小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

世界平和

臨終只今の激励

『新・人間革命』第22巻 命宝の章 363p 

本部総会終了後は、来賓を歓迎するレセプションが、山本伸一を待っていた。
来賓の一人、大学の名誉教授である男性は病気静養中でであったが、出席した。彼は、自分が被爆者であり、反核運動に情熱を傾けてきたが、その運動が、政党などの宣伝に利用されている現実を見てきた。そのなかで、山本伸一や 創価学会の行動を知り、今回の講演を聞き、心を揺さぶられたと涙した。

レセプションの後、未来会の会合に出席する予定であったが、伸一の体調を心配した東京からきた幹部は中止にしたらどうかと提案した。伸一は、今回の広島の訪問で、10年、20年先の大発展の布石をするために、命の限り働き抜こうと深く心に決めていた。

広島文化会館には、本部総会で合唱を披露することになっていたが、時間の関係で取りやめになった「広島若竹少年少女合唱団」60人ほどが山本先生に歌を聴いてもらおうと待機していたが、幹部は先生の体調を考慮し、中止することにした。帰り支度をしていた時、山本伸一が 一人の合唱メンバーに気づき、「呼んであげよう」と言った。

"今しかない。一人でも多くの人と会って励ましたい。決意の種子を植えたい"との強い一念が、その瞬間を見逃さなかったのだ。伸一は、後継の人材育成に当たっては、"皆、尊い使命を持った、21世紀の偉大な指導者だ。大切な、創価の後継者だ。仏に、師匠に、使えるような気持ちで、私は、皆を育てていくのだ"この"敬いの心"こそが、伸一の根本姿勢であった。

彼は、子どもたちの気持ちが、痛いほどわかっていた。だから、総会に出席した以上の、思い出をつくってあげたかった。大人が、子どもたちと接していくなかで、約束を果たせないこともあろう。しかし、それを、そのままにしておけば、自分への信頼を失うだけでなく、子どもたちの心に、大人や人間への、不信感を植え付けてしまう。

その約束を果たせなかった時には、子どもが、"ここまでやってくれるのか"と思うほど、誠心誠意、それに代わる何かをすることだ。その真心が、誠実さが、人間への強い信頼感を育み、若き生命を伸ばしていくのである。

この合唱団や未来会のメンバーからは、後に、全国の青年部長をはじめ、数多くの、広宣流布の逸材が育っていくことになる。

世界広布は、伸一が、師の戸田城聖から託された、断じて成し遂げねばならぬ人生のテーマであり、創価学会の使命であった。

広島滞在4日目、山本伸一は、海外各国の理事長らと、指導を重ねた。伸一は、力を込めて語った。「実情は厳しいかもしれない。でも、だからこそ、自分がいるのだという自覚を忘れないでいただきたい。私たちは獅子だ。どんな逆境も、はね返して、歴史の大ドラマをつくる使命をもって、生まれてきたんです」

「自国の平和と繁栄を、絶対に築いてみせると強く、決意し、大宇宙をゆる動かす思いで、祈り抜くことです。そして、執念を燃やして、一日一日を、一瞬一瞬を、『臨終只今』の思い出全力で戦い、勝利を積み上げていくんです。

大聖人は『小事積もりて大事となる』と仰せです。瞬間瞬間の勝利の積み重ねが、歴史的な大勝利となる。悔いなき闘争のなかに、大歓喜がある」

海外メンバーのなかに、ウルグアイから来日した4人の青年がいた。日本とは、ほぼ地球の反対側に位置する、いわば、最も遠い地域から、参加した青年たちであった。伸一は、じっと、メンバーを見つめると、厳しい口調で言った。

「まず、今後5年間、退転せずに頑張りなさい。今は苦しみなさい。本当の獅子にならなければ、広宣流布などできない!」予想もしなかった言葉であった。皆、伸一は、青年たちの訪日を讃え、ねぎらいと包容の言葉をかけるものと思っていたのだ。

伸一は、これまで、軍政下にある国々の状況を、つぶさに見てきた。会合も自由に開けない、弾圧の対象とされてしまうこともある。そのなかで広宣流布を進めるのは、決して容易なことではない。

伸一は、さらに、念を押すように言った。「本気になるんだ。この4人のうち、本物が一人でも残ればいい。また学会に何かしてもらおうなどと考えるのではなく、自分たちの力でウルグアイに、理想の創価学会を築いていくんです。皆さんが広宣流布を誓願し、祈り、行動していかなければ、どんなに歳月がたとうが、状況は何も変化しません。私に代わって、ウルグアイの広宣流布を頼みます」


