小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

宿命転換

広宣流布の大ドラマ

『新・人間革命』第22巻 新世紀の章 139p

山本伸一は、ハワイに到着したブラジル、ペルーの代表を宿舎に招いて、懇談のひと時をもった。「すべてを変毒為薬できるのが信心です。ゆえに、『ブラジルは勝つ』と、私は宣言しておきます」

「苦難に打ち勝とうと思えば、懸命に題目を唱えるし、何事にも必死になって取り組んでいく。そうすれば、力も出るし、自分を磨き、鍛えることができる。これが、勝利のバネになる。」

「ハッピーエンドの映画やテレビドラマも、艱難辛苦があるから感動を呼ぶ。皆さんは広宣流布の大ドラマを演じているんです。大試練がなければ、物語は成り立ちません。『苦難即栄光』『苦闘即勝利』なんです」

哲学者ヒルティは明言している。「苦しみを通してのみ、人生の真の使命が実現される」「ブラジルに限らず、これまで、国や社会の理解がなかなか得られずに、苦闘していることころがたくさんあります。」

「今、ブラジルは、大発展のための根を張り巡らしているんです。地中は暗く、根を伸ばすことは労作業です。しかし、根を張り巡らしていくならば、やがて芽も出る。茎も伸び、大きな花が咲く。時をつくり、時を待つんです。絶対に負けてはいけない」

7月25日、3日間にわたる「ブルー・ハワイ・コンベンション」の開幕の日を迎えた。この日の午後、山本伸一はワイキキの浜辺近くに完成した「ポリネシア村」を訪れた。これは、ポリネシアの島々の文化遺産や伝統を、世界の人びとに知ってもらい、理解を深める一助にしたいとの目的でつくられたものだ。

「この村を建設するのに使っている竹のほとんどは、ハワイ州政府が提供してくれました。これも、山本先生への深い尊敬と信頼があったからこそです。」伸一は語った。「そうした感謝の思いをいだけるのは、心が豊かだからです。」

コンベンションの開幕となる「ゴールデン・ハワイアン・ナイトショー」が始まった。出演者は、アメリカを代表する一流の芸術家のメンバーである。会場には、来賓として、ドミニカ共和国の副大統領や、パナマの駐ドミニカ大使などが出席していた。

山本伸一は、演技の合間をぬってあいさつに回った。伸一は、すべての来賓に、SGIのこと、仏法のことを、正しく理解する契機にしてほしかった。それには、誠実なあいさつ、真心の気遣いが重要になる。人間の振る舞いの中にこそ、思想、哲学も、信念も現れるからである。ゆえに、仏法者ならば、まず、万人を包み込む、春風のような、さわやかなあいさつを心がけることだ。

ひときわ大きな喝さいを浴びたのは、ジャズピアニストのハリー・ハンクスであった。ハンクスが信心を始めたのは32歳の時、既に彼はジャズ界をリードする存在として脚光を浴びていたが、自らの音楽に行き詰まりを感じていた。

ある日、コンサートで演奏したベース奏者ブルース・ウイルマーのソロ演奏に感動したハンクスは何か心境の変化があったのかと尋ねると、交通事故の後遺症で苦しんでいた妻が信心を始めて、病を克服し、自分も入信し、ハンクスも信心できるよう祈っていたというのだ。

信じがたいと思う彼に「初めから信じる必要はない。信じられなくとも、実践してみれば結果が出る。そうなれば、必ず信じるようになるよ」ハンクスは"地球の重力は信じようと信じまいと、現実に存在する。仏法という生命の因果の法則があるのならば、確かに実践することによって、なんらかの結果が出るに違いない"そして、彼は入信を決意したのである。

彼は祈っては、いろいろな音楽スタイルに思いをめぐらせた。唱題で開いた新境地であった。ほどなく、ハンクスらのレコードは150万枚の大ヒットとなった。

伸一は、ハンクスをこう励ました。「あなたはジャズ界の王者になる人です」それはハンクスの永遠の指針となった。

どんな人でも、その存在には重要な価値があり、誰もが、その人でなければできない使命を持っているということも実感できるようになった。ハンクスは新しい視野が開け、自分が大きく変わっていくのを感じた。


