小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

新・人間革命  第5巻

幹部の心得

『新・人間革命』第5巻 獅子の章 P280~

<獅子の章>始まる

1962年「勝利の年」の元日、幹部とともに初勤行が行われた。
伸一は、昨年に続き創価学会の永遠の三指針を確認した。
『一家和楽の信心』『各人が幸福をつかむ信心』『難を乗り越える信心』である。

この“なんのため”の信仰かを確認することによって、破竹の勢いで前進する学会の本来の目的を忘れかけていた幹部に 信仰の目的を 思い出させ、深い楔を打ち込んでおきたかったのである。

中心となる幹部が、なんのためかを忘れる時、組織は空転する。

「創価学会の幹部は、決して名誉主義であってはならない。」

「たとえば、支部長等の役職を後輩に譲るようになったならば、今度は、場合によっては、一兵卒として、組織の最前線に躍り出て戦い、同志のために、広宣流布のために尽くしていこうという精神が必要です。」

「幹部が、まるで殿様のように威張り、傲慢になれば、それは既にだ楽です。なぜなら、学会の幹部の基本は、会員への奉仕、広宣流布への奉仕であるからです。」

「幹部になれば、皆も一応は尊敬してくれます。それでいい気になり、私利私欲のために、会員を利用しようとするならば、即刻、解任せよというのが、戸田先生の指導でした。」

「幹部は、組織のことは、すべて責任をもたなければなりません。」

「自分の支部に、いくつの班や組があり、それぞれの実態がどうなっているのかを、直接、自分でつかんでいてこそ幹部です。中心者に、幹部に、全会員を幸福にするぞという、強い一念があるならば、無責任になど、なれるわけがありません」

「なんでも、本部の指示を待つという受け身の姿勢であってはならない。」
「幹部が自分の保身を考えているところほど、すべて画一的に事を進めようとするものです。結局、失敗をして、自分が責任を取りたくないから、なんでもかんでも、形式にあてはめようとする。これでは、皆が頑張ろうとする意欲の芽を摘み取っていっているに等しい。」

「どうか、運営にあたっては、どこまでも、皆が主体的に、自由自在に取り組めるように、配慮していっていただくことを、お願い申し上げます。」


伸一の指導は、幹部の在り方の基本をあきらかにするためのものであった。
組織が良くなるか、悪くなるかは、中心者の幹部のいかんによって決まってしまうからだ。彼は、学会が官僚主義的な、画一的で偏狭な組織になることを何よりも恐れていた。

また、学会は、社会的にも、その存在の重さを、日ごとに増しつつあった。それだけに、幹部が自分自身を教育し、磨いて、一流のリーダーに育っていかなければ、学会の社会での信頼にも傷をつけてしまうことになる。

だから、彼は、幹部には常に厳しかったし、その育成に全力を注ごうとしていたのである。

だが、彼が最も厳しかったのは、自分自身に対してであった。



太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

勝利の年

『新・人間革命』第5巻 勝利の章 P270~

東京で深夜まで執務を続ける山本伸一。
午前2時過ぎ、アメリカ総支部長の十条から電話が入った。

ハワイから7名、ロサンゼルスからの2名に加え、総員69名が勢ぞろいし、
宿泊所へ向かったとのことだった。

最高齢80歳の女性を始め、全員元気いっぱいとの報告だった。

翌日学会本部にやってきたメンバーは、伸一を見ると 大粒の涙を流した。
1年前、伸一のアメリカ訪問以来の再会である。

メンバーの多くは国際結婚をして、アメリカに渡り、
日本に帰ることなどできないと思っていた人がほとんどであった。

それが、伸一の指導を聞いて、考えを新たにし、"来年は日本でお会いしましょう"との、彼の言葉を目標とし、希望として、この日をめざして、懸命に信心に励んできたのである。

日本に行くといっても、休みをとるのも、その費用を捻出するのも並大抵のことではなかった。
一朝一夕に工面できる人などほとんどいなかった。

それでも、ともかく日本に来て、会長の伸一をはじめ、日本の同志に会い、日本の信仰の息吹に触れたかったのである。メンバーは、熱い求道の心を燃やしながら、生活費を切り詰め、仕事に励み、旅費を蓄え、遂に、飛行機に乗った。