太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋

広島での提言

『新・人間革命』第22巻 命宝の章 351p 

伸一は、第三に、原子力発電など、核の平和利用は、人類の生存にとって重大な脅威にもなりうることから、安全性についての厳重な監視を怠ってはならないと訴えたのである。

人類が英知を結集して対処すべき問題が山積していながら、それができない要因の一つに、「人類の道徳的迷妄」があるとする学者の説を紹介した。伸一は、その道徳的迷妄は人間生命の根本の迷い、すなわち"元本の無明"から発するものであり、それを打ち破る道を万人に示したのが、日蓮仏法であることを語った。

すべての原点は人間にある。人間自身の変革なくしては、人びとの幸福も、社会の繁栄も、世界の平和もない。人間革命こそが、人間賛歌の世紀を開く、根源の力となるのだ。

伸一が、講演を開始してから、既に1時間近くがたっていた。彼は、話しながら、軽いめまいを覚えた。体調は、決して、良いとは言えなかった。しかし、まだ、語らねばならないことがあった。心で、"倒れるわけにはいかぬ!"と、自分に言い聞かせ、話を続けた。

戸田城聖が、死をも覚悟して行こうとした広島の地での、本部総会である。そう思うと、一歩たりとも引くわけにはいかなかった。ますます力を込めて、伸一は訴えた。その執念の叫びが、自らを元気づけていったのである。獅子吼のような講演が続いた。

山本伸一は、さらに、日本がめざすべき、今後の進路に言及。中小・零細企業に従事している人たちが、失業、倒産といった事態に見舞われている危機的現状を指摘し、喫緊の問題として、「弱者救済」を最優先することこそ、政府のとるべき道であると強く訴えた。

そして、長期的には、日本は「経済大国」の夢を追うのではなく、文化をもって、世界人類に貢献する「文化の宝庫」「文化立国」とすべきであると提唱したのだ。

講演は、創価学会の社会的役割に移った。彼は、激動する社会のなかで、時代を正常な軌道へと引き戻していく力、生命のバイタリティーを、民衆一人ひとりの心田に植え付けていくところに、宗教の最も根本的な使命があることを強調し、宣言するように語った。

「創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力を持って人間の尊厳を冒し続ける"力"に対する、内なる生命の深みより発する"精神"の戦いであると位置づけておきたい」その"精神"の力の開発は、対話を通しての、地道な人間対人間の生命の触発による以外にない。

権力主義や武力を背景とした力による威圧が、国際政治の舞台を支配しているなかで、人間主義による対話こそが、新しき時代の幕を開くというのが、伸一の確信であった。講演は、日中の平和友好条約の締結へと移った。

伸一は、「百草を抹りて一丸内至百丸となせり一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ」との御文を拝した。その譬えを通して、伸一は訴えた。「皆さん方一人ひとりが、創価学会そのものです。それ以外には、創価学会の実体はありえないと確信していただきたい。また、一人ひとりに、それだけの、尊い使命と資格があると説いているのが、日蓮大聖人の仏法であります」

自分自身が創価学会なのだ。そして、自分の周りの同志との絆が、自分のブロックが、創価学会なのだ。ゆえに、自身が成長し、友のため、社会のために尽し、貢献した分だけが、広宣流布の前進となるのである。自分が立ち上がり、勝っていく以外に、学会の勝利はない。

学会は、それぞれの個性の開花をめざす、異体同心という人間主義の組織である。その組織の目的は、広宣流布の推進にある。それは、生命の哲理を人びとの胸中に打ち立て、人間の尊厳を守り、輝かせていく聖業なのだ。

私たちは、組織のなかの個人というだけでなく、自身の規範、誇り、勇気の源泉として、それぞれの心の中に、創価学会を持っている。つまり、個人のなかに創価学会があり、その自覚が、各人の心中深く根を張っていることに、学会の強さがあるのだ。

実に講演は1時間20分に及んだ。幾つもの提言を含んだ講演であった。

太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋

核兵器廃絶への提言

『新・人間革命』第22巻 命宝の章 351p 

1975年(昭和50年)11月9日、第38回本部総会は、県立体育館で、晴れやかに開催された。山本伸一の講演の冒頭この広島の地で、本部総会を開催したことに触れ、力強く訴えた。「二度と再び、あの人類の惨劇を繰り返してはならないという、私どもの重大なる決意をもって行われていることを、まず、はっきりと申し上げておきたい」

