小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

師弟

悪戦苦闘を突き抜けて

『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 367p~

伸一は、支部長・婦人部長が「師弟不二の人」となり、"山本伸一"となって立ち上がり、勝ってほしかった。そうなってこそ、広宣流布の洋々たる未来が開かれるからだ。

伸一の指導となった。彼はまず、「感謝の信心」について語っていった。「御本尊、仏への報恩感謝の行動として供養があります。供養には、財物を供養する『財供養』と、仏を恭敬、礼拝する『法供養』があります。弘教や同志の激励に歩くことは、『法供養』にあたります」

大事なことは、御本尊への、その御本尊を教えてくれた創価学会への感謝の念をもって、喜び勇んで広宣流布の"戦い"を起こしていこうという"心"である。"感謝"ある人には、"歓喜"がある。そして、燃え立つ歓喜の生命こそ、挑戦、全身、勝利、幸福の活力源となるのだ。

伸一は、幹部として学会活動に励む同志の労苦を、誰よりもよく知っていた。だから、その意味を再確認することで、皆を励まし、元気づけたかった。「時には、"どうして、道理、真心が通じないのか"と、投げ出してしまいたい思いをすることもあるでしょう。しかし、大変であるからこそ仏道修行なんです。

人びとの幸せのために尽くす姿は、仏の使い以外の何ものでもありません。地涌の菩薩でなければ、決してできない尊い行動です。忘れないでいただきたいことは、会員の皆さんがいて、その成長のために心を砕き、献身することによって、自己の向上があるということです。

つまり、幹部にとって会員の皆さんは、すべて、人間革命、一生成仏へと導く善智識になると確信していただきたい。また、後輩の支部員の方々は、先輩幹部が先に立って、皆が成仏の山頂に登れるように、進むべき方向を示し、叫んでくれていることに、無量の感謝をすべきです」

伸一は、最後に、「生涯持続の信心」を呼びかけた。「信心は一生です。大きな峰を越えると、さらに大きな峰が待ち受けている。しかし、信心の炎を燃やし、それらを登攀し抜いていくのが広宣流布の道であり、その帰結が一生成仏というゴールなんです。

勇気を奮い起こして、自身の悩みの克服、宿命の転換をかけて、一歩、また一歩と進んでいってください。戦いのたびごとに、功徳の実証を示していくんです。一生涯、信心を貫き通していった人が、信仰の真髄を会得した人といえます」本部幹部会は、歓喜のなかに幕を閉じた。

伸一は、支部制は着実に軌道に乗りつつあるとの、手ごたえを感じていた。そして、その支部制を、さらに盤石なものにしていくには、男女青年部の強化に力を注がなければならないと思った。

本部幹部会が行われた翌日、信越から東京・立川文化会館に男子部員が集ってきた。信越男子部幹部会に、伸一の闘魂に満ちあふれた力強い声が響いた。「『さあ、出発しよう!悪戦苦闘を突き抜けて!決められた決勝点は取り消すことができないのだ』

信心は、持続が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰性です。"さあ、出発しよう"と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。

悪戦苦闘ーーこれは、広宣流布のために、必ず経なければならない道程なんです。偉業を成した人は、皆が、迫害、非難、中傷にさらされ、ありとあらゆる苦難と戦っています。」

「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない」

伸一は、創価学会の運動の意義に言及していった。「学会は日本一の大教団となり、職業も年齢も異なる、まことに多種多様な人びとが集っております。そのなかには、すぐに感情的になってしまう人や、非常識な人もいるかもしれない。そのすべての人を包容し、最も悩み苦しんでいる人たちに根底から光を当てて救済し、幸福を実現してきたのが創価学会です」

「人生の勝利は、持続の信心のなかにこそある。そして、当面の課題、戦いに、全力でぶつかり、今を勝つことです。それによって、自分の苦悩を一つ一つ乗り越え、自身の境涯を開いていくことができる。すべての広宣流布の活動は、自分が幸福になり、人生に勝利するためにある。苦労した分は、すべて自分の功徳、福運となっていくんです。いいですか!今、何をするかですよ。時は決して待ってはくれない。今、立つんです。」

以来、「さあ、出発しよう!」は、信越の男子部だけでなく、全学会青年部の日々の決意となり、合言葉となっていった。









太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
0

わらじ履きの足立支部長

『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 353p~

栄光の歴史を刻んだ足立支部の、初代支部長・婦人部長が、藤川秀吉・多恵夫妻であった。
多恵は、夫が戦争に召集されると、夫に代わってたった1日教わっただけの溶接業を受け継ぐ。心細く、生きていく自信さえ失いかけたとき、創価教育学会に入会する。初代会長・牧口常三郎の時代である。

