小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

新・人間革命 第10巻

黄金柱の壮年部 誕生

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P379~

伸一は、女子部のリーダーとして、弓枝に、あえて厳しく指導した。ともに活動する幹部が、皆、年上であることで、遠慮と気後れから、何事にも消極的になっていた彼女に 伸一は「勇気がない者には、広宣流布の指揮などとれない」と言って、臆病の壁を破る。

さらに、肋膜で、休職しなければならなかった時も、病気だから仕方がないという彼女の弱い一念を立て直すために、「病気に負けたということは、信心が破れたんだ。女子部のリーダーとして情けないではないか!」と叱咤し、彼女は”病と戦う心”を 取り戻した。

やがて、結婚し、一児の母となった彼女は、一歩も退くことなく、広布のために奔走し、女性リーダーとして、ますます力をつけていった。

3月5日 壮年部の結成式が行われた。広宣流布という壮大なる建築の柱は壮年であると、伸一は確信していた。

壮年の「壮」は、本来、「盛ん」の意味である。ゆえに、壮年は、沈着、冷静ななかにも、大情熱を秘めた、勇気の人、活力の人、行動の人でなければならない。

社会の指導者の多くは壮年である。ゆえに壮年部員が社会のあらゆる分野で力を発揮し、大リーダーに育っていくことが、立正安国を実現していくための要諦となるからだ。「本門の時代」とは、信心即生活の実証を、一人ひとりが現実に示していく時であるといってよい。

伸一は、「何があろうが、壮年部が強盛に信心を貫いていけば、その尊い姿を見て、男子部も、女子部も、そして、婦人部も、喜んでついてくるものです。それが、反対に、壮年が不誠実で要領よく立ち回ったり、いい加減であったり、あるいは、退転してしまったりすれば、後継の人たちは、目標を見失い、時には、信心への疑問をいだかせてしまうことになる。ゆえに、壮年の皆さんの責任は重いといえます。」

さらに伸一は、一生涯、信心を貫くことの大切さを訴えようと思った。
青年時代は、懸命に活動に励み、広宣流布に生き抜くことを誓い合っても、壮年になると、情熱を失くしてしまう人が少なくないからだ。

いかなる状況に置かれようが、信心に後退があってはならない。いささかでも、退く心があるならば、身は落ちねども心は落ちている姿といえる。

「壮年部の皆さんは、これからが、人生の総仕上げの時代です。壮年には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。」

「一生は早い。しかも、元気に動き回れる時代は、限られています。壮年になれば、人生は、あっという間に過ぎていきます。その壮年が、今、立たずして、いつ立ち上がるんですか!今、戦わずして、いつ戦うんですか!いったい、何十年後に立ち上がるというんですか。そのころには、どうなっているか、わからないではありませんか。」

「今が黄金の時なんです。限りある命の時間ではないですか。悔いを残すようなことをさせたくないから、私は言うんです!」彼の声は獅子吼のように、壮年の胸深く轟きわたった。

「私もまた、壮年部です。どうか、皆さんは、私とともに、学会精神を根本として雄々しく立ち上がり、創価の城を支えゆく、黄金柱になっていただきたいのであります。」

このあと伸一が壮年の結成を記念して書き上げた「妙法の名将」の資格を発表した。
「第一に御本尊への絶対の確信。第二に難事をも成し遂げゆく力。第三に社会のすべてに通暁した世雄。第四に後輩を育成していく熱意。第五に人間性豊かな包容力ある指導者。第六に旺盛な責任感と計画性である。」

伸一の会長就任から6年。ここに新しい時代への本格的な布陣は、すべて整ったのだ。

<桂冠の章 終了>

『新・人間革命』10巻 読了

太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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新しい飛躍のための布陣

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P365~

伸一は、交流団のチャーター機を見送るために空港近くに車を走らせた。チャーター機が飛び立つのを見つけると、交流団全員が、元気で、また、無事故で帰国できるよう、真剣に題目を唱えた。唱題は、飛行機の姿が見えなくなってもいつまでも続いていた。

一方、チャーター機の中では、皆、くつろぎながら談笑する人や まどろみ始める人もいた。その時、乗務員が 操縦室の窓ガラスにひび割れがあることが判明し空港に引き返すことを告げた。

伸一は、日本に帰ったはずの交流団が戻っていることを知ると「いくらハワイがいいところだからって、今度は戻ってくるんじゃないよ」と言ってそれ以外は、何も語らなかった。

