小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

新・人間革命 第23巻

広宣流布を決する敢闘

『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 367p

「8月24日ーーこの日に、会員のお宅回ることができた。一番大事なことができたと思っている。幹部は、どんなに忙しくとも、第一線の同志のことを、片時も忘れてはならない。常に、同志に会い、激励を続けるんだ。」

山本伸一の敢闘は続いた。男子部、学生部の人材育成グループ「伸一会」の集いに出席した。「昨日は、私の入信記念日でしたが、二軒のお宅を訪問し、一人ひとりを真剣に激励してきました。君たちも、誰が見ていようがいまいが、一兵卒となって会員のために汗を流し、懸命に励まし、学会を守り抜いていくという姿勢を忘れないでいただきたい」

「諸君は、既に学会の中核であり、これから多くの人が、さらに、副会長などの要職についていくでしょう。さまざまな権限を持つようにもなるでしょう。最高幹部になっていくのは、学会を守り、会員に奉仕し、広宣流布に尽していくためです。

しかし、なかには、最高幹部という地位を得ること自体が目的となったり、自分の野心を実現するために、学会を利用しようとする人間も出てくるかもしれない。もしも、そうした人間にいいようにされたら、学会の正義は破壊され、仏法は滅びてしまう。純粋な学会がかわいそうです。

君たちは、そんな人間に、絶対になってはならないし、そうした人間がいたならば、徹底して戦うんです。また、金銭の不正、飲酒、異性の問題などで、人生の軌道を踏み外すことのないよう、自らを厳しく戒めていかなければならない」

厳しい口調であった。伸一は、未来のために、青年たちの胸中深く、信仰の王道を打ち込んでおきたかったのである。「学会も組織である限り、皆が皆、中心者になるわけではない。脚光浴びる立場から外れる場合も、当然ある。実は、その時に、人間の本性が現われ、真価がわかる」

「それをきっかけに、組織から遠ざかり、やがて、離反していく者も出るかもしれない。自分に光が当たらなくなると、離反はせずとも、ふてくされたり、勝手な行動をとる者、傍観者を決め込む者も出るでしょう。私は、戸田先生の時代から、傲慢な幹部たちが落ちていく姿を、いやというほど見てきました。

地道な活動をせず、威張りくさり、仲間同士で集まっては、陰で、学会への批判、文句を言い、うまい儲け話を追い求める。そういう幹部の本質は、私利私欲なんです。

結局、彼らは、金銭問題を起こし、学会に迷惑をかけ、自滅していきました。仏法の因果は厳しい。人の目はごまかせても、仏法の生命の法則からは、誰人も逃れられない。人間革命、宿目転換、一生成仏のための信心です。それには、見栄、大物気取り、名聞名利の心を捨てて、不惜身命の精神で戦う以外にない。広宣流布への師弟不二の信心を貫き通していくことです。」

「生涯、一兵卒となって、広宣流布のため、同志のために、黙々と信心に励んでいくことです。唱題に唱題を重ねながら、会員の激励に、座談会の結集に、機関誌の購読推進に、弘教に、地を這うように、懸命に走り回るんです。それが仏道修行です。それ以外に信心はない。勇ましく号令をかけることが、信心だなどと、勘違いしてはならない」「伸一会」への期待は大きかった。一人も落ちていくような人間をだしたくなかった。だから、信仰の王道を訴えたのだ。

8月は終わろうとしていた。伸一は、この夏も、間断なく走りに走った。来る日も、来る日も、自身を完全燃焼させ、力を尽くし、同志を励ます。もう一人、もう一軒、もう一会場と、自らを鼓舞して、歩みを運ぶ。そして、友の奮起を、幸せを祈り、生命を振り絞るようにして、対話を交わす。その目立たぬ、地道な労作業のなかにこそ、広宣流布を決する「敢闘」があるのだ。

<敢闘の章 終了>
<新・人間革命 第23巻 終了>


太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋

壮年部は黄金柱

『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 352p

8月24日は、山本伸一の入信29周年の記念日である。8月24日という日には、伸一の忘れがたい思い出が刻まれていた。この日は、彼の入信記念日であるだけでなく、生涯、戸田の弟子として、久遠の師弟の道に生き抜くことを、深く決意した日であったのである。