そして、明年のテーマ「健康・青春」に言及し、健康論を展開。「健康の本義を言えば、それは、絶えざる生命の革新にほかならないと考えたい。この生命の革新を可能にする根源の当体を、人間の内部に洞察して、"仏界"すなわち仏の生命と名づけ、現実に生命革新の道を開いた仏法こそ、人類の健康法を最も根源的に明かしたものであると私は信じますが、皆さん、いかがでしょうか」

続いて彼は、青春の根源をなすものは「生命の躍動」であり、青春には、たとえ、未完成であっても、偉大なる生命の燃焼があり、道の世界への挑戦、はつらつたる革新のエネルギー、正義感、情熱等があると語った。

そして、青年期の信念を、死の間際まで燃やし続けるところに、真実の健康があり、青春が輝くと訴え、仏法の歴史においても、変革者は、常に「生涯青春」の姿を示してきたことを述べた。

広宣流布のために戦うなかで、生命は活力を増して、健康と青春の息吹がみなぎる。広宣流布に生きる人の生命は「生涯青春」である。

伸一は、創価学会の根本目標は、どこまでも広宣流布にあり、その実現のための個人個人の活動は、着実な折伏・弘教の推進であることを再確認した。

「仏法を持った社会人の集団としての、社会における責任という観点で、創価学会の目標をとらえるならば『生命の尊厳を基調とした興隆』と言えます。」

そして、弘教の推進と文化・社会の建設とは、ともに仏法の精神である一切衆生の救済をめざすものであり、それは本来、合一しており、二つの側面であることを語った。

「広宣流布、折伏・弘教は、人間個々の内面から、変革の力を与え、救済していくものであります。一方、『生命の尊厳を基調とした文化の興隆』とは、文化的・社会的環境という、外からの救済の道を開くものであります。

『立正安国論』にも『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か』との仰せがあります。つまり、恒久平和の実現こそ、われわれのめざすべき大道なのであります」『四表の静謐』とは社会の平和である。

次いで伸一は、核問題について話を進めていった。第一に、いかなる国の核兵器の製造、実験、貯蔵、使用をも禁止し、この地上から一切の核兵器を全滅する日まで、最大の努力を傾けることを、改めて宣言した。

仏法の眼から見る時、核兵器は奪命者である魔の働きをもつ。ゆえに彼は、生命の尊厳を守る仏法者として、核兵器の廃絶を訴え続けてきたのである。さらに、伸一は、核拡散に歯止めをかけ、核兵器を絶滅へと向かわせるための要諦を、力を込めて訴えた。

「核抑止理論がいかに無意味であるかを強調するだけでは足りないと思います。より深く本源的な次元から、"核兵器は悪魔の産物であり、それを使用する者も悪魔であり、サタンの行為である"という戸田先生の洞察を、全世界に広めていくことが、最も根底的な核絶滅への底流を形成することになるものと考えたい」

核兵器廃絶には、核兵器を絶対悪とする、揺るがざる根本の哲学が不可欠である。それがなければ、状況のいかんで、核兵器は必要悪とされ、結局は、その存在が肯定されるようになってしまうからだ。確たる哲理の土台がなければ、平和の城は建たない。

伸一は、第二に、核兵器全廃への具体的な取り組みについての提言を行った。その一つが、核絶滅を願う国際世論を高めるために、広く民間レベルで、核の実態や人間生命に与える影響性などを、正しく調査・研究する機関を、広島、または長崎に、早急に設置すべきであるということであった。

また、核兵器全廃のための全世界首脳会議への第一段階として、専門家、科学者、思想家などの民間代表を結集して国際平和会議を開催。核の脅威を徹底的に研究・討議し、核軍縮の具体的なプロセスについて、結論が出るまで会議を続行することを提唱した。

そして、国際平和会議ではまず、現実的な問題として、「いかなる核保有国も自ら先に核を使用しないこと」「非核保有国に対しては、未来にわたって、絶対に核を投下しないこと」を決議し、核兵器廃絶への土台を築くべきであると力説。この国際平和会議を、平和原点の地である広島で開催するように提案したのだ。


太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋

核廃絶への行動

『新・人間革命』第22巻 命宝の章 344p 

山本伸一は、この広島での本部総会に向かって、果敢な平和行動を展開してきた。前年の1974年(昭和49年)の5月以来、わずか1年半の内に、中国を三度、ソ連を二度にわたって訪問。ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理をはじめ、両国の要人と、対話を重ねてきた。

