小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

新・人間革命 第13巻

沖縄楽土建設の闘魂

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P371~

名護では、メンバーが「山本先生に絶対おいでいただくのだ」と言って、会員の家に集っていた。しかし、岸山が「名護に来てください」という前に、伸一は、視察のため、船に乗ってしまった。高見がグラスボートという船底にガラスが張ってある観光船に 乗ってもらいたいと用意してあったのだ。

しかし、船は故障し、引き返そうとしたが、干潮で船は帰ってこられず、船は、部瀬名岬を越えてしまい、名護方面へ向かってしまった。

名護の同志は、なんの根拠もないのに、山本会長は来るものと信じて疑わなかった。波止場に向かうと、小さな船が見えた。それが山本会長の乗った船かどうかわからなかったが、皆盛んに、手を振り始めた。

伸一の船は 蛇行を繰り返しながら進み、名護港に接岸した。港には、300人ほどの会員が集まり、『先生ようこそ』の横断幕まで用意されていた。伸一は「私は、ここに来る予定はなかったんですよ。それにしても、皆さんの一念はすごい。引き寄せてしまうんだから」と言った。

子どもの時に視力を失い母を亡くした女子部員には、「決して目が見えないから不幸なのではありません。"信心の眼"を、"心の眼"を開いて、強く生き抜いていくんです。あなたがそうであれば、みんなが希望を、勇気を感じます。あなたは必ず多くの人の、人生の灯台になっていくんですよ」と激励した。

病で苦しんでいる壮年。高齢の方、未来部員等々、伸一は一人でも多くの人に、「発心の種子」「決意の種子」を植えようと、彼は必死だった。

その後、伸一は、コザに寄り、会館建設予定地の視察を行っていると、そこでも、500人ほどの会員が集まっていて、ここでも、皆と対話しながら、渾身の力で激励が続けられた。

沖縄本部に帰ると、寸暇を惜しんで、書籍や色紙に揮毫していった。夜9時過ぎ、国頭から来たという20人ほどのメンバーが到着する。国頭は、本島の北部に広がる地域である。

山本会長が本島の北の方を視察すると聞き、「国頭に先生をお呼びしよう」と懸命に唱題を重ねてきた。そして、それぞれが、最高の真心で山本会長をお迎えしようと、海で海老を獲り、山で果物をとり、地元特産の貝細工や芭蕉布などの民芸品を用意する人もいた。しかし、山本会長が沖縄本部に向かったと聞き、落胆するが、先生がいる沖縄本部に行こうということになった。

支部を代表して、何台かの車に分乗し、3時間以上かかる沖縄本部に向かった。途中、緋寒桜の咲いている家から桜をわけてもらい、本部についた時には、すでに午後9時を過ぎてしまったのだ。

少女が緋寒桜の枝を山本会長に渡す。彼女は幼少期に父親を亡くしていることを知ると、「今日から、私が父親になりましょう」と言って「あなたのことは生涯、見守っています。これから先、何があったとしても、負けてはいけないよ」と話す。

そして、全員の名前と年齢を印したノートを会館に永久保管すると言った。
山本伸一の沖縄滞在は三泊四日にすぎなかった。しかし、その訪問は、沖縄の同志に無限の勇気を与え、楽土建設への、不撓不屈の闘魂を燃え上がらせたのである。

2月度本部幹部会で、学会の世帯が700万世帯を達成したと発表された。わずか2年3か月で100万世帯の拡大である。

「遂に、新しき建設の幕は開かれ、創価の勇者の陣列は整いました。新時代が到来しました。わが胸中に、いや増して勇気の太陽を輝かせながら、いよいよ、歴史の大舞台に躍り出ようではありませんか!」大勝利の獅子吼がこだました。同志の顔に決意が光った。


< 新・人間革命 13巻 終了 >

太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

負けずに生きる力の源泉

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P365~

「岸山さんは、名護の広宣流布に決然と立ち上がったから、過去世の罪障が一気に出て来たんです。信心の旗を掲げ持ったがゆえに、魔も激しく競い起こった。彼女が倒れれば、名護の広宣流布は大きく後退するからです。仏法の視座に立って考えるならば、大苦悩を受ける意味も、明らかになります。」

「娘さんたちは、三世の生命観に立つならば、今世で罪障を消滅し、永遠の幸福の軌道に入るために、生まれて来たということなんです。来世は、必ず、幸せになって生まれてきます。」

「岸山さんが、さらに強情な信心を貫き通していくならば、いつか、きっと、心の底から"そうなんだ"
と確信できる日が来ます。本当の大功徳は、どんな大苦悩に直面しても、決して負けない自分自身をつくり、何があっても、揺るがない大境涯を築いていけるということなんです。それが、絶対的な幸福境涯です。」