太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋

ヒロシマの心

『新・人間革命』第22巻 新世紀の章 125p 

メンバーは設営作業の総仕上げに、全力を注いでいた時、浮島に地元テレビ局が突然取材にやってきた。スタッフが不在で、舞台設営の責任者であるチャーリー・マーフィーが応対した。

キャスターは「どうして仏教徒が、アメリカの建国二百年を祝うのか」などを尋ねたあと、皮肉めいた口調で言った。「相当な費用がかかっているが、そのお金をベトナムの孤児とかに使おうとは思いませんか」

マーフィーは確信をもって答えた。「そうした活動も、もちろん大事です。でも、そのためには、市民の一人ひとりが、勇気と希望をもって、平和のために行動していこうという心を、呼び覚ましていくことが必要です。つまり、多くの市民に、生命の輝き、生命の尊さを伝え、平和への決意を触発するメッセージを送ることです。それがあってこそ、平和への大きな潮流が広がっていきます。その催しこそが、コンベンションなんです」

マーフィーは、経済的に不自由はなかったが、常に空虚さをかかえていた。その頃、美大の学友が入信し、日ごとに明るく、はつらつと変わっていく姿を目の当たりにして、自分も入信した。

音楽隊に入隊した時、山本会長が音楽隊に贈った指針の英文を、皆で朗読した。「偉大な哲学の実践は、とうとうと流れる大河のごとく、民衆の息吹となり、躍動となって、必ず偉大なる音楽とあらわれ、その民族の大いなる前進のエネルギーとなってきたのである」彼は衝撃を覚えた。


マーフィーは、芸術に限らず、科学、教育、政治など、文化のすべてが、人間のため、民衆のためにあり、民衆こそが時代を建設する力なのだとの確信を深めていった。この考えは、彼の信念となっていった。

伸一は、交流団の代表と懇談のひと時をもった。「信心の要諦について、話をさせていただきます。信心したからといっても、人生には平坦な道などありません。むしろ、苦楽の起伏があり、波浪も逆巻くのが、人間社会の実相です。その時こそ、ただひたすら、題目を唱え抜いていくんです。それを生涯にわたって繰り返し、広宣流布のために戦い続けていくなかに、人間革命があり、絶対的幸福境涯を築き上げていくことができる。それが信仰の道です。だから、何があっても、信心からはなれるようなことがあってはならない。」

「また、広宣流布を進めるうえで重要なのは団結です。わがままな自分と戦い、広宣流布のために心を合わせ、団結していこうという一念のなかに、信心の血脈がある。仲良くしていくことが信心の鉄則です。」

「"原爆は悲惨である。戦争なんて絶対に起こしてはならない"ということは誰もが思う。では、"そのために、どうしていくのか""いかなる哲理が必要なのか"」

「今こそ、万人が『仏』の生命を持ち、尊厳無比なる存在であることを説いた仏法を、慈悲の哲理を、世界に伝えていかなければならない。平和創造の使命を担う中核となるのが、広島の皆さんです。」「広島の皆さんは、どうか『対話の勇者』となって、世界に本当緒の平和思想を広げていってください」

「ヒロシマの心」とは「平和の心」であり、それは「創価の心」だ。だから、私たちには、世界平和への波を起こしていく使命がある」

メンバーのなかには、何人もの被爆者がいた。被爆者である松矢は、被爆という宿命を使命に転じて決然と立ったのである。それが、広島のまた、長崎の同志たちの決意であったのだ。

仏法では「願兼於業」と説く。われらは本来、末法濁悪の世に妙法を弘めんがために出現した、地涌の菩薩である。そのために、自ら願い求めて、あえて苦悩多き宿命を背負い、妙法の偉大さを証明せんと、この世に出現したのだ。ゆえに、地涌の菩薩の使命に目覚め、広宣流布に生き抜くならば、転換できぬ宿命など、絶対にないのだ。

彼女は人の長所を見いだせる自分になろうと思った。それには、自分を磨くしかないと結論し、常に唱題を重ねてきた。自分の生命が澄んだ鏡のようになれば、人の長所が映し出されるからだ。一個の人間の、自分自身の「人間革命」から、「世界の平和」が始まるのである。