多恵は、牧口から 戦地の夫に毎日手紙を出すよう言われ、「南無妙法蓮華経と三度唱えて下さい」と記した。夫は欠かさず、題目を唱えるようになった。牧口から、「必ず難が競い起こります」と指導され、会長らが、次々捕らえられても、先生のおっしゃる通りになったと、仏法への確信を深め信心を貫いた。

終戦後、復員した夫は、学会に入会した。生きて帰れたことに、仏法の力を感じ、純真に一途に、信心に励んだ。秀吉は戸田城聖の指導どおり、実践のなかで信心を学び、戸田が仙台へ行くときは、妻が着物を質屋に預け、旅費を工面し、「帰りの汽車賃がなければ歩いて帰っておいでね」と送り出した。

秀吉は同志の激励に歩き回り、靴がすぐに磨り減るので、安いわらじを履いて歩いた。そして、1951年に"わらじ履き"の支部長が誕生するのだ。

初の「足立会」の集いには、藤川夫妻の元気な姿もあった。山本伸一は、「皆さんは、戸田先生の薫陶を受けて育った"学会の宝"の方々です。その皆さんにお願いしたいことは、戸田先生に自分が育まれたように、後に続く人材をつくっていただきたいということです。

人材は、一朝一夕には育ちません。多くの時間と労力を必要とします。しかし、人を育てる以外に、広宣流布の永遠の未来を開く道はないし、それに勝る聖業もありません。皆さんが人材育成の範を示して、支部幹部や大ブロック幹部の方々に、その方法、在り方を教えていっていただきたい。

先輩の皆さんは、常に後輩と共に動き、その敢闘の精神と実践とを、伝え抜いていっていただきたいのであります」

「広宣流布の前進には"時"がある。その一つ一つの"時"を逃すことなく、全力で仏道修行に励み抜いてこそ、自身の使命を果たし、一生成仏することができるんです。今、学会は、広布第二章の『支部制』が発足し、未来万年の流れを開く"時"を迎えました。今こそ総立ちすべき"朝"なんです。

過去に縛られるのではなく、今現在を大切にし、未来に向かって生きていくことが大事です。それが仏法者の生き方です。昔の栄光に酔っているのではなく、『今、どうしているのか』『未来のために何をしているのか』が大事になるんです。

2月度本部幹部会が開催された。「支部制」が本格的にスタートして以来、初めての本部幹部会であった。会場を沸かせたのは、支部婦人部長を代表して登壇した、目黒区の向原支部婦人部長・西峯富美の活動報告であった。

彼女は結婚した時、夫の勧めで入会したが、活動はしなかった。しかし、生まれた長男が生後4か月で肺炎にかかり、他界した時、宿命の厚い壁を感じ、亡くなった子の分まで、信心に励もうと決意し、学会活動に励むようになった。

自営の中華料理店が大火災になりかけたとき、近所の人たちが消火してくれ、小火ですんだ。"守られた"と思った。以来、夫妻は感謝の思いで地域の交流に励んだ。支部の大藪真理子という婦人の体験が、座談会用の体験レコードとして全国に配布され、大きな感動を広げた。

支部のメンバーは、身近な同志の体験に強く共感し、"私も苦難を克服できないわけがない。胸を張って体験発表できるようになろう!"と唱題に、折伏・弘教に、喜々として取り組み始めた。

一つの功徳の体験は、友の心に、勇気と確信の火をともす。それがまた、さらに新しい体験を生み、組織中が功徳の喜びの光に明々と包まれていくーーこれが、そのまま広宣流布の広がりとなるのだ。

伸一は、西峯の報告に耳を傾けながら、支部幹部が自分と同じ一念で、"何としても皆を幸せにしよう!"と、広宣流布に邁進してくれていることが嬉しかった。「師弟不二の道」とは、師の表面的な姿を真似することでもなければ、指示を待って、言われたことだけを行ってよしとする、受動的な生き方でもない。

それは、弟子が師の心を心として、同じ一念に立つことから始まる。そして、師に代わって、広宣流布の全責任を担い立つなかにある。つまり、師の指導を深く思索し、わがものとして、人びとの幸せのため、広宣流布のために、勝利の旗を打ち立てていくなかにこそあるのだ。