交流団のメンバーは、その後、伸一がチャーター機を見送り、題目を唱え続けていたことを聞くと、惰眠から覚めた思いがした。

“自分たちは、ただ安心しきって、定めれた行事に出席した以外は、修学旅行に来た生徒のように、ハワイの日々を楽しんでいたにすぎなかった。だから、飛行機がホノルルに戻ると聞いても、みんなで歓声を上げ、はしゃいでいた。広宣流布のために、ハワイに来させていただいたという自覚は、まるでなかった。でも、山本先生は、私たちが無事に帰国できるように、祈ってくださっていたのだ。もし、事故に遭遇してしまえば、取り返しのつかないことになると、懸命に、必死に、祈られたにちがいない。本来、私たちこそ、真剣に、無事故を祈らなければならないのに・・・。まったく、油断という魔に食い破られるところだった。”

皆、うわついていた自分たちの姿勢を恥じた。そして、伸一の行動から、瞬時たりとも気を抜くことの許されない、広宣流布の指導者の責任の重さを、しみじみと感じるのであった。

帰国した山本伸一は、新しい飛躍を期すため、最高幹部の人事を行い、指導陣を強化するとともに、青年部の新たな婦人を考えてきた。そして、2月度の本部幹部会で発表した。年配者の理事長を立てるとともに、新たに総務制を設け、複数の総務が理事長と同じ権限と責任をもって、会館の運営、指導にあたることになったのである。

また、この席上壮年部の設置が発表された。壮年は、各部の要ということから、あえて、組織化されずにきた。伸一は、熟慮の末に、いよいよ壮年が立ち上がる時が来たと感じ、壮年部の結成に踏み切ったのである。

学生部長には、立松昭広が任命になった。彼は、医師だった祖父を癌で失くしていた。医学の専門家でありながら、自らの生命に対しては無力であったことを思うと、生命とは何かを知りたいと、哲学書を読み耽ってきたが、彼の問いに応えてくれる哲学には出会えなかった。

結核に苦しんで信心を始めて病を克服した体験を持つ叔母にすすめられ、戸田城聖の「生命論」を読んだ時、彼が疑問に思っていたことが、実に明快に解き明かされたことで、感動し、彼は自ら入会した。

女子部長になった藤矢弓枝は、中学校の時、社会科の授業で、「宗教が社会に及ぼした影響」という研究テーマのために、寺院などを回って話を聞こうとしたが、寺に議論をしに来る有村武史を紹介され、宗教には、正邪があり、創価学会こそ、人びとを幸福にできる唯一の宗教であると訴える彼の話が、理路整然として、説得理性があり、彼女は、信心がしたいと、自宅に来て父親に仏法の話をしてほしいと
頼み、遂には、父も一緒に入会し、信心を始めたのである。

高校卒業後、銀行に勤めた弓枝は、21歳で全国で最年少の支部の責任者の任命を受けた。当時の支部は、大所帯であり、彼女が責任をもつ女子部員は 1400人余りであり、しかも、居住地は、東北や四国にまで広がっているのである。

伸一は、すぐに励ましの手紙を書き送った。伸一の手紙に、弓枝は、最高の組織をつくろうと、決意を新たにした。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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師と弟子の道

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P355~

引き続き、ハワイ総支部の新人事が 発表され、ワイキキとオアフの2支部の結成が発表され、これで、ハワイは、1総支部4支部の布陣で、スタートすることになったのである。

人事発表に続いて、再び、伸一は指導に立った。ここで、彼は、次々と未来構想を発表していった。常に希望あふれる、新しき目標を示しゆくこともまた、大事な指導者の責任といえよう。

このあと、会館の庭で、参加者全員が山本伸一と一緒に、記念の写真に納まることになっていた。撮影が終わるたびに、友の輪のなかに入り、一人ひとりに声をかけ、握手を交わし、念珠など、記念の品を渡していった。

一瞬一瞬が真剣勝負であり、全魂を傾けてての激励・指導であった。
同志のために献身する伸一の激闘を、役員として、目の当たりにしてきたのが、あの「パイナップル部隊」の青年たちであった。

彼らは、その姿に大きな感動を覚え、山本会長とともに、生涯、広宣流布に生き抜こうと、誓いを新たにするのであった。

深夜に聖教新聞の記者が 会館へやってくると、男子部が山本会長の安全を守るために、警備をしていた。彼らは、誰に言われたわけでもなく、夜通し、警備をしようと決め、交代で、会館の車庫のなかにいたのである。

記者たちの驚きは大きかった。そこには、人生の「師」を求め、仕え、守ろうとする「弟子」の姿があったからだ。「師」と「弟子」という関係は、文化的な風土や伝統から見て、日本人でなければ理解できないのではないかと、記者たちは考えていた。だが、それは自分たちの思い上がりにすぎなかったことを、彼らは痛感したのであった。

いかなる道であれ、それを深めようとする時、教えを受け、指標とし、模範となる人の存在は不可欠である。それが「師」である。そして、その「師」に応えんとする時、そこに、おのずから「弟子」の道が生まれる。まさに、それは、求道に生きる人間の、必然的な帰結といえよう。

