小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

新・人間革命 第27巻

求道心

『新・人間革命』第27巻 求道の章 336p~

田岡は、個人指導に行く前に、懸命に唱題した。全身に生命力が満ちあふれるまで、仏壇の前を離れぬという気迫のこもった唱題であった。彼女は、婦人部員の家庭を訪問すると、満面の笑みで包み込むように語りかけ、相手の悩みを聞き出していった。そして、真剣に耳を傾け、時には、深く頷きながら、目に涙さえ浮かべるのであった。

それから、諄々と、仏法の偉大さを、御本尊の絶対の力を訴えるのだ。信心の姿勢に誤りがあれば、明快に、率直に、歯に衣を着せずに指摘した。そこには信心への大確信と、相手を思う慈悲の一念があふれていた。最後には、唱題や弘教など、具体的に実践すべきことを示し、再開を約束するのである。

再訪問すると、実に見事な結果が出ていた。必ずといってよいほど、皆が悩みを克服しているのだ。斉間は、田岡と接した人たちが、とても人には言えないような、深刻で複雑な悩みを打ち明けることに、不思議さを感じた。しかし、一緒に激励・指導に回るなかで、田岡の“この人と同苦しよう!”という真心の一念が、相手の心に響いているからだということに気づいた。

先輩と後輩が共に活動するなかで、後輩は、折伏・弘教、個人指導などを習得していく。“共戦”という実践なくして、本当の人材の育成はない。

東北婦人部書記長の野崎裕美は、4歳の時に、戦争で父を亡くし、母一人子一人で生活した。戦後、母は過労で、胃潰瘍になり、生活も困窮し、宗教遍歴もしたが、床に伏している日が続いていた。そんな時、母子ともに学会に入会する。

1955年のことだ。入会を機に母は元気になり、暗かった未来に明かりが差した。野崎は入会半年後に参加した登山会で戸田城聖に初めて会う。戸田から「青年は親孝行できる温かい心、大きな心をもたねばならぬ」と激励され、その言葉が野崎の胸に響く。

女で一つで育ててくれた母への、感謝を忘れていた自分を恥じた。また、自分の思い通りにならないと、人のせいにしてしまう生き方を反省した。野崎は、真剣に信心に励んだ。戸田が逝去し、深い悲しみに沈んだが、総務に就任した山本伸一が、女子部員と「人生の並木道」を歌おうと提案されたとき、野崎は、歌いながら、“自分は一人じゃないんだ!”と感じ、心強さを覚えた。

“広宣流布の活動のなかで、ひとたび決めた目標は、何があっても必ず達成する!”それが、彼女の信条であった。また、一人ひとりを、最愛の妹と思って接していくように努めた。女子部時代に培った、この勝利への執念が、彼女を強くし、何があっても負けない心を磨き上げていった。野崎が、常に心がけていたことの一つは、求道ということであった。

東北のメンバーは、地理的な条件もあり、東京などに比べて、どうしても最高幹部との接触の機会が少なかった。野崎は、決意する。“会長の山本先生を広宣流布の師と定め、しっかり呼吸を合わせていこう。そのためには、まず私自身が、最高幹部の方々に体当たりして指導を受け、少しでも先生の心を知ろう。そして、皆に、絶えず清新の息吹を伝えていけるようにしよう”

彼女は、列車で仙台駅を通る幹部がいると聞けば、駅で待っては指導を求め、それを皆に伝えた。やがて、東北女子部は、“自分たちは、本部と直結しているのだ”という自覚と誇りを持つようになっていった。また野崎は、学会本部にも足しげく通っては、指導を受けた。そのなかで、彼女自身が、大きく成長していった。

求道心を失った時、信心の向上は止まり、慢心に侵され始める。仏法者とは、永遠の求道者であらねばならない。そこに、人間革命の道があるのだ。

彼女は、婦人部でも次第に頭角を現し、東北婦人部の書記長兼任で、宮城県婦人部長に就いたのである。斉間と野崎は、結婚後も幾度となく人生の試練にさらされた。しかし、女子部時代から苦労して学会活動に励み、自分を磨き鍛えてきた二人は、決して挫けることはなかった。

