小説 新・人間革命に学ぶ

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新・人間革命 第16巻

最高峰の技術の集約正本堂

『新・人間革命』第16巻 羽ばたきの章 P292~ 

待望の正本堂建立発願式が挙行されたのは、この1967年の10月12日のことであった。特設された祭壇の脇には、供養に参加した800万人の名簿と、後に基礎部分に埋められる世界135ヵ国・地域の石が桐箱に収められ、供えられた。 


日達法主は、伸一の手で、広宣流布は一気に進んだことを、「願文」のなかで明言した。それは伸一と学会員の功績を称賛する永遠の証である。そして、さらに、伸一が正本堂の建立寄進を発願したことを、賛嘆するのであった。

伸一は、「発誓願文」で正本堂の意義を述べていった。正本堂は、民衆の信心の赤誠で建立され、老若男女の違いや、職業、階級、民族等、いっさいの差別を超え、全世界の民衆が等しく平和と幸福とを祈願する「根本戒壇」であることを、伸一は読み上げていった。

戒壇となる正本堂建立の伸一の誓願は、まさに広宣流布の大誓願にほかならなかった。根本の目的は、どこまでも広宣流布であり、その証、帰結としての戒壇の建立である。

現実に正法が流布されて、人びとの幸福と平和が実現されるからこそ、戒壇は、尊く、偉大なのである。そして、その実践のなかにのみ、仏法の正法正義は流れ通うのである。

山本伸一が最も心を砕いていたのは、参詣者の安全と至便であった。参詣に来た方々が、安全に疲れず、快適に過ごせることを、彼は重要なテーマとしていたのである。

地盤の載荷試験では、当初の設計で要求された1㎡に60tという強度の、3倍以上の荷重強度があることがわかった。長期にわたって十分に建造物を支えうる、強い地盤であることも立証されたのである。

正本堂の建設にあたっては、使用するコンクリートは、最も品質の優れたものにすることが基本方針として定められていた。検討を重ねた結果、コンクリートは、建設現場で製造することにし、砂なども厳選された。厳しい品質試験が行われた。皆が妥協を排して万全を期したのだ。

風洞実験や振動実験等々の各種構造実験は、東京大学宇宙航空研究所などで、日本を代表する専門家の指導を受け、丹念に行われた。

使用する鉄骨に対しても、加工や溶接後の引っ張り試験や衝撃などが厳密に行われたのである。妙壇の15分の1の幅9m高さ4mの大型模型がつくられ、起震機を使って、横揺れ、縦揺れで受ける影響や、風、雪に対する強度試験、妙壇屋根面の梁の強度試験などが繰り返された。

1969年10月12日定礎式が行われた。世界135ヵ国・地域の石を埋める儀式である。日達法主は、この式典の「表白文」のなかで、「正本堂は、本門戒壇の大本尊安置の霊堂にして、梵天帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇也」と、「三大秘法抄」の御文に即して、正本堂の意義を再確認した。

定礎式から、工事は第二期に入った。その工事の大きな山場となるのが、「妙壇」大屋根の支えを解除する「ジャッキダウン」であった。「妙壇」の屋根は東西110m、南北82・5mもあり、完成時の屋根の重量は、約2万トンと想定されていた。

その大屋根を吊り上げるのが、自転車の車輪のように、中央リングから楕円形の縁梁に、放射線状に延びた36本の鉄骨である。この鉄骨の要となる中央リングを、地上約30メートルの高さで支えてきた仮設構台から、ジャッキを使って外す作業が「ジャッキダウン」である。もし、これまでの構造計算に間違いがあれば、どんな事態が生じるかわからなかった。

午前10時5分作業が開始された。そして、午後4時52分最後の11回目のジャッキダウンが行われ終了した。コンピューターの予測数値よりも少ない数値が測定され、柱の傾きもほとんどない。すばらしい技術であった。

正本堂よ永遠なれーーとの関係者の強き一念が、大規模で複雑な難工事を可能にしたのである。
1971年の10月12日には躯体完成式が行われ、工事は、いよいよ最終段階に入った。


