『新・人間革命』第6巻 若鷲の章 P357~
彼は、この講義を通して、新しき時代をリードしゆく、真実の仏法の哲理と、学会精神を伝え抜いていこうとしていた。
「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」
「これまで、仏法では、煩悩、すなわち、人間の欲望などを否定しているかのようにとらえられてきた。しかし、ここでは、その煩悩を燃やしていくなかに、仏の悟り、智慧が現れると言われている。
ここに、大聖人の仏法の特質がある。真実の仏法は、決して、欲望を否定するものではないんです。」
「煩悩を離れて人間はありません。その欲望をバネにして、崩れざる幸福を確立していく道を説いているのが、大聖人の仏法です。」
「私たち一人ひとりが妙法の当体です。だから、信心に励むならば、必ず成仏することができる。また、それは同時に、生命の厳しき因果の法則からは、誰人も逃れられないということでもある。つまり、未来にどうなるかという因は、すべて、今の一念にある。」
「人の目や、先輩の目は、いくらでもごまかすことはできる。自分の奥底の一念というものは、他の人にはわからない。まさに『秘』ということになります。」
「しかし、生命の厳たる因果の理法だけはごまかせません。何をどう繕おうが、自分の一念が、そして、行動が、未来の結果となって明らかになる。」
「学会の活動している時も、御本尊に向かう場合も、大事なのは、この奥底の一念です。惰性に流され、やいやながらの中途半端な形式的な信心であれば、本当の歓喜も、幸福も成仏もありません。」
「本当に信心の一念があれば、学会活動にも歓喜があり、顔色だってよくなるし、仕事でも知恵が出る。また、人生の途上に障害や苦難があっても、悠々と変毒為薬し、最後は一生成仏することができる。」
「反対に一時はいいように見えても、信心を失えば、最後はみじめです。」
理事長の原山幸一の息子の原山高夫は「提婆達多」の生命について質問した。伸一は、原山を見つめて、「それは男のヤキモチです。広宣流布を破壊し、学会の前進を阻もうとするあらゆる動きも、その本質は嫉妬にある。信心とは、仏と魔との戦いです。君も絶対に負けてはいけない」
この原山は、やがて教学部長となるが、名聞名利と嫉妬の心に敗れ、遂には学会を裏切り哀れな退転者となっていくのである。
二期生の講義も順調にすすむなかメンバーの緊張も解け、いつしか惰性に流され始めていた。学生部のまとめ役の幹部が、その場を取り繕い、要領をよく立ち回ろうとする心を見抜き厳しく指摘した。
「私は、戸田先生から、10年間、徹底して、広宣流布の原理を教わった。師匠は原理、弟子は応用だ。今度は、将来、君たちが私の成したことを土台にして、何十倍も、何百倍も展開し、広宣流布の大道を開いていってほしい。私は、そのための踏み台です。目的は、人類の幸福であり、世界の平和にある」
「広宣流布は、大河にも似た、永遠の流れである。幾十、幾百の支流が合流し、大河となるように、多様多彩な人材を必要とする。そして、いかに川幅を広げ、穏やかな流れの時代を迎えようとも、濁流と化すことなく、澄みきった清流でなければならない。」
心身を削るかのように、日々、フル回転し続ける伸一には、自分がいつ死ぬかもしれないという思いがあったからでもある。
学生部の代表への伸一の講義は、彼の生死をかけた、後継の人材の育成であったといってよい。
今、伸一は、彼が心血を注いで育てた受講生たちが、生命の世紀の世界の広宣流布の夜明けを開くことを確信していた。
彼のその信念に誤りはなかった。事実、若鷲たちは大きく翼を広げ、新しき時代の大空に、さっそうと羽ばたいていった。
彼は、この講義を通して、新しき時代をリードしゆく、真実の仏法の哲理と、学会精神を伝え抜いていこうとしていた。
「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」
「これまで、仏法では、煩悩、すなわち、人間の欲望などを否定しているかのようにとらえられてきた。しかし、ここでは、その煩悩を燃やしていくなかに、仏の悟り、智慧が現れると言われている。
ここに、大聖人の仏法の特質がある。真実の仏法は、決して、欲望を否定するものではないんです。」
「煩悩を離れて人間はありません。その欲望をバネにして、崩れざる幸福を確立していく道を説いているのが、大聖人の仏法です。」
「私たち一人ひとりが妙法の当体です。だから、信心に励むならば、必ず成仏することができる。また、それは同時に、生命の厳しき因果の法則からは、誰人も逃れられないということでもある。つまり、未来にどうなるかという因は、すべて、今の一念にある。」
「人の目や、先輩の目は、いくらでもごまかすことはできる。自分の奥底の一念というものは、他の人にはわからない。まさに『秘』ということになります。」
「しかし、生命の厳たる因果の理法だけはごまかせません。何をどう繕おうが、自分の一念が、そして、行動が、未来の結果となって明らかになる。」
「学会の活動している時も、御本尊に向かう場合も、大事なのは、この奥底の一念です。惰性に流され、やいやながらの中途半端な形式的な信心であれば、本当の歓喜も、幸福も成仏もありません。」
「本当に信心の一念があれば、学会活動にも歓喜があり、顔色だってよくなるし、仕事でも知恵が出る。また、人生の途上に障害や苦難があっても、悠々と変毒為薬し、最後は一生成仏することができる。」
「反対に一時はいいように見えても、信心を失えば、最後はみじめです。」
理事長の原山幸一の息子の原山高夫は「提婆達多」の生命について質問した。伸一は、原山を見つめて、「それは男のヤキモチです。広宣流布を破壊し、学会の前進を阻もうとするあらゆる動きも、その本質は嫉妬にある。信心とは、仏と魔との戦いです。君も絶対に負けてはいけない」
この原山は、やがて教学部長となるが、名聞名利と嫉妬の心に敗れ、遂には学会を裏切り哀れな退転者となっていくのである。
二期生の講義も順調にすすむなかメンバーの緊張も解け、いつしか惰性に流され始めていた。学生部のまとめ役の幹部が、その場を取り繕い、要領をよく立ち回ろうとする心を見抜き厳しく指摘した。
「私は、戸田先生から、10年間、徹底して、広宣流布の原理を教わった。師匠は原理、弟子は応用だ。今度は、将来、君たちが私の成したことを土台にして、何十倍も、何百倍も展開し、広宣流布の大道を開いていってほしい。私は、そのための踏み台です。目的は、人類の幸福であり、世界の平和にある」
「広宣流布は、大河にも似た、永遠の流れである。幾十、幾百の支流が合流し、大河となるように、多様多彩な人材を必要とする。そして、いかに川幅を広げ、穏やかな流れの時代を迎えようとも、濁流と化すことなく、澄みきった清流でなければならない。」
心身を削るかのように、日々、フル回転し続ける伸一には、自分がいつ死ぬかもしれないという思いがあったからでもある。
学生部の代表への伸一の講義は、彼の生死をかけた、後継の人材の育成であったといってよい。
今、伸一は、彼が心血を注いで育てた受講生たちが、生命の世紀の世界の広宣流布の夜明けを開くことを確信していた。
彼のその信念に誤りはなかった。事実、若鷲たちは大きく翼を広げ、新しき時代の大空に、さっそうと羽ばたいていった。
<新・人間革命 第6巻 終了>
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