小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

新・人間革命 第30巻 上

フランスの青年に贈る

『新・人間革命』第30巻(上) 暁鐘の章(前半) 418p

「人生をより良く生きようとするには、『汝自身とは何か』『汝自身のこの世の使命とは何か』『汝自身の生命とは何か』『社会にいかなる価値を創造し、貢献していくか』等々、根源的な課題に向き合わざるを得ない。その解決のために、求道と挑戦を重ね、仏道修行即人間修行に取り組んでいくことが『発心』であり、それは向上心の発露です」彼は、仏法の法理や仏法用語を、いかにわかりやすく、ヨーロッパの友に伝えるか、心を砕いていた。

9日、山本伸一たちは、マルセイユを訪れた。石造りの堅固な城壁に囲まれた小島が見える。アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の舞台となったシャトー・ディフである。巌窟王とは、勇気の人、不屈の人、信念の人であり、忍耐の人である。広宣流布は、そうした人がいてこそ、可能になる。

目的を成就するまで、粘り強く、執念をもって前進し続けるのだ。そこにたちはだかるのは、“もう、いいだろう”“これ以上は無理だ”という心の障壁である。それを打ち破り、渾身の力を振り絞って、執念の歩みを踏み出してこそ、勝利の太陽は輝く。

伸一は、願い、祈った。“出でよ!数多の創価の巌窟王よ!君たちの手で、新世紀の人間共和の暁鐘を打ち鳴らしてくれたまえ”

山本伸一一行はパリへと向かった。15日にはフランス議会上院に アラン・ポエール議長を訪ね、議長の厚意で議場を見学した。ここは、由緒あるリュクサンブール宮殿であり、ビクトル・ユゴーの部屋もあった。

ユゴーは、ナポレオン三世によって弾圧を受け、亡命を余儀なくされた。悪との命がけの闘争を決意し、研ぎ澄まされた生命には、人間の正も邪も、善も悪も、真実も欺瞞も、すべてが鮮明に映し出されていく。また、悪への怒りは、正義の情熱となってたぎり、ほとばしるからだ。

“文豪ユゴーの業績を、その英雄の激闘の生涯を、後世に残すために、展示館を設置するなど、自分も何か貢献していきたい”その着想は、10年後現実のものとなる。パリ南郊のビエーブル市に、多くの友の尽力を得て、ビクトル・ユゴー文学記念館をオープンすることができたのである。

山本伸一は、パリにあっても、要人や識者と対話を重ねる一方で、メンバーの激励に全力を尽くした。21世紀の大飛躍のために、今こそ、青年を中心に、信心の基本を、創価の精神を、一人ひとりに伝えていかねばならないと決意していたのである。

一人の女子部員が口を開いた。「私の住む町では、信心をしているのは私だけです。こんな状況のなかでも、地域に仏法理解の輪を広げていくことはできるのでしょうか」すかさず、伸一は答えた。「心配はいりません。あなたがいるではありませんか。すべては一人から始まるんです。あなた自身が、その地域で、皆から慕われる存在になっていくことです」

「6月14日を『フランス青年部の日』に」という伸一の提案を伝えると、賛同の大拍手が沸き起こった。さらに、詩「わが愛する妙法のフランスの青年諸君に贈る』が読み上げれていった。「・・・そのめざしゆく指標の日は 西暦2001年6月14日 この日なりと…」この日、フランスの青年たちの胸に、2001年という広布と人生の目標が、明確に刻まれたのである。

「まず、20年後をめざそう。人びとの幸福のため、平和のために、忍耐強く自らを磨き鍛えて、力をつけるんだよ。自分に負けないことが、すべてに勝つ根本だよ」

伸一は、誰もが使命の人であるという仏法の人間観に立ち返って、団結について語っておこうと思った。「皆が等しく広宣流布の使命をもっていても、個々人の具体的な役割は異なっています。広宣流布の大偉業も、さまざまな役職の人が集まり、それぞれの分野、立場で、個性を発揮しながら、力を合わせることによってなされていく。分野、立場の違いはあっても、それは、人間の上下などではありません。

学会にも組織はありますが、それは活動を合理的に推進していくための機能上の問題にすぎない。したがって、役職は一つのポジションであり、人間の位などでは決してない。ただ、役職には責任が伴う。ゆえに、幹部は人一倍、苦労も多い。同志は、皆のために働くリーダーを尊敬し、協力し、守っていくことが大事になります」

伸一は、5月16日にソ連からヨーロッパ入りして以来1か月、行く先々で信心懇談会を開き、激励、指導してきた。そこにこそ、ヨーロッパ広布の新時代を開く、確かなる方途があるからだ。未来の建設は、人を育てることから始まる。

