小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

新・人間革命 第18巻

青年部による日本国憲法擁護アピール採択

『新・人間革命』第18巻 飛躍の章 306P~

1月20日、第二十二回「青年部総会」が晴れやかに開催された。会場の北九州市立総合体育館に喜々として集って来た。全国の青年部総会を、首都圏以外の地で初めて行うとあって、九州の青年たちは先駆の誇りに燃えていた。

女子部長の吉川美香子が登壇し、「若い女性の連帯を広げよう」と題して語った。
「最近の若い女性の一般的な傾向として、自分の手を汚したがらず、苦労を避ける。しかし、自分のことは認めてもらいたい。また、相手を受け入れることはしないーーというのです。」

「心から他人の生命の痛みを分かち合おうとする時、そこには深い友情の絆が生まれます。そして、友を思う真心は、自ら仏法対話となっていきます。いわば折伏は、友情の帰結であり、また、それによってさらに強い友情が育まれていきます。」

「私たち女子部は、『友の幸せのために、私はいかなる苦労も惜しまない。いな、それこそ私の最高の喜びである』と胸を張って、折伏・弘教の実践に邁進していこうではありませんか!」

女子部時代に折伏に挑戦することは、仏法者として、自分の生き方の芯をつくり上げ、福運を積むうえで、極めて重要なことといえよう。折伏はすぐには実らないかもしれない。しかし、仏法を語り、下種をし、末永く友情を育んでいくならば、いつか、その人も信心に目覚める日が来るものだ。

決して結果を焦る必要はない。大事なことは、友の幸福を願う心だ。仏法を語る勇気だ。勇気が慈悲にかわるのである。

男子部長の野村勇は、「社会の年」の具体的な実践として、青年が座談会運動の牽引力になることなどを訴えたあと、平和憲法の擁護について語った。

山本伸一が、平和憲法の擁護を訴えたのは、深刻な経済危機が進む日本の行方が、ナチスが台頭したドイツのワイマール体制末期のような事態になりかねないことを憂慮したからである。

ワイマール憲法は、民主主義の典型といもいうべき、当時の世界の先端をいく憲法であった。ところが、深刻な生活不安に悩むドイツ国民は、ナチスという協力な勢力に、その不安の解消を期待した。そして、首相のヒトラーに全権を委任する授権法案が国会で可決されたのだ。

それは、国民が自らの権利を放棄させられたことに等しかった。
人びとの幸福を実現するために、「生命の尊厳」と「人間の精神の自由」を、また、「民主主義」を、そして、「平和」を守り抜くのが、仏法思想を実践する創価学会の使命であると、伸一は考えていた。

その意味で、基本的人権の保障、国民主権、恒久平和主義をうたった日本国憲法の精神を守ることの重要性を、彼は痛感していたのである。

もちろん、時代も、社会も大きく変化していく。それにともない、長い歳月の間には、条文の補強や調整が必要となることもあろう。しかし、日本国憲法の精神自体は、断じて守り抜かなければならないというのが、伸一の信念であった。

野村は、この総会でアピールを採択したいと読み上げた。憲法も民衆という大地に根差さなければ、どんなに立派であっても、実を結ぶことはない。

青年部の首脳たちも、日本国憲法を守り抜くため、その精神を民衆の胸中深く浸透させることに力点を置いた運動を推進しようと考えたのだ。

具体的には、戦争体験者の悲痛な戦争否定の叫びを集大成する一大反戦出版活動に取り組む。また、昨年来進めてきた核兵器撤廃、戦争絶滅を要求する署名運動をすすめ、現在、300万を突破したが、これを1千万署名を勝ちとり、平和への願いとして、国連へ提出することなどを発表した。

山本伸一の講演となった。最近の異常な"悪性インフレ"は、利潤追求を至上目的とした社会の在り方自体が問題であり、精神変革、精神改良こそが、最も喫緊の課題であることを、強く訴えたのである。



