『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P316~
ある朝、会社から夫の乗った飛行機が墜落したが、夫は無事との電話が入る。藤峰の乗った飛行機は、悪天候のなか台北の空港に着陸しようとして、空港の十数キロ手前で陸地に接触し、民家などに接触し米軍の軍人やその家族などの入会者が増えていた。会場周辺で山本会長に一目会いたいと駆けつけてきたメンバーと記念写真を撮った。
間もなくベトナムに行く人もいるという通訳の話に、「絶対生きて帰ると決めて、真剣に唱題するならば、必ず、守られます。私も、お題目を送り続けます。大切な、使命ある仏子だ、死なせるものですか。そして、永遠の平和のために、妙法という慈悲の利剣を手に、広宣流布の戦士として戦ってください。」
「永遠の平和のために、妙法という慈悲の利剣を手に、広宣流布の戦士として戦ってください」メンバーの目頭が潤んだ。唇をかみしめ、大きく頷く人もいた。
通訳の男性は、アメリカ人のメンバーによって構成される、マーシー地区の地区部長をしている藤峰正則であった。
藤峰は、カナダのトロントで生まれ、戦後一家は日本に戻り、外資系の会派に就職し、酒類のセールスのため、沖縄に派遣された。藤峰は酒を飲むと荒れることが多く、それが、妻の須美代の悩みでもあり、入会の動機であった。
須美代は、入会せず、学会のことを勉強してみようと会合には参加したが、仏法は絶対であると言い切る学会に反発を感じ、学会批判の書物が出ると、すぐそれを学会の幹部に示し、質問していたが、幹部は微動だにせず、一つ一つの問題について、その誤りを明らかにしていった。
どんな質問をしても、いつも理路整然とした答えが返ってきた。学会の会合は明るく希望にあふれていて、3年がたった時、傍観者では体験もつかめない、最後は、実際に自分が信心してみるしかないと入会した。
夫は大反対で、信心するなら離婚すると言われたが、あきらめず題目をあげると本人だけならと言われたが、藤峰が酒乱であることから、御本尊を不敬する恐れから 授与は見送られた。それを聞いた藤峰は、自分のせいだと、御本尊授与に同行することになった。
唱題するうち、酒を飲んで暴れる夫の気持ちを思いやれるようになると、夫の態度も変わった。依正不二である。彼女の一念が変化し、境涯が変わっていったがゆえに、夫が変わっていったのである。
正則は、妻が変わっていく様子に、信仰の力を感じ、「俺もやる」と言って信心を始めたのである。正則は、悩んでいた上司との人間関係が改善し、功徳を実感し、酒を飲んで暴れることもなくなっていった。
藤峰の家は、米軍基地の近くであり、正則が英語を話すことから、夫妻が基地のメンバーを担当することになった。米軍のキャンプの名前をとってマーシー地区とした。マーシーには「慈悲」の意味がある。メンバーはこの名をほこりとし、活動に励んだ。
「永遠の平和のために、妙法という慈悲の利剣を手に、広宣流布の戦士として戦ってください」メンバーの目頭が潤んだ。唇をかみしめ、大きく頷く人もいた。
通訳の男性は、アメリカ人のメンバーによって構成される、マーシー地区の地区部長をしている藤峰正則であった。
藤峰は、カナダのトロントで生まれ、戦後一家は日本に戻り、外資系の会派に就職し、酒類のセールスのため、沖縄に派遣された。藤峰は酒を飲むと荒れることが多く、それが、妻の須美代の悩みでもあり、入会の動機であった。
須美代は、入会せず、学会のことを勉強してみようと会合には参加したが、仏法は絶対であると言い切る学会に反発を感じ、学会批判の書物が出ると、すぐそれを学会の幹部に示し、質問していたが、幹部は微動だにせず、一つ一つの問題について、その誤りを明らかにしていった。
どんな質問をしても、いつも理路整然とした答えが返ってきた。学会の会合は明るく希望にあふれていて、3年がたった時、傍観者では体験もつかめない、最後は、実際に自分が信心してみるしかないと入会した。
夫は大反対で、信心するなら離婚すると言われたが、あきらめず題目をあげると本人だけならと言われたが、藤峰が酒乱であることから、御本尊を不敬する恐れから 授与は見送られた。それを聞いた藤峰は、自分のせいだと、御本尊授与に同行することになった。
唱題するうち、酒を飲んで暴れる夫の気持ちを思いやれるようになると、夫の態度も変わった。依正不二である。彼女の一念が変化し、境涯が変わっていったがゆえに、夫が変わっていったのである。
正則は、妻が変わっていく様子に、信仰の力を感じ、「俺もやる」と言って信心を始めたのである。正則は、悩んでいた上司との人間関係が改善し、功徳を実感し、酒を飲んで暴れることもなくなっていった。
藤峰の家は、米軍基地の近くであり、正則が英語を話すことから、夫妻が基地のメンバーを担当することになった。米軍のキャンプの名前をとってマーシー地区とした。マーシーには「慈悲」の意味がある。メンバーはこの名をほこりとし、活動に励んだ。
激突した。
藤峰の乗った座席のすぐ前から機体は真っ二つに折れていた。隣の人に脱出しないと助からないと言われ、地上まで数十メートルありそうな期待から飛び降りた。暗くてわからなかったが、死ぬよりはいいと飛び降りると彼は、散乱していた荷物の上に降りて、どこにも傷を負うことはなかった。
ふらふらしながら全力で走りだすと 飛行機は火につつまれていた。この事故で、乗員乗客あわせて63人のうち21人が犠牲になった。無事に生還した正則の体験は、夫妻の信仰への大確信を育んだ。
正則は、"自分は、御本尊に命をいただいた人間なんだ。生ある限り、広宣流布のために尽し抜こう!"と報恩感謝の思いで、弘教に、個人指導にと全力で取り組んだ。
飛行機事故から無傷で帰ってきた彼の体験談には、説得力があった。歓喜の波動となって、沖縄中に大きく広がっていった。
太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