また、彼は、”日蓮仏法は世界宗教である。そうであるならば、21世紀の広宣流布の潮は、世界の各地から起こしていかねばならない”と強く、思っていたのである。

6月16日、伸一一行は、シャルル・ド・ゴール空港からアメリカ・ニューヨークへと旅立った。

<暁鐘(前半)の章 終了>
<新・人間革命 第30巻 上 終了>



太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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スカラ座公演

『新・人間革命』第30巻(上) 暁鐘の章(前半) 400p

3日、伸一は、スカラ座にカルロ・マリア・バディーニ総裁を訪ねた。そして、総裁の案内でミラノ市長を表敬訪問した。この年の秋、民音などの招聘で、スカラ座の日本公演が行われることになっていたのである。前年のウィーン国立歌劇場に続き、オペラ界の最高峰の日本公演として大きな期待が集まっていた。

スカラ座でも、バディーニ総裁、フランチェスコ・シチリアーニ芸術監督らと会談した。総裁の顔には、日本公演にかける並々ならぬ決意がみなぎっていた。総裁は、言葉をついだ。「この公演は、山本先生の力がなければ、実現しなかったでしょう」思えば、秋月英介が日本公演の交渉に当たったのは、16年前のことであった。

日本でのアジアでも例がなかった。日本の文化・芸術関係者は、決まって「夢想だ!」と一笑に付した。民音や学会などに世界最高峰の大歌劇団を呼べるわけがないというのだ。

困難の壁に、一回一回、粘り強く、体当たりする思いで挑んでいく。その行動の積み重ねが、誰もが“まさか!”と思う壮挙を成し遂げ、新しい歴史を創り上げていくのだ。翌4日、伸一は、モンダドーリ出版社に招かれ、教育出版局長らと懇談した。同社からは、後に、『法華経の智慧』が出版され、大きな反響を呼ぶことになる。出版は、思想を流布し、精神の対話を育み、文化向上の力となる。

4日夕刻、青年の代表らと信心懇談会を開催した。イタリアは青年のメンバーが多く、結婚観についても、言及していった。「両親や身近な先輩のアドバイスを受け、周囲の方々から祝福されて結婚することが大切であると申し上げたい。

人生には、いかなる宿命があり、試練が待ち受けているか、わからない。それを二人で乗り越えていくには、互いの愛情はもとより、思想、哲学、なかんずく信仰という人生の基盤の上に、一つの共通の目的をもって進んでいくことが重要になる」

「近年は、世界的な傾向として、すぐに離婚してしまうケースが増えつつあると聞いています。しかし、どちらかが、しっかり信心に励み、発心して、解決の方向へ歩みゆくならば、聡明に打開していける場合が多いと、私は確信しています。ともかく、確固たる信心に立つことが、最も肝要です」

伸一のミラノ滞在は、三泊4日にすぎなかった。しかし、彼と身近に接したミラノの青年たちが、心に深く焼き付けたことがあった。それは、彼が、ホテルのドアボーイや料理人、運転手など、すべての人に、平等にねぎらいや感謝の言葉をかけ、丁重に御礼を言う姿であった。

仏法では、万人が等しく「仏」の生命を備え、平等であると説く。まさに伸一の行動が、それを体現していると感じたという。

6月5日、マルセイユの空港に到着した一行は、直ちにフランスでの諸行事について打ち合わせを行った。6月6日、伸一は、とレッツ市庁舎を訪問した。ジョン・フェロー市長は、フランス国旗と同じ、色を配した儀礼用の懸章をつけて、あいさつに立った。

「私どもは、誠実と忍耐、真心と熱意、旺盛なバイタリティーとエネルギーで行動される“平和の大使”である山本先生を、ここに名誉市民としてお迎えいたします」市長から伸一に、市のメダルと名誉市民章が贈られた。この陰には、メンバーの誠実な努力と対話があったにちがいない。

6日午後、欧州研修道場では、伸一が出席して、ヨーロパ広布20周年を記念する夏季研修会が晴れやかに開幕した。これには、地元フランスの百人をはじめ、18カ国5百人のメンバーが集った。伸一は、マイクに向かうと、こう提案した。

「本日6月6日は、21世紀への飛翔を遂げる研修会が開催された日であると同時に、初代会長の牧口常三郎先生の生誕の日であります。この意義深き日を、『欧州の日』と定め、毎年、この日を節として、
互いに前進を誓い合う記念日としてはどうかと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」