太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
0

人生総仕上げの戦いを勝利するために

『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 343p~

伸一は、学会伝統の、"一段とび指導"について言及していた。「活動の軸となるリーダーを育成、強化し、組織を発展させる原則として、"一段とび指導"は大事な観点といえます。ともあれ、誰が責任をもって後輩を指導し、育んでいくかを、明確にすることが大事です。指導、激励の網の目からこぼれてしまう人を出しては絶対になりません」

支部という活動推進の大切な要となる組織のリーダーとして、広宣流布を担っている支部長、支部婦人部長の苦労は、並大抵のものではあるまい。しかし、一生成仏に至る仏道修行が、容易ではあろうはずがない。

「皆さんの組織のなかには、愚痴や文句ばかり言う方もいるでしょう。入会しているのに、学会に反感をいだいている方もいるかもしれない。また、なかなか、こちらの誠意が通じない方もいるでしょう。なかには、隣近所や一族からも疎んじられている、孤独な方もいるかもしれない。

そのなかで、わが地域に仏法の人間共和の都をつくろうと、広宣流布の指揮を執る皆さんのご苦労を、私はよくわかっているつもりです。その方々を、三世十方の諸仏が守護しないわけがない」参加者は伸一の大確信に触れ、込み上げる歓喜のなか、新しき法戦への決意を固めた。

2月1日山本伸一は、3月末に落成する、荒川区町屋の荒川文化会館周辺を車で視察した。同乗していた幹部が、伸一に尋ねた。「先生は、昭和32年の夏季ブロック指導で荒川を担当し、わずか1週間で区の会員世帯の1割を超える二百数十世帯の弘教を成し遂げられました。その戦いの原動力は、なんだったんでしょうか」

山本伸一は、言下に答えた。「みんなに、絶対にしあわせになってもらいたいという一念です。あのころ、どの人も貧しく、失業や病、家庭不和など、さまざまな悩みを抱え、宿命に押しつぶされそうだった。それを打ち破り、宿命を転換していく道は、皆が地涌の使命を自覚し、広宣流布の戦いを起こす以外にないーー私は、同志と会っては、そのことを叫び抜いたんです。

期間は短かったが、皆が、"この戦いで、弘教を成し遂げ、悩みを乗り越えてみせる"と懸命に唱題した。勇気をもってぶつかり、必死になって戦った。誰かに言われての戦いではなく、自身の生命のうちから噴き上がる闘魂の実践になっていったんです。

学会の勝利の歴史といっても、同志が仏法への確信を深め、歓喜と幸せを実感してこその勝利であることを、リーダーは決して忘れてはならない」

「さらに、私が荒川区で力を出し尽くすことができた最大の理由は、"広宣流布の後事は、すべて大丈夫です"と言える拡大の実証を、戸田先生にご覧いただこうと、決意していたことです」

「あの年の夏、先生が生涯の願業とされた75万世帯達成の頂は見え始めていた。その達成は、戸田先生の人生総仕上げとなる戦いだった。なんとしてもの昭和32年中には、それを成し遂げ、先生に安心していただきたかった。そして、私は、その原動力になろうと思ったんです。

師匠の総仕上げの戦いというのは、弟子の大成を見届けることなんです。つまり、弟子が、『先生!わが勝利を、ご覧ください!』と、師匠に胸を張って報告できる実証を示すことなんです。それが師弟不二です。私は、そう心を定めたからこそ、力が出せた。勇気と知恵を沸かせることができた。

"広宣流布の師匠に応えよう!"と、弟子が燃え立つとき、師匠の師子王の生命が、わが胸中に脈打つんです。つまり、師弟不二の自覚に立てば、師と共に広宣流布の大使命を担う、久遠の自身の生命が脈動する。そこに、最大の力がみなぎるんです」

学会の草創期を担ってきた先輩幹部たちが、支部長をいかに支えるかに、勝敗の大きなカギがあると考えた伸一は、そのメンバーの集いにも、万難を排して出席するようにしていた。

2月9日には、草創の足立支部出身の代表からなる「足立会」の初会合に臨んだ。

1951年、草創の12支部がスタートした時、足立は B級支部であり会員世帯数は500であった。しかし、足立支部は、着実に弘教の力をつけ、それから1年半後には、4200世帯を超え、大支部に発展。さらに、1957年3月には、"弘教日本一"の栄冠に輝くのである。

太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
0

広宣流布の総仕上げの3つの指針

『新・人間革命』第26巻 厚田の章 93p~

芳子は、伸一が歌を揮毫してくれた色紙を目にした時、それまで胸の底に淀んでいたものが、取り除かれる気がした。"自分はなぜ、あの日「洞爺丸」に乗らずに救われたのか。""私には北海道広布の使命があったからこそ、生きているんだ!これからは、あの事故で自分の命は終わったものと思って、我が人生を広宣流布に捧げよう!"