太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋

仏法即社会「社会の年」開幕

『新・人間革命』第18巻 飛躍の章 290P~

<飛躍の章 開始>

学会が「社会の年」と定めた1974年(昭和49年)は、第四次中東戦争、石油危機に始まった世界経済の激動のなかで幕を開けた。

この年の勤行会は「世界平和祈願広布勤行会」を兼ねて行われ、「仏法即社会」の原理のうえから、社会で勝利の実証を打ち立て、貢献していくことを誓うとともに、世界平和への深い祈りを捧げる集いとなった。

 山本伸一は、「減劫御書」の一節を拝した。「大悪は大善の来るべき瑞相なり」「大聖人御在世当時、社会は、大地震や同志打ち、また、蒙古襲来と、乱れに乱れ、激動しておりました。しかし、大聖人は『決して、悲観すべきではない。むしろ、こういう時代こそ、仏法の広宣流布という大善が到来するのである』と宣言されているのであります」

「筆舌に尽くしがたい困難もあるでしょう。だが、どんな障害があろうが、『大悪は大善の来るべき瑞相』であると、強く、強く確信しいよいよ意気盛んに大飛躍を遂げてまいろうではありませんか!」

「大悪」を「大善」に転じ、広宣流布を実現していくには"如設修行"すなわち、仏の教え通りに修行し、信心に励むことの大切さを訴えねばならないと思った。

"如説修行"の信心を貫くということは、形式をまねればよいということではないし、観念でもない。破邪顕正を深く心に誓い、正義の叫びを放ち、祈ることである。つまり、身・口・意の三業をもって、実践してこそ"如説修行"といえるのである。たとえ、信心強盛そうに見せかけても、身・口・意をもって、本気で信心を全うし抜かなければ、謗法と等しく、一生成仏はありえないのだ。伸一は訴えた。

「この"如説修行"こそ、私どもが夢にも忘れてはならない、創価学会の根本精神なのであります。」「それは、いつ、いかなる時代になっても、絶対に変わることがあってはならない。むしろ、仏法を社会に開いていけばいくほど、その精神を深めていかなければならない」信心という原点を互いに確認し合い、新しき年の出発を飾ったのである。

学会は、この年、"ヒューマン・プラザ"すなわち"人間広場"運動を推進していた。その具体的な実践の場を座談会とし、「人間的成長をはかる座談会を開こう」を活動方針として掲げ、前進を開始したのであった。座談会を大成功させるために、あらゆる角度からアドバイスを重ねていった。

座談会を開催する前後の家庭指導、個人指導の重要性についても語り合われた。さらに、座談会のあとの励ましが大事である。また、座談会の成功は団結にあることを確認し、中心幹部だけでなく、全員が主体者として立つことを訴えた。

座談会では、皆が中心者の自覚で、信心の喜びや仏法のすばらしさを叫びぬくのだ。「明るく、希望に燃えた座談会を開く秘訣はあるんでしょうか」と尋ねる壮年に、「特別な秘訣というのはありません。しかし、どれだけの人が功徳の体験を語れるかが勝負です。功徳の体験を披露できる人は、歓喜しているし、生命が躍動している。リーダーとして大事なことは、一人ひとりに功徳を受けさせようという、強い一念と行動です。」

「これが遠回りのように見えても、座談会に根本的な活力をもたらす直道なんです」「まず、あなた自身がしっかりと唱題し、学会活動に励んで、功徳の体験を積んでください。そして、それを生き生きと語っていくんです。さらに新しい人材が育っているかどうかです。」

「ともあれ、マンネリを打破するには、受け身であってはならない。自らが勇んで行動し、戦いを起こすことです」

この年、山本伸一は、年頭から作家の有吉佐和子、評論家の加藤周一の各氏らと意欲的に対談も重ねた。仏法を社会に開くために、各界の第一人者と対話を重ねていくことの大切さを、彼は痛感していたのである。

