『新・人間革命』第22巻 新世紀の章 182p
ニカラグアには、二か月前に支部が結成された。支部婦人部長の山西清子がニカラグアに来た1972年(昭和47年)12月、彼女のいたマナグアは、大地震に襲われた。
町は破壊され、大勢の死傷者が出た。この時、彼女は”一人でも多くの人に仏法を伝え、ニカラグアの幸せを築くのだ”と決意した。山西の仏法対話で、題目を唱える現地の人が、一人、また、一人と増えていた。
彼女は、山本伸一に誓いの一文を記し、伸一から伝言が届いた。「これは実現すれば歴史的な壮挙です」5人のコンベンション参加者を募るのは大変であった。彼女の呼びかけに、信心を始めて日の浅い現地の人たちが、勇んで名乗りをあげた。皆、山西から、求道心の大切さを学んでいたからである。
大事なのは、一人立つリーダーの存在である。必死の一人がいれば、炎が燃え広がるように皆の魂を触発していく。小さな一つ一つの勝利の積み重ねのなかに広宣流布がある。着実に、粘り強く、眼前のテーマに挑み、勝っていくことだ。それが、栄光の大勝利の歴史となるのだ。
山西の御礼の手紙にたいして、峯子から長文の返事が届いた。峯子からの手紙は、伸一の心でもあった。彼らは常に、こうした二人三脚ともいうべき呼吸で、広宣流布の仕事を成し遂げてきた。峯子の認める手紙の数は膨大であった。山西は、この手紙を涙で読んだ。その手紙が山西の心を燃え上がらせた。生命の言葉は、人の魂を触発する。
7月27日最終日の三日目を迎え、「スピリット・オブ・1776ショー」が開催された。服飾会社でデザイナーとして働く婦人部のサラー・アポンテは、水中バレエの衣装なども手がけ、前夜は鼓笛隊としてパレードにも出場していた。
やるべきことはたくさんある。皆、悩みながら、知恵を絞って限界に挑んだ。そのなかで、自分の殻が破られ、大きく成長していることを、誰もが実感していた。能力は、これまでに出したことのない力を出すことによって伸びていくのだ。
それぞれが、職場や家庭のことなど、さまざまな悩みをかかえていた。共に作業に励むなかで、互いに悩みを打ち明け合い、励まし合うようになっていった。皆で唱題もした。この作業を通して友情が芽生え、強い同志の絆が育まれていったのだ。
この作業は、アポンテの 人生の飛躍台となっていった。彼女は、ステージ衣装などをデザインする道に進み、やがて、彼女がデザインした衣装が、テレビの人気番組や有名雑誌の表紙を飾るようになるのである。
舞台は「ハワイアン・ファンタジー・ショー」に移り、最後は「フォーエバー・センセイ」の大合唱となり花火が打ち上げられ、終わった。
関係者を招いての答礼の晩餐会では、SGIから州立図書館への日本語書籍の寄贈、擁護施設や老人ホームに寄付金が贈られた。また、ホノルル動物園には、「ポリネシア村」が、そっくり提供されることが発表された。SGIの精神も、人類という同胞の幸せの実現にある。ゆえに"社会のために何ができるか"という、社会貢献の眼を常にもって、運動を進めていくことが大切になるのだ。
伸一は、アメリカの首脳らと、懇談した。大行事を終えた今、アメリカの組織として、何をすることが大切かを、訴えておきたかったのである。「コンベンション自体は、広宣流布、世界平和、一生成仏をめざすための、一つの化城です。仮の目的にすぎない。派手なコンベンションばかりを設定し、皆が時間的にも、経済的にも疲弊して、へとへとになり、仏法対話にも、教学の研鑽にも、座談会にも力が入らなくなってしまうならば、本末転倒です。」
「本当に大事なのは、日々の学会活動です。目立たぬ、地道な活動です。そしてメンバー一人ひとりが、信心の喜びに満ちあふれ、地域や職場で信頼を勝ち得て、勝利者になっていくことです。そのための力となる運動でなければならない」
「よい報告よりも、むしろ、事故など、悪い事態が生じた時こそ、きちんと報告することが大事です。幹部は自分の立場を守るために、悪い報告を握りつぶすようなことがあっては絶対にならない。その体質が最も危険なんです」
世界平和の潮流といっても、人間主義の旗を掲げ持つ、人材群が育つかどうかで決まってしまう。そのためには、一瞬一瞬の励ましこそが、勝負なのだ。
日系人の青年が警備をしていた。彼はハワイ初訪問の時、両親と一緒に先生を訪ねてきた小学生だった。15年前の苗木は今、緑茂る樹木に育ち、ハワイの大地に根を張っていたのだ。
<潮流の章 終了>