太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋

励ましのネットワ―ク

『新・人間革命』第12巻 愛郷の章 P~106

黒木は、今こそ、松代という国土の宿命を転換する時であると、訴えていった。参加者に、預かった袱紗を手渡していった。皆、伸一の真心に触れた思いがして、目頭を潤ませながら、袱紗を握りしめ、「先生に、こんなにご心配をおかけして、本当に申し訳ねえな!」

「『こんなに幸せになれました』と言える松代をつくろう」メンバーは、勇んで弘教に飛び出していった。一人ひとりの胸に燃え上がる闘魂こそが、未聞の広布の扉を開く力となるのだ。

これまで、松代では、弘教は毎月15世帯ほどであったが、この11月には、13日までに45世帯の人が、入会を申し出たのである。それは、松代を断じて"寂光土"に変えようとする、同志の郷土愛表れであった。

大地震が来る前兆なのか、それとも、このまま、中程度以下の地震が繰り返すだけなのか、地震学の権威をもってしても、明確な結論は出なかった。

「朝日新聞」の朝刊には、「ほしいのは"学問"」の見出しで、住民が、先の見えない不安をなんとかしたいという切実な気持ちを表していた。この記事には、公明党、創価学会についても触れられていた。

「観測所には、電話の問い合わせが殺到する。なかでも早いのが公明党関係者の電話だ。国会議員の調査団も公明党、社会党、自民党の順でやってきた。同党と密接な創価学会の"折伏"活動は日を追って活発になり、近ごろ町内で50世帯が新たに入信した」

記事では、松代の周辺地域でも、信心を始める住民が続出していることを伝えていた。メンバーの大奮闘に、マスコミも大きな関心を寄せていたのだ。

松代の同志には、ともかく題目をこの大地に染み込ませ、折伏をして、絶対に松代の宿命を転換してみせる、安穏を実現してみせるとの、強く深い決意があった。

地震が激しくなるにつれて、松代の同志は、むしろ、ますます元気になっていった。

メンバーは、揺れる大地を、さっそうと布教に駆け巡った。学会の話をすると、ピシャリと玄関の戸を閉められ、追い返されることもあった。しかし、誰も挫けなかった。動けば動くほど、使命に生きる闘魂と歓喜が、わき上がってくるのだ。

この学会員のはつらつとした姿と、確信にあふれた明るい笑顔が、地震の不安と恐怖に怯える松代の人びとを、どれほど勇気づけたことか。不安や恐怖は伝染するが、勇気もまた、伝播するのである。

年が明けた1月には有感地震だけでも2788回を記録。しかも、震度5の地震が起こっている。地震のために壁がひび割れたり、崩れたりする家も多くなっていった。そこから、寒い日は、零下10度近い、冷気が入り込んでくるのだ。しかし、火災を警戒し、石油ストーブで暖をとることはしないようにしていた。多くの家は、火鉢やこたつを使い、その側に消火用の水を入れたバケツを置いて、寒さをしのぐのである。

地震による物的な被害も大きかったが、それよりも大きいのが、精神的な被害であった。皆神山がいつ噴火するかもしれないという恐怖感も増していた。家は絶えず揺れ続け、厳冬のなかで、暖を十分にとれない生活。そして、非常持ち出し用のリュックサックを枕元において、すぐに避難できる服装で、戦々恐々としながら眠りにつかねばならぬ日々ーー。

それらが、住民の不安やイライラをつのらせ、不眠や体の不調を訴える人、ノイローゼ気味になる人が少なくなかったのである。

学会の地区幹部や班長たちは、大きな地震のあとには、自主的に会員の家を回った。真夜中でも、無事を祈りながら、ある人はバイクで、ある人は徒歩で、懐中電灯を手に、一軒一軒、同志の家々を見て回るのであった。