1950年(昭和25年)戸田は、学会の理事長辞任の意向を発表したのだ。戸田の経営する信用組合の事業が完全に行き詰り、業務停止となったのである。事業の破綻は、学会にも及びかねなかった。それだけは、なんとしても避けなければならぬと考えた戸田は、理事長を辞任することを告げたのである。

"創価学会は、そして、広宣流布は、どうなってしまうのか・・・"彼は、戸田に尋ねた。これから自分の師匠は新理事長になるのか、と戸田は、明確に答えた。「君の師匠は、ぼくだよ」伸一は、この一言を、全生命で確かめたかったのである。彼の胸には、言いしれぬ喜悦がほとばしった。

"ぼくの師匠は、先生なんだ。これでよし!"彼は、kの碑、戸田を生涯の師匠と定め、守り抜くことを誓ったのである。

伸一も既に壮年となった。彼は、全壮年部員が、自分と同様に、師弟共戦の誓いを立て、生涯、広宣流布の大目的に生き抜いてほしかった。そこに、無上の人生道があるからだ。また、そうなれば、学会は盤石であり、永遠に栄ゆくことは間違いないからだ。

壮年には、力がある。壮年は、一家の、社会の、学会の黄金柱である。そして、広宣流布の勝敗を決していくのは、壮年が、いかに戦うかにかかっている。ゆえに伸一は、この8月24日を、「壮年部の日」にしたいという壮年からの提案に、全面的に賛成したのだ。

大切な記念の日である。だからこそ、広宣流布のための最も大切な仕事をしたかった。一人ひとりの同志と対話し、励ましを送るーーそれは、地味な、なんの変哲もない作業である。しかし、それこそが、広宣流布を推進する原動力となるのだ。

励ましは、組織の血流である。その脈動があってこそ、皆が生き生きと活動に励むことができる。励ましを忘れれば、組織は形骸化する。絶えざる激励こそが、前進の活力となるのだ。

人は、皆、なんらかの悩みを抱えている。その悩みに、喜々として挑戦し、乗り越えていくための信心であるからだ。また、そうした問題を解決していくなかで、自身の生活の足場が固められていくし、さらに、その体験が、仏法への揺るぎない確信となっていくのである。

時田勇雄の家に向かった。「さあ、勤行をしましょう。祈るにあたって大切なことは、願いは、すべて叶うのだという強い信を込め、力強く祈ることです」

「決意、祈りは、具体的であることが大事です。"今日は、あの人に信心の話を教えたい""この人を座談会に参加させよう"といった明確な祈りです。」

「広宣流布の道には、さまざまな難が競い起こってきます。また、人生は、宿命との戦いともいえます。現世安穏というのは、なんの波風もない、順風満帆の人生を生きるということではありません。怒涛のように諸難や試練があっても、勇敢に、一歩も引かずに戦い、悠々とそれを乗り越えていける境涯をいいます。何があろうが、堂々と、人生に勝利していける姿が、現世安穏ということなんです」

「そのためには、どんなことがあっても、一生涯、学会から、御本尊から離れず、題目を唱え抜いて、勇んで、広宣流布に生き抜いていくことです。たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、"絶対に負けるものか!"と、唱題し抜いていくんです。そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が涌きます。生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです」

「題目、題目、題目です。誰も見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていくーーそれが、一切の原動力です」伸一は、皆が信心の大功徳を受けてほしかった。ゆえに、その源泉となる、唱題の大切さを力説していったのだ。

唱題あるところには、勇気が涌く、歓喜があふれる。確信がみなぎる。そこに、功徳の大輪が咲く。それがまた、さらに、勇気、歓喜、確信を生む。一切は、唱題から始まるのだ。それを、万人に教え、知らしめるために、創価学会があるのだ。


太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋

奄美群島喜界島の母

『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 339p

使命に生き抜く人は、人生の勝利者である。広宣流布の高き峰をめざして、常に前へ、常に未来へと進みゆくなかに、歓喜あふれる、真の幸福の大道がある。

「鹿児島の奄美群島にある喜界島から、婦人が来られています。草創期から頑張ってこられた富島トミさんという方です」「お会いしよう。一緒に勤行しましょう」

喜界島は、奄美大島の東方約25キロに位置する、美しい珊瑚礁の島である。富島トシの夫は、終戦を迎える5月、9歳、6歳、2歳の子どもを残して他界した。トシは4人目の子どもを身ごもっていた。トシはがむしゃらに働いた。長男次男が中学を卒業し、ホッとしたのも束の間、次男が自ら命を絶つ。トシは生きて行く希望を失った。その時、信心を始めた。