ニカラグアには、二か月前に支部が結成された。支部婦人部長の山西清子がニカラグアに来た1972年(昭和47年)12月、彼女のいたマナグアは、大地震に襲われた。
町は破壊され、大勢の死傷者が出た。この時、彼女は”一人でも多くの人に仏法を伝え、ニカラグアの幸せを築くのだ”と決意した。山西の仏法対話で、題目を唱える現地の人が、一人、また、一人と増えていた。
彼女は、山本伸一に誓いの一文を記し、伸一から伝言が届いた。「これは実現すれば歴史的な壮挙です」5人のコンベンション参加者を募るのは大変であった。彼女の呼びかけに、信心を始めて日の浅い現地の人たちが、勇んで名乗りをあげた。皆、山西から、求道心の大切さを学んでいたからである。
大事なのは、一人立つリーダーの存在である。必死の一人がいれば、炎が燃え広がるように皆の魂を触発していく。小さな一つ一つの勝利の積み重ねのなかに広宣流布がある。着実に、粘り強く、眼前のテーマに挑み、勝っていくことだ。それが、栄光の大勝利の歴史となるのだ。
山西の御礼の手紙にたいして、峯子から長文の返事が届いた。峯子からの手紙は、伸一の心でもあった。彼らは常に、こうした二人三脚ともいうべき呼吸で、広宣流布の仕事を成し遂げてきた。峯子の認める手紙の数は膨大であった。山西は、この手紙を涙で読んだ。その手紙が山西の心を燃え上がらせた。生命の言葉は、人の魂を触発する。
7月27日最終日の三日目を迎え、「スピリット・オブ・1776ショー」が開催された。服飾会社でデザイナーとして働く婦人部のサラー・アポンテは、水中バレエの衣装なども手がけ、前夜は鼓笛隊としてパレードにも出場していた。
やるべきことはたくさんある。皆、悩みながら、知恵を絞って限界に挑んだ。そのなかで、自分の殻が破られ、大きく成長していることを、誰もが実感していた。能力は、これまでに出したことのない力を出すことによって伸びていくのだ。
それぞれが、職場や家庭のことなど、さまざまな悩みをかかえていた。共に作業に励むなかで、互いに悩みを打ち明け合い、励まし合うようになっていった。皆で唱題もした。この作業を通して友情が芽生え、強い同志の絆が育まれていったのだ。
この作業は、アポンテの 人生の飛躍台となっていった。彼女は、ステージ衣装などをデザインする道に進み、やがて、彼女がデザインした衣装が、テレビの人気番組や有名雑誌の表紙を飾るようになるのである。
舞台は「ハワイアン・ファンタジー・ショー」に移り、最後は「フォーエバー・センセイ」の大合唱となり花火が打ち上げられ、終わった。
関係者を招いての答礼の晩餐会では、SGIから州立図書館への日本語書籍の寄贈、擁護施設や老人ホームに寄付金が贈られた。また、ホノルル動物園には、「ポリネシア村」が、そっくり提供されることが発表された。SGIの精神も、人類という同胞の幸せの実現にある。ゆえに"社会のために何ができるか"という、社会貢献の眼を常にもって、運動を進めていくことが大切になるのだ。
伸一は、アメリカの首脳らと、懇談した。大行事を終えた今、アメリカの組織として、何をすることが大切かを、訴えておきたかったのである。「コンベンション自体は、広宣流布、世界平和、一生成仏をめざすための、一つの化城です。仮の目的にすぎない。派手なコンベンションばかりを設定し、皆が時間的にも、経済的にも疲弊して、へとへとになり、仏法対話にも、教学の研鑽にも、座談会にも力が入らなくなってしまうならば、本末転倒です。」
「本当に大事なのは、日々の学会活動です。目立たぬ、地道な活動です。そしてメンバー一人ひとりが、信心の喜びに満ちあふれ、地域や職場で信頼を勝ち得て、勝利者になっていくことです。そのための力となる運動でなければならない」
「よい報告よりも、むしろ、事故など、悪い事態が生じた時こそ、きちんと報告することが大事です。幹部は自分の立場を守るために、悪い報告を握りつぶすようなことがあっては絶対にならない。その体質が最も危険なんです」
世界平和の潮流といっても、人間主義の旗を掲げ持つ、人材群が育つかどうかで決まってしまう。そのためには、一瞬一瞬の励ましこそが、勝負なのだ。
日系人の青年が警備をしていた。彼はハワイ初訪問の時、両親と一緒に先生を訪ねてきた小学生だった。15年前の苗木は今、緑茂る樹木に育ち、ハワイの大地に根を張っていたのだ。
<潮流の章 終了>
太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