『新・人間革命』第25巻 薫風の章 219p~
「みんな、歯医者さんらしくなったね。歯科医師が男子部の幹部となり、役員として、陰の力に徹し、黙々と頑張っている。その姿が尊いし、私は嬉しい。それが、創価学会の本当の姿です。社会的に、それなりの地位や立場を得ると、自分が特別に偉いかのように思い、学会員を見下したり、学会活動を軽んじるようになってしまう人もいます。
しかし、医師だから、弁護士だからといって、特別に偉いわけではない。ところが、自分が一番偉いのだと勘違いしてしまい、地道な仏道修行を怠り、信心という一生成仏への直道を、踏み外してしまう。これほど、愚かなことはありません。どうか、皆さんは、社会的な地位や立場に幻惑されるのではなく、どこまでも一途に、真の仏法者として、創価の大道を歩み抜いてください」
福富は、九州歯科大学の3年生の時、人体解剖の実習で見た、苦悶の表情をした遺体をを目にして、なぜ、死相に違いがあるのか、死後の生命はどうなるのかとの疑問が心にのしかかった。そんな時、学会の生命哲理の話を聞き入会した。
大内堀は、生命とは何かと、思索を重ねていた時、車中で知り合った学会んから仏法の話を聞き、自ら求めて入会した。
三賀は、どうしたら「無歯科医村」をなくせるかについて研究した時、先輩の恒光吉彦から学会の話を聞き、制度を変えるだけでは問題は解決しない、医師自身の人間革命が必要だとの話を聞いたが、父の実家が多宗派の寺であり、創価学会への間違った情報を聞かされていた偏見から信じられなかった。
恒光に「何も知らないで批判するというのは、青年として、人間として恥ずべきことではないか」と言われ、学会の実体を確認するために 座談会に参加した。彼は、驚嘆した。"学会は、民衆という社会を支える土台から変革している!しかも、人間の精神という内面からの変革を実際に行っている!"
三賀は、"もっと創価学会のことを知ろう"と、入会したのである。彼らの家族は、皆、創価学会に入会したことに賛同していたわけではなかった。仕送りを打ち切られたり、減額され、アルバイトで働いた。先輩幹部が 池上兄弟の御書を通して激励してくれた。三人の学生部員は、親の反対に屈せず、真剣に信心に励んでいった。
生活が楽ではない、二部学生の先輩も 餃子を持ってきてくれた。地域の婦人部も励ましの言葉をかけてくれた。教学を学ぶなかで、仏法の生命の法理に感嘆した。壮年や婦人の体験を聞き、それらを通して、信心への確信を、より深めていったのである。
同士との友情と連帯の絆、歓喜の実感、教学の深化、体験の共有ーーそこに、信心の成長を促し、人材を育てていく要件がある。
伸一は、三人と懇談した。「大学での研究が、ただ、研究のためだけに終わってしまっては、なんにもならない。また、開業医も、日々、進歩している研究の成果を、どう取り入れていくか、真剣に勉強していく必要がある。最新の研究が医療の現場で、患者さんの役に立っていくことが大切なんです。
歯科医に限らず、医療者にとって大事なことは、患者さんの立場に立って、ものを見ていくことです。私は、名医の第一の条件は、患者さんの気持ちがわかることだと思っています。つまり、同苦の心をもつことです。」伸一の指導は、三人の歯科医師にとって、人生の指針となったのである。
太字は 『新・人間革命』第25巻より 抜粋
「司会者は、副導師を務めることもあるので、副導師の基本についても話しておきます。導師の声をよく聴いて、その声に合わせていくことです。大人数で勤行をすると、読経も、題目も、だんだんと遅くなりがちです。副導師は、それに引っ張られてしまうのではなく、軽やかなテンポで、みんなをリードしていかなくてはならない。
さらに、読経の発音は、明瞭であることが大事です。そうするには、日々の勤行の際に、息継ぎの場所は適切かなど、よく注意し、完璧な勤行をめざして、努力していくことです。ともかく音吐朗々と、さやかに、力強い勤行を心がけることです」
伸一は、小倉北区の男子部長で歯科医師の福富淳之介に声をかけた。役員として来ている大内掘義人、三賀正夫も呼んだ。さらに、読経の発音は、明瞭であることが大事です。そうするには、日々の勤行の際に、息継ぎの場所は適切かなど、よく注意し、完璧な勤行をめざして、努力していくことです。ともかく音吐朗々と、さやかに、力強い勤行を心がけることです」
「みんな、歯医者さんらしくなったね。歯科医師が男子部の幹部となり、役員として、陰の力に徹し、黙々と頑張っている。その姿が尊いし、私は嬉しい。それが、創価学会の本当の姿です。社会的に、それなりの地位や立場を得ると、自分が特別に偉いかのように思い、学会員を見下したり、学会活動を軽んじるようになってしまう人もいます。
しかし、医師だから、弁護士だからといって、特別に偉いわけではない。ところが、自分が一番偉いのだと勘違いしてしまい、地道な仏道修行を怠り、信心という一生成仏への直道を、踏み外してしまう。これほど、愚かなことはありません。どうか、皆さんは、社会的な地位や立場に幻惑されるのではなく、どこまでも一途に、真の仏法者として、創価の大道を歩み抜いてください」
福富は、九州歯科大学の3年生の時、人体解剖の実習で見た、苦悶の表情をした遺体をを目にして、なぜ、死相に違いがあるのか、死後の生命はどうなるのかとの疑問が心にのしかかった。そんな時、学会の生命哲理の話を聞き入会した。
大内堀は、生命とは何かと、思索を重ねていた時、車中で知り合った学会んから仏法の話を聞き、自ら求めて入会した。
三賀は、どうしたら「無歯科医村」をなくせるかについて研究した時、先輩の恒光吉彦から学会の話を聞き、制度を変えるだけでは問題は解決しない、医師自身の人間革命が必要だとの話を聞いたが、父の実家が多宗派の寺であり、創価