その最大の眼目は、一触即発の状況にある中ソ紛争の和解の道をさぐることであった。さらに、この75年の1月には、アメリカを訪問し、国連本部でワルトハイム事務総長と会談。仮称「国連を守る世界市民の会」の設置を提唱した。

そして、青年部が1千万から集めた、戦争の絶滅と核廃絶を訴える署名の一部を手渡したのである。また、キッシンジャー米国務長官とも初の会談を行い、中東問題、米ソ・米中関係などについて語り合った。伸一は、中東の紛争解決の基本原則を示すとともに、東西冷戦の終結への流れを開こうと、懸命に対話を交わしたのである。

平和への闘争は、生命尊厳の哲理を持った仏法者の使命である。平和のために、何をするのかーーその具体的な行動こそが、肝要なのである。「人生は早いよ。だから私は、一瞬一瞬が真剣勝負だという思いで戦っているんです。」

広島文化会館は、11月3日に落成したばかりであった。伸一は、文化会館の館内を施設した。「どこに何があり、誰がいるかーー指導者というのは、それを、すべて知ったうえで、指揮を執っていくんです。そのためには、ほんのわずかな時間も活用して、自ら足を運んで、回ってみることです。

それは、一切の戦いに言えます。その努力を怠り、人の話を聞いて事足れりとするところから、惰性、官僚主義が始まる。幹部がもっとっも戒めなけらばならないことです」「師に代わって」--その自覚こそが、真の弟子の心である。

伸一は、会館建設の在り方を語った。「会館には、大勢の人が来るんだから、トイレの数が少なかったり、階段が狭く、急であったりすれば、人を大切にした設計とはいえない。学会の会館は、特に安全性を考慮していくことが大事です。建物には、思想が表れる。人格が表れる。学会は、生命の尊厳を守る人間主義の団体なんだから、人への配慮が表れている設計にしていかなければならない」

「ともかく幹部は"どうすれば、頑張ってこられた方を顕彰できるのか。喜んでいただけるのか"また、"皆が希望と張り合いをもって活動に励めるのか"を、常に考え続けていかなければならない。幹部に、そうした意識がなく、無慈悲であれば、会員がかわいそうです」矢継ぎ早の指導であった。

そこには、一瞬たりとも、時間を無駄にすまいという、強い気迫があふれていた。それが、「臨終只今にあり」との覚悟で戦う、勇将の行動である。

広島の青年たちは、山本伸一が広島に到着してからの、こうした奮闘を、直接、目にし、あるいは、その話を耳にしてきた。だからこそ、「一瞬一瞬が真剣勝負だ」との伸一の言葉が、強く胸に迫ったのである。

伸一は、代表者会議では、指導者論などを語った。「広宣流布の活動を進めるうえで、大事なことは、幹部の率先垂範です。命令では人は動きません。全同志を心から包容しながら、自分の実践を通して、共に活動に励もうと、呼びかけていくことです。」

「実践の伴わない観念的、抽象的な話では、人の心は打たない。しかし、行動、体験に裏打ちされた話には、説得力があり、共感を覚えます。この"共感"が勝利の大波を広げていくんです。ゆえに、幹部は、常に自らが、真っ先に動くことです。」

「戦いに臨んだならば、幹部には、勝利への執念と、自分が一切の責任をもつのだという気迫が、ほとばしっていなければならない。皆が一丸となって勝負すべき時に、幹部ありながら、本気になって戦おうとせず、事の成り行きを静観しているような態度は、最も卑怯だと、私は思う。それは、皆のやる気を失わせ、獅子身中の虫となるからです」

伸一は、新しい出発にあたり、幹部自身の革命が最大の課題であると考えていたのだ。堅固な創価学会の建設のためには、各方面や各地域を、一カ所、また一カ所と、盤石にしていく以外にない。その意味から、山本伸一は、東京で行われてきた本部総会を、各方面で行うことを提案した。

幹部がどうすれば、次々と、事態の改善策や改革のプランが浮かぶのでしょうかと尋ねると「真剣だからです。核兵器の廃絶、戦争の絶滅を、戸田先生の弟子として、わが責任と定めているからです。本当に自分の責任で実現させなければならないと思えば、いやでも、さまざまな問題が見えてくる。そして、おのずから、どうすべきかを考える。」

