小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

新・人間革命 第26巻

川越地区での御書講義

『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 389p~

伸一は、師の構想を実現するうえで、極めて重大な責任が、自分の双肩にかかっていることを感じた。"この御書講義は、師の願業を実現するための、突破口を開く戦いの一つなのだ!もし、これが成功しなければ、先生の広宣流布の構想は、緒戦からつまずいてしまうことになる。弟子として、そんなことは、絶対に許されない!"戸田先生の「名代」として講義に行くのだ”と思うと、緊張が走り、研鑽にも唱題にも力がこもった。


受講者は選ばれた人であったが、御文を拝読してもらっても、途中で詰まってしまう人が多かった。大多数の人は、ただ、「題目を唱えれば功徳がある」と聞かされ、入会に踏み切ったと言うのだ。

伸一による川越地区の第一回講義では「佐渡御書」や「聖人御難事」など、御書4編を研鑽した。

御書講義の最後に伸一は言った。「今日やるべきことは、必ず、今日やるんです。今なすべきことに全精魂を注ぎ込んでいくんです。」「今」という一瞬は、無限の未来をはらんでいる。その「時」を逃さぬためには、瞬間瞬間を全
力で事に当たるのだ。勝利を決する好機は、常にある。その好機を生かすことのできる人は、いつ好機が訪れようが、それを最大に活用できるように、絶え間なく努力、奮闘している人である。

講義を終えた伸一は、質問を受けるために会場に残った。教学の質問より、それ以外の問題が多かった。「学会活動の時間が取れずに悩んでいます」と質問した青年に「私もそうです。どうやって学会活動の時間を作りだそうかと、悩み抜いています。格闘しています。日々、呻吟しています。日々挑戦です。日々工夫です。多忙ななかで、いかに時間をつくり出すかが既に戦いなんです。必死に努力することから、仏道修行は始まっています。自分の生命が鍛えられているんです」

「仕事が忙しいと、”いつか暇になったら、学会活動に励もう”と考えてしまいがちです。しかし、それは間違いです。というのは、信心が後退すれば、仕事の面でも、行き詰まりが生じてしまうからです」

「学会の役職というのは、広宣流布のためのものです。学会の役職を受けるにあたっては、"仏意仏勅によって賜った"と受けとめ、全身全霊で責任を果たしていくべきであるというのが、戸田先生のご指導なんです。」

壮年の幹部が 蒲田支部の戦いについて質問した。「どうすれば、あんな戦いができるんですか」「私は、戸田先生が会長に就任された今こそ、千載一遇の広宣流布の好機であると思っています。この数年で、どこまで拡大の波を広げ、人材を育成できるかが勝負です。仏法史上、これほど重要な"時"はありません。だから、"弟子ならば立とう!不惜身命の実践をしよう!"と腹を決めたんです。

"先生のために戦うのだ"と思うと、勇気が、歓喜が、込み上げてくるんです。それを蒲田の同志に伝えたかったんです。もう一つ、私が叫び抜いたのは、『宿命転換、境涯革命の戦いを起こそう!』ということでした。

すると、病気を克服できたとか、仕事が決まったなどという体験が次々に生まれていきました。それに触発され、"よし自分も折伏をしよう!"と立ち上がる人や、入会を希望する人が、ますます増えていきました。功徳の連鎖、歓喜の連鎖が起こった時に、活動の歩みは飛躍的に前進します。これが、一人ひとりの活動の原動力になったんです」

広宣流布の最大の原動力は婦人であり、ブロックこそ本当の戦いがあると考えた伸一は、埼玉婦人のブロック担当委員会に出席し、「自行化他にわたる実践のなかにこそ自身の真実の幸せがある」と指導した。

1978年(昭和53年)の1月の初めに発表された広布第二章の「支部制」は、山本伸一の奮闘によって魂が打ち込まれ、組織の隅々まで新生の息吹にあふれていった。伸一は、3月半ば、首脳幹部に語った。「人間は、物事が軌道に乗ると、すぐに安心してしまう。それを、日々打ち破っていってこそ、みずみずしい息吹で前進することができる。したがって、『日々挑戦』なんです。

広宣流布の道は、険路です。平穏であるはずがない。必ず大難が競い起こるでしょう。ゆえに、全会員が決して落ちることなく、幸せになるように、一人ひとりの胸中深く、創価の『師子王の魂』を打ち込む時なんです。その魂とは、広宣流布に生き抜く『師弟の精神』です。『一人立つ心です』皆にもその決意がなければ、魔に翻弄されていきます!」