生きるということは、宿命との壮絶な格闘といってよい。それに打ち勝ってこそ、幸せはある。勝つか、負けるかーーその避けがたき現実を直視する時、信仰という生命の力の源泉をもち、何ものにも揺るがぬ人間の芯を確立する必要性を、痛感せざるを得ない。

太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

東北の「負けてたまっか」の学会魂

『新・人間革命』第27巻 求道の章 325p~

<求道の章 開始>

1978年(昭和53年)5月27日、山本伸一は、仙台市錦町に完成した東北平和会館へ向かった。「東北創価学会は強くなったね。東北の同志の強さは、チリ津波や冷害など、試練に遭遇するたびに、困難をはね返し、ますます広宣流布の勢いを増してきたことにある。

東北には、何があっても“負げてたまっか!”という意気込みがある。それこそが、『学会魂』です。だから私は、東北の同志を、心から尊敬しているんです。一人ひとりが、その強さにますます磨きをかけていくなかに、自身の一生成仏と東北繁栄の大前進がある。すごい時代がきます」

伸一は、最前線の会員に照準を合わせた活動について、具体的に語っていった。「座談会を、信心の歓喜と確信に満ちあふれたものにするために、幹部こそ、最大の力を注いでいかなくてはならない。また、皆がしっかりと教学を研鑽できる場は、御書学習会です。ゆえに、最高幹部から率先して御書学習会を担当し、“仏法とは、こんなにも深いものなのか!よし、頑張ろう!”と皆が決意できるような、魅力あふれる講義をしていってもらいたい。

方面幹部や県幹部は、県で行う支部長会など、幹部の会合が盛会であれば、良しとしてしまう傾向がある。大切なのは、それを受けて行う支部や大ブロック、ブロックの会合です。そこが、一人ひとりの会員の皆さんに、信心のエネルギーを与えるものになっているかどうかなんです。

組織が大きくなると、方面や県の幹部の意識が第一線から離れ、本部長や支部長などしか、見えなくなってしまうことがよくあります。そうなると、すべての運動は、上滑りしていってしまう。常に見失ってはならないのが、最前線の会員の皆さんです。

私は、さまざまな立場の幹部に、『組織の皆さんはお元気ですか』と尋ねます。その時に、誰を“皆さん”として思い浮かべるのか。その時、すぐに、“昨日、家庭訪問したあの人”“一昨日、個人指導したあの人”というように、会員の方々の顔が浮かんでくるのが、民衆の指導者なんです」一人ひとりの会員を最重要視することこそ、創価学会の伝統精神にほかならない。

東北婦人部長の斉間恵の入会は、1954年であった。会社の先輩から学会についてよく話を聞かされた。だが、せせら笑いながら聞き流していた。また、その話を面白おかしく語り、嘲りのタネにしていた。ところがある時、宿命についての話が胸に突き刺さった。

斉間の父は、幼少期に亡くなり、女で一つで育てた母は、尋常小学校の時に母と死別していた。父母の生い立ちに「宿命転換」という言葉が心を動かした。「聖教新聞」をむさぼるように読み、幾つもの体験に感動を覚え、入会を決意する。斉間は、弘教への挑戦を開始した。

1年ほどしたころ、母が癌と診断された。亡くなった実母と同じ年代であり、宿命を感じた。彼女の懸命な訴えに母は入会し、母子で真剣な唱題が始まった。やがて、容体は好転し、癌はなくなっていた。なぜ、健康が回復したのか医学的なことはわからない。しかし、これが、彼女の実感した初心の功徳であった。

そして斉間は、成長の年輪を刻み、東北女子部の中核へと育っていった。彼女は、信仰観ともいうべきものが大きく変わった。当初は、一家の宿命転換を願っての信仰であったが、次第に、人びとの幸福の実現を願い、広宣流布に生きること自体が、自身のこの世の使命であり、そのなかに、生命の躍動と歓喜があり、真の幸福があると、実感するようになっていった。

それは、自分や家族のみの幸せを願う利己的信仰から、自他共の幸せを願う信仰への昇華であった。また、“何のために生きるのか”という人生の確たる目的の確立でもあった。女子部時代に学会活動に励むことの大きな意味もそこにある。