著書のなかで牧口は、平和への道筋として、「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」から「人道的競争」に入ると予見している。伸一は、人類の平和のために、今こそ世界に、「人道的競争」への確かな潮流を創っていかなくてはならないと、決意を新たにするのであった。

翌7日、ヨーロッパ広布20周年の記念総会が開催された。山本伸一は、この席でも、御書を拝して、参加者と共に、仏法の法理を研鑽し合った。




太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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イタリア創価学会の発展

『新・人間革命』第30巻(上) 暁鐘の章(前半) 390p

伸一は、今日、ルネサンスの理想を実現するために著名な思想家たちは、「新人間主義」「人間性革命」などを提唱し、人間自身の変革に最大の関心をよせていることに言及した。そして、それなくしては、人間が時代と社会の主役となり、真の幸福を手にしていくことはできないと指摘。

さらに、人間の変革のためには、自己自身を律し、無限の価値の創造をもたらす、生命の根本法が必要不可欠であると訴えたのである。「その法こそが、南無妙法蓮華経であり、人間の生命をあますところなく解き明かした日蓮大聖人の仏法なのであります。ここに、多くの思想家たちが理想とする人間変革の方途があり、この生命の大法にこそ、人類の未来を開くカギがあります」

参加者の多くは青年、なかんずく大学生である。「自身の将来のためにも、広宣流布の未来のためにも、今は、しっかり学問に励んでいただきたい。学生時代は、学問に打ち込むことが信心に通じます。信心即生活であり、学生にとっては信心即学問であると明言しておきます」

学会の役職の考え方について語った。「学会の役職は、権威ではないし、役職のいかんによって、信心が強いか、弱いかが決まるわけでもない。したがって、役職というモノサシで人を評価し、後輩たちを下に見るようなことがあっては絶対にならない。どこまでも互いに尊敬し合い、信頼し合い、励まし合って、信心に取り組んでください。

学会の組織は、広宣流布の責任を担うための責任職です。役職に就けば、苦労もあり、大変であると思う。同時に、それだけ、功徳、福運が積めることは間違いありません」伸一は、青年の育成に全力を注いだ。放っておいたのでは人は育たないからだ。

31日フィレンツェ郊外のセッティニャーのにある庭園で、イタリア広布20周年を記念する友好文化総会が開催された。イタリアのメンバーにとっては、自国での初めての大行事である。皆、何日も前から、準備や練習に励んだ。舞台一つ造り上げるのも一苦労であった。

会場に到着した伸一は、真っ先に、陰で行事を担っている運営役員の青年たちのもとへ向かい、全力で
激励した。フィレンツェでの、多くの青年の誕生は、伸一に「地涌の義」を強く確信させ、世界広布への大いなる希望を感じさせた。

伸一の席には人波が絶えなかった。その一人ひとりの話に、真剣に耳を傾け、渾身の力を振り絞るように、激励と指導を重ねた。“この時を逃せば、もう、お会いする機会はないかもしれない”との強い思いが、伸一にはあった。一瞬一瞬が勝負であった。

会場に、役員として走り回る小柄な日本人壮年がいた。14年前のイタリア訪問の折、エレベーター前で励ました小島保夫である。自分に光は当たらなくとも、新しい青年たちを励まし、黙々と皆のために尽くす存在は貴重である。組織が強くなり、発展していくためには、リーダーのもとに、そうした影の力となる人が、どれだけいるかが決め手となる。広宣流布とは、結局は連携プレーであり、団結のいかんにかかっている。

「人を頼むのではなく、自分こそが広布の責任者であると決めて、一人立つことです。そして、日々、弛みなく、もう一歩、もう一歩と、全力で前進していくーーこの小さな行動、小さな勝利の積み重ねこそが、歴史的な大勝利をもたらします」

6月1日、ローマクラブのアウレリオ・ペッチェイ会長と会談した。会長は前日にロンドンからローマの自宅に戻り、朝、ローマを発ち、自ら車を運転して、4時間がかりで訪ねて来たのである。72歳にして疲れも見せず、精力的に動く姿に、伸一は感嘆した。

会談を終えた伸一は、青年たちの代表と、ダンテの家へ向かった。人間は、いくら地位や、名声や、財産を得ても、「死」という問題が解決できなければ、真実の生き方の確立も、幸福もない。伸一は、人びとが仏法という永遠の生命の大法に目覚めてこそ、新しき生命のルネサンスがあるとの確信を強くいだいていた。

6月2日、山本伸一は、百人ほどのメンバーに見送られ、ミラノ行きの列車に乗り込んだ。この時の青年たちが、雄々しく成長し、イタリア社会に大きく貢献していった。そして35年後の2016年(平成28年)7月、イタリア共和国政府とイタリア創価学会仏教協会のインテーサ(宗教協約)が発効される。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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オーストリア、イタリアへ

『新・人間革命』第30巻(上) 暁鐘の章(前半) 378p

伸一の一行は、一路オーストリアの首都ウィーンへ向かった。伸一は、思った。“文化交流と友情の苗は、大地に深く根を張り、幹を伸ばし、21世紀の大空に、大きく枝を広げるにちがいない。また、やがて、この国にも、御請訓に照らして、地涌の菩薩が陸続と出現する時が来るはずだ。時代は変わる。ブルガリア広布の朝は、きっとくる!”

