『新・人間革命』第28巻 勝利島の章 368p~
鹿児島県吐噶喇列島の鹿児島郡十島村と、竹島、硫黄島、黒島等から成る三島村で十島地区が結成され、地区部長の任命を受けたのが、鹿児島市内在住の石切広武である。石切は、41歳で入会。翌年、大阪に折伏に行った時、不当逮捕された山本伸一が釈放された直後に、石切に激励の葉書を贈った。
石切は、一度しかあったことのない、自分に大変な時期にもかかわらず、励ましてくれたことに感動する。そして、“何があろうが、水の信心を貫いていこう!”と心に誓った。やがて、彼は、多額の借金を返済し、見事に信心の実証を示していく。
伸一が、鹿児島を訪問した時、胸を張って報告したが、その口調には、生活苦と戦っている同志を、どこか下に見ているかのような響きがあった。伸一は、石切に、厳しい声で言った。「もしも、慢心を起こして、信心が蝕まれてゆくならば、またすべてが行き詰まってしまう。したがって、自身の心に巣くう傲慢さを倒すことです。一生成仏という、絶対的幸福境涯を確立するには、弛まずに、信心を貫き通していかなくてはならない。信心の要諦は持続です。
私は、たくさんの人を見てきましたが、退転していった人の多くが、傲慢でした。あなたには、信心の勝利者になってほしいので、あえて言っておきます」
“よし、断じて慢心を打ち砕こう!生涯、広宣流布を陰で支え抜く男になろう!”石切は、学会のために尽くしたいとの思いから、「聖教新聞」の取次所を営むことになった。
不撓不屈の決意に立つ、広布の闘志を育てよう。それには、俺が不撓不屈の人になることだ。獅子となってこそ、獅子を育てることができる”ーー彼は自分に言い聞かせた。石切は、台風の被災が少なくなるように、島の一人ひとりが幸せになるように、島の広宣流布が進むようにと、懸命に祈り続けてきた。“
太字は 『新・人間革命』第28より 抜粋
天売島には水が少ないので、裏山の沢から水を引こうと崖を登って作業を始めた時、佐田は、転落し、頭蓋骨陥没。頚椎もずれ、手術さえできない状態になった。手の施しようがなく、退院した。呼吸することさえ、辛く感じた。“島の広布のために生き抜きたい”という執念が佐田を支えた。3年たち歩けるようになるとコルセットをはめたまま、よたよたと歩き、「聖教新聞」を配って家々を回った。
「私は一命を取り留めた。これが、既に功徳なんだ。でも、これからますます元気になるから、今の姿をよく見ておきなさい」そして、自らに宣言した通り、医師もさじを投げた怪我を、完全に克服したのだ。
6年後にも、岩海苔をとる作業中、崖の上から石が頭を直撃し、頭蓋骨にたくさんのひびが入るが、致命傷にはいたらなかった。“信心しているのに、なぜ、またしても、こんな目に遭うんだ?”という疑問が、頭をよぎった。しかし、すぐに、「転重軽受」という言葉を思い起こし、本来なら、命を落とすところ、二度も救われた。命拾いをしたのは、広宣流布をしていく使命があるからだ!と御本尊への感謝と歓喜が胸にあふれた。彼は、1か月ほどで、さっさと退院し、民宿経営に力を注ぎ、年々宿泊客は増加の一途をたどった。
人の住む島といっても、その規模は、さまざまである。愛媛県の宇和島港から西方約20キロの海上に浮かぶ嘉島は、周囲3キロほどの小さな島である。その島に、21世帯の学会員が誕生したのである。地域世帯の3割近くが学会員ということになる。
島が小さければ小さいほど、人間関係は深く、強い。人びとは、すべての面で助け合って生きねばならない。そのなかで、学会理解を促すには、日々の生活のなかで、信頼を勝ち取ることが必須条件となる。小さな島では、一人の人の影響力が極めて大きい。一人の決意、姿、振る舞いが、広宣流布を決定づけていく。そして、一つの困難の壁を破れば、一挙に学会理解が進むこともある。