芳子は、北海道女子部の副部長として嵐山春子を支え抜いた。嵐山が病のために他界すると、"嵐山さんは私に、生きることのすばらしさ、ありがたさを教えてくれたんだ!"嵐山の分まで戦って、戦って、戦い抜こうと思った。

生きて信心に励める人には、他界した法友の志を受け継ぎ、戦う使命がある。それが故人への最高の回向となるのだ。

石狩川の渡船場に立った、伸一は、戸田城聖と共に船上で語り合った言葉を思い出した。伸一は、北海道は、『恩義口伝』を研鑽御書とすることを提案する。「『恩義口伝』は難解かもしれない。それでも挑戦し、一節でもいいから、身で拝そうとしていくんです。すごい力になるよ。」

伸一は、7日には、厚田の戸田講堂での勤行会に出席した。ここでは、広宣流布の総仕上げの、3つの指針を示した。「第一に、あくまでも自身の人間革命を活動の根本としていくことです。自身を磨き、人格を輝かせていくことが、信仰の最大の実証となるからです。第二には、地域を大事にし、近隣との深い信頼関係を結ぶ、友好活動の継続です。友好、信頼の拡大は、仏縁の拡大になります。第三には、一家の信心継承です。子に、孫に、甥や姪にと、信心が受け継がれていってこそ、広宣流布の永遠の流れがつくられ、一族の永続的な繁栄もあります。」

伸一は厚田での一回一回の集いに、全身全霊を注いだ。激風にも、激浪にも、微動だにせぬよう、北海道の同志に、黄金の指針を残しておきたかったのである。

「大ブロックこそ、創価学会の縮図であり、大ブロック幹部は、地域広布の要です。学会活動のさまざまな事柄が、大ブロックに集約される。弘教や機関紙誌の購読推進、座談会の結集等々、日々、あれもこれも、たくさんのことが滝壺に降り注ぐように集まってくる。それを受けて立ってくださっているのが皆さんであることを、私は、よく知っております。ともすれば、疲れて、歓喜も失せてしまい、ただ言われたことをこなしているという感覚に、陥ってしまうこともあるかもしれない。しかし、受け身になってしまえば、力は出ないし、喜びもありません。

そんな自分を、どう鼓舞していくかーー実は、そこからが本当の信心の戦いなんです。受け身の生命を打ち破るために、私たちの活動は、すべて広宣流布の聖業であり、仏に代わって、仏の使いとして、誉の行動をしていること、最高の社会建設の実践を行っていることを思い起こしていただきたい。

そして、わずかな時間を見つけては、真剣に唱題していくことです。さらに、一行でも、二行でも御書を拝し、さらに、学会の指導を学び、なんのための信心であり、仏道修行であるかを、確認していくことです。また、信心の触発を与えてくれる先輩など、同志の存在が大事です。人間は孤立し、一人になると、どうしても弱くなってしまいがちです。そうならないために、互いに励まし合っていける善友が必要なんです」

「活動に際しては、常に積極的であることです。さらに、組織としての目標だけでなく、自分個人の目標を明確にし、その成就と、自身のさまざまな苦悩の転換をかけて、祈り抜いて戦っていくんです。『広布の勝利』は『生活の勝利』になります。『活動の歓喜』は『人生の歓喜』になります。『学会活動が大好きだ!』『折伏が大好きだ!』という人の境涯は、仏なんです」

「皆さんのなかには、役職的には低いように感じている方もいるかもしれない。しかし、それは組織上の役割の問題であって、信心の厚薄や境涯の高低ではありません。私どもの信心は御本尊直結です。広宣流布を決する最も重要なポジションであり、信心を深める理想的な立場が、大ブロック幹部ではないかと私は思っています。私も大ブロック長として戦いたいんです。苦労も多い分だけ、最も喜びがあるではありませんか!」