また、慶応大学会、東京大学会、女子大学会の総会や懇談会にも次々と出席した。彼は、21世紀の社会を担う、一騎当千のリーダーを育てることに必死であったのだ。

そして19日には、九州指導のため福岡に飛んだのである。今度は、九州で創価学会としての青年部総会、本部幹部会が行われるのである。各方面・県は、伸一の構想通りに、自立した力をもつようになり、これまで主に東京で行ってきた大行事を開催できるまでになっていたのである。


太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋

不況に負けない信心

『新・人間革命』第18巻 前進の章 275P~ 

伸一の指導を聞いていた壮年の副本部長坂田益男は、25歳の時、南妙法蓮華教とは何か知りたくて入会した。入会から1年後、九死に一生を得る大事故に遭う。同志が必死に唱題してくれていて1週間後意識が戻るが、6か月の入院と後遺症が出ると医師からいわれてしまう。

病室で、懸命に題目を唱え、2か月半で退院し、医師から「見立て違い」と言われるほどだったが、会社を辞めざるをえなかった。彼は、闘志がわき、自分で事務所を借り仕事を始める。医師からは絶対、夜更かししないようにと言われていたが、笑顔を絶やさず、営業に歩いた。

彼の祈りの根本は、常に広宣流布であった。"仏法の力を証明するために、仕事に勝たせてください!"と祈った。また、顧客が繁栄し、幸せになれるようにと、題目を送り、依頼のあった仕事は、難しい注文もすべて引き受けた。彼のそうした姿勢は、次第に、顧客から高く評価されていった。

時代も技術も、変化、変化の連続である。変化を恐れ、新しき挑戦を忘れれば、人も、会社も滅びてしまう。

坂田が最も心していたのは、いかに自分を律するかであった。自営業というのは、ともすれば、金銭の管理も杜撰になり、つい自分を甘やかしてしまいがちである。事業の行き詰まりの背景には、その甘さが必ずあるものだ。

"仕事で実証を示し、広々とした立派な個人会館をつくりたい"彼は、そう念願しながら、仕事に、活動に励んでいったのである。事業の成功も、根本はどこまでも、信心である。坂田はその事を痛感していた。後に、彼は4階建てのビルを購入し、二階を個人会場としている。30数畳の立派な会場である。

「不況に負けるな!今こそ信心で勝て!」
壮年のあるブロック長は、仕事が激減し、アルバイトをして生計を立てながらも、青年たちに味噌汁やおにぎりなどを用意しておいた。

"変毒為薬の信心だ。このピンチを飛躍のチャンスに変えよう!"それが同志たちの決意でもあった。同志の、何があっても挫けぬ生命力の強さは、信仰から発する智慧は、人を思いやる慈悲の心は、社会にあって燦然と光輝くにちがいない。

1973年12月16日、東京以外の地で初めて、大阪で本部総会が開催された。伸一は、この本部総会の講演で、未来を展望し、高らかに宣言した。「明1974年(昭和49年)を『社会の年』と決めましたが・・・すなわち『社会の年』は、人間こそ原点であるという方向性を、社会に打ち立てる年といえるのであります」

この混乱は、経済の繁栄のみ心を向け、他の一切を切り捨ててきたことにあると、その要因に迫り、「今こそ日本は、"人間とは何か""人間いかに生きるべきか""世界の人びとに対して日本は何をなしうるか"といった基本的な問題から問い直して、進むべき道を切り開いていかなければならない」


さらに、日本をかくも混迷させ、エゴの衝突の坩堝と化した社会をつくり上げてしまった元凶は、生命の一念の狂いにあることを指摘。指導者をはじめ、人間一人ひとりの一念の転換の必要性を、声を大にして訴えたのである。


人間自身の一念を変革せずしては、時代の建設はない。生命の魔性を断ずる、仏法による人間革命なくしては、社会の繁栄はありえないのだ。


使命を自覚した同志は燃えていた。
"今こそ、不況に負けない努力を重ね、見事な信心の実証を示そう!"