鹿児島から来た青年部の幹部に、「宿命転換し、幸福になるためには、懸命に題目を唱え、折伏することです。自分だけの幸せを願う信仰は、本当の信仰じゃなかです。みんな一緒に幸せになってこそ、自分の幸せもある」

自他供の幸せを実現していくーーこれまでの宗教では、聞いたこともない教えである。トシは奮起した。彼女は、真剣に唱題に励み、弘教を開始した。

子どもたちは、信心を始めた母親が、日ごとに明るく、元気になっていく姿に目を見張った。2時間、3時間と歩いて折伏に出かけた。仏法の話をすると、相手が怒りだして、水をかけられたり、塩をまかれたりすることもあった。鎌を持って追いかけられたこともある。でも、彼女はめげなかった。

教学を学び御書の通りだと、実感したからだ。といっても、富島は、あまり読み書きができなかった。学会活動に励むなかで、読み書きの必要性を痛感し、漢字を覚えていった。広宣流布の使命に生きようという一念が、自分の苦手の壁を打ち破っていたのだ。

「第二室戸台風」が奄美群島を襲った時、トタン屋根のトシの家は、吹き飛ばされてしまった。彼女は、こう考えていた。「泊まってもらえば、いろいろと指導を受けることができる。また、今の貧しい暮らしをよく見ておいてもらえば、功徳を受けた時、信心の実証が、よくわかってもらえる」

彼女は、喜界島まで指導に来てくれた人が、ゆっくり休めるために、広い家が欲しいと思った。また、何よりも、島の広宣流布のために、会合などに仕える立派な会場がほしかった。懸命に祈った。すると、東京に出ていた息子が、「母ちゃんのために家を建てる」と言ってくれた。

その家が完成した。会場として使用できる部屋は20畳を超す。立派なトシの家は、地域の評判になり、多くの人が家を見に来た。その見事な実証によって、さらに折伏も進んだ。

広宣流布のためとの一念が込められた祈りは、願いを成就させる大力となる。御聖訓にも「題目を唱え奉る音は十方世界にとどかずと云う所なし」と仰せである。

同志の激励となれば、相手が納得し、立ち上がるまで、何度も、何度も、足繁く通った。決してあきらめようとはしなかった。"皆、尊い使命をもって、この世に生まれてきた仏子だ。皆が幸せになれるんだ!そのことを自覚させずに、途中でやめてしまうとしたら、あまりにも無慈悲だ"それが、彼女の信念であった。

彼女は、家を建てる時、玄関を二つ造ってもらった。その一つの玄関は、直接、客間につながるようになっていた。伸一夫妻が来島した時に、宿泊するための部屋として用意していたのだ。彼女の心には、広宣流布の師匠として、常に伸一がいた。"いつ先生を迎えても、勝利の報告ができるように"と日々、真剣勝負で活動に取り組んできた。

彼女は、よく、悩みをかかえ、苦労している島の同志に、こう語って励ました。「苦しいと思った時が勝負だよ。厳しい冬の次に待っているのは春なんだ。信心で打開できない問題なんてないよ」それは、幾つもの体験を通して、生命でつかんだ、彼女の実感であり、確信であった。

"山本先生とお会いして、喜界島のことをご報告したい・・・"トシは、朝な夕な、そう御本尊に祈り続けてきた。そして、山本伸一と会うことができたのである。

伸一は、一人の人の励ましに、最大の力を注いだ。一人が立ち上がり、一人が燃えてこそ、広宣流布の幸の火は燃え広がっていくからだ。

功徳の体験という実証に裏づけられた信仰への「確信」と「生命力」と「教学」ーーそこからほとばしる、人びとを救わんとする情熱こそが、われらの広宣流布運動の原動力なのだ。


太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋

自分が山本伸一だとの自覚

『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 327p

伸一は、26歳で青年部の室長になると、実質的に学会の全責任を担った。「鳳雛会」は、私の弟子ではないか!つまり、皆が山本伸一の分身ではないか!『山本伸一』とは、師と共に広宣流布に生き、勝利の旗を打ち立てる闘士の異名だ!