ハワイの青年たちは山本会長に直接指導を受けることが願いであったが、山本会長がお疲れだろうと、それを口にできず、必死になって願いが叶うよう唱題した。交流団と勤行した伸一は、庭の芝生の上で正座して、待機するハワイの青年たちを見た。

伸一は、手を振りながら庭に出て行く。青年たちは、伸一への最高の敬意を、表すため、正座したままで膝を崩そうとしなかった。伸一は、「仏法も学会も、自由なんです。堅苦しいまねをすることは、かえって周囲の人に仏法を誤解させることにもなりかねません」というとようやく膝をくずした。

メンバーは、日系人以外の人がほとんどであった。質問を受けると、教学の研鑽に、懸命に励んでいることを感じさせる質問や、どれも広宣流布への息吹あふれる、前向きな質問ばかりであった。

伸一は、ハワイに、後継の青年たちが、すくすくと育っていることが、たまらなく嬉しかった。「みんなの力で、ハワイに広宣流布の模範をつくってください。」伸一の渾身の指導に、青年たちの心は決まった。

帰国する交流団のメンバーも、この話を聞いていた。伸一は、交流団を見て、険しい表情で語った。「ハワイの青年たちは真剣だ。この真剣さが大事なんだ。広宣流布は障魔との戦いなんだから、遊び半分であったり、油断があれば、魔にやられてしまう。これを忘れてはならない」

だが、交流団のなかで、この伸一の指導を、今の自分のこととして受け止めたメンバーは、ほとんどいなかった。

交流団のメンバーは各部を代表する幹部である。しかし、限られた滞在時間のなかで、ハワイの大発展の流れを開こうと、獅子奮迅の戦いをしている伸一とは、大きな一念の隔たりが生じていたのである。

やがて交流団は会館を後にし、空港へ向かった。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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ハワイのパイナップル部隊

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P342~

1966年(昭和41年)「黎明の年」が明けた。学会が、最初に「黎明の年」をモットーに掲げたのは、戸田城聖が死去した翌年の、1959年であった。まだ、同志の悲しみの癒えぬなかに迎える、この新しき年を、「黎明の年」にしようと提案したのは、実質的に学会の指揮をとっていた伸一であった。

師亡きあと、弟子が立ち上がり、弟子が戦い、新しき勝利の夜明けを開かんとの決意を込めて、名づけたのである。

黎明とは出発である。そこから、新しき旭日のドラマが始まる。黎明とは希望である。ひとたび、闇を破って太陽が登れば、海も、山も、大地も、人も、すべては金色に染まる。まさに黎明は、未来の無限の可能性を象徴しているといってよい。

伸一は、今、再び迎えた「黎明の年」を、世界広布の新しき黎明を告げる年にしようと、固く心に誓っていたのであった。

そして、1月の14日には、早くも、ハワイに出発したのである。彼の今回のハワイ訪問の最大の目的は、ハワイ会館の開館式に出席することであった。

オープン準備と青年の育成のために、男子部幹部で理事の三根忠義をハワイに派遣した。三根がハワイで目にしたものは、ハワイの同志の広宣流布へのひたぶるな情熱と、あふれる求道心であった。

なかでも「パイナップル部隊」を自称する男子部員の気迫に、三根は舌を巻いた。彼らの決めた合言葉は「ゴー・フォー・ブローク!」(全力を尽せ!)である。これは第二次世界大戦中、アメリカ本土とハワイの日系人の志願兵で構成された、米軍の442部隊のスローガンであった。

ハワイの男子部は、このスローガンを平和建設のための活動の合言葉として使い、広宣流布に邁進してきたのである。彼らは、あえて、アロハシャツではなく、白い半袖のシャツにネクタイを締めるように申し合わせ、さっそうと布教に、夜の激励に奔走してきた。この”制服”は、“自分たちはハワイの行楽のムードに浸ることなく、広宣流布の闘志として戦い抜こう”という、決意の象徴であった。

メンバーはともかくよく動いた。山本会長がハワイを訪問することが伝えられると、メンバーの作業には、一段と、力がこもった。会館の庭には、バナナ、グアバ、パパイア、ココナッツなど、ハワイにできる、ほとんどの果実の木が生い茂り、美しい緑の芝生が広がっていた。

ハワイを象徴するかのような、この会館がメンバーは誇らしかった。ハワイ中の人びとに、「これが私たちの会館です」と言って胸を張りたかった。そして、隅々まで手をいれた状態で、山本会長を迎えようと思った。

今回のハワイ訪問は、各部代表120余りと僧侶ら10数人が、交流団として訪問することになった。13日にはホノルル市内の小学校を借りて、“出張御授戒”が行われ、264人の新メンバーが御授戒を受けた。夜には 交流座談会がもたれた。