太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

正本堂の建築始まる

『新・人間革命』第16巻 羽ばたきの章 P284~ 

伸一は思った。"時が来たのだ。広布の新章節の扉が、開かれようとしているのだ"彼は、正本堂の重要な意義を明らかにした日達法主の話を、深く胸に刻みながら、固く心に誓った。"私は、全精魂を注いで、この正本堂を建設しよう!人類の文化遺産となる世界最高峰の、荘厳な宗教建築にしなければならぬ・・・"

聖教新聞では、この日達法主の話を受けて、「正本堂の建立は実質的な戒壇建立と同じ意義をもつ」と報道した。

また、宗門の機関紙である「大日蓮」でも、法主の発表を、次のように報じている。「戒旦の大御本尊は大石寺の正本堂にご安置申し上げるのが、もっともふさわしい、という趣旨を述べられ、正本堂の建立が実質的に戒旦建立と同じ意義であるという、日蓮正宗の奥義にわたる重大なお言葉があった」

第二回建設委員会では、正本堂建立のための供養をよびかける、御供養趣意書が作成された。この趣意書では、日達法主の発表をもとに、正本堂の建設は実質的な戒壇建立であることを訴えている。

そこには、宗門の総監をはじめ、僧侶21人も名を連ね、当時、宗務院教学部長であった阿部信雄の名もある。阿部は後に法主日顕を名乗り、やがて、先師の日達法主の業績である総本山の建物を次々と破壊し、なんと800万信徒の赤誠によって建立された、この正本堂をも破壊するのである。

正本堂の設計は、奉安殿などを設計した建築家の横田君雄が担当することになった。彼は、大客殿の設計で日本建築学会賞を受賞した建築家で、近代的な寺院建築の先駆者として、注目を浴びていた。横田は、山本伸一と対話し、"妙法を表現できる建築物にしたい。雄大な富士とも調和し、しかも気高く、力強く、そびえるものにしなければならない・・・"思いはさまざまに駆け巡った。

彼は、伸一と日達に同行し、アメリカとメキシコを訪問し、日蓮仏法の世界性を肌で感じた。また、各国の有名な建築物を視察して回った。

正本堂の供養の受付には、全国で約800万人の同志が参加した。各地で、爪に火を灯すように、生活を切り詰め、供養に参加した同志の涙と感動のドラマがあった。

皆が"喜捨"の心で、財を仏法に捧げようと、供養に取り組んだのだ。正本堂の供養は厳しい不況にもかかわらず、創価学会として350億6430万5882円に上った。これは当初目標として掲げていた額の10倍以上の金額であった。

僧侶寺族同心会の1億5787万8265円、法華講の3億1382万162円を合わせ、総額355億3600万4309円となった。

正本堂の場所は、相伝に基づき、大客殿の後方と決まった。正本堂の外観は、「法庭」「円融閣」「思逸堂」「妙壇」の4つに分かれていた。「法庭」は、正本堂全面の広場で、その中央には「湧出泉水」の義にちなみ、八葉の花弁形の大噴水が造れる。「円融閣」は、正面玄関ともいうべき場所であり、妙法蓮華経の5字の意義を込めて、5本の大円柱が立っている。その柱の直径は5・3m、高さは屋根を含めて30mを超えていた。

「思逸堂」は玄関ホールにあたる場所でゆるやかなスロープとなっている。正本堂の中枢部となる「妙壇」には、法華経従地涌出品に説かれた、六万恒河沙の地涌の菩薩の出現にちなみ、6千の椅子席が設けられることになる。

また、内部の空間には1本の柱もなく、世界に類を見ない「半剛性吊り屋根構造」であった。その屋根の形は、羽を広げて大空へ羽ばたく鶴をイメージした、まことに洗練されたデザインになっていた。

建設については、複数の建設会社による、ジョイントベンチャー(共同企業体)方式で行うことが決まった。各社の代表たちも、正本堂という20世紀を代表する宗教建築の建設に携わることに、最高の誇りを感じていた。各企業の代表は、「心を一つにして、歴史に残る大建築にしてまいります」など、口々に決意を披歴した。


