『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P189~
「あなたは一人じゃないんだ。同志がいるじゃないか。感傷を吹き飛ばして、朗らかに生きるんだよ」
この日集ったメンバーのなかには、工藤だけでなく、両親のうち、どちらかがいない家庭の人が何人もいた。また、経済的に豊かな家庭など、皆無であったといってよい。
そして、皆、多かれ少なかれ、工藤と同じ気持ちをいだいていた。伸一は、それを感じていたからこそ、皆のためにも、あえて、工藤に厳しく指導したのである。皆、眼前にあるのは、厳しい現実生活であった。高校卒業後は就職し、一時も早く、家計を助けたかった。
それだけに、皆、工藤への、山本会長の指導を聞くと、目が覚める思いがし、“現実”に立ち向かう決意を固めたのであった。
伸一は思った。“今は皆、純粋な気持ちで、私とともに広布に生き抜く決意を固めている。しかし、信仰の道は厳しい。難もある。さまざまな誘惑もある。どれだけのメンバーが、一生涯、同志を裏切ることなく、信心を貫けるだろうか・・・”
“だた、まことの弟子が、一人でもいればよい。その一人が、広布の永遠の流れを開くはずだ。願わくは、全員、一人も洩れなく、この世の自らの使命を果たし抜いてもらいたい”最後に彼は、年を押すように言った。
「どこまでも、私と一緒に進もう。絶対に、信心から、学会から、離れてはいけないよ」黄金の思い出を刻んで、初の野外研修は終わった。
伸一は、鳳雛会、鳳雛グループのメンバーとは、その後も、折々に会い続けていった。さらに、一流ホテルなどの食事に、皆を招待したこともあった。やがて、世界の大リーダーに育っていくメンバーに、食事のマナーなどを教えておきたかったからでもあった。
鳳雛会、鳳雛グループの結成から30余年が過ぎた現在(2001年)、メンバーの活躍は目覚ましいものがある。何人もの副会長が誕生している詩、婦人部長をはじめ、婦人部の最高幹部も多数育っている。
海外にあっても、ヨーロッパの中核となっているメンバーをはじめ、世界各地で、広布の推進力に成長している。また、大学教授、医師、弁護士、政治家、等々多くのメンバーが、社会の各界で第一人者となっている。
山本伸一が、自らの手で蒔き、育てた人材の種子は見事に成長し、広布後継の大輪となって花開き、実をつけていったのである。
また、伸一は、定時制高校に通う高等部員の育成にも、心を砕いてきた。この、人一倍、苦労している友を、なんとしても大成させたいというのが、伸一の願いであった。
定時制鳳雛会のメンバーをすき焼き店に招待した。伸一を囲んでの指導会となった。「最も苦労している諸君であるがゆえに、私は、一番大きな期待をかけております。定時制鳳雛会は、本命中の本命です。これだけのメンバーがいれば、広宣流布は必ずできます。」
「はい!」元気な声が響いた。すると伸一は、意外なほど厳しい口調で言った。「返事は簡単です。決意することも簡単だ。口先だけの人を、私は、たくさん見てきた。信心は実証です。持続です。まことの時に何をなしたか。また、生涯を通して、何をなしたかです。諸君は、本物の勇者だったと、賛嘆される人になってもらいたい。」厳父の指導であった。
こうした伸一の陣頭指揮ともいうべき、育成によって、高等部は、めざましい発展を遂げていった。結成2年後の1966年(昭和41年)6月には、部員10万を達成し、さらに、68年には、部員18万へと飛躍的に拡大していったのである。
使命の苗を植え、育む、伸一の人間教育は、青少年の心に、精神の不屈なる力を培っていった。それは、戦後日本の荒廃した教育に、新しき光を投げかけるものであった。だが、それに気づく教育者も学者も皆無であったといってよい。
<鳳雛の章 終了>
「あなたは一人じゃないんだ。同志がいるじゃないか。感傷を吹き飛ばして、朗らかに生きるんだよ」
この日集ったメンバーのなかには、工藤だけでなく、両親のうち、どちらかがいない家庭の人が何人もいた。また、経済的に豊かな家庭など、皆無であったといってよい。
そして、皆、多かれ少なかれ、工藤と同じ気持ちをいだいていた。伸一は、それを感じていたからこそ、皆のためにも、あえて、工藤に厳しく指導したのである。皆、眼前にあるのは、厳しい現実生活であった。高校卒業後は就職し、一時も早く、家計を助けたかった。
それだけに、皆、工藤への、山本会長の指導を聞くと、目が覚める思いがし、“現実”に立ち向かう決意を固めたのであった。
伸一は思った。“今は皆、純粋な気持ちで、私とともに広布に生き抜く決意を固めている。しかし、信仰の道は厳しい。難もある。さまざまな誘惑もある。どれだけのメンバーが、一生涯、同志を裏切ることなく、信心を貫けるだろうか・・・”
“だた、まことの弟子が、一人でもいればよい。その一人が、広布の永遠の流れを開くはずだ。願わくは、全員、一人も洩れなく、この世の自らの使命を果たし抜いてもらいたい”最後に彼は、年を押すように言った。
「どこまでも、私と一緒に進もう。絶対に、信心から、学会から、離れてはいけないよ」黄金の思い出を刻んで、初の野外研修は終わった。
伸一は、鳳雛会、鳳雛グループのメンバーとは、その後も、折々に会い続けていった。さらに、一流ホテルなどの食事に、皆を招待したこともあった。やがて、世界の大リーダーに育っていくメンバーに、食事のマナーなどを教えておきたかったからでもあった。
鳳雛会、鳳雛グループの結成から30余年が過ぎた現在(2001年)、メンバーの活躍は目覚ましいものがある。何人もの副会長が誕生している詩、婦人部長をはじめ、婦人部の最高幹部も多数育っている。
海外にあっても、ヨーロッパの中核となっているメンバーをはじめ、世界各地で、広布の推進力に成長している。また、大学教授、医師、弁護士、政治家、等々多くのメンバーが、社会の各界で第一人者となっている。
山本伸一が、自らの手で蒔き、育てた人材の種子は見事に成長し、広布後継の大輪となって花開き、実をつけていったのである。
また、伸一は、定時制高校に通う高等部員の育成にも、心を砕いてきた。この、人一倍、苦労している友を、なんとしても大成させたいというのが、伸一の願いであった。
定時制鳳雛会のメンバーをすき焼き店に招待した。伸一を囲んでの指導会となった。「最も苦労している諸君であるがゆえに、私は、一番大きな期待をかけております。定時制鳳雛会は、本命中の本命です。これだけのメンバーがいれば、広宣流布は必ずできます。」
「はい!」元気な声が響いた。すると伸一は、意外なほど厳しい口調で言った。「返事は簡単です。決意することも簡単だ。口先だけの人を、私は、たくさん見てきた。信心は実証です。持続です。まことの時に何をなしたか。また、生涯を通して、何をなしたかです。諸君は、本物の勇者だったと、賛嘆される人になってもらいたい。」厳父の指導であった。
こうした伸一の陣頭指揮ともいうべき、育成によって、高等部は、めざましい発展を遂げていった。結成2年後の1966年(昭和41年)6月には、部員10万を達成し、さらに、68年には、部員18万へと飛躍的に拡大していったのである。
使命の苗を植え、育む、伸一の人間教育は、青少年の心に、精神の不屈なる力を培っていった。それは、戦後日本の荒廃した教育に、新しき光を投げかけるものであった。だが、それに気づく教育者も学者も皆無であったといってよい。
<鳳雛の章 終了>
太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