですから、皆の意志を尊重することが大事です。もし、意見が食い違った場合には、感情的になったり、反目し合ったりするのではなく、御本尊、広宣流布という原点に立ち返り、一緒に心を合わせて唱題していくことです。

活動方針を打ち出す際にも、皆が納得できるように理を尽くすことです。その意味からも教学力を磨いてください。御書は、自分の規範であり、自己の生き方を映し出す鏡です。したがって、人を批判する前に、自分の言動や考え方を、御書に照らしてみることです。それが仏法者です」

さらに、世界広布を進めるうえで、心を合わせていくことの重要性を訴えた。「すべての国のメンバーは、各国の法律や慣習等を順守し、尊重しながら、良き市民として、仲良く、活動を進めていただきたい。同志は、心を一つにして、世界広布の流れを加速させ、永遠ならしめていかなければならない。

その広宣流布の原動力こそ、創価の師弟です。したがって、リーダーはメンバーを自分につけるのではなく、皆が師弟の大道を歩めるように指導していくことが肝要です。それには、リーダー自身が、清新な求道の心で、創価の本流に連なっていくことです」

創価学会は、世界宗教として大きく飛躍する時を迎えている。そのための最も大切な要件は、広宣流布の信心に立ち、揺るぎない異体同心の団結を築き上げていくことであると、彼は痛感していた。

18日、伸一は、聖教新聞の社主として、マンハッタンのAP通信社を訪問し、キース・フラー社長らと会談した。その後、ニューヨーク会館を訪れた。伸一は、御書を拝し、指導していった。「御本尊とともに、唱題とともに生き抜いていくなかに、最高の所願満足の人生があることを確信して、仏道修行に励み、自らの生命を磨いてください」

ニューヨークは、世界を代表する文化都市であり、メンバーにも著名な音楽家が多かった。そうしたメンバーが、常に学会活動の第一線に立ち、家庭訪問などにも積極的に取り組み、会合となれば、喜々として皆のためにイスを運んでいるという。伸一は言った。「本当に嬉しい。これが真実の創価学会の姿です」

20日午後、ウォルト・ホイットマン生誕の家を訪ねた。青年たちからの真心に応えたかったのである。先駆者の征路は、めざすものが革新的であればあるほど、険路であり、孤独である。過去に類例のないものを、人びとが理解するのは、容易ではないからだ。われらのめざす広宣流布も、立正安国も、人類史に例を見ない新しき宗教運動の展開である。

一人ひとりに内在する無限の可能性を開く、人間革命を基軸とした。民衆による、民衆自身のための、時代、社会の創造である。ゆえに、それが正しい理解を得るには、長い歳月を要することはいうまでもない。しかも、その行路には、無理解ゆえの非難、中傷、迫害、弾圧の、疾風怒濤が待ち受けていることを知らねばならない。

ホイットマンは、詠っている。「さあ、出発しよう!悪戦苦闘をつき抜けて!決められた決勝点は取り消すことができないのだ」

午後、日本からの親善交流団とアメリカのメンバーによる、日米親善交歓会が行われていた。そして、伸一の詩「わが愛するアメリカの地涌の若人に贈る」が発表されたのである。詩のなかで伸一は、妙法を護持した青年には、この愛する祖国アメリカを、世界を、蘇生させゆく使命があると訴えた。

彼は、広宣流布という新しき時代の建設は、一歩、また一歩と、日々、着実な前進を重ねていってこそ、なされるものであることを伝えたかった。また、その戦いは、自己自身の制覇から始まる、人間革命の闘争であることを知ってほしかったのである。そして、今、青年たちに後継のバトンを託したことを宣言し、詩を締めくくった。

「私は広布への行動の一切を 諸君に託したのだ
 一切の後継を信ずるがゆえに 今、世界のすみずみを歩みゆくのだ・・・」
この魂の言葉を生命に刻み、アメリカの青年たちは立った。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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文化祭開催の意義