学会は、この時、猛り立つ波浪のなかを突き進んでいた。宗門の悪侶らによる誹謗中傷が、日ごとに激しさを増していたのである。

<奮迅の章 終了>
<新・人間革命 第26巻 終了>



太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
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埼玉からブロック堅固の流れをつくる

『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 379p~

いかにして、広宣流布第二章の「支部制」を軌道に乗せるか――山本伸一は、来る日も来る日も、そのことを考え続けていた。広宣流布の戦いにおいて、ひとたび事を起こしたならば、失敗はゆるされないからである。


時は瞬く間に過ぎ去っていく。一分一秒が万鈞の重みをもっている。一瞬たりとも時間をむだにしてはならないーー伸一は、そう自分自身に言い聞かせ続けてきた。彼の迅速な行動も、過密なスケジュールも、時間を大切にするがゆえであった。一瞬の時も、使い方次第で、限りない可能性を発揮するのだ。

3月4日、伸一は、東京青年部の男女部長会に出席した。「能忍」について語った。「人の一生は、波乱万丈です。たとえ、苦難に打ちのめされ、社会での戦いに、ひとたびは負けることがあったとしても、信心が破られなければ、必ず再起できます。最後は勝ちます。そして、それには、『能忍』、よく耐え忍ぶことが大事なんです」

人間を無力にしてしまうものは、"もう駄目だ!"というあきらめにある。それは、自らの手で、自分に秘められた可能性の扉を閉ざし、精神を閉じ込めてしまうことにほかならない。あきらめこそが、敗北の因である。信仰とは、絶望の闇を破り、わが胸中に、生命の旭日を昇らせゆく力である。

広宣流布は、新しき挑戦の旅路である。挑戦には忍耐が必要である。山本伸一は、創価学会の後継者たる青年部員には、労苦に耐え、自身を磨き抜く、「能忍」の人に、真実の勇者に育ってほしかったのである。

もし、青年たちが、本当の苦労を知らぬまま、リーダーになっていけば、民衆の心から離れた創価学会になてしまう。そうなれば学会は行き詰まり、民衆の救済という広宣流布使命を果たしていくことはできない。ゆえに、"創価の後継者"として立つためには、勇んで苦労を引き受け、耐え忍んでいくことが大切になるのだ。

"苦労を避けよう。少しでも楽をしよう"という考え、行動が習性化してしまうと、挑戦への勇気が失われ、前進も、向上も、成長もなくなってしまう。そこから発するのは、保身の腐臭である。すると、周囲の信頼も、尊敬も失われ、人は離れていく。

青年時代に皆の大きな期待を担いながら、大成せずに終わった人を、伸一は何人も見てきた。そうした人たちに共通しているのは、自分は汗を流さずに人にやらせるなど、苦労を避けて通ろうという姿勢であった。

また、青年たちのなかには、健康で、経済面などにも恵まれ、整った環境で、苦労を知らずに育った人もいよう。そうであるならば、学会活動の世界で、自ら率先して、厳しい課題の挑戦し、苦労を重ねながら、自分を磨いていくことである。

病苦の友に信心を教え、励まし抜き、病克服の体験を目の当たりにすれば、自らが病を乗り越えたに等しい喜びと、信心への確信を得ることができる。人間関係や経済的な悩みをもつ友についても同様である。

伸一が、次に力を注ごうとしていたのが、最前線組織であるブロックの充実であった。大創価学会といっても、その実相は、ブロックにこそある。わがブロックで、"何人の人が歓喜に燃えて活動に取り組んでいるのか""何人の人が功徳の体験をもち、信心への絶対の確信をもっているのか"それがそのまま、創価学会の縮図となる。

最前線組織であるブロックを堅固にしてこそ、広宣流布は盤石なものとなり、大創価学会の飛躍があるのだ。そのためには、全幹部が、徹してブロックに入り、一人ひとりと対話し、人材を育むことだ。そして、ブロック長、ブロック担当員を中心に、皆が和気あいあいと、一人ももれなく、喜び勇んで信心に励める"人間共和"の連帯を築き上げることだ。

ブロック強化の流れをつくるにあたり、山本伸一は、東京だけではなく、埼玉から始めようと思った。埼玉のもつ限りない未来性に、大きな期待を寄せていたからである。それは、創価学会にとっても、新しい時代を築く舞台が開かれることを意味する。

埼玉の志木支部川越地区に伸一が 御書講義に通ったことが話題になる。「私は背水の陣の思いで、真剣勝負で講義に臨んだんです。戸田先生は、埼玉から広宣流布の新たな旋風を起こそうと、私を、先生の『名代』として御書講義の担当者に任命し、派遣された。その時、私は23歳でした」