もし、岸山さんが、今回の問題を乗り越えていったら、どんなに大きな苦しみを抱えた人にも、勇気を与えることができるでしょう。万人を奮い立たせる力をもつことになるでしょう。大変な宿命を背負っているということは、同時に大使命を担っていることになる。どうか、『負けるな、断じて、負けるな。あなたが、元気であり続けることが、信心の力の証明です』と伝えてください。」と激励した。

富士子は、「私は負けません。名護の人たちに、『学会は正しかった。すごい宗教だ』と言われるまで、頑張り抜きます」
と夫婦ともに、一生懸命信心に励んだ。

米軍の将校が村の困りごとがあるか村長に聞いた時、岸山一家が火事で焼け出されたことを伝えると、基地にある家屋をリフォームして、道路を通行止めにして、トレーラーで家を運んでくれ、家をもらうことができた。岸山夫妻は、家をもらった人として、ますます有名になった。

強い確信を持った夫妻は、毎日弘教に歩いた。富士子は胸を張って言った。「私たちは、長男を病気で亡くし、さらに火事で娘二人を失い、皆さんにもご迷惑をおかけしました。でも、めげずに立ち上がりました。」

「信心をしても、人生にはさまざまな試練があるものです。考えられないような大きな悲しみに出会うこともあると思います。それでも、どんなことがあろうが、負けずに生きていく力の源泉が信仰なんです。私たちは、必ず幸福になります。見ていてください」

その叫びが、次第に、人びとの疑念を晴らしていった。悲しみの淵から、敢然と立ち上がった岸山夫妻の姿に共感し、信心をする人も出始めた沖縄では、あの戦争で何人もの家族を失った家が少なくなかった。そうした辛酸をなめてきた人たちは、岸山夫妻の"強さ"が、いかに尊いことであるかが、よくわかるのであった。

富士子は思った。"仏法は、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と説く。長男も二人の娘も、私にそれを証明させるために、亡くなったにちがいない。いや、その使命を、私に与えるために生まれてきたのだ"

彼女は、亡きわが子たちに誓った。"母さんは、自分の生き方を通して、信心の偉大さを証明してみせる。負けないよ。何があっても負けないからね。お前たちの死を決して無駄にしないから・・・"

また、夫妻は、社会に迷惑をかけたのだから、その分社会に尽そうと、地域への貢献に力を注いだ。
あの火事から、7年余りの歳月が流れていた。岸山富士子を、山本伸一は、包み込むように励ました。



太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

転重軽受の戦い

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P347~

伸一は、自分も夜学に通い、また、30歳まで生きられないといわれていた病弱な体で、貧しかったが、知恵を絞り、時間を捻出して、徹底して学んできた経験を通し、話した。

「鍛えのない青年は、軟弱になり、人生を滅ぼしかねない。ゆえに二部の学生は、最高の修行の場を得ているということなんです。頑張りなさい。」と激励した。

高等部には、人材の要件とは、広宣流布の使命を自覚することであり、人材とは、人格の人であるから、人への思いやり、包容力、自分を律する精神の力、正義への信念と意思等々人格の輝きこそ、人間として最も大事なので、自己の精神を磨き上げ、何か一つでよいから、これだけは誰にも負けない力をつけることが必要だと指導した。

高見は、伸一の行動にまばゆいばかりの真心と大誠実を感じていた。高見は決意した。"今回、山本先生が示してくださった、この真心をもって、沖縄中の人びとを包もう。"

伸一一行が、本島の北に向かっていくと百人ほどの学会員が待ち受けていた。高齢の方も多く、元気な姿そのものが信心の証明になると話し、集った人たちとお弁当を分け合い食べることにした。

そこに、岸山富士子があいさつにきた。彼女は、息子が悪性リンパ腫と診断され、2、3か月の命と診断された時、藁にもすがる思いで、信心を始めたのだ。祈りが通じたのか、長男は退院し、学校にも歩いていけるようになったが、4月半ば、眠るように息を引き取った。安らかな臨終の相であった。

彼女は、"息子が私たちに仏法を教えるためにあえて、難病にかかって生まれてきてくれた。仮死状態で生まれてきた子だった。御本尊様は、治らない病気を治してくれ、生かしてくれという無理難題を聞き入れ、半年も寿命を延ばしてくださった。"彼女は息子は他界したが、寿命を延ばすことができた喜びを、語り、勇んで弘教に歩いた。

年の瀬も押し迫った夜、岸山は、会合のあと、学会員の家に寄って話し込んでいると、家が火事だと連絡が入る。家は全焼し、次男と三男は、無事だったが二人の娘は遺体で発見された。あまりにも過酷な出来事であった。宿命の嵐は、容赦なく岸山一家に襲いかかったのだ。