この励ましのネットワークは、やがて会員だけでなく、自然に地域の友へと広がっていったのである。


太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋

死魔を打ち破る

『新・人間革命』第10巻 言論城の章 P18~

1月18日には、急きょ、鳥取県の米子に向かい、米子会館で行われた地区部長会に出席した伸一。
前年の7月に、島根、鳥取は、両県で死者110人、負傷者は400人を超す集中豪雨に襲われ、米子の被害も甚大であった。そのなかで同志たちは、郷土の宿命転換のために、今こそ信心で立とうと、布教の大波を起こすことを誓い合ったのである。

ところが、翌月、米子支部長であった石崎勇が、交通事故で、42歳の若さで亡くなってしまったのである。「創価学会の信心が、ほんに正しゅうて、ご利益があるなら、なんで、幹部が自己でしぬだぁ!」周囲から非難の声があがった。
学会員のなかにも、同じ疑問をいだいている人が少なくなかったようだ。

動揺する多くの同志の姿が見られた。皆、何とかしなければ・・・と思ったが、地元には、明確に指導できる幹部がいなかった。信心への確信に乏しく、教学に暗いゆえであった。

御書で日蓮大聖人は『三障四魔』について説かれているが、そのなかに「死魔」とある。仏法に精進する人が死ぬことによって、信心への疑いと迷いを生じさせることなどをいうのである。人には宿業があるが、凡夫には、その宿業の深さはわからない。たとえ、若くして亡くなったとしても、信心を貫いた人は、宿業を「転重軽受」しての死なのである。

山本伸一は、愛する米子の同志の心に生じた、迷いの雲を晴らさんと、米子に向かう飛行機にあって、懸命に心で唱題していた。

米子の同志は、先輩幹部の死に対する、心の“わだかまり”が、歓喜の燃焼を妨げていたのである。
指導とは、この”わだかまり”を取り除き、勇気を与えることである。希望を与えることである。

会館に到着すると、勤行、唱題するにつれ、皆の声は力強さを増していった。伸一は、ご家族は必ず守られます。心配はありませんと 亡くなった石崎の妻に声をかけ、会場の全員に向かって語り始めた。

「石崎さんが事故で亡くなられたことから、信心をしているのに、どうして、ああいう事故に遭ってしまったのかと、思われた方もいることでしょう。生命の深い因果というものは、宿命というものは、まことに厳しい。それゆえに、信心をしていても、さまざまな死があります。牧口先生のように、獄中で亡くなられ、殉教されることもあります。病気や事故で、若くして亡くなることもあるでしょう。」

「しかし、信心の眼をもって見るならば、そこには、深い、深い、意味がある。広宣流布に生き抜いてきた人は、地涌の菩薩です。仏の眷属です。生命は永遠であり、妙法の原理のうえから、その地涌の菩薩が、仏の眷属が、救われないわけがないではありませんか!後に残ったご家族も、必ず守られます。」

「信心を貫いていくならば、広布のために献身されたご主人の、福運、功徳をも身に受け、誰よりも幸福になれることは、絶対に間違いないと、私は宣言しておきます。」伸一の大確信に触れ、皆の心を覆っていた、迷いの暗雲は晴れ、胸中に、希望の太陽が昇り始めた。

「人は、生まれる時も死んでいくときも一人である。三世にわたって自分を守ることができる力は、妙法しかありません。懸命に、広布に走り抜くならば、三世十方の仏菩薩が擁護してくれます。したがって、何があっても、何を言われようが、いかに苛められようが、絶対に、紛動されるようなことがあってはならない。もし、臆病になり、信心から離れていくならば、結局は惨めです。」

「米子は、辛い思い、苦しい思いをしながら、皆様方は、懸命に頑張ってこられた。誰もわからなくとも、御本尊は、何もかも、お見通しです。大聖人はご存じでいらっしゃる。皆様方の苦労は、すべて福運となり、大功徳となる。そうでなければ、信心をする価値がないことになる。」

「生命は永遠ですが、一生は瞬く間に終わってしまいます。この世の使命を自覚し、広布に走り、大福運を積みきっていただきたいんです。」

「私も、東京から、一生懸命にお題目を送っております。信心は魔と仏との戦いです。米子の人びとの幸福のために、魔を打ち破るために、ともどもに、力の限り戦いましょう!」


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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