三年後の1984年(昭和59年)創価大学とソフィア大学との学術交流協定が調印される。また、92年には、伸一の写真展が、首都ソフィアの文化宮殿で開催され、開幕式にはジェリュ・ジェレフ大統領も出席している。

また、特筆すべきは、伸一の初訪問から20年後、2001年5月3日を記念し、ブルガリアにSGIの支部が結成されたことである。まさに、御請訓のままに、時代は動き始めたのだ。

5月25日、山本伸一たちは、ウィーンの空港に到着した。伸一がオーストリア入りするのは、20年ぶりであった。当時、メンバーは誰もいなかったが、今では、支部が誕生し、支部長の永村嘉春らが出迎えてくれた。

永村は27歳の時、世界広布に生きようと、オーストリアに渡った。仕事もなく、就職できなければ日本に送還される。懸命に祈った。翌日、荷物をまとめて部屋を出た。隣室から現れた中年の男性が、いきなり、「君、仕事は?うちで仕事をしないか」と言われた。永村は窮地を脱した。強気一念の祈りある限り、行き詰まりはないと確信した。 

永村は伸一がパリを訪問するたびに、列車に18時間も揺られ、訪ねてくるのであった。ウィーンの空港で伸一は、「あなたに会いにきました。弟子が必死に奮闘しているんだもの。精一杯応援したいんだよ」

26日、イギリスのオックスフォード大学のブライアン・R・ウィルソン社会学教授と会談し、対談集『社会と宗教』の発刊に向けて、最終的な打ち合わせを行った。夜、信心懇談会が開かれた。この席で待望のオーストリア本部が結成された。

27日は、ウィーン国立歌劇場を訪問し、エゴン・ゼーフェルナー総監督と会談した。前年秋に民音の招聘で行われた日本公演に対して、民音の創立者として御礼を述べたかったのである。友好の核心は誠意を尽くすことにある。この日は、文部省も表敬訪問し、フレッド・ジノワツ副首相と会談した。彼は、後に首相となる。

ハイリゲンシュタットにある楽聖ベートーベンの記念館を訪れた。二階の二部屋だけの小さな記念館である。伸一は丹念に見て回った。

このあと、メンバーと夕食を共にしながら懇談し、オーストリア本部の出発を祝った。永村に言った。「広宣流布は、長い戦いだ。無理は長続きしないものだよ。知恵を働かせて、よく睡眠をとるように心がけ、体に気をつけるんだよ」

伸一は、永村が昼間は一向に同行し、夜遅く職場に戻り、仕事をしていたことを知っていた。しかし、永村はそんなことはおくびにも出さなかった。中心者の彼に、この誠実さがある限り、オーストリアSGIは、やがて大きく発展していくだろうと思った。長い目で見た時、勝利を収めるのは誠実の人である。人生にあっても、広布にあっても。

5月28日、イタリアのピサ国際空港に到着した。大勢のイタリアの青年たちが伸一を迎えてくれた。20年前ローマの空港に出迎えてくれたのは、仕事でイタリアに赴任していた一組の日本人夫妻だけであった。以来20年、はつらつと集った多くの青年たちの姿に、彼は新しい世界広布の時代の到来を感じ、胸が高鳴るのを覚えた。

メンバーとの懇談会のなかで伸一は、ルネサンスに言及していった。伸一は、人類史という大きな流れの中で、広宣流布の意味を確認しておこうと思った。人間の生命を変革し、民衆を蘇生させる創価の人間革命運動の真価は、歴史を俯瞰するなかでこそ、より鮮明になるからだ。

ルネサンスは、人間を「神」と「教会」の軛から解き放ち、その限りない可能性を開花させていった。それは、まぎれもないヒューマニズムの勝利であり、人間的自由の賛歌であった。「しかし、人間は真の自由を手にすることができただろうか!残念ながら、違うといわざるを得ない。