“日本に行こう。そして、山本先生との約束を果たそう”
ーただただ、その一念で太平洋を渡って来たのである。

伸一は
「皆さんは、勝った!私は、皆さんは、広宣流布のために自由自在に活躍できる境涯の因をつくられたと、確信しております。」と語った。

伸一から「皆さんは勝った!」との言葉を聞いた瞬間、アメリカの友の胸に、一筋の黄金の光が走った。

メンバーは、ただ日本に行きたいという一心で、この一年間、頑張りに頑張り抜いてきた。しかし、振り返ってみると、異境の地で埋もれていくだけのように思っていた自分たちが、いつの間にか希望に燃え、友の幸福のために、夢中になって、アメリカの大地を駆け巡っていたのである。

そして、信心を根本に努力を重ねていけば、どんな境涯にもなれ、崩れざる幸福を築けることを、皆、実感していた。そこには、目には見えないが、確かに大きな精神の勝利があった。

11月の本部幹部会の席上、明年の「勝利の年」の活動方針が打ち出された。
この日、指導に立った伸一は、大阪事件の裁判に触れた。

「大聖人の御金言を拝しましても、広宣流布の途上において、三類の強敵が競い起こることは間違いありません。また、民衆を組織し、民衆の時代を創ろうとする創価学会に対し、民衆を支配しようとする権力が、今のうちに弾圧し、力を弱めさせようとするのも、当然といえましょう。」

「だが、権力がいかに牙をむこうとも、私たちの崇高な理想を、信心を、破壊することは絶対にできないという大信念をもって、堂々と、朗らかに前進していこうではありませんか。」

「ともあれ、無実であるにもかかわらず、何か大きな犯罪行為があるかのように喧伝し、罪に陥れようとすることは、古来、権力者の常套手段であります。今回の裁判は、長い広宣流布の戦いを思えば、さざ波のような小難にすぎません。。今後も、こうしたことは、幾度となくあるでしょう。しかし、何も恐れることはありません。」

12月に入ると、山本伸一の動きは、一層激しさを増した。

大阪事件の裁判に出廷した伸一は、意見陳述で、検察の横暴を突いていった。
学会が選挙運動を行うのは、憲法で保障された国民の権利であり、それを否定するような検察の求刑には、明らかに偏見があると指摘。

さらに、従来、戸別訪問は罰金刑等の軽い刑であるにもかかわらず、地検の禁固という求刑は、はなはだ過酷であると述べるとともに、その取り調べも非道であり、権力をカサに着た弱い者いじめのような
やり方は、断じて許しがたいものであると語った。

無実の者に、罪を着せようとする、不当な検察に対する鋭い反論であり、伸一の正義の叫びであった


<勝利の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

新世紀の歌

『新・人間革命』第5巻 勝利の章 P254~

大阪事件の第81回公判に臨み 大阪地裁に山本伸一はいた。

伸一への求刑は、なんと禁固十か月で公民権停止も含まれていた。
仮に戸別訪問を指示していたとしても、異常に重い求刑である。

さらに、検察は、学会員の選挙違反は「表面、宗教活動を仮想」し、「広範囲にわたって組織的に敢行」したもので、違反行為は「氷山の一角にすぎない」と断定していた。

裁判長が検事に「氷山の一角と言われましたが、では、ほかにどういう事実がありましたか。その証拠はありますか。」と問いただすと、検事は平然として、
「別に証拠があるわけではありません」
「それでは、あなたの推測ですか」
「そういえば、そういうことになります」
証拠もないことを、"事実"に仕立てあげた、この論告求刑自体が、検察の悪質な意図を物語っていた。

しかし、伸一の判決がどう下されるかは、皆目わからなかった。

周囲から見れば、伸一は何も意に介さず、堂々としているように見えた。彼は自己自身と人知れず、必死になって戦っていたのである。

5日後、伸一は 東北本部の落成式に出席するために、仙台に走った。
新たに作られた"東北健児の歌"が発表された。

この歌が完成するまでには、東北の青年たちの苦闘があった。

5月に福島を訪問した時に、東北も、未来への出発のために、新しい歌をつくったらどうだろう。との提案があり、相次ぎ、支部歌がつくられていった。

しかし、東北全体の歌はできなかった。皆、歌を作らなくてはという気持ちはあったが、自分が中心になって進めようとする人は、誰もいなかったのである。

青年部の幹部も同じであった。
歌が必要であることが明らかであるならば、指示を待つのではなく、自分たちから相談するなどして、行動を開始するべきである。しかし、彼らは、そうはしなかった。