伸一は、懐かしそうに語っていった。戸田は伸一に、語った。「このままでは、75万世帯の達成には、何十年、何百年とかかってしまうことになりかねん。埼玉は大事だ。だから、本腰を入れて、川越地区の建設に取り組んでくれ給え。御書を通して、深く信心を打ち込み、人を育てるんだ。」



太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
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悪戦苦闘を突き抜けて

『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 367p~

伸一は、支部長・婦人部長が「師弟不二の人」となり、"山本伸一"となって立ち上がり、勝ってほしかった。そうなってこそ、広宣流布の洋々たる未来が開かれるからだ。

伸一の指導となった。彼はまず、「感謝の信心」について語っていった。「御本尊、仏への報恩感謝の行動として供養があります。供養には、財物を供養する『財供養』と、仏を恭敬、礼拝する『法供養』があります。弘教や同志の激励に歩くことは、『法供養』にあたります」

大事なことは、御本尊への、その御本尊を教えてくれた創価学会への感謝の念をもって、喜び勇んで広宣流布の"戦い"を起こしていこうという"心"である。"感謝"ある人には、"歓喜"がある。そして、燃え立つ歓喜の生命こそ、挑戦、全身、勝利、幸福の活力源となるのだ。

伸一は、幹部として学会活動に励む同志の労苦を、誰よりもよく知っていた。だから、その意味を再確認することで、皆を励まし、元気づけたかった。「時には、"どうして、道理、真心が通じないのか"と、投げ出してしまいたい思いをすることもあるでしょう。しかし、大変であるからこそ仏道修行なんです。

人びとの幸せのために尽くす姿は、仏の使い以外の何ものでもありません。地涌の菩薩でなければ、決してできない尊い行動です。忘れないでいただきたいことは、会員の皆さんがいて、その成長のために心を砕き、献身することによって、自己の向上があるということです。

つまり、幹部にとって会員の皆さんは、すべて、人間革命、一生成仏へと導く善智識になると確信していただきたい。また、後輩の支部員の方々は、先輩幹部が先に立って、皆が成仏の山頂に登れるように、進むべき方向を示し、叫んでくれていることに、無量の感謝をすべきです」

伸一は、最後に、「生涯持続の信心」を呼びかけた。「信心は一生です。大きな峰を越えると、さらに大きな峰が待ち受けている。しかし、信心の炎を燃やし、それらを登攀し抜いていくのが広宣流布の道であり、その帰結が一生成仏というゴールなんです。

勇気を奮い起こして、自身の悩みの克服、宿命の転換をかけて、一歩、また一歩と進んでいってください。戦いのたびごとに、功徳の実証を示していくんです。一生涯、信心を貫き通していった人が、信仰の真髄を会得した人といえます」本部幹部会は、歓喜のなかに幕を閉じた。

伸一は、支部制は着実に軌道に乗りつつあるとの、手ごたえを感じていた。そして、その支部制を、さらに盤石なものにしていくには、男女青年部の強化に力を注がなければならないと思った。

本部幹部会が行われた翌日、信越から東京・立川文化会館に男子部員が集ってきた。信越男子部幹部会に、伸一の闘魂に満ちあふれた力強い声が響いた。「『さあ、出発しよう!悪戦苦闘を突き抜けて!決められた決勝点は取り消すことができないのだ』

信心は、持続が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰性です。"さあ、出発しよう"と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。

悪戦苦闘ーーこれは、広宣流布のために、必ず経なければならない道程なんです。偉業を成した人は、皆が、迫害、非難、中傷にさらされ、ありとあらゆる苦難と戦っています。」

「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない」

伸一は、創価学会の運動の意義に言及していった。「学会は日本一の大教団となり、職業も年齢も異なる、まことに多種多様な人びとが集っております。そのなかには、すぐに感情的になってしまう人や、非常識な人もいるかもしれない。そのすべての人を包容し、最も悩み苦しんでいる人たちに根底から光を当てて救済し、幸福を実現してきたのが創価学会です」

「人生の勝利は、持続の信心のなかにこそある。そして、当面の課題、戦いに、全力でぶつかり、今を勝つことです。それによって、自分の苦悩を一つ一つ乗り越え、自身の境涯を開いていくことができる。すべての広宣流布の活動は、自分が幸福になり、人生に勝利するためにある。苦労した分は、すべて自分の功徳、福運となっていくんです。いいですか!今、何をするかですよ。時は決して待ってはくれない。今、立つんです。」