伸一は、そう信じるがゆえに、今後、創価学会の前進が、後退するようなことがあれば、「その全責任は諸君にある。諸君が、だらしないからである」と、言明したのだ。

伸一は、「鳳雛会」に限らず、すべての人材育成グループは、いな、すべての同志は、広宣流布の使命を共に分かち合う"山本伸一"であると確信していた。彼が、各種の人材育成グループを結成してきた目的の一つは、その自覚を促すための契機をつくることにある。

ゆえに、いかなるグループのメンバーに選ばれようが、本人が自覚をもとうとしなければ、人材育成のための周囲の人たちの努力も、水泡に帰すことになる。

自覚ーーそれは、本来「自ら覚す」、自ら悟りを開くことを意味する。われらの自覚とは、戸田城聖が獄中で悟達したように、自身が地涌の菩薩であると確信し、生涯、師弟不二の心で、広宣流布の大願に生き抜くことだ。全人類の幸福と平和の実現を、わが使命とすることだ。

その時、自らの幸福のみを願っていた生命の扉は開かれ、崇高なる"利他"の大道が広がるのである。そこに、境涯革命、人間革命の直道があるのだ。まさに、"地涌の使命"の自覚は、偏狭なエゴイズムの対極に立つ、人間の生き方の確立であるといってよい。

九州総合研修所では、連日、人材育成グループなどのさまざまな行事が行われ、山本伸一の敢闘が続いていた。1976年(昭和51年)後半を飾る活動が、庶民文化の祭典ともいうべき、県・方面の文化祭であった。

愛する同志が、郷土愛と不屈の闘志を燃やして創り上げる、汗と涙と歓喜の、華麗なる人間賛歌の舞台である。「私は、埼玉の天地に、幾つもの闘争の歴史と学会の精神をとどめてきました。それらの精神を受け継ぐ、民衆凱歌の文化祭にしてほしい。」

「東京は、どんな活動でも、学会員が多いだけに、自分が本気になって頑張らなくても、なんとかなるなどと思ってしまいがちだ。しかし、そうした感覚に陥ることこそが"魔"に負けた姿だ。心のどこかで人を頼み、"一人立つぞ!"と決めなければ本当の力は出ない。

すべての力を出し尽くし、自分を完全燃焼させてこそ、仏道修行なんです。広宣流布の戦いは、皆が主役です。皆が一人立ってこそ、本当の力が出る。それぞれは力があっても、力を出しきらなければ、ないのと同じ結果になってしまう。東京の文化祭は、そうした、一人立つ精神を示し、教えるものにしてほしい。

あの『人間革命の歌』の、『君も立て 我も立つ 広布の天地に 一人立て』という言葉は、東京の諸君にこそ贈りたいんだ。

政治の中心地で戦いを起こせば、権力の弾圧も受けやすい。しかし、国主の諫暁には、最も適した地であるし、一国の中心地で敢然と妙法の旗を掲げ、正義を宣揚してこそ、広宣流布の成就もある。それゆえに、法難を覚悟のうえで、あえて鎌倉で戦われた。今日、その使命を担っているのが、首都・東京の同志だ。

本陣は堅固であり、無敵の強さがなければならない。したがって、本陣・東京の文化祭は、不屈の闘魂を表現することも大事だね。」

「関西魂とは、勝利への執念です。民衆の幸福を実現するまで、何があろうが、"一歩も引かぬ""あきらめるものか"という闘魂です。それが私の心です。いよいよ、弟子が立ち上がる時代だよ。」

「戸田先生がお元気なうちに、広宣流布は、必ず弟子の手で成し遂げられるという、一つの実証をご覧いただき、安心してもらおうとの思いで戦いました。それが弟子です。」

「みんなの力で、私が出席した以上に、意気軒昂で、大歓喜が爆発する文化祭にしてください。それができてこそ、本当の弟子です。じっと見守っています」

「戦おうよ。限りある一生だもの。得がたい生涯だもの。悔いなど、絶対に残してはならない。生命を燃焼させつくし、永遠の思い出となる、青春の勝利の詩を綴るんだよ」


太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋

創価の後継 鳳雛会

『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 321p

「鳳雛会」のメンバーは、若き大鳳に成長していた。全員が20代である。伸一は、全参加者に贈るために、初代会長・牧口常三郎が揮毫した「創価後継」の色紙を用意していた。四半世紀後に訪れる21世紀の、広宣流布を託す儀式にしようと、深く心に決めていたのだ。