伸一は、厳しい口調で語り始めた。
「遅いよ。東北の同志は待っている。学会の勝利の源泉はスピードにあった。日蓮大聖人も、門下が病気であると聞かれれば、すぐに手紙を出して励まされている。大聖人の御振る舞いは、常に、極めて迅速であられた。」

「ましてや現代は、スピードの時代である。」

「本部に会員の皆さんが報告に来られる。私は、伝言を託すなど、なんらかの行動を起こしてきた。これがリーダーの鉄則です。この迅速な反応、行動がある限り、学会は発展していくし、君たちも、そうすることによって、成長することができる。それがなくなれば、みんなは不安になるし、やがて不満を感じるようになってしまうものです。」

「いくら、やろうという気持ちはあった、そのつもりでいたといっても、行動に出なければ、何も考えていなかったことと同じだ。」

「何事かを成そうという時に、誰も進んでその事を言い出さないのは、互いに責任を押し付け合っているからだ。本当の団結がない証拠だよ。そんなことでは、東北の発展は永遠にない。いつも真っ先に立ち上がるのが青年部ではないか」

伸一のこの指導に、東北の青年たちは決意を新たにした。

歌が完成すると、山本伸一は、「この歌は、全国の同志が歌っていくのだから『新世紀の歌』としてはどうだろうか」と提案し歌詞の一部を 親しみやすいものにと提案した。

ここに、「新世紀の歌」が誕生したのである。

仙台の青葉城址を散策し、石垣を眺めながら、青年部の幹部に語った。
「大きな石も、小さな石も、いろいろな石がきれいに、きちっと積み重ねられている。だから、この石垣は堅固なんだね。これは、団結の象徴だよ。」

「一人ひとりが力をつけることは当然だが、それだけでは広宣流布という大偉業を成し遂げることはできない。この石垣のように、互いに補い合い、団結していくことが大事だ。

「人材の城というのは、人材の団結の城ということだ。団結は力であり、そこに学会の強さがある。東北に人材の牙城をつくろう。」

伸一の胸には、常に、師である戸田城聖の言葉がこだましていた。伸一の独創的な広宣流布の展望も、師の構想の実現という、原点から発したものであり、その原点が不動であったがゆえに、自由自在に、過つことなく、広布の絵巻を描き続けることができたといってよい。


太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

絶対的幸福境涯の確立

『新・人間革命』第5巻 勝利の章 P240~

女子部総会で講演を行う山本伸一。信仰の目的は 絶対的幸福境涯を築き上げることであり、そのためには、御本尊への唱題以外ないと話す。

戸田先生が会長になったころ、"そんなに偉大な教えならば、もっと大勢の人が、もっと早く信心をしているはずではないか"と批判された。

それから10年がたち、200万世帯を超える人が信心するようになると今度は、"学会員は多くなったが、有名人はあまりいませんね"という人がいた。

有名人だからといって、仏法に精通しているとは言えない。著名な学者や哲学者で、仏法を研究したことのある人でも、大聖人の仏法を学び、修行し、実践したわけではない。

「有名人であればすばらしい人であるかのように思い、その言動をそのまま受け入れてしまう現代の風潮こそ、私は自ら考えることを忘れた姿であり、良識が失われつつあることを物語っていると思うのであります。」

「いつの世にも、学会への非難や中傷、また、無責任な批判は、必ずあるものです。むしろ、それは、御聖訓に照らして、仏法が、学会が真実であり、正義であることの証明にほかなりません。そうした、煙のように移ろいやすい、無責任な批判に、断じて、一喜一憂してはならないと思います。」