広宣流布の使命に生きるならば、わが心は洋々と開かれ、胸中に歓喜の太陽が昇る。

この本部総会で伸一は、世界広布の新たな展開にも言及した。5月に「ヨーロッパ会議」が、8月には「パン・アメリカン連盟」が、12月に「東南アジア仏教者文化会議」が結成されたことを伝えた。そして、「国際センター」の設置を発表したのである。

「いよいよ舞台は世界です。私も戦います」伸一の心は、戦争、経済の混乱等々、世界を覆う暗雲を見すえていた。彼は、英知の翼を広げ、平和の大空に飛翔する瞬間を、満を持して待っていたのである。

<前進の章 終了>


太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋

オイルショック

『新・人間革命』第18巻 前進の章 268P~

戸田先生は、高らかに宣言している。「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」

山本伸一は、徳島の全同志に、この崇高なる使命を、深く、深く、自覚してほしかったのである。彼は、強い力を込めて訴えた。「私たちは一人ひとりが、"時代の財"であり、"社会の宝石"ともいうべき存在なのであります。」

「人間性を輝かせ、もって生まれた長所を光らせ、職場にあっても、地域社会でも、貴重な人材となっていただきたい。そして、それぞれが一生のうちで、世のため、人のため、法のために、なんらかの見事な成果を残していただきたいのであります。」

ある人は折伏の闘将となることを決意し、ある人は職場の第一人者となることを誓った。

このころ、伸一が懸念していたのは、日本経済の行方であり、人びとの暮らしが脅かされつつあることであった。1973年の10月6日第四次中東戦争が始まったことがきっかけであった。

アラブ諸国による原油公示価格の大幅引き上げ、イスラエルを支援するアメリカへの石油供給削減が打ち出され、日本に対しては、原油価格を70%引き上げることが伝えられた。
安価な石油を大量輸入することによって経済発展を遂げてきた日本の衝撃は大きかった。

日本は大パニックに陥った。いわゆる「オイルショック」である。人びとは、世界は深く関連し合っていることを、改めて痛切に感じざるをえなかった。不安は、人間を異常な行動に駆り立てる。スーパーからトイレットペーパーが消えてしまうという事態が生じたのである。

そして、石油危機を契機に、時代は世界的なインフレと不況に突入していくのである。日本はこれまで、豊富で安価な輸入資源に頼って、大量生産、大量消費の構造を築き上げ、経済成長を遂げてきた。だが、この「オイルショック」によって、そうした日本経済の在り方そのものが、転換を迫られることになるのである。

品川区幹部総会に出席した伸一は、人びとの暮らしを圧迫している深刻なモノ不足、物価の高騰に言及していった。伸一は仏法の眼から見た時、社会の混乱の奥にある根本原因は何かについて語ろうと思った。

諫暁八幡抄の御文に『正直の人の頂を以て栖と為し、諂曲の人の心を以て亭ず』八幡の諸天善神は、正直の人の頭をすみかとし、心が曲がった不正直者のところには宿らないというのである。

ここでいる「正直」とは、単に自分の心に嘘や偽りがないということではない。真実の教えや正しい規範に対して正直であるということである。

大聖人は、正直には、「世間の正直」と「出世の正直」の二つがあることを述べられている。「世間の正直」とは、社会での人の道を違えぬことであり、「出世の正直」とは、仏法のうえで真実の教え通りに、誤りなく生きることである。

山本伸一は、人びとの生活を脅かしている、現在のモノ不足、インフレは、資源は無尽蔵であるかのように考え、大量消費を煽ってきた結果であると見ていた。そして、その背後には、欲望に翻弄され、便利さや快適さばかりを求める人間の生き方がある。

歴史学はトインビー博士は、強く訴えた。「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人ひとりの心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができるものです」人間の心が転換されれば、その営みも変わり、社会環境、自然環境をも大きく変えていくことができる。その転換の道は、究極的には人間自身の変革、つまり人間革命しかない。


伸一は、品川のメンバーに、祈るような思いで語っていった。「この社会的な経済危機を乗り越える道は、結局、正法の流布以外にありません。」

「どこまでも、唱題第一に、広宣流布の使命を断じて忘れることなく、智慧を絞り、活路を開くために努力し抜いていくことなのであります。」


太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋

題目の力 一念の勝利

『新・人間革命』第18巻 前進の章 248P~ 

1965年に津田地区が結成された時、地区部長が「池田先生を迎えよう!」と呼びかけ、それが皆の合言葉になっていた。

大原シズの夫は、津田で網元として羽振りのよい生活をしていたが、漁船の遭難で、21人が死亡する事故にあい、二人の息子も亡くした。その後、不幸が続き、家業は倒産することに、さらに、末娘が医療ミスと思われる手術で、亡くなってしまった。シズは、夫とともに大阪にいる三男の豊太の家に住むことになった。

彼は、折伏を受け、入会していた。彼は両親に仏法の話をし、両親は素直に入会を決意した。シズは猛然と題目を唱え始め、喜々として学会活動に励むようになった。「題目をあげたら、必ず、山本先生にお会いできるよ」と言われ、真剣に唱題を重ねた。

山本会長に会いたいという一心で始めた唱題であったが、題目の力は、シズの予想をはるかに超えていた。苦にしていた借金が一つ一つ解決し、数年したころには、一切の借金のかたがついた。

大阪で7年間暮らした彼女は、再び津田の地で暮らし始めた。徳島県幹部総会が行われることを聖教新聞で知った彼女は、伸一が津田を通るのではないかと松原に向かっていた。

松林に立ったシズは去年、皆で「先生に、ここに来て休んでいただきたいね」と語り合いながら、楽しく清掃した時のことが思い返されてならなかった。
感慨にふけっていると学会の幹部らしき人影を見つけ歩いていってみた時、山本伸一と出会ったのである。

仏法に偶然はない。彼女の一念の勝利であり、祈りの勝利であった。「私は、学会によって仏法を知り、先生の指導道りに信心に励み、借金地獄から抜け出せました。たくさんの功徳もいただきました。先生にお礼が言いたくて・・・」

「もうこれで、思い残すことはありません」その言葉を聞くと、伸一は「人生は、まだまだ長い。うんと長生きしてください。もっと、もっと幸せになるんです」「では、またお会いしましょう。何度も、何度もお会いしましょう」といってシズの姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けた。そして、その後も、四国訪問の折に幾度となく彼女と会い、激励を重ねている。

「あのおばあちゃんのように、一途に私を求め、純粋な信心を貫いている方が、学会にはたくさんいらっしゃる。その方々が、学会を支えてくださっているんだ。皆が尊い仏です。」

徳島幹部総会では、「上野殿御返事」を拝した。人びとが財として最も必要とするものは、時代や状況によって異なっていることを述べ、現代において、最も大切な財とは、『人間性』と『希望』『生命力』こそが現代の財であり、さらに、それを発現することができる『人間が信頼するに足る仏法哲学』こそ、根本となる最高の財なのであります」

その財は、すべて創価学会のなかにあるのだ。自らもさまざまな苦悩を抱えながら、皆を幸福にするのだと祈り、願い、走る、わが同志の美しき「人間性」の輝きを見るがよい。

絶望と悲哀の淵から、敢然と立ち上がり、「希望」に燃え、「生命力」をみなぎらせて、自身の人生と社会の建設に取り組む、わが同志の姿を直視せよ。そして、生命の根源の法則を解き明かし、人間の尊厳の哲理を示している日蓮仏法を求め給え。われらは、それを実践し、現実生活の上で、その法理の真実を証明してきたのだ。

法華経法師品には、「是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於いて、衆生を愍むが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演ず」

妙楽大師は、この文を「願兼於業」と釈している。末法に妙法を弘める私たちは、人びとを救うために、あえて悪業を背負い、願ってこの世に出現したのである。苦悩の「宿命」は、仏法の偉大さを証明し、人びとを救うためであり、「宿命」はそのまま「使命」となるのだ。



太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋

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