ルネサンスによって解き放たれた人間は、自身の心を師とし、欲望や感情に翻弄され、片や、それを抑え込もうとする外なる力に縛りつけられ、求め続けた幸福から、著しくかけ離れた時代をつくってしまった」仏典には『心の師とはなるとも心を師とせざれ」とある。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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ブルガリア初訪問

『新・人間革命』第30巻(上) 暁鐘の章(前半) 356p

伸一の一行はフランクフルト市内にある「ゲーテの家」を訪れた。伸一は、文豪たちの住居を訪ね、その生活環境を知ることで、人間像と作品への洞察をさらに深め、機械があれば、青年たちに人物論や作品論を講義したいと考えていたのだ。

トルストイもゲーテも、当時としては、かなりの長寿であり、共に82歳で他界するが、生涯、ペンを執り続けた。伸一は、今、自分は53歳であることを思うと、まだまだ若いと感じた。“人生の本格的な闘争は、いよいよこれからである。世界広布の礎を築くため、後継の青年たちの活躍の舞台を開くために、命ある限り行動し、ペンを執り続けなければならない”と、自らに言い聞かせた。

22日、フランクフルトを発って約二時間半、山本伸一たちの一行は、東欧の社会主義国であるブルガリア人民共和国の首都ソフィアの空港に到着した。この訪問はブルガリア文化委員会の招聘によるものであり、伸一にとっては初めてのブルガリアであった。

N・ババゾフ議長を訪ねた。議長は病後で、健康が懸念された。伸一は、両国の交流に全力を尽くすことを述べて、辞去しようとイスから立った。議長は両手を出して止めようとする。何か必死なものが感じられた。「駐日大使の時代から、山本先生にわが国に来ていただくことを、強く望んでおりました。

わが国は、バルカン半島にあって交通の要路にあたり、文明の交差点となってきました。それゆえに、古くから戦いが繰り返され、辛酸もなめました。ですから、世界平和の実現は、私の、いやすべてのブルガリア人の悲願なんです。それだけに平和のために戦ってこられた先生の行動に期待を寄せ、大きな成果を収められるように望んでおります」

午後、ソフィア大学を訪問した。この日、大学から伸一に、名誉教育学・社会学博士の学位が贈られ、彼は記念講演を行うことになっていた。式典では、I・アポストロワ哲学部長が推挙の辞を述べたあと、I・ディミトロフ総長が立ち、古代ブルガリア語で認められた名誉博士の学位記を伸一に手渡し、握手を交わした。

集っていた学部長や教授など、約百人の参加者から、盛んな拍手が起こった。引き続いて、「東西融合の緑野を求めて」と題する伸一の講演となった。彼は、ブルガリアは、地理的にも、歴史的にも、精神面においても、“西”と“東”とが交わり、拮抗してきた大地であり、西洋文明と東洋文明を融合・昇華させ、新たな人類社会を構築していくカギともいうべき可能性があることを訴えた。

最後に、ブルガリアのシンボルが獅子であることに触れ、自分も一仏法者として獅子のごとく、人びとの幸福と平和のために世界を駆け巡っていきたいと決意を披歴。

記念講演を終えた山本伸一が訪れたのは、文化宮殿であった。今回の招聘元である文化委員会のリュドミーラ・ジフコワ議長(文化大臣)と会談するためである。伸一は、メキシコを訪問した折、ジフコワ議長が偶然にも同じホテルに宿泊していることがわかり、会っていた。

「文化は橋です。国と国だけでなく、体制と体制の間にも橋を架けてくれます。私は文化で戦争と戦いたいのです」彼女の断固たる言葉に、伸一は、美しき花を貫く芯を見る思いがした。「芯」とは、生き方の哲学であり、信念といえよう。

22日、山本伸一たちは、ブルガリア国家評議会に、国家元首であるジフコフ議長を表敬訪問した。そして、黒海の汚染が進みつつあることを憂慮していた伸一は、沿岸諸国が協力し、浄化を進めていくことを提案した。

黒海の海はつながっている。しかし、沿岸諸国の背景にある東西両陣営の対立が、国と国との結束を阻み、環境破壊を放置させる結果になっているのだ。イデオロギーが人間の安全に優先するーーその転倒を是正する必要性を訴え、伸一は世界を巡ってきたのである。

伸一は、23日夕刻、ジフコワ議長の招きを受け、「文化の日」の前夜祭として行われた「平和の旗」の集いに出席した。「平和の旗」の集いは、1979年(昭和54年)の「国際児童年」を記念して始まったものである。

24日には、ブルガリア建国千三百年を祝賀する「文化の日」のパレードが、盛大に行われた。伸一も招待され、ブルガリアの政府閣僚らと共に、この祭典に出席した。翌25日、伸一の一行はブルガリアを発った。



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