「これは、広宣流布についても同じです。本気になって、自分が責任をもとうとすれば、問題がどこにあるか、何をすべきかが、わかってくる。したがって、その人は、必ず多くの建設的な意見をもっているものです。裏返せば、皆で協議をしても、何も意見や提案が出てこないということは、真剣でないということでもある」


太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋

広島平和記念公園 原爆死没者慰霊碑

『新・人間革命』第22巻 命宝の章 334p 

人間の本当の幸福は、蔵や身の財によって決まるものではない。心の豊かさ、強さによって決まるのだ。
どんな逆境にあろうが、常に心が希望と勇気に燃え、挑戦の気概が脈打っているならば、その生命には、歓喜と躍動と充実がある。そこに幸福の実像があるのだ。

日蓮大聖人の大境涯を知れ!また、獄中にあって「何の不安もない」「心一つで地獄にも苦しみがあります」と言い切る、牧口常三郎初代会長を思え!わが生命から込み上げてくる、この勇気、希望、躍動、充実、感謝、感動、歓喜・・・。これこそが「心の財」であり、私たちの信仰の目的も、その財を積むことにあるのだ。いわば、それは幸福感の転換であり、「幸福革命」でもあるのだ。

その「心の財」は、人びとの幸福のために、さらに言えば、広宣流布のために生きることによって、築かれるのである。

「人は、この『心の財』を積んでいくなかで、生きることの尊さを知り、エゴに縛られた自分を脱し、人びとの幸福という崇高な目的のために、生き生きと活動していくことができるのであります。しかも、こうした精神的な健康の確立が、どれほど大きな、身体上の健康回復、健康増進の力となっていくか、計り知れないものがあります。いな、心の健康なくしては、本当の健康はない。それを、広く、社会に認識させていくべきであると思うのであります」

また、伸一は、心の健康を確立していくという医学の在り方は、単に病気を治療するという"守りの医術"ではなく、健康を保持し、増進していく、"攻めの医学"の確立につながっていくと述べた。

そして、これからは、病気をしないという消極的な意味での健康ではなく、生き生きと活動し、生命が躍動しているという、積極的な意味での健康をつくりあげていくことこそが重要であり、そこに、ドクター部の使命があると力説。最後に、「『病気の医師』ではなく、『人間の医師』であっていただきたい」と呼びかけ、スピーチを結んだのである。

彼の話は、現代医学の進むべき道を示すものであった。それは、ドクター部の使命を再確認する、永遠の指針となったのである。

1975年(昭和50年)11月8日、山本伸一は、広島市にある平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の前に立った。広島市の荒木武市長らの出迎えを受け、慰霊碑に献花した伸一は、平和への深い祈りを込めて、題目を三唱した。

伸一は、献花台の先にある石棺に刻まれた文字を、じっと見つめた。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」実は、この碑文をめぐって、論争が繰り返されていたのである。伸一は、この碑文は、核戦争の過ちを二度と起こさないという、人類の誓いであるととらえていた。

誰が、加害者で、誰が被害者であるかを明らかにすることも必要であろう。だが、慰霊碑にとどめるべきは、平和への誓いである。また、被害者であるとの考えのみにとらわれ、加害者を糾弾しているだけでは、憎悪と報復の連鎖を繰り返すだけである。

世界の恒久平和を創造していくには、被害者・加害者という分断的な発想を転換し、地球上のすべての人が、同じ人類、世界市民としての責任を自覚することが必要である。伸一は、慰霊碑の言葉は、それを世界に明示するものとして、高く評価していたのだ。

その言葉を、広島の、日本の、そして、世界の人びとの誓いとしていくには、人類の心の結合が不可欠だ。それを可能にする生命尊厳の哲理こそが、日蓮仏法なのである。

「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」

戸田は、1957年9月8日「原水爆禁止宣言」を発表した。その約2か月後の11月20日、広島指導に出発しようとして、自宅で倒れたのである。

伸一は、戸田の広島行きは、命にかかわりかねないと感じていた。しかし、世界最初の原爆投下の地・広島に赴き、「原水爆禁止宣言」の精神と使命を、一人ひとりの魂に深く打ち込まねばならないという戸田の思いも、痛いほどわかっていた。

死を覚悟しての広島行きであったが、出発の朝、戸田は倒れた。その戸田の心を思うと、平和への死力を尽くした戦いなしには、弟子として、広島の地は踏めぬというのが、伸一の心情であった。


太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋

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