富士子は号泣したが、"この事故は魔なのだ"と感じ、御本尊への不信をいだくことはなかった。しかし、自分を責め苛み続けていた。留守中に出荷して、大事な二人の娘を亡くしてしまったことが、悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれなかった。

"なぜ、すぐにランプを新しくしなかったのだろう。きっと心のどこかに、信心しているから大丈夫だという思いがあったのだ。それが油断であり、魔であったのだ"また、地区担当員でありながら、地域の人たちにも、学会にも迷惑をかけてしまったことが、たまらなく辛かった。

火事依頼、地域の学会に対する風当たりは強くなっていた。学会員が折伏に訪れると、「あの岸山のところを見てみろ!家を焼き、子どもも亡くしたじゃないか。」組織のなかに動揺が広がっていった。

岸山は唱題したかったが、御本尊も火事で焼失してしまったのである。山本伸一は、報告を聞くと涙をにじませ、胸を痛めた。

「私たち凡夫は、自分が、どんな宿業をもっているかわかりません。大聖人は、本来なら、その罪の報いを未来永遠にわたって一つずつ受けるべきところを、法華経の敵を強く責めたので、大難となって一時に集まり起こったのだと言われている。それは、今世で成仏するためです。」

「しかも、その難は、仏法の功徳の力によって、過去の重罪の報いを現世で軽く受けているのだと、断言なされている。これを転重軽受ということです。つまり、信心をして苦しみを受けるということは、一生成仏への道を進んでいる証拠です。それは、絶対に間違いない。」


太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

環境を変えるのは 一念の変革から

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P334~

沖縄では、兵士による住民への暴行事件なども頻発していた。戦地に送られる恐怖から、兵士たちの心は荒んでいたのである。米軍基地に苦しむ沖縄の住民の怒りは、ますます激しさを増した。そして、反戦反基地の運動が盛り上がるにつれて、住民の米軍兵士への憎悪はつのり、両者の関係は悪化していった。

学会員も、基地の撤去を強く念願していたが、米軍の兵士だからといって、憎悪するようなことはなかった。メンバーの兵士と接触していた学会員の住民たちの目には、抽象化された"米軍"ではなく、「個」としての人間の実像が写っていたのだ。

まさに、住民と米軍という対立を超えて、学会員は互いに友情の絆に結ばれていたのだ。分断は、不信と反目を深めていく。なんでもないことのようだが、こうした人間と人間の交流こそが、平和建設の重要な基盤にほかならない。

マーシー地区は、世界広布の人材を育む、「信心のトレーニンググラウンド(訓練場)」としての役割を担っていったのであった。

伸一が沖縄本部にいることを知った会員が、続々と集まってきた。集まった会員と一緒に勤行をし、「時代は、沖縄の本土復帰に向かって動き出しています。ただ、大事なことは、社会を、環境を変えていくのは、最終的には、そこに住む人の一念であるということです。皆さん方が"私がいる限り、この沖縄を平和の楽土にして見せる"との強い決意で信心に励み、社会の建設に立ち上がっていくならば、必ずや、沖縄を変えていくことができます。」と激励した。

「依正は不二です。自分自身の生命の変革からすべては変わっていくんです。運命を呪い、歴史を呪い、他人を恨んでも、何も問題は解決しません。未来に向かい、何があっても挫けずに、生命力をたぎらせ、知恵を湧現しながら、前へ、前へ、前へと力強く進んでいくんです。」

「皆さんの存在こそが、沖縄の柱です。建設の原動力です。」短時間ではあったが、全生命を傾けての指導であった。


午後、沖縄発の芸術祭が行われた。第二部は、演劇「青年尚巴志」であった。これは、15世紀に琉球を統一した名将・尚巴志の史実をもとに創作した劇で、総勢100名の出演者による1時間半にわたる舞台となった。

シナリオを担当したのは、音楽家で音楽雑誌の編集にも携わってきた、山木厚雄であった。彼は、尚巴志が、父の志を受け継ぎ、民の苦しみを救うために立ち上がる姿と、戦時中から今まで、沖縄の民衆がなめてきた辛酸の歴史が、酷似していると思った。

"師に広宣流布を誓う、弟子の姿に通じるかもしれない。生命の尊厳の哲理をもって世界を結び、人類の恒久平和を実現していく使命がある。その使命に生き抜く師への誓いを、この演劇で示そう"また、皆が力を合わせて、首里城を建設するシーンでは、団結をもって沖縄の新時代を開かんとする、同志の決意を表現しようと思った。「青年尚巴志」は大成功であった。