広宣流布の勝負は、21世紀である。その時に、決然と困難の壁を打ち破り、勝利の旗を打ち立てる真正の弟子を、伸一は、生命を削る思いでつくろうとしていたのである。

「大聖人が『浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり』との一節を引かれて御指導されていることは、諸君もよく知っていると思う。これは、まさしく『鳳雛会』の諸君への指針といえます。自分の幸せのみを追い求める、安易な人生を送るのであれば、この御指導を心に刻む必要はありません。しかし、広宣流布という崇高な目的に生きるならば、何があろうが、『我は深きについて、我が道を征く』との決意で、この丈夫の心で、生涯、使命の大道を歩み抜いていただきたい」

「今日、創価学会は、世界的な大教団、大平和・文化団体に発展しました。それは、諸君のお父さん、お母さんたちが、私と共に、歯をくいしばり、血の涙を流しながら、必死になって戦い抜いてくださったからです。」

「今後は、諸君です。君たちが、この基盤の上に、10年、20年、30年と、さらに、学会を立派に育て上げていただきたい。人類の幸福のために、広宣流布の大拡大を成し遂げていくことが、諸君の久遠の使命であり、宿命なんです!」

「御聖訓に照らして、邪悪の徒によって、攪乱されるような事態を迎えるかもしれない。しかし、『鳳雛会』の諸君が、地中で竹が根を張り、深く結び合っているように、強く結合し、団結して立ち上がり、広宣流布を進めていっていただきたい。」

「もしも、今後、創価学会の前進が、一歩でも、二歩でも、後退するようなことがあったならば、その全責任は諸君にある。諸君が、だらしないからである!一切は、諸君の責任であることを、今日は、宣言しておきます」それは、伸一の魂の叫びであり、広宣流布の厳粛な付属の儀式を思わせた。

「諸君は、創価学会の真実の子どもです。本当の私の弟子であり、学会の王子ともいうべき存在です。まずは、次の10年をめざし、創価学会の一切を引き受け、全責任を担うとの精神で、雄々しく進んでいっていただきたい」

この大会に出席していた最高幹部たちは、ただ、驚いて、彼の指導を聞いていた。「鳳雛会」のメンバーは、この時、年齢的にも、役職的にも、まだ創価学会の全責任を担うような立場ではなかったからである。

しかし、伸一は、自身の体験のうえから、本気になって立ち上がるならば、年齢や立場に関係なく、彼らは、学会の全責任を担い得ると確信していたのである。

師の戸田城聖が、事業の破綻から、学会の理事長を退いた時、伸一は、ただ一人、厳然と師を守り、獅子奮迅の戦いで活路を開いていった。それが、22歳の時であった。

また、伸一が鎌田支部の支部幹事として折伏戦を展開し、当時としては未曽有の、一支部で201世帯の弘教を成し遂げたのは、24歳の時であった。

さらに伸一は、25歳で文京支部長代理となる。彼の奮闘は、低迷していた支部を、やがて第一級の支部へと発展させていく。伸一は、いまだ年も若く、全学会を率いる立場ではなかった。しかし、戸田の構想の実現を、わが使命と定め、組織の一角から、未聞の大勝利という烽火を上げ、広宣流布の突破口を開き続けてきたのである。

年が若いから、立場が与えらえていないから、権限がないから、時間がないから・・・など、力を発揮できない理由をあげれば、常に、枚挙にいとまがないものだ。広宣流布という仏意仏勅の使命と責任を果たしゆくには、年齢や立場など、問題ではない。

大宇宙を己心にいだく信心の世界、仏法の世界では、そんなことは、なんら障壁とはならない。それらを理由に、力が発揮できないという考えにとらわれた時、自らの無限の可能性を放棄してしまうのだ。それこそが、魔に敗れた姿である。

要は、師弟不二の自覚と祈りと実践があるかどうかである。それを実証してきたのが、ほかならぬ伸一であった。

太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋

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