伸一は、指導を終え、厚田の戸田講堂を出発し、東京へ向かったのだ。"世界広布誓願の師弟の天地・北海道に勝利あれ!栄光あれ!"と祈りながらーー。

<厚田の章 終了>


太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
0

生の仏と死の仏 日蓮仏法の死生観

『新・人間革命』第26巻 厚田の章 75p~

追善法要のあいさつで、伸一は、日蓮仏法の死生観について語っておこうと思った。彼は、「上野殿後家尼御返事」を拝した。「私たちは、必ず臨終の時を迎えます。しかし、生命は永遠です。自分の生命がなくなるわけではありません。大宇宙に冥伏するんです。ちょうど、一日を終えて、眠りに就くようなものです。時が来れば、また生まれてきます。

死んでも、三世にわたる生命の原因と結果の法則は一貫していますから、宿業も、福運も、使命も、境涯も、そのまま続いていくんです。広宣流布に生き抜いた人は、仏・菩薩の境涯のまま、『死の仏』となるんです。

生きている時は『生の仏』であり、亡くなってからも『死の仏』となるーーそれを日蓮大聖人は『即身成仏と申す大事の法門』といわれているんです。また、信心していても、事故や災害等で、他界する人もいるでしょう。しかし、信心を貫いてきたならば、過去遠遠劫からの罪障を消滅し、一生成仏することができます。

経文にも、"悪い象に殺されても、地獄などに落ちることはない"とあります。悪象に殺されるとは、広く解釈すれば、事故や災害に遭って命を失うことともいえます。しかし、それによって、信心が破られることはないから、成仏できるんです。いかなる状況で死を迎えたとしても、生命に積んだ福徳は崩れません」

大聖人は、仏界の生命を確立して亡くなった方は、死後も、すぐに、九界のこの世界に帰って来て、広宣流布の大舞台に躍り出ると述べられた。生死は不二である。生と死は、別のものではなく連続しており、いわば表裏の関係にあるといってよい。

死して「死の仏」となるには、現世において、「生の仏」とならねばならない。しかし、今世の時間には、限りがある。したがって日蓮大聖人が、「臨終只今にありと解りて信心を致して」と仰せのように、"今しかない"と心を定め、一生成仏をめざし、一日一日を、一瞬一瞬を、地涌の菩薩の使命である広宣流布に生き抜くことが肝要なのである。

戸田城聖は、「死んでしまえば、おしまいだと言うのなら、仏法は必要はないことになるではありませんか。この生命が永遠だと叫ぶ。永遠であるから御本尊をきちんと拝んで、仏の境涯をつかまなければいけないと、やかましく言うのであります」

自殺にも言及し、「この肉体というものは、法の器と申しまして、仏からの借り物になっております」と述べ、その大切な仏の入れ物を、勝手に壊してはならないと、力説している。仏縁を結んだ人は、いつか、必ず御本尊と巡り合える。また、周囲の人びとの題目は、故人をも救い得る力となる。それが仏法の力であるが、自ら命を絶ち、福運を消してしまう人を、絶対に出したくなかったのである。

生命は永遠である。ゆえに、老いとは、終局を待つ日々ではない。今世の人生の総仕上げであるとともに、次の新しき生への準備期間なのである。命の尽き果てるまで、唱題に励み、師と共に、愛する同志と共に、広宣流布の大願に生き抜いていくのだ。そして、わが生命を磨き高め、荘厳なる夕日のごとく、自身を完全燃焼させながら、大歓喜のなかでこの世の生を終えるのだ。希望に燃えるその境涯が、そのまま来世のわが境涯となるからだ。

自分の来し方を振り返り、決意を噛み締める一人の婦人がいた。北海道婦人部長の斉田芳子であった。
彼女は東京へいくため、洞爺丸に乗る予定であったが、結核の持病が悪化し、前日に足を怪我し、行けなくなった。その洞爺丸が沈没し、友人十数人が亡くなった。芳子は、人間の力では抗することのできない運命の不条理を感じた。

誘われ座談会に参加し、そこで母も、父、弟、妹も一緒に入会した。交通事故で「再起不能」と言われていた父が歩けるようになり、寝込んでいた母も、家事ができるようになり、この体験を目の当たりにした芳子は懸命に信心に励んだ。

幹部である芳子が教学部員になっていないからがんばらなくてもいいという女子部員の話を聞き、「率先垂範」の重要性を身に沁み、必死で勉強し、教学部助教授補になった。家計のほとんどを支えながら、洋服を買うこともできない生活が続いたが、"今こそ、宿命転換の時なんだ"と何があっても負けずに信心を貫いていこうと決意する。


太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
0
カテゴリー


新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


→メルマガで届く 『小説 新・人間革命』に学ぶ
ブログでは 言えないこと

メルマガ『勝利の哲学 日蓮大聖人の御書に学ぶ』