伸一は、「本土に復帰したあともさまざまな苦労があるでしょう。問題は一朝一夕には解決しないかもしれない。しかし、わが同志がいる限り、みんなの、この心意気がある限り、心配はありません。すべては、人間の一年の姿勢です。意欲です。活力です。」伸一は、片時の休みもなく、同志の激励に奔走したのである。

芸術祭のあと、琉球大学、沖縄大学、国際大学の大学会の結成式に出席し、「戦争の悲惨さを最も知り、過酷な運命と戦い、苦しみ抜いてきた沖縄の出身者が、21世紀のリーダーになっていかなければならない」と期待を寄せた。

2部学生の質問に「全部やると決めて、挑戦していくことです。人生はある意味で死闘といえる。」悩み抜いていくところに成長があり、人間形成があり、それこそが、生涯の財産になると激励した。


太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

真実の平和の建設

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P328~

マーシー地区の藤峰夫妻の悩みは、短期間にメンバーが入れ替わってしまうことであった。メンバーの大多数は、沖縄での任務を終えると本国に帰ったり他の基地に移動していく。やっと成長し、役職につけられるかと思うと、転勤になってしまうのである。

しかし世界中に移転したメンバーから 活躍している様子を知らせる手紙を見るたびに、夫妻の悩みは、喜びに変わった。

「マーシー地区は、世界広布の基地になっているんだね。この地区から陸続と人材が世界に飛び立っていく。」「皆、世界広布を担う人たちなんだから、一人ひとりを大人材に、全員が、勤行も、折伏も、教学も、信心の基本はすべて身につけられるように、頑張ろう」と決意した。

藤峰は、このマーシー地区が沖縄の軍事基地にできたことに不思議な感じがした。地区のメンバーは、皆、戦争という忌まわしい重荷を背負っていた。それゆえ、誰よりも平和を愛し、皆が、自身のさらにアメリカという国の、人類の宿命の転換を、真剣に願っていた。唱題にも必死さがあった。

二人は、どうすれば、メンバーがより早く成長できるか、考え抜いた結論として、それぞれが、功徳を受け、仏法の力を体験しなければならないということであった。それには、勤行・唱題とともに、折伏を実践していくことが最も大事であると思った。

新入会者には、組織のメンバーが交代で勤行指導に通い、翌日から一緒に弘教に歩いた。日本語の会合では、英語に訳してノートに書き、それを皆に見せた。藤峰夫妻の奮闘で、アメリカ人メンバーは、短日月のうちに、目覚ましい成長を遂げていった。

基地の兵士たちは、夕方になれば、飲食店街に繰り出し、酒を飲むのが常であった。明日にも、ベトナム行きを告げられかねない状況のなかで酒を飲むことが、恐怖を紛らわす唯一の道であったからだ。しかし、学会に入った兵士は、朝晩、部屋でお経を読み、夜は、会合に出かけていく。帰りは、酒も飲まないのに、頬を紅潮させ、意気揚々として戻ってくるのだ。

そんな様子に興味をもった兵士たちから尋ねられると、仏法対話が始まり、座談会に出席した兵士たちが次々と入会していったのである。いつ戦場に行くかもしれないなかで入会した彼らの信心は純粋であり、求道心は強かった。だから、功徳も大きかった。

ある青年は、ベトナムの戦地に派遣され、襲撃を受け、テントを飛び出し、皆と一緒に避難したが、御本尊を取りに一人で戻った。これが生死の分かれ目になり、非難した兵士たちは全滅したのである。

また、パラシュート隊を希望したが、願いがかなわず落胆していた青年だったが、その隊はベトナムに送られ、ほとんどの人がいのちを落としていた。こうした体験は、枚挙にいとまがなかった。それが確信の源泉となっていったのである。

マーシー地区のメンバーは、「真実の平和とは何か」「人間は、いかに生きるべきか」と言った問題を、誰よりも真剣に考えていた。ある兵士は、戦地で、襲撃を受け、マシンガンを乱射した。翌朝、自分が殺してしまった敵の兵士の遺体を見て、自分を呵責し続けた。

彼は座談会に出席した時、「仏法で平和が 築けますか」と質問すると幹部は、明快に答えた。「仏法でなければ、真実の平和は築けません。戦争といっても、それを引き起こすのは、結局は人間です。ゆえに、平和の建設は、人間の生命を変革し、憎悪の心を慈悲に、反目を友情に変える以外にない。その人間革命の道を教えているのが、日蓮大聖人の仏法なんです。」

「兵士として戦場を走り抜いてきたあなたは、戦争の悲惨さを誰よりも知っているはずです。だからこそ、崩れざる平和を建設使命と責任があると思います。」との話に、兵士は入会を決意した。


太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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