14日には、盛大に開館式が挙行されたのである。伸一はハワイに会館を建設した意義から語り始めた。「平和の宝城である会館ができたということは、仏法の因果具時の原理の上から、世界の平和に向かい、一歩、また一歩と、新たな歩みが始まるものと確信いたします。」

「私の願いは、ハワイの皆様が信心強盛になり、物心ともに幸せになっていただくことであります。どうか皆さまは、その先駆けとなり、彼方の幸福を求めるのではなく、この地で、ハワイの友のために、献身していただきたい。」

「ともかく皆さまは、誰とでも仲良くし、皆から慕われながら、明るく、楽しい前進を開始していってください。そこから、広宣流布の広がりは生まれます。私は、皆様方に、いつも題目を送っておりますし、これからも、送り続けてまいりますから、しっかりと受け止めてください。」皆、自分たちの幸せを願う、伸一の温かい心に触れた思いがした。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

本部職員の育成

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P332~

11月13日にマイアミ沖で起こった観光船「ヤーマス・キャッスル号」の火災は、約90人の尊い人命が失われた。伸一は、この事故を、他人事とは、考えなかった。伸一は、厳しい口調で語っていった。「大きな事故が起こる前には、必ず、なんらかの予兆となる現象がある。来客を平気で待たせるような風潮ができつつあることも、その一つです。」

「最近は、遅刻者も出ている。こうしたことも、大問題が生ずる予兆といえる。その兆しを見逃してしまい、迅速に改めるべきを改めておかなければ、将来に、大きな禍根を残すことになる。だから、私は、口うるさいようだが、厳しく言うんです」

『ヤーマ・キャッスル号』の大参事は、船内の点検を怠った手抜きが原因で、「そこには“少しぐらいは、手を抜いても大丈夫だろう”という油断と惰性がある。」と指摘。

「油断や惰性、怠惰は、どこから生じるのか。それは、責任感の欠如からです。ゆえに、広宣流布を推進しゆく使命を担った本部職員は、自分に与えられた仕事だけをこなせばよいという、雇われ人の根性であっては絶対にならない。」

伸一は、広宣流布を願うがゆえに、学会を思うがゆえに、本部職員には厳しかった。だが、彼は、誰よりも、自分自身に対して、最も厳格であった。だから、いかに厳しくとも、皆が彼を信頼し、付き従ってきたのである。

暮も押し詰まったある日の夕方、山本伸一は、学会本部と聖教新聞社の各部署を、くまなく点検して歩いた。新聞社の地下のボイラー室も見て回った。そこでは、煤で汚れた作業着を身にまとって、一人の男性職員が、黙々と清掃に励んでいた。

「いつも、ご苦労様!」伸一が声をかけると、その職員は、“この一年間、有意義な、勝利の一念にすることができた”と言って、明るくはつらつと自分の仕事に誇りと責任をもって取り組んでいることがわかった。

ひとことに本部職員といっても、華やかな部署で働く人もいれば、目立たぬ職場で、陰で本部を支える人もいる。
人は、日の当たる場所にいて、期待され、称賛されている時には、はりきりもする。だが、その部署や立場を外れた時に、どこまで真剣に、意欲的に仕事に取り組んでいけるかである。

また、華やかさもない、苦労の多い職場や、自分の希望と異なる部署に配属された時に、頑張り抜けるかどうかである。実は、その時こそ、人間としての、さらには、仏法者としての真価が問われているのだ。

伸一は、戸田城聖の会社に勤めることになった時から、自分の人生は、広宣流布に捧げゆくことを決意していた。その具体的な実践の道は、不世出の広布の指導者である戸田を師と定め、弟子として仕え、守り抜くことにあると、彼は結論していたのである。だから、伸一は、給料の遅配が続いた時も、微動だにしなかったし、いかなる仕事も、喜び勇んで引き受けてきた。それが、学会を守り、広宣流布を進めていくことになるからだ。

大東商工で最も不得手な営業の仕事をするようになった時も、そこを人間修行の場と決め、最高の仕事をしようと心に誓った。そして、社員の模範となる見事な実績を残し、会社を大きく発展させてきた。

一方、戸田のもとで働いていた社員たちの多くは、事態の急変に狼狽し、結局は戸田を憎み罵りながら、退職していった。

いつの時代も、自分中心で、名聞名利の者は、厳しい環境に置かれると、すぐにその馬脚を現すものだ。落胆し、不貞腐れ、愚痴と文句を並べ立てて・・・。「冥の照覧」を、仏法の因果の理法を、信じられないゆえの弱さである。

“本部職員とは、広宣流布に生き抜くことを至上の目的とし、自ら献身を志願した、勇者の集いであるはずだ。いかに、時代は変わろうが、その原点だけは、絶対に忘れてはならない。この精神が、全職員に脈動していけば、学会は、官僚主義や、組織主義に毒されることなく、麗しき人間主義の組織として、永劫に栄えゆくであろう。”


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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