結婚した彼女は、タテ線時代の支部婦人部長となる。2歳と3歳の幼子を連れて、日々、学会活動に励んだ。支部の人たちは、皆、さまざまな悩みを抱えていた。夫婦の不和、病気、子どもの非行…。女子部出身で30歳を超えたばかりの、人生経験の乏しい彼女には、荷が重かった。何を言えばよいのかも、わからなかった。

婦人部員の家庭を訪ねて、個人指導することが怖かった。そんな時、田岡治子が、仙台第一総支部婦人部長に就き、東京から指導に通ってくれた。


太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

間断なき激闘

『新・人間革命』第27巻 激闘の章 316p~

彼は、直ちに、日ごろから会員奉仕に徹してくれている職員への感謝の思いを込め、共に、記念のカメラに収まった。それから、文化会館の倉庫などを視察した。倉庫内では、自ら物品の整理にあたり、合理的な整理整頓の仕方などを職員らに語った。

徒歩で近隣を回り、立ち寄った喫茶店でも、女子職員や婦人部の方面幹部らと懇談を重ねた。伸一は集っていた最高幹部に言った。「広宣流布の大闘争といっても、特別なことなど何もないんです。日々、月々、同じことの繰り返しといってよい。日本国中、いや、世界各国、どこへ行こうが同じです。

その一つ一つに全生命を注ぎ込む思いで、真剣に取り組むんです。“もう一歩深く、心の中へ入ろう!”“もっと強く、魂を揺さぶる思いで励まそう!”と、いつも自分に言い聞かせながら、戦い挑んでいます。どんなに高い峰も、登攀するには、一歩、また一歩と、着実に力強く、足を踏み出し続けていくしかない。地道即大前進なんです」

「今や学会は、各方面や各県で堂々とした本部幹部会が開けるようになった。私は、各地方が力をつけて、東京をリードしていく時代を、早くつくりたいんです。中央のための地方ではないし、地方の上に中央があるのでもない。むしろ、地方のために中央があるんです。それを、はき違えると、各方面や各県区の発展の芽を摘んでしまうことになります。

日本の政治がそうです。地方と東京との経済格差や、地方の文化的環境整備の遅れなどは、東京中心の構造がつくられてきたからといえます」

山本伸一は訴えていった。「日蓮大聖人は、『本迹の相違は水火天地の異目なり』と仰せになっております。迹門と本門とでは、大きな違いがあることを述べられている御文です」

「大聖人の仏法を広宣流布していく私どもの立場から、この『本』と『迹』について考えるならば、次のようにとらえることができます。広宣流布を口にしても、本当の実践がなく、ただ単に、観念的な理論を振り回しているだけであれば、それは『迹』にすぎません。

それに対して、現実のうえでの実践、振る舞いこそが『本』となります。広宣流布を推進するために、実際に諸活動に参加する。功徳の実証を示し、信仰体験をもって、仏法対話を展開していくーーそうした事実上の行動こそが、最も重要な『本』なんです。つまり、いちばん大事なことは、“現実に広宣流布のために何をしたか”ということです」

貧しさに耐え、病に苦しみ、蔑まれ、諍いに疲れ、生きる気力さえ失った友を励まし、その心に、妙法という勇気と希望と蘇生の火をともし続けてきたのは誰か!社会の底辺に追いやられてきた民衆を、社会建設の主体者として立ち上がらせ、立正安国の道を切り開いてきたのは誰か!

冷笑、非難、中傷、罵詈、罵倒…の飛礫にさらされても、友のために、不幸に泣く人のために、汗を流し、足を棒にして、来る日も来る日も、広宣流布に走り抜いてきたのは誰か!