以来、「さあ、出発しよう!」は、信越の男子部だけでなく、全学会青年部の日々の決意となり、合言葉となっていった。









太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
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わらじ履きの足立支部長

『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 353p~

栄光の歴史を刻んだ足立支部の、初代支部長・婦人部長が、藤川秀吉・多恵夫妻であった。
多恵は、夫が戦争に召集されると、夫に代わってたった1日教わっただけの溶接業を受け継ぐ。心細く、生きていく自信さえ失いかけたとき、創価教育学会に入会する。初代会長・牧口常三郎の時代である。

多恵は、牧口から 戦地の夫に毎日手紙を出すよう言われ、「南無妙法蓮華経と三度唱えて下さい」と記した。夫は欠かさず、題目を唱えるようになった。牧口から、「必ず難が競い起こります」と指導され、会長らが、次々捕らえられても、先生のおっしゃる通りになったと、仏法への確信を深め信心を貫いた。

終戦後、復員した夫は、学会に入会した。生きて帰れたことに、仏法の力を感じ、純真に一途に、信心に励んだ。秀吉は戸田城聖の指導どおり、実践のなかで信心を学び、戸田が仙台へ行くときは、妻が着物を質屋に預け、旅費を工面し、「帰りの汽車賃がなければ歩いて帰っておいでね」と送り出した。

秀吉は同志の激励に歩き回り、靴がすぐに磨り減るので、安いわらじを履いて歩いた。そして、1951年に"わらじ履き"の支部長が誕生するのだ。

初の「足立会」の集いには、藤川夫妻の元気な姿もあった。山本伸一は、「皆さんは、戸田先生の薫陶を受けて育った"学会の宝"の方々です。その皆さんにお願いしたいことは、戸田先生に自分が育まれたように、後に続く人材をつくっていただきたいということです。

人材は、一朝一夕には育ちません。多くの時間と労力を必要とします。しかし、人を育てる以外に、広宣流布の永遠の未来を開く道はないし、それに勝る聖業もありません。皆さんが人材育成の範を示して、支部幹部や大ブロック幹部の方々に、その方法、在り方を教えていっていただきたい。

先輩の皆さんは、常に後輩と共に動き、その敢闘の精神と実践とを、伝え抜いていっていただきたいのであります」

「広宣流布の前進には"時"がある。その一つ一つの"時"を逃すことなく、全力で仏道修行に励み抜いてこそ、自身の使命を果たし、一生成仏することができるんです。今、学会は、広布第二章の『支部制』が発足し、未来万年の流れを開く"時"を迎えました。今こそ総立ちすべき"朝"なんです。

過去に縛られるのではなく、今現在を大切にし、未来に向かって生きていくことが大事です。それが仏法者の生き方です。昔の栄光に酔っているのではなく、『今、どうしているのか』『未来のために何をしているのか』が大事になるんです。

2月度本部幹部会が開催された。「支部制」が本格的にスタートして以来、初めての本部幹部会であった。会場を沸かせたのは、支部婦人部長を代表して登壇した、目黒区の向原支部婦人部長・西峯富美の活動報告であった。

彼女は結婚した時、夫の勧めで入会したが、活動はしなかった。しかし、生まれた長男が生後4か月で肺炎にかかり、他界した時、宿命の厚い壁を感じ、亡くなった子の分まで、信心に励もうと決意し、学会活動に励むようになった。

自営の中華料理店が大火災になりかけたとき、近所の人たちが消火してくれ、小火ですんだ。"守られた"と思った。以来、夫妻は感謝の思いで地域の交流に励んだ。支部の大藪真理子という婦人の体験が、座談会用の体験レコードとして全国に配布され、大きな感動を広げた。

支部のメンバーは、身近な同志の体験に強く共感し、"私も苦難を克服できないわけがない。胸を張って体験発表できるようになろう!"と唱題に、折伏・弘教に、喜々として取り組み始めた。

一つの功徳の体験は、友の心に、勇気と確信の火をともす。それがまた、さらに新しい体験を生み、組織中が功徳の喜びの光に明々と包まれていくーーこれが、そのまま広宣流布の広がりとなるのだ。

伸一は、西峯の報告に耳を傾けながら、支部幹部が自分と同じ一念で、"何としても皆を幸せにしよう!"と、広宣流布に邁進してくれていることが嬉しかった。「師弟不二の道」とは、師の表面的な姿を真似することでもなければ、指示を待って、言われたことだけを行ってよしとする、受動的な生き方でもない。

