小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

アジア

広宣流布の方程式

『新・人間革命』第3巻 平和の光の章 P311~

バンコクのレストランで女性従業員が 声をかけてきた。
学会員であった。

今回の訪問地には、まったく学会員のいない国もあると思っていたが、
これまでのところどの国にもメンバーがいたことになる。

アメリカやブラジルと比べれば、タイには広宣流布の小さな種が
蒔かれたにすぎなかった。それは、わずかな雨風にも流され、
吹き飛ばされかねなかった。

しかし、その一つ一つの種子を大切に育み、社会に根づかせていってこそ、
広宣流布の花園が開かれる。


学会の広宣流布は、国力をバックにしての布教でもなければ、
宣教師を送り込んでの布教でもない。

その地に生きる人が信仰に目覚め、使命を自覚するところから始まる、
民衆の内発性に基づいている。


ゆえに、一人ひとりが使命に奮い立つことに、伸一は全力を注いだのである。


アジアを歩けば、いずこの地にも、日本軍による戦争の傷跡がある。

日本人は、二度とこんな愚行を繰り返さぬために、
決して、この歴史の事実を忘れてはならない。
謙虚にならなくてはならない・・・。


そして、伸一は、一人の日本人として、アジアの人びとと同苦しながら、
今度は「幸福の道」「平和の道」を開いていこうと、決意するのであった。



太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

仏法西還

『新・人間革命』第3巻 仏法西環の章 


「仏法西還」とは 「仏法東漸」の対語で、
太陽が東から西に向かうように、末法には、大聖人の仏法が日本からインドに還り、
全世界へと流布していくという原理のことである。


「時」は来た!
待ちに待った、悠久の歴史の夜は明け、ついに船出の太陽は昇った。
帆を上げよう。好機は一瞬にして過ぎ去り、再び帰ることはない。


 雲の井に、月こそ見んと 願いてし
 アジアの民に 日をぞ送らん



1956年(昭和31年)戸田城聖が 詠んだ和歌であった。


ー 雲の切れ間に、ほのかな幸の月光を見ようと願うアジアの民衆に、
それよりも遥かに明るく、まばゆい太陽の光を送ろう、との意味である。


ここでいう「月」とは釈尊の仏法であり、「日(ひかり)」とは
日蓮大聖人の仏法をさすことはいうまでもない。


戸田は、「諫暁八幡抄」などに示された、大聖人の「仏法西還」の大原理をふまえ、
東洋広布への決意を詠んだのである。
この戸田の決意は、そのまま、愛弟子である伸一の決意であった。


そして、今、伸一は、その実現のために、
この1月にインドをはじめとするアジアの地に、
東洋広布の第一歩を印そうとしていたのである。


太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

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