『新・人間革命』第10巻 幸風の章 P130~

伸一は言った。「ありがとう!あなたが、広宣流布への決意を定めてくだされば、私がアメリカに来た目的は、すべて果たせたといっても過言ではありません。一人の人が、あなたが、私と同じ心で立ち上がってくだされば、それでいいんです。大河の流れも一滴の水から始まるように、あなたから、アメリカの平和の大河が始まるからです。わがアメリカを、よろしく頼みます」
その青年は、伸一の手を、両手でぎゅっと握りしめた。

ロサンゼルス会館では、アメリカのメンバーと勤行し、懇談会をもった。
「なぜ、今回文化祭を行ったのか、なんのための文化祭であったのか。アメリカの人びとに、学会の真実の姿を見てもらい、学会への理解を促すということも、大きな目的の一つです。しかし、何よりも、大切なことは、皆さんが幸せになっていくための文化祭であるということです。」

「今回の文化祭は、グラウンドの整地から始まり、寺院の起工式の準備をしながら、練習に励むという、極めて大変な条件のなかでの文化祭であったと思う。」
「皆さんは、文化祭を大成功させるために、不可能と思われた限界の壁、困難の壁を、一つ一つ破ってこられた。そしてこの文化祭を通して、自身と、信心への揺るぎない確信をつかまれたことと思う」

「実は、それが、何よりも大事なことなんです。人生には、さまざまな試練がある。病に倒れることもあれば、仕事で行き詰まることもある。その時に、悠々と乗り越えていくためには、生命の鍛錬が必要です。精神の骨格となる、信心への大確信が必要なんです。」

「この文化祭に全力で取り組み、唱題を根本に、あらゆる困難を克服してこられた皆さんは、“仏法に行き詰まりはない”との体験をつかまれたと思います。こうした体験を、どれだけ積んできたかによって、仏法への揺るぎない大確信が育まれ、何があっても負けることのない、強い自身の生命が鍛えあげられていきます。」

「そのための『場』となるのが、学会活動です。また、文化祭でもあります。つまり、自分の幸福の礎を築いていくための活動なんです。」メンバーから拍手が起こった。学会活動の意義を、よく理解することができた、喜びの拍手であった。

伸一は、「来年は、ブラジルでも文化祭をやろう」と南米本部長の斉木と妻に言った。二人を文化祭に招いたのは、そのためでもあった。

斉木の妻は、幼少から喘息に苦しみ、娘の病を治したい母が入会し、母の勧めで信心を始めた。斉木と結婚すると克服したと思った喘息の発作が起きるようになった。彼女はブラジルに単身赴任する斉木が帰国する3年の間に信心でこの病気で苦しむ宿命を転換しようと真剣に学会活動に励んだ。

帰国した斉木は、健康になった妻を見て、学会に関心をもつようになり、やがて入会したのだ。山本伸一は、再び単身赴任する斉木に 入会したばかりの青年であったが、男子部の南米部長に任命した。

彼は、仕事にも、人一倍、力を注いだ。学会の組織での信頼も厚かった。ブラジルの男子部は、最初100人ほどであったが、2年を迎えるころには、5~600人になっていた。

会社から帰国の支持が出たが、斉木は、生涯をブラジル広布に捧げ、ブラジルの土になるのだ!と決意する。彼は、東京外国語大学を卒業し、商社マンとなって以来、エリートコースを歩き続けてきた。商社マンとしての彼は、未来を嘱望されていた。

しかし、そんな自分の栄誉栄達よりも、はるかに大きく重要な、人間としての使命があることを、彼は自覚しつつあった。帰国すると会社に辞表を提出し、貿易の仕事で独り立ちする決意をした。

ブラジルをはじめ、南米の組織は、さらに大きな発展を遂げようとしていたのである。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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アメリカ エチワンダで 第1回の野外文化祭開催