上品ぶった偽善家は眉をひそめて見て見ぬふりをし、保身の批評家が背を向けた。苦悩する人びとのなかに、同志は飛び込み、事実の上に、民衆勝利の旗を打ち立ててきたのだ。

最後に、伸一は力強く訴えた。「広宣流布を現実に推進している創価学会の活動こそ、社会の一大変革運動であります。そして、それは、地涌の菩薩の行の実践であり、日蓮大聖人の『本門』の教えの実践にほかなりません。私どもは『本門』の大道を進む誇りを胸に、勇躍、新たな前進を開始していこうではありませんか!」

“単なる決意に終わってはならない。勇気ある行動だ!果敢なる実践だ!”参加者は頬を紅潮させながら、広宣流布を誓願し、平和原点の地・広島から、新しい挑戦への第一歩を踏み出したのである。

5月21日午後岡山へ向かった。岡山県女子部の第一回合唱祭に出席するためである。伸一の体調は、決して思わしくなかった。疲労が蓄積していた。しかし、「岡山へ行こう。女子部が待ってるんだもの。励ましたいんだ」と車に乗り込むのであった。

合唱祭のフィナーレは、750人の出演者による女子部歌「青春桜」の大合唱であった。伸一が女子部長らに、「歌詞を見てください」と頼まれ、筆を加えた歌である。女子部員は、伸一の心を噛み締め、この歌とともに、新世紀へのスタートを切ったのだ。

<激闘の賞 終了>

太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

座談会の在り方

『新・人間革命』第27巻 激闘の章 298p~

伸一は、青年時代、よく自分のアパートに男子部員を招いて、激励した。「私が、多くの幹部を見てきて感じることは、個人指導を徹底してやり抜いてきた方は、退転していないということなんです。個人指導は、地味で目立たない永続的な忍耐の労作業であり、それを実践していくなかで、本当の信心の真価が図れるからです。さらに個人指導を重ねていくなかで、自分自身を見つめ、指導することができるようになるんです。だから退転しないんです。

折伏の成果は、すぐに目に見えるかたちで表れるので、周囲の同志から賞賛もされます。それによって慢心になり、信心が崩れていってしまった人もいました。したがって、折伏とともに、個人指導に全力を傾けていくことが、自分の信心を鍛え、境涯を高めていく必須条件なんです。」

5月18日、伸一の活動の舞台は、福岡から山口に移っていた。伸一は、座談会の在り方について、この山口の地から、全国に向けて、発信しようと考えていたのである。伸一は、座談会を構成する柱について言及していった。「座談会で重要なものは、なんといっても功徳の体験です。そして、信心の確信に満ち満ちた指導です。

それは、皆の信心の、また生活の、活力源となっていきます。活動の真実の成果というのは、単に弘教などの数ではなく、何人の方が、功徳の体験をもつ、どれだけ信心への確信を深めていったかなんです。幹部は、自身がたくさんの功徳の体験を積み、歓喜と躍動の生命で、激励と指導にあたっていただきたいんです。

根本は、信心の大確信であり、それが、参加者に伝わって、皆が“よーし、がんばるぞ!”と、決意できてこそ、本当の指導なんです。次に、幹部は、参加者の信心と努力の結晶である、それぞれの尊い発言を、どこまでも尊重していくべきであると、申し上げておきたい。

座談会は、仏法を現代に展開していく学会の伝統行事といえます。座談会では、御書をはじめ、仏法のさまざまな法理も学びます。そして、その法理を、それぞれが自身の生活の場で実践して、体験をもって正しさを証明してきました。さらに、その体験を座談会で語り合い、仏法への確信を再確認し合ってきました。

仏法の法理を生活の場で実験証明した結果が、生き生きと語り合われる座談会には、仏法を社会に開く実験的展開があります。ゆえに、広宣流布の前進は、座談会に始まり、座談会に終わることを、深く銘記していただきたいのであります」

伸一は、要約して信心の基本姿勢について語った。「南無妙法蓮華経とは、宇宙の根本法則であり、それを曼荼羅として顕したのが、御本尊であります。その御本尊に対しては、何があっても決して疑うこと無く、純粋な信心を貫いていくことが肝要なんです。

私たちには、過去世からの様々な宿業があります。悪業ももっています。したがって、信心を始めたからといって、すぐに宿命の転換ができるわけではありません。一生成仏といっても、それなりの時間が必要です。

皆さんも、信心をして、何か大変な事態に遭遇したならば、こう自覚していくことです。“いよいよ悪業が出始めたな。よし、変毒為薬していこう。これを乗り越えれば、大きく境涯を開いていけるぞ!”どうか、苦難に遭うごとに確信を強め、勇んで仏道修行に励んでいってください」彼は、全国の幹部たちに、本当の座談会の姿を学んでほしいとの思いから、自ら手本を示したのである。

