『新・人間革命』第29巻 清新の章 303p~
1月19日には、神奈川県の川崎文化会館で、1月度本部幹部会が、晴れやかに行われた。伸一は、この佳節の年を迎えた感慨を胸に、恩師・戸田城聖への思いを語った。
「私は、日々、戸田先生の指導を思い起こし、心で先生と対話しながら、広宣流布の指揮を執ってまいりました。ある時、『曾谷殿御返事』の講義をしてくださった。『此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆らう道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候』の箇所に至った時、先生は、『これだよ。“いまだこりず候”だよ』と強調され、こう語られたことがあります。
『私どもは、もったいなくも日蓮大聖人の仏子である。地涌の菩薩である。なれば、わが創価学会の精神もここにある。不肖私も広宣流布のためには、“いまだこりず候”である。大聖人の御遺命を果たしゆくのだから、大難の連続であることは、当然、覚悟しなければならない!勇気と忍耐を持つのだ』ーーその言葉は、今でもわたしの胸に、鮮烈に残っております。
私どもは、この“いまだこりず候”の精神で、自ら決めた使命の道を勇敢に邁進してまいりたい。もとより私も、その決心でおります。親愛なる同志の皆様方も、どうか、この御金言を生涯の指針として健闘し抜いてください」学会は大前進を続けてきた。だからこそ伸一は、大難の襲来を予感していたのだ。
1月20日、山本伸一は、来日中のオックスフォード大学のウィルソン社会学教授と、会談した。教授とは、前年の聖教新聞社での語らいに続いて二度目の会談である。会談では、今後、宗教が担うべき使命などについて、意見の交換が行われた。
仏法は、「随方毘尼」という考え方に立っている。仏法の本義に違わない限り、各地域の文化、風俗、習慣や、時代の風習に随うべきだとうものである。それは、社会、時代の違い、変化に対応することの大切さを示すだけでなく、文化などの差異を、むしろ積極的に尊重していくことを教えているといえよう。
この「随方毘尼」という視座の欠落が、原理主義、教条主義といってよい。自分たちの宗教の教えをはじめ、文化、風俗、習慣などを、ことごとく「絶対善」であるとし、多様性や変化を受け入れようとしない在り方である。それは、結局、自分たちと異なるものを、一方的に「悪」と断じて、差別、排斥していくことになる。本来、宗教は、人間の幸福のために、社会の繁栄のために、世界の平和のためにこそある。
宗教者が、自ら信奉する教えに対して強い確信をいだくのは当然であり、それなくしては、布教もできないし、その教えを精神の揺るがぬ柱としていくこともできない。大切なことは、その主張に確たる裏付けがあり、検証に耐えうるかどうかということである。確かな裏付けのない確信は、盲信であり、独善にすぎない。
堅固な宗教的信念をもって、開かれた議論をしていくことと、排他性、非寛容とは全く異なる。理性的な宗教批判は、宗教の教えを検証し、また向上させるうえで、むしろ不可欠な要因といえる。
大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いを抱き、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。
そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。それは、鎌倉時代における「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。
いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。
大聖人は、法華経以外の諸経の意味を認めていなかったわけではない。それは、御書の随所で、さまざまな経典を引き信心の在り方などを示していることからも明らかである。
1月19日には、神奈川県の川崎文化会館で、1月度本部幹部会が、晴れやかに行われた。伸一は、この佳節の年を迎えた感慨を胸に、恩師・戸田城聖への思いを語った。
「私は、日々、戸田先生の指導を思い起こし、心で先生と対話しながら、広宣流布の指揮を執ってまいりました。ある時、『曾谷殿御返事』の講義をしてくださった。『此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆らう道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候』の箇所に至った時、先生は、『これだよ。“いまだこりず候”だよ』と強調され、こう語られたことがあります。
『私どもは、もったいなくも日蓮大聖人の仏子である。地涌の菩薩である。なれば、わが創価学会の精神もここにある。不肖私も広宣流布のためには、“いまだこりず候”である。大聖人の御遺命を果たしゆくのだから、大難の連続であることは、当然、覚悟しなければならない!勇気と忍耐を持つのだ』ーーその言葉は、今でもわたしの胸に、鮮烈に残っております。
私どもは、この“いまだこりず候”の精神で、自ら決めた使命の道を勇敢に邁進してまいりたい。もとより私も、その決心でおります。親愛なる同志の皆様方も、どうか、この御金言を生涯の指針として健闘し抜いてください」学会は大前進を続けてきた。だからこそ伸一は、大難の襲来を予感していたのだ。
1月20日、山本伸一は、来日中のオックスフォード大学のウィルソン社会学教授と、会談した。教授とは、前年の聖教新聞社での語らいに続いて二度目の会談である。会談では、今後、宗教が担うべき使命などについて、意見の交換が行われた。
仏法は、「随方毘尼」という考え方に立っている。仏法の本義に違わない限り、各地域の文化、風俗、習慣や、時代の風習に随うべきだとうものである。それは、社会、時代の違い、変化に対応することの大切さを示すだけでなく、文化などの差異を、むしろ積極的に尊重していくことを教えているといえよう。
この「随方毘尼」という視座の欠落が、原理主義、教条主義といってよい。自分たちの宗教の教えをはじめ、文化、風俗、習慣などを、ことごとく「絶対善」であるとし、多様性や変化を受け入れようとしない在り方である。それは、結局、自分たちと異なるものを、一方的に「悪」と断じて、差別、排斥していくことになる。本来、宗教は、人間の幸福のために、社会の繁栄のために、世界の平和のためにこそある。
宗教者が、自ら信奉する教えに対して強い確信をいだくのは当然であり、それなくしては、布教もできないし、その教えを精神の揺るがぬ柱としていくこともできない。大切なことは、その主張に確たる裏付けがあり、検証に耐えうるかどうかということである。確かな裏付けのない確信は、盲信であり、独善にすぎない。
堅固な宗教的信念をもって、開かれた議論をしていくことと、排他性、非寛容とは全く異なる。理性的な宗教批判は、宗教の教えを検証し、また向上させるうえで、むしろ不可欠な要因といえる。
大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いを抱き、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。
そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。それは、鎌倉時代における「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。
いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。
大聖人は、法華経以外の諸経の意味を認めていなかったわけではない。それは、御書の随所で、さまざまな経典を引き信心の在り方などを示していることからも明らかである。
太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