『新・人間革命』第10巻 幸風の章 P117~

起工式に引き続き、新しい組織の布陣と新任幹部の発表、支部旗などの返還授与が行われた。
ハワイ総支部などが誕生し、6総支部に分割された。また、男子部の武藤靖が、アメリカ本部の副本部長に就任し、アメリカ本部の事務長として、現地法人の職員となった。

エチワンダの寺院建設用地のグランドには、照明がともされ、あとは、第1回の野外文化祭の開催を待つばかりとなった。

しかし、ワッツ地区の騒動でバスが遅れたり、運行を取りやめたりしているために、かなりの出演者が、到着していなかった。ロサンゼルスから 自家用車で メンバーがピストン輸送にあたったが、とうてい対処しきれなかった。文化祭の開会時刻は、刻々と迫っていた。

文化祭の指導にあたっていた黒木昭は「ともかく、今いるメンバーで行う以外にない。グループの編成も変えることにしよう」と決断した。もはや、そうするしかなかったのである。

午後8時過ぎ、文化祭は開会となった。入場行進には大客殿の落慶法要に参加した、アメリカ女子部の鼓笛隊も 手作りの衣装で40名が参加していた。

カナダ、メキシコからも多くのメンバーが参加していた。1300人の堂々の入場行進のあと、婦人部のコーラスと女子部のダンス、男子部200名による体操となった。

メンバーには、さまざまな人種の青年がいる。黒人も白人もいた。それが互いに、強く、強く、スクラムを組み、実に見事な、芸術的な演技を展開しているのである。最後に「4段ピラミッド」が堂々と築かれ、男子部の演技は終了した。

取材にあたった、一人の記者が語っていた。「ここにこそ、人類の真実の平和と、平等主義の現実があった」と。

メンバーは、黒人も白人も一緒になって、この野外文化祭の成功を祈り、練習に励んできたのである。
騒ぎが起こってからは、白人のメンバーが、ワッツ地区に住む黒人の同志のことを心配し、安全な地域にある、自分の家に泊めたり、練習会場まで、車で送迎する姿も見られた。

その人間愛と友情が、見事なる団結の演技を織り成したのである。
あのキング牧師は、「私には夢がある」と訴えた。そして、「それは、いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、ともに兄弟愛のテーブルに着くことができることである」と。

役員の黒人青年ロバートは、この演技を見ながら、しみじみと思った。“学会は、私たちに、キング牧師が語った「夢」を、着実に、現実のものにしているのだ。なんと、すばらしいことだろうか。私たちの手で、きっと、このアメリカ社会を変えてみせる!”

野外文化祭は、婦人部の美しい民謡から、ハワイ総支部員250人による、ハワイアンフラダンスが始まった。飛行機2機をチャーターし、太平洋を超えて、勇んでやって来たのである。

ロサンゼルス婦人部300名による「黒田節」の躍りでは、伸一に促され、同行の幹部も歌や踊りに参加し、出演者と観衆とが一体になってフィナーレとなった。

伸一は、グランドを後にし、車に向かう途中、立っていた役員の青年たちに、励ましの声をかけ、次々と握手を交わした。

一人のアフリカ系アメリカ人の青年が駆け寄って来て、手を差し出した。

「こんな危険な時に、アメリカにおいでいただき、本当にありがとうございます。その先生の行動から、私は“勇気”ということを教えていただきました。また、人びとの平和のために生きる、”指導者の心”を教えていただきました。私は、勇気百倍です。必ず、いつの日か、私たちの力で、人種間の争いなどのない、人間共和のアメリカ社会を築き上げてまいります。ご安心ください」

こう語る青年の目から、幾筋もの涙があふれた。

太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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真の自由と平等のために