「仏法を本当に知っているのは誰か。それは、まぎれもなく、日々、信心に励んでいる、仏法を実践している私どもであります。したがって、皆さんは、誰に対しても、『仏法のことを一番知っているのは私たちです。教えてあげましょう』といえる人たちであります。さらに、『その証拠として、私の生活を見てご覧なさい』と、言い切れるように、なっていただきたいのであります」

「どうか、その崇高な使命を自覚して、一人ひとりが、さらに仏法を研鑽していっていただきたいと思います。そして、女子部は全員が教学部員になることを目標にしてはどうかと提案し、私のあいさつといたします」

教学は信仰の道標である。人間の感情は、移ろいやすい。燃え立つばかりの信仰への情熱も、時には冷め、心揺らぐこともある。その時に、自らの進むべき信仰の道を照らし出すのが教学である。

また、仏法者の生き方の根幹をなす哲学を身につけることも、教学を学ぶことから始まる。

それゆえに、伸一は、若い女性たちが信仰と人生の「芯」を確立するために、教学部員になることを提案したのである。

伸一は、来賓として招待されていた婦人部の幹部に、女子部を守り応援するよう話す。
当時、女子部出身の婦人部幹部のなかには、後輩たちが独自に自由に、伸び伸びと活動を進めることに対して、快く思っていない人もいたからである。

経験豊富な先輩から見れば、若い世代の未熟さが目につくものであるし、また、新しい感覚や発想というのはなかなか、理解しがたいものだ。

世代の感覚は、時代を経るごとに大きく変わっていく。そして、若い世代の感覚や発想がいつの間にか、社会の主流となっていくものであろう。

信心という原点は不変であるが、活動の在り方は、時代の流れや世代の感覚に即して、変化させていく柔軟性が必要であろう。

伸一は、青年たちが、新しい試みを行うことに対して、婦人だけでなく、壮年の間にも、何か批判的な空気があることを察知し、心を砕いてきた。

しかし、青年が新しい流れをつくろうとするなら、自分たちの力で実績を示し、先輩たちを納得させていかなければならないことである。

自らの手では、何も成し遂げることができず、ただ、"先輩が、自分たちを認めてくれない"というのでは、甘えにすぎない。そんな惰弱なことでは、広宣流布の後継の使命を、果たせるわけがあるまい。

伸一は、愛する後継の青年たちを、軟弱な人間にはしたくなかったからこそ、何も言わずに、じっと見守ってきたのである。この“青年が自分たちの力でどこまでできるか見る”という育成の仕方は、戸田城聖の山本伸一に対する訓練でもあった。

伸一が、入会当初、青年部の先輩たちの姿を見て、学会が好きになれなかった。その思いを戸田に打ち明けた時、「それならば、伸一、君自身が、本当に好きになれる学会をつくればよいではないか。うんと苦労し、真剣に戦って、君の力で、理想的な学会をつくれ!」といわれたのであった。

新しき時代の幕は、青年が自らの力で、自らの戦いで、開くものだ。他の力によって用意された檜舞台など、本物の獅子が躍り出る舞台ではない。時代のリーダーたらんとするならば、その舞台は、自らの手で勝ち取る以外にない。

かつて女子部長をつとめ、現在婦人部の幹部になっている石川栄子は、女子部の後輩たちに対して、甚だしく、傲慢であった。彼女は自分が中心でなければ気がすまないという、心の偏狭さがあった。

また、夫を“偉くしたい”という思いも、人一倍強かった。理事の石川幸男と結婚していたが、戸田が逝去すると、次の会長は自分の夫なのだから、つくべき人を間違えてはいけないと、女子部の幹部に吹聴していった。夫を会長にするための画策である。

いかに幹部になっても人生の目的が広宣流布から名聞名利へと入れ替わってしまうならば、すべてが狂ってしまう。そして、最後は同志を苦しめ、仏法を破壊する魔性の働らきとなっていくものである。

信仰とは、自己自身との生涯の戦いであり、それを忘れた瞬間から、堕落と人生の敗北が始まる。


太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

女性解放運動

『新・人間革命』第5巻 勝利の章 P224~

女子部総会が 1961年11月12日 8万5千人が集い 横浜の三沢競技場で開催された。

女子部の谷時枝は、戸田城聖、山本伸一が 一貫して指導してきた「女子部は幸せになりなさい」ということについて語った。

メンバーの多くは、最初、誰もが、経済的な豊かさや結婚を考えた。しかし、結婚していった友人や既婚の女性の姿を見るうちに、結婚は必ずしも、女性の幸せを約束するものではないと思い始めた。