太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

正本堂完成奉告大法要

『新・人間革命』第16巻 羽ばたきの章 P270~ 

9月、記念撮影会には、7月の豪雨で被災した多くの人たちがいた。会場の待機場所には、被災したメンバーと、救援隊として駆けつけてくれた同士が再開を果たすシーンが、随所に見られた。

伸一は、「皆さんは、大きな苦難に遭いながら、広宣流布の使命を胸に、"負けるものか!"と、決然と立ち上がられた。そして、自分も大変ななか、被災したあの人を励まそう、この人を救おうと、懸命に奔走されてきた。それこそが、仏の振る舞いであり、地涌の菩薩です。そこにこそ、自他共の幸福と繁栄の根本要因がある。」

「長い目で見れば、今回の災害も、広宣流布の使命を果たすための重大な転機であることが、よくわかるはずです。どうか、一人ももれなく、幸せになってください。すでに正本堂も、その威容を現し、新しい時代の到来を待っています。さあ、未来に羽ばたこうではありませんか!」と語った。参加者は、目頭を潤ませながら、再起への決意を新たにしたのである。

世界中の同志が待ちに待ったその日は、天高く見事な快晴であった。総本山大石寺に建立寄進される正本堂の、完成奉告大法要が行われたのである。富士を背景に、堂々とそびえ立つ白亜の正本堂は、今まさに羽ばたかんと翼を広げた、鶴の英姿を思わせた。

正面には大理石の巨大な円柱が立ち並び、妙壇に入ると、美しい羽根模様の天井が広がっていた。荘厳であった。雄大であった。誰もが、その威容に目を見張った。参加者のなかには、飛行機をチャーターするなどして来日した、海外50ヵ国・地域のメンバーの姿もあった。

伸一は、感慨無量であった。彼の胸には、恩師である戸田城聖の遺言を、実現することができた喜びが満ちあふれていた。「慶讃の辞」を読む伸一の脳裏に、正本堂完成までの幾星霜の来し方が、次々と去来していった。

「正本堂」という名称は、65世の日淳法主が用いている。戸田は、正本堂の建立に思いを馳せ、どこに建てるべきかなど、登座前の日達法主と、構想を語り合っていた。そして、大客殿に次いで、大本堂ともいうべき正本堂建設の大事業を、最も信頼する弟子に託したのである。

第一回の正本堂建設委員会に出席した日達法主は、冒頭のあいさつで、一番大事な、正本堂の意義に言及した。「百六箇抄」の付文に相伝されているように大聖人が遺言された「本門寺の戒壇」建立とは、特別な戒壇堂を建立することではなく、日興上人が相承された大御本尊を御安置した本堂が、そのまま、戒壇になるというのである。

日達は、さらに言葉をついだ。「したがって、今日では、会談の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。」

日達は、正本堂こそが会談の大御本尊を安置するところであり、広宣流布の暁には、この正本堂が、大聖人仰せの『本門寺の戒壇』の意義をもつ建物であることを明らかにしたのである。

そして、彼は、あいさつをこう締めくくった。「この正本堂建立をめざして全力をそそぎ、僧俗一致して偉大な世界的建築となる正本堂を造っていただきたいと思うのでございます。もし、この建立にあたって、少しでも傷がつくようなことがあれば、それは宗門あげての恥にもなりますので、全力を挙げて建設にあたっていただきたいと念願いたします。」

山本伸一は、日達法主の示した正本堂の深い意義為感動を覚えた。「本門の戒壇」の建立は、日蓮大聖人の御遺命である。


当時は、国家の指導者の帰依がなければ、一国の広宣流布は考えられないことから、「勅宣・御教書」を得るように書き残されたが、現在は、「主権在民」である。今日では民衆の意思が、それに代わるものとなろう。