『新・人間革命』第10巻 幸風の章 P96~

<幸風の章 開始>

1965年8月14日、山本伸一は、アメリカのロサンゼルスへ、向かうことになっていた。しかし、出発直前、ロサンゼルスで、アフリカ系アメリカ人の青年に対する職務質問をした白人警官の侮蔑的な態度に 差別への怒りが爆発し、大騒動が始まったとの知らせが届いた。

同行する幹部は、危険が予想されることから、渡航延期を提案する。しかし、山本伸一は、きっぱりと言った。「私は、今こそ、ロスに行き、メンバーを全力で励まさなければならない。今こそ、アメリカの同志に立ち上がってもらいたいんだ」

「こうした騒ぎが、なぜ起こったのか。その原因は、不当な人種差別にあることは明白だ。」
「しかし、法の上で平等が定められても、依然として差別がなくならないのはなぜか。差別は、人間の心のなかにあるからだ。法の改革から、人間の心の改革へーーアメリカ社会を、真実の自由と民主の国にしていくには、そこに向かって、進んでいかざるをえない。」

「その人間の心の改革を、生命の改革を可能にするのは、断じて仏法しかない。戦後、日本は、アメリカによって、信教の自由が保障され、広宣流布の朝が訪れた。だから、私は、そのアメリカに恩返しをしたいんだ」


伸一は、人間の内なる“差別の心”を打ち破るために、今こそ、仏法という生命の平等の哲学を、アメリカの大地に流布せねばならないと、強く決意を固めていたのだ。

山本伸一の一行は、予定通り、羽田を発った。ロスアンゼルスに到着し、ホテルに向かう車中、正木が騒動の様子を報告した。「ワッツ地区周辺では、まだ、放火や発砲、略奪が続いていますし、むしろ、今後、騒動はさらに激しくなるのではないかといわれております。」さらに、伸一が到着した、14日には、戒厳令とほぼ同等の意味を持つ、「暴動状態」宣言が布告されたのである。

最悪の状況のなかでも、人間の良心と善意の光は、決して消えることはなかった。「暴動は社会的に憎むべきであり、自滅行為だ」公民権運動の指導者で、ノーベル平和賞の受賞者であるマーチン・ルーサー・キングは、こう暴挙を批判している。暴力からは、何も解決は図れない。

8月15日は、エチワンダの寺院の起工式と野外文化祭が行わる日である。会館の通りを挟んだ向かい側には、警察の建物があった。その屋上には、銃を手にした警察官が立っていた。

エチワンダの寺院の建設用地は、オレンジ畑とブドウ畑であり、寺院を建てるには、土地を整備しなければならなかった。

寺院建立予定地は、約1万2千坪の広さである。毎週日曜日に朝から日没まで、100人ほどの人が参加していたが、作業はなかなか終わらなかった。

野外文化祭の練習が始まるが、整地作業はまだ終わらなかった。出演者も整地に携わりながら、演技の練習に励んできた。その努力によって、見事な芝生の庭がつくられたのである。

起工式が行われ、通訳を通して、伝えられる山本会長の指導を聴いて、“このアメリカに、真実の人間の平等を実現するために、ぼくは広宣流布に生き抜こう、それが、ぼくの使命なんだ!”と誓ったアフリカ系アメリカ人のロバートマイケルという青年がいた。

彼は少年時代から、“黒人”ゆえの不当な差別を受け続けてきた。学校でも、教会でも、軍隊でも。そんな彼は、願いは必ず叶うという、確信ある言葉に打たれて、入会した。

学会の世界には、人種による差別など、いっさいなかった。そこには、常に家族以上の温かさがあり、真実の語らいと、励ましと友情があった。

彼は、この起工式の席で、人種差別の解決への、伸一の宣言ともいうべき話を聞いて、電撃に打たれた思いで、自らの使命を再確認したのであった。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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勝利の年

