小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

あとがき

あとがき2 新しい出発

『新・人間革命』第30巻(下) あとがき 444p

世界広布に邁進する学会にとって、飛躍の大転機となったのが、腐敗、堕落し、形骸化していった宗門から、「魂の独立」を勝ち取ったことである。

学会は、ただただ、大聖人の御遺命である広宣流布の推進のために、信徒を睥睨する僧らの非道な仕打ちに耐えながら、僧俗和合を願い、宗門に外護の赤誠を尽くしてきた。しかし、宗門は教条主義化し、衣の権威を振りかざして人類の遺産である文化・芸術を否定し、「謗法」と断じていった。

また、権力化した彼らは、法主を頂点とした僧による信徒支配、理不尽な僧俗の差別を進め、大聖人の御精神に違背し、仏法で説かれた「生命の尊厳」も「万人の平等」も、踏みにじっていったのである。

これでは、大聖人の仏法の根幹が歪められ、人類の幸福と世界の平和を実現する教えとは、ほど遠いものとなってしまう。学会は、「大聖人の御精神に還れ!」と宗教改革に立ち上がり、諫言した。すると、宗門は、仏意仏勅の広宣流布の団体である学会に、「解散」を勧告し、さらに、「破門」を通告してきたのである。

彼らが、その文書を送った1991年(平成3年)11月28日は、創価学会が宗門の鉄鎖から解き放たれた、「魂の独立」記念日となった。創価の前進を阻む暗雲は払われ、豁然と世界広布の大道が開かれたのだ。真実の世界宗教として、21世紀へ晴れやかに飛翔しゆく朝の到来となったのである。

小説『人間革命』も、『新・人間革命』も、その主題は、ともに「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命をも転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」である。

では、「宿命の転換」は、いかにしてなされるのか。その方途を示したのが、戸田先生の「獄中の悟達」である。広布の聖業を果たす、その尊貴な菩薩である私たちが、なぜ、さまざまな苦しみの宿業をもって生れてきたのか。

法華経法師品には次のようにある。「是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我滅度して後に於いて、衆生を愍れむが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演ぶ」--善業を積んで善処に生まれるべき人が、仏の滅後に衆生を哀れんで、あえて、願って悪業をもって悪世に生まれ、法を弘めるというのである。妙楽大師は、この文を「願兼於業」と釈している。

まさに、この原理のままに、私たちは、苦悩する人びとを救うために、誓願して、病苦、経済苦、家庭不和、あるいは孤独や劣等感等々、さまざまな宿命をもって悪世末法に出現したのである。そして、「宿命」の嵐を敢然と勝ち越えることで、仏法の正義と偉大なる功力を証明し、広宣流布を進めていくことができるのである。いな、そのためにこそ、勇んで苦悩を担ってきたのだ。

つまり、「宿命」と「使命」とは表裏であり、「宿命」は、そのまま、その人固有の尊き「使命」となる。ならば、広布に生き抜く時、転換できぬ「宿命」など絶対にない。

その生命の変革作業を、私たちは「人間革命」と呼ぶ。社会も、国家も、世界も、それを建設する主体者は人間自身である。すべては人間の一念から生まれるものだ。したがって、「人間革命」なくしては、自身の幸福も、社会の繁栄も、世界の恒久平和もあり得ない。

この一点を欠けば、さまざまな努力も砂上の楼閣となる。仏法を根幹とした「人間革命」の哲学は、「第三の千年」のスタートを切った人類の新しき道標となろう。

小説『新・人間革命』の完結を新しい出発として、創価の同志が、「山本伸一」として立ち、友の幸福のために走り、間断なき不屈の行動をもって、自身の輝ける『人間革命』の歴史を綴られんことを心から念願している。

この世に「不幸」がある限り、広宣流布という人間勝利の大絵巻を、ますます勇壮に、絢爛と織りなしていかねばならない。ゆえに、われらの「広布誓願」の師弟旅はつづく。

すべての関係者、そして、全読者の皆様方に、心より御礼、感謝申し上げたい。 著者


2018年(平成30年)9月8日
小説『新・人間革命』新聞連載完結の日に
東京・信濃町の創価学会本部にて


<小説・新人間革命 全30巻 終了>

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太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋

あとがき 1

『新・人間革命』第30巻(下) あとがき 437p

2018年(平成30年)8月6日 長野研修道場にて脱稿

創価の先師・牧口常三郎先生、恩師・戸田城聖先生、そして、尊き仏子にして「宝友」たる全世界のわが同志に捧ぐ

「あとがき」より抜粋

1964年(昭和39年)12月2日の『人間革命』執筆開始から54年、『新・人間革命』の筆を執ってから25年ーー弟子が心血を注いで認めた、創価の広布の「日記文書」に、恩師・戸田城聖先生は、目を細めて、頷いてくださっているにちがいない。

私が戸田先生の伝記小説として、『人間革命』の執筆を決意したのは、世間の誤解や中傷の矢面に立たれた先生の真実を明らかにし、世界に宣揚するとともに、「創価の精神の正史」と「真実の信仰の道」を後世にとどめたかったからである。

『人間革命』の連載が、93年(平成5年)2月11日に終了すると、全国の会員の皆様から、続編の連載を望む声が数多く寄せられた。師の本当の偉大さは、あとに残った弟子が、いかに生き、何をなしたかによって証明される。

さらに、恩師の精神を未来永遠に伝えゆくためには、後継の「弟子の道」を書き残さねばならない。執筆は、私の使命であると心に決めて、お引き受けした。

続編となる『新・人間革命』の筆を起こしたのは、その年の8月6日、長野研修道場であった。研修道場のある軽井沢は、戸田先生と共に最後の夏を過ごし、先生の伝記小説の執筆を、深く決意した思い出の地である。

また、8月6日は、世界で最初に原子爆弾が広島に投下されて48年となる日である。私は、この地で、この日に、『新・人間革命』を書き始めることにした。

前作の『人間革命』は、64年12月2日、太平洋戦争で凄惨な地上戦が展開された沖縄の地で起稿し、冒頭には、こう記した。

「戦争ほど、残酷なものはない。 戦争ほど、悲惨なものはない」
一方、『新・人間革命』は、次の一文から始めた。

「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」

世界広宣流布の目的は、全人類の幸福と平和の実現にこそある。この二つの書き出しの言葉に、私は、先師、恩師の精神と思想を受け継ぎ、断じて「戦争」の世紀から「平和」の世紀へ歴史を転じゆこうとの、弟子としての誓いを永遠に刻印したかったのである。

『新・人間革命』を起稿したのは65歳の時であった。完結までに30巻を予定していた。日本国内はもとより、世界を東奔西走しながらの仕事となる。“限りある命の時間との壮絶な闘争”と、覚悟しての執筆であった。

連載は、1993年の11月18日付から開始された。一日一日が、全精魂を注いでの真剣勝負となった。生命の言葉を紡ぎ出し、一人ひとりに励ましの便りを送る思いで推敲を重ねた。それはまた、わが胸中の恩師と対話しながらの作業でもあった。

「創価の精神を伝え残せ!この世の使命を果たし抜くのだ!」ーー脳裏に先生の声がこだまする。疲れが吹き飛び、勇気が沸いた。

第30巻の最終章となる「誓願」を書き終えたのは、執筆開始から、ちょうど満25年となる2018年8月6日であった。場所も起稿と同じ長野研修道場である。新聞連載の終了は、この章の執筆が始まった時から、戸田先生が、「原水爆禁止宣言」を発表された、9月8日と決めていた。この日こそ、創価学会の平和運動の原点となった日であるからだ。

私は、先生の平和への遺訓を実現するために、全世界を駆け巡り、同志と共に創価の人間主義の潮流を起こしてきた。その後継の歴史を綴った小説の連載を締めくくるには、この日しかないと思った。

小説『新・人間革命』は、1960年(昭和35年)5月3日に第三代会長となった山本伸一が、5か月後の10月2日、初の海外訪問へ出発する場面から始まる。そして、学会が大きな目標としてきた、新世紀の開幕の年である2001年の11月までを描いている。

この間に、世界を二つに分断してきた東西冷戦にピリオドが打たれた。さらに、東西両陣営の一方の中心であったソ連も崩壊した。中ソの対立の溝が深まるなかで、訪中、訪ソを繰り返し、さらに、ソ連のゴルバチョフ大統領とも何度も語り合い、友誼を育んできた。

万人が「仏性」を具えていると説く仏法は、「生命の尊厳」と「人間の根本的平等」の大哲理である。また、仏法の「慈悲」は人道の規範となる。まさに仏法こそ、「不信」を「信頼」へ、「憎悪」を「友情」に変え、あらゆる戦争を根絶し、恒久平和を実現しゆく大思想である。

この仏法の法理から発する人間主義を時代の精神とし、世界を結ぶための挑戦が、伸一の平和旅であった。


「あとがき その2へ続く」


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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