わが地域の広宣流布は、わが手で成し遂げるしかない。それが、自分の使命であるーーそう自覚した同志が、次々と誕生したことによって、離島広布は加速度的に進んできたのだ。これは、いかなる地域にあっても、永遠不変の原理といってよい。
種を蒔いても、放っておいたのでは、鳥に食べられたり、朽ち果てたりしていく。丹精を込め、こまやかな激励の手を、徹底して差し伸べていくなかで、種は人材の苗となり、一人立つ真正の勇者が育っていくのだ。
人の住む島といっても、その規模は、さまざまである。愛媛県の宇和島港から西方約20キロの海上に浮かぶ嘉島は、周囲3キロほどの小さな島である。その島に、21世帯の学会員が誕生したのである。地域世帯の3割近くが学会員ということになる。
島が小さければ小さいほど、人間関係は深く、強い。人びとは、すべての面で助け合って生きねばならない。そのなかで、学会理解を促すには、日々の生活のなかで、信頼を勝ち取ることが必須条件となる。小さな島では、一人の人の影響力が極めて大きい。一人の決意、姿、振る舞いが、広宣流布を決定づけていく。そして、一つの困難の壁を破れば、一挙に学会理解が進むこともある。
わが地域の広宣流布は、わが手で成し遂げるしかない。それが、自分の使命であるーーそう自覚した同志が、次々と誕生したことによって、離島広布は加速度的に進んできたのだ。これは、いかなる地域にあっても、永遠不変の原理といってよい。
種を蒔いても、放っておいたのでは、鳥に食べられたり、朽ち果てたりしていく。丹精を込め、こまやかな激励の手を、徹底して差し伸べていくなかで、種は人材の苗となり、一人立つ真正の勇者が育っていくのだ。
鹿児島県吐噶喇列島の鹿児島郡十島村と、竹島、硫黄島、黒島等から成る三島村で十島地区が結成され、地区部長の任命を受けたのが、鹿児島市内在住の石切広武である。石切は、41歳で入会。翌年、大阪に折伏に行った時、不当逮捕された山本伸一が釈放された直後に、石切に激励の葉書を贈った。
石切は、一度しかあったことのない、自分に大変な時期にもかかわらず、励ましてくれたことに感動する。そして、“何があろうが、水の信心を貫いていこう!”と心に誓った。やがて、彼は、多額の借金を返済し、見事に信心の実証を示していく。
伸一が、鹿児島を訪問した時、胸を張って報告したが、その口調には、生活苦と戦っている同志を、どこか下に見ているかのような響きがあった。伸一は、石切に、厳しい声で言った。「もしも、慢心を起こして、信心が蝕まれてゆくならば、またすべてが行き詰まってしまう。したがって、自身の心に巣くう傲慢さを倒すことです。一生成仏という、絶対的幸福境涯を確立するには、弛まずに、信心を貫き通していかなくてはならない。信心の要諦は持続です。
私は、たくさんの人を見てきましたが、退転していった人の多くが、傲慢でした。あなたには、信心の勝利者になってほしいので、あえて言っておきます」
“よし、断じて慢心を打ち砕こう!生涯、広宣流布を陰で支え抜く男になろう!”石切は、学会のために尽くしたいとの思いから、「聖教新聞」の取次所を営むことになった。
不撓不屈の決意に立つ、広布の闘志を育てよう。それには、俺が不撓不屈の人になることだ。獅子となってこそ、獅子を育てることができる”ーー彼は自分に言い聞かせた。石切は、台風の被災が少なくなるように、島の一人ひとりが幸せになるように、島の広宣流布が進むようにと、懸命に祈り続けてきた。“
太字は 『新・人間革命』第28より 抜粋