結婚というかたちが、人生の幸・不幸を決するのではなく、どんな悩みや試練にも負けない自分自身を築くことが、幸福の要諦ではないのか。

こう考えた時、彼女たちは、戸田から教えられた「相対的幸福」と「絶対的幸福」という問題に、立ち返らざるをえなかった。

「相対的幸福」とは、経済的な豊かさや社会的な地位など、自分の外の世界から得られる幸福である。そんな幸福は、ひとたび環境条件が変われば、いともたやすく崩れ去ってしまうものだ。これに対して、「絶対的幸福」とは、いかなる困難や試練にも負けることなく、生きていること自体が楽しくてしようがないという境涯の確立である。

そして、具体的には、日々、力強く唱題に励みながら、"妙法"という確かな生命の軌道に乗り、自身の人間革命をめざして、生き生きと生活に学会活動に取り組んでいくなかに幸福があるとの、結論となっていった。

それは、まさに谷時枝の生命の実感であったともいえよう。

彼女は、5歳になる前に、銀行の支店長をしていた父が他界し、9人の兄弟をかかえた、母は奮闘するが、やがて、食べるにも事欠き、終戦後母も亡くなる。自分も結核に侵され、なんの希望もなく死に場所を求めていた時、この信心の話を聞く。

“こんな私でも、幸せになれるのなら・・・”と入会をし、信心に励むようになると谷の結核は快方に向かう。彼女は自分の生い立ちや 闘病を思うと、宿命というものを考えざるをえなかった。

そして、その宿命の鉄鎖からの解放がない限り、幸せはないことを感じた。
仕事も軌道にのり、学会活動との両立に悩むが、いかに仕事が多忙でも、会合や友の激励に出かけた。

彼女は女子部長に就任する。真剣に活動に取り組んではいたが、周囲には大学を出た優秀な人材がたくさんいて、家庭的にも恵まれず、学歴もなく、病弱な自分が 女子部長になってよいのだろうかという自信のなさが、しばしば現れた。

それは、いっけん、謙虚さのようにも見えたが、心の迷いから生じるものであった。そして、そこには、自分の生い立ちや学歴と言った問題にこだわり、自己を卑下し、悲哀から脱しきれずにいる生命の弱さが潜んでいた。その自分の生命を変えていくことができないのでは、なんのための仏法かわからなくなってしまう。

伸一は、谷の気持ちをよく理解していた。あえて、厳しい口調で言った。「自分自身の心の指揮も満足にとれない者が、女子部という大軍の指揮など、とれるわけがない。結局、自分に負けているだけだ。自分に力がないと思うなら、必死になって祈り、動き、力をつけることだ」

自分の弱さに気づいた。迷いがなくなり、毅然として、顔を上げて活躍を開始した。

谷は「私たちが勝たなければならないのは、自分自身に対してであり、自分に勝つならば、いっさいに勝てる」と話す。

「自分に勝つ」実はそこに、いわゆる「女性解放」のキーワードがあるといえる。

「元始、女性は実に太陽であった。」と述べた社会運動家の平塚らいてう。

「今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く・・・」
「私どもは隠されてしまったわが太陽を今や取り戻さねばならぬ。『隠れたる我が太陽を、潜めたる天才を発現せよ』」


谷が外的なものに頼るのではなく、自己自身に勝つことを訴えたのは、平塚らいてうの主張と軌を一にするものといってよい。

彼女が理想とした「真の自由解放」が創価の女性たちによって、観念ではなく、現実の姿として、日本全国に広がったのだ。

広宣流布という、人間革命の運動に、人類の幸福と平和を実現する運動に、主体的にかかわっていくなかで、女子部の友は、己心の“大我”を開き、「元始の太陽」の輝きを「真正の人」の光を取り戻していく道を実感したのである。

山本伸一は、この女子部総会に、宿命に泣いてきた女性たちの、新しき「人権宣言」の叫びを聞く思いがしてならなかった。



太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋
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