それは、弟子が師の心を心として、同じ一念に立つことから始まる。そして、師に代わって、広宣流布の全責任を担い立つなかにある。つまり、師の指導を深く思索し、わがものとして、人びとの幸せのため、広宣流布のために、勝利の旗を打ち立てていくなかにこそあるのだ。


太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
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人生総仕上げの戦いを勝利するために

『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 343p~

伸一は、学会伝統の、"一段とび指導"について言及していた。「活動の軸となるリーダーを育成、強化し、組織を発展させる原則として、"一段とび指導"は大事な観点といえます。ともあれ、誰が責任をもって後輩を指導し、育んでいくかを、明確にすることが大事です。指導、激励の網の目からこぼれてしまう人を出しては絶対になりません」

支部という活動推進の大切な要となる組織のリーダーとして、広宣流布を担っている支部長、支部婦人部長の苦労は、並大抵のものではあるまい。しかし、一生成仏に至る仏道修行が、容易ではあろうはずがない。

「皆さんの組織のなかには、愚痴や文句ばかり言う方もいるでしょう。入会しているのに、学会に反感をいだいている方もいるかもしれない。また、なかなか、こちらの誠意が通じない方もいるでしょう。なかには、隣近所や一族からも疎んじられている、孤独な方もいるかもしれない。

そのなかで、わが地域に仏法の人間共和の都をつくろうと、広宣流布の指揮を執る皆さんのご苦労を、私はよくわかっているつもりです。その方々を、三世十方の諸仏が守護しないわけがない」参加者は伸一の大確信に触れ、込み上げる歓喜のなか、新しき法戦への決意を固めた。

2月1日山本伸一は、3月末に落成する、荒川区町屋の荒川文化会館周辺を車で視察した。同乗していた幹部が、伸一に尋ねた。「先生は、昭和32年の夏季ブロック指導で荒川を担当し、わずか1週間で区の会員世帯の1割を超える二百数十世帯の弘教を成し遂げられました。その戦いの原動力は、なんだったんでしょうか」

山本伸一は、言下に答えた。「みんなに、絶対にしあわせになってもらいたいという一念です。あのころ、どの人も貧しく、失業や病、家庭不和など、さまざまな悩みを抱え、宿命に押しつぶされそうだった。それを打ち破り、宿命を転換していく道は、皆が地涌の使命を自覚し、広宣流布の戦いを起こす以外にないーー私は、同志と会っては、そのことを叫び抜いたんです。

期間は短かったが、皆が、"この戦いで、弘教を成し遂げ、悩みを乗り越えてみせる"と懸命に唱題した。勇気をもってぶつかり、必死になって戦った。誰かに言われての戦いではなく、自身の生命のうちから噴き上がる闘魂の実践になっていったんです。

学会の勝利の歴史といっても、同志が仏法への確信を深め、歓喜と幸せを実感してこその勝利であることを、リーダーは決して忘れてはならない」

「さらに、私が荒川区で力を出し尽くすことができた最大の理由は、"広宣流布の後事は、すべて大丈夫です"と言える拡大の実証を、戸田先生にご覧いただこうと、決意していたことです」

「あの年の夏、先生が生涯の願業とされた75万世帯達成の頂は見え始めていた。その達成は、戸田先生の人生総仕上げとなる戦いだった。なんとしてもの昭和32年中には、それを成し遂げ、先生に安心していただきたかった。そして、私は、その原動力になろうと思ったんです。

師匠の総仕上げの戦いというのは、弟子の大成を見届けることなんです。つまり、弟子が、『先生!わが勝利を、ご覧ください!』と、師匠に胸を張って報告できる実証を示すことなんです。それが師弟不二です。私は、そう心を定めたからこそ、力が出せた。勇気と知恵を沸かせることができた。

"広宣流布の師匠に応えよう!"と、弟子が燃え立つとき、師匠の師子王の生命が、わが胸中に脈打つんです。つまり、師弟不二の自覚に立てば、師と共に広宣流布の大使命を担う、久遠の自身の生命が脈動する。そこに、最大の力がみなぎるんです」

学会の草創期を担ってきた先輩幹部たちが、支部長をいかに支えるかに、勝敗の大きなカギがあると考えた伸一は、そのメンバーの集いにも、万難を排して出席するようにしていた。

2月9日には、草創の足立支部出身の代表からなる「足立会」の初会合に臨んだ。

1951年、草創の12支部がスタートした時、足立は B級支部であり会員世帯数は500であった。しかし、足立支部は、着実に弘教の力をつけ、それから1年半後には、4200世帯を超え、大支部に発展。さらに、1957年3月には、"弘教日本一"の栄冠に輝くのである。

太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
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