5月19日、山口文化会館を発ち、広島文化会館に到着した。

太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

個人指導の基本姿勢

『新・人間革命』第27巻 激闘の章 289p~

伸一は、創価大学出身の青年部員と会い、近況を尋ねた。伸一は、言った。「今は、ともかく職場で実証を示し、なくてはならない人になることが大事です。同時に、創価学会の組織こそ、自分が根を張る大地であると、心を定めることです。“学会活動したい”と思っても、仕事が多忙なために、十分に動けない時期もあるでしょう。しかし、“忙しいから仕方がない”と、心の中で、信心、学会活動を切り捨ててはならない。まして、それほど忙しくもないのに、活動に出ようとしないのは、わがままであり、敗北です。

どこまでも、学会と共に生き、広宣流布をわが生涯の目的と定め、弘教し抜いていくというのが、学会員としての生き方の原点です。仕事が忙しく、会合に出られない時こそ、“必ず、活動に参加できるようになろう”と、心に決めるんです。その一念が成長につながっていくし、やがて事態を変えていく力になっていきます。

そして、一生懸命に、御書をはじめ、『聖教新聞』などを読み、学会活動できるように真剣に唱題するんです。また、少しでも時間を見つけては、同志と会い、広宣流布への決意を新たにしていくことが大切です」孤立は、勇気、活力を奪っていく。同志の連帯が、生命の燃焼をもたらすのだ。

「もしも、信仰について、とやかく言われることがあっても、『信教の自由は憲法で保障されているではありませんか。激流の社会で生き抜いていくには、確かな哲学が必要です。仏法というのは、その哲学の根本なんです』と、胸を張っていくんです。

草創期の学会員の多くが、信心をしているということから、職場で意地悪をされたり、仲間外れにされたりしてきた。でも、そのなかで堂々と信心を貫き、職場で勝利の実証を積み重ね、信頼と尊敬を勝ち取ってきたんです。諸君も、そうなってください」

就職先が見つからないというメンバーには、「仕事は、生きるために不可欠なものだから、必ずしも、自分が希望する職場ではなくとも、我慢することが必要です。“広宣流布の使命を果たしていくために仕事を与えてください。道を開いてください”と、しっかり祈っていくんです。広宣流布につながる祈りは、仏・菩薩の祈りであり、その真剣な唱題が大宇宙をも動かしていきます」

翌日、伸一は、福岡に向かった。彼はこれまで、全会員が誤りなく幸福の大道を歩んでいくためにも、組織を強化して広宣流布を伸展させていくためにも、個人指導の重要性を強調してきた。そして、全幹部が個人指導に励もうとする機運が、学会内にみなぎり始めていたのである。

伸一は、個人指導の基本姿勢について述べていった。「第一に、決して、感情的になってはならないということであります。指導する側が感情的になれば、相手は、心を開こうとはしなくなります。そうなれば、指導も、激励も成り立ちません」

「第二に、個人指導は、どこまでも新人の確信が根本であるということです。したがって、個人指導を行う際には、しっかり唱題し、強い生命力を湧現させていくことが大事です。また、自分の体験や、多くの同志の体験を語っていくことも必要です。

第三に、相談を受けた内容を他言しては、絶対にならないということを銘記していただきたい。特に、宗教者には守秘義務があります。万が一にも、相談を受けた話が漏れるようなことがあれば、それは、学会全体への不信となり、仏法のうえから見ても、結果的に、広宣流布を破壊する重罪となります。

第四に、粘り強く、包容力豊かに、指導の任に徹していくべきであります。すぐに発心することは、むしろ、まれです。折を見て、また、お伺いしては、根気強く、励まし続けていく。個人指導に求められるのは、持続力なんです。

第五に、抜苦与楽の精神こそ、個人指導の大目的であることを忘れないでください。『大丈夫ですよ。長い人生なんですから、焦ることはありません。祈りは必ず通じますよ』個人指導には、人を大事にする心、相手への深い思いやりが不可欠である。その心が、さまざまな気遣いとなり、配慮と励ましの言葉となって表れるのである。


太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋
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