『新・人間革命』第5巻 勝利の章 P270~

東京で深夜まで執務を続ける山本伸一。
午前2時過ぎ、アメリカ総支部長の十条から電話が入った。

ハワイから7名、ロサンゼルスからの2名に加え、総員69名が勢ぞろいし、
宿泊所へ向かったとのことだった。

最高齢80歳の女性を始め、全員元気いっぱいとの報告だった。

翌日学会本部にやってきたメンバーは、伸一を見ると 大粒の涙を流した。
1年前、伸一のアメリカ訪問以来の再会である。

メンバーの多くは国際結婚をして、アメリカに渡り、
日本に帰ることなどできないと思っていた人がほとんどであった。

それが、伸一の指導を聞いて、考えを新たにし、"来年は日本でお会いしましょう"との、彼の言葉を目標とし、希望として、この日をめざして、懸命に信心に励んできたのである。

日本に行くといっても、休みをとるのも、その費用を捻出するのも並大抵のことではなかった。
一朝一夕に工面できる人などほとんどいなかった。

それでも、ともかく日本に来て、会長の伸一をはじめ、日本の同志に会い、日本の信仰の息吹に触れたかったのである。メンバーは、熱い求道の心を燃やしながら、生活費を切り詰め、仕事に励み、旅費を蓄え、遂に、飛行機に乗った。

“日本に行こう。そして、山本先生との約束を果たそう”
ーただただ、その一念で太平洋を渡って来たのである。

伸一は
「皆さんは、勝った!私は、皆さんは、広宣流布のために自由自在に活躍できる境涯の因をつくられたと、確信しております。」と語った。

伸一から「皆さんは勝った!」との言葉を聞いた瞬間、アメリカの友の胸に、一筋の黄金の光が走った。

メンバーは、ただ日本に行きたいという一心で、この一年間、頑張りに頑張り抜いてきた。しかし、振り返ってみると、異境の地で埋もれていくだけのように思っていた自分たちが、いつの間にか希望に燃え、友の幸福のために、夢中になって、アメリカの大地を駆け巡っていたのである。

そして、信心を根本に努力を重ねていけば、どんな境涯にもなれ、崩れざる幸福を築けることを、皆、実感していた。そこには、目には見えないが、確かに大きな精神の勝利があった。

11月の本部幹部会の席上、明年の「勝利の年」の活動方針が打ち出された。
この日、指導に立った伸一は、大阪事件の裁判に触れた。

「大聖人の御金言を拝しましても、広宣流布の途上において、三類の強敵が競い起こることは間違いありません。また、民衆を組織し、民衆の時代を創ろうとする創価学会に対し、民衆を支配しようとする権力が、今のうちに弾圧し、力を弱めさせようとするのも、当然といえましょう。」

「だが、権力がいかに牙をむこうとも、私たちの崇高な理想を、信心を、破壊することは絶対にできないという大信念をもって、堂々と、朗らかに前進していこうではありませんか。」

「ともあれ、無実であるにもかかわらず、何か大きな犯罪行為があるかのように喧伝し、罪に陥れようとすることは、古来、権力者の常套手段であります。今回の裁判は、長い広宣流布の戦いを思えば、さざ波のような小難にすぎません。。今後も、こうしたことは、幾度となくあるでしょう。しかし、何も恐れることはありません。」

12月に入ると、山本伸一の動きは、一層激しさを増した。

大阪事件の裁判に出廷した伸一は、意見陳述で、検察の横暴を突いていった。
学会が選挙運動を行うのは、憲法で保障された国民の権利であり、それを否定するような検察の求刑には、明らかに偏見があると指摘。

さらに、従来、戸別訪問は罰金刑等の軽い刑であるにもかかわらず、地検の禁固という求刑は、はなはだ過酷であると述べるとともに、その取り調べも非道であり、権力をカサに着た弱い者いじめのような
やり方は、断じて許しがたいものであると語った。

無実の者に、罪を着せようとする、不当な検察に対する鋭い反論であり、伸一の正義の叫びであった


<勝利の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋
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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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