伸一は、広宣流布の暁に、その戒壇となるのが正本堂であるとの日達法主の話に、身の引き締まる思いがした。



太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

災害救援派遣活動

『新・人間革命』第16巻 羽ばたきの章 P256~ 

伸一は、できることなら、米代川の堤防が決壊し、特に被害が大きかった県北の二ツ井町に行き、一人ひとりと会って励ましたいと思った。しかし、その時間を確保することはできなかった。そこで、東京から男子部の幹部を急行させ、救援作業にあたるように指示していたのだ。

学会の救援隊の青年たちは、励ましの声をかけ、オニギリを配りながら、被災者に、何が必要なのかなど、要望を聞いていった。トラックを借り、路上にあふれたゴミの回収に駆けまわったり、清掃作業に汗を流す救援隊のメンバーもいた。

仏法者として、学会員として、困っている人のために何ができるかを、真剣に考えての行動であった。その振る舞いのなかにこそ、信仰の輝きがある。学会の救援隊を見て、感嘆する住民も少なくなかった。しみじみ語った。「こういう時に、信仰している人のすごさが、よくわかるなぁ」それを聞くと、被災した学会員は、奮起せざるをえなかった。苦悩を使命に変えて、同志は次々と立ち上がっていったのである。

西日本では、再び、がけ崩れによる家屋倒壊や浸水など、大きな被害が広がっていたのである。伸一の対応は素早かった。それぞれの地域に救援本部を設置し、学会本部が全面的にバックアップしていくよう詳細に支持していた。

伸一の電報が届くと、島根の幹部たちは、勇気が沸くのを覚えた。皆、意気揚々と救援活動に飛び出していった。希望を配ろう。勇気を贈ろうーーそれが皆の心意気であった。

被災地のメンバーと語らい、励まし続けている伸一は、今、いかなる救援物資が必要緒であり、いかなる激励が大事であるかを、肌で感じることができたのである。リーダーは最前線を走れ、現場に立てーーそれを忘れれば、人の苦悩も、心もわからなくなる。そして、そこから、組織を蝕む官僚主義の悪弊が始まるのだ。動かぬ水は腐る。

中国地方では、広島の三島市の被害が大きかった。そのなかでも、自らも被災者でありながら、率先して救援に動く、一人の男子部員の姿が感動を広げていた。

21歳の渡瀬健也は、病院から退院してきたばかりの母と、高校生の弟と家にいた。父は病で入院中であった。深夜、堤防が決壊し、家が水没し始めた。母を弟力を合わせ、屋根の上に避難させた。濁流に押し流され、ゴムホースの外れたプロパンガスのボンベからガスが漏れていた。

"こんなことで死んでたまるか!わしは生き延びて、広宣流布をするんじゃ。信心の力をみんなにみせちゃる!"救助され、家の後片付けに戻ると、家の壁はなくなり、家財も流されていた。だが、渡瀬は命が助かったこと自体が功徳だと、心の底から感じていた。それが、絶対に再起できるとの、大きな確信となっていた。

地域の男子部員がオニギリを持ってきてくれた。同志の真心の温かさが胸に染みた。壮年の総ブロック長が、学会からの救援物資を配る派遣隊の人たちの道案内をしてほしいと頼まれる。渡瀬は、御本尊に命を救てもらったと思って、感謝の思いでなんでもやらせてもらいますと答えた。

被災者の多くは、戸惑い、途方に暮れ、意気消沈していた。渡瀬は、はつらつと励ましの声をかけた。そして、渡瀬も水害ですべてを失ってしまった被災者であることを知ると、皆が、自分のことばかり考えていてはいけないと、困難に負けぬ、意気軒高な渡瀬の姿に、被災者は勇気を奮い起こしていった。

渡瀬に限らず、自身も被災しながら、災害に負けず、友のために親身になって奔走する学会員の姿が各地にみられた。

嬉しいニュースが届いた。山本会長が、被災地のメンバーとの記念撮影会を行うことが決まったのだ。被災した同志たちの喜びは大きかった。"水害なんかに負けるものか!"皆の胸に闘魂の火がついた。被災地のメンバーは、一日千秋の思いで、記念撮影の日を待った。



太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

秋田を変毒為薬と 渾身の指導

『新・人間革命』第16巻 羽ばたきの章 P242~ 

伸一は、彼女が総ブロック委員をしていることを聞き、「同じ学会活動をしていても、自由なな立場で、気ままに動いている人もいるでし ょう。そうした人を見て"いいな"と思うこともあるかもしれないが、苦労した分だけ、すべて自らの功徳、福運になる。それが仏法の因果の理法であり、その事を確信できるかどうかです。」と語った。

一生成仏への道は、わが生命を磨くことであり、自行化他の題目、つまり広宣流布の活動のなかにこそ、自身の生命を磨き、絶対益幸福境涯を築く道がある。これが、日蓮仏法の教えなのである。

ゆえに、学会員は、そのご指導のままに、皆が「冥の照覧」を、そして、「陰徳あれば陽報あり」の御門を確信し、わが信念としてきたのだ。だから、世間的な利害や損得をかなぐり捨て、広宣流布のため、仏法のために、勇んで苦労を買ってでた。

そこにこそ、創価学会の強さがあり、清らかさがあり正義がある。しかし、この生命の因果の法則を見失い、「己心の外」に絶対的幸福の方法があるように錯覚し、権勢を求めたり、名聞名利や保身に走るならば、それは、仏法からの逸脱であり、浅ましき外道の姿である。

そうなれば、学会も、広宣流布も蝕まれ、崩壊していくことになる。それだけに、雪深い町で、総ブロック委員として、皆の幸福のために献身する大鳥スギに、彼は心から称賛を惜しまなかったのだ。

伸一が、去ると、今度は妻の峯子が大鳥に声をかけた。十分な時間がとれない伸一に代わって、話を聞くためである。峯子は多忙な伸一を、自分がどうすれば、支え、補うことができるか、常に心を砕いてきたのである。

伸一にとって、峯子は、共に広宣流布の大願に生きる、かけがえのない同志であり、会長の重責を担っていくうえで、必要不可欠な「戦友」でもあった。

7月11日、山本伸一は秋田に移動した。会館は、救援対策本部の観を呈した。記念撮影の対象で会ったメンバーへの激励大会がもたれていた。伸一は、会場の前方にくるとにこやかに語りかけた。

「大事なことは、ここから、どうしていくかです。長い人生には、災害だけでなく、倒産、失業、事故、愛する人との死など、さまざまな窮地に立つことがある。順調なだけの人生などありえません。むしろ、試練と苦難の明け暮れこそが人生であり、それが生きるということであると言っても、決して過言ではない。」

「では、どうすれば、苦難に負けずに、人生の真の勝利を飾れるか。仏法には『変毒為薬』つまり『毒を変じて薬と為す』と説かれているんです。信心によって、どんな最悪な事態も、功徳、幸福へと転じていけることを示した原理です。これを大確信することです。

「この原理は、見方を変えれば、成仏、幸福という『薬』を得るには、苦悩という『毒』を克服しなければならないことを示しています。いわば、苦悩は幸福の花を咲かせゆく種子なんです。だから、苦難を恐れてはなりません。敢然と立ち向かっていくことです。」

「もう一つ大事なことは、自分が今、窮地に陥り、苦悩しているのはなんのためかという、深い意味を知ることです。もし、災害に遭った同志の皆さんが、堂々と再起していくことができれば、変毒為薬の原理を明らかにし、仏法の偉大さを社会に示すことができる。実はそのための苦難なんです。」

記念撮影会が中止になったのは、信心に問題があるからなのかと質問した青年には、自然現象だから、どんなに信心強盛な人でも、台風や大雪にも遭う。しかし、それをいちいち信心に結び付けくよくよ悩む必要はない。結果にとらわれ、力が出ないのでは、信心の意味はない。次は、大成功させるぞと新たな気持ちでスタートすればよいと指導。

「どんな時も、未来へ未来へと、希望を燃やし、力強く前進していくならば、それ自体が、人生の勝利なんです。信心の証明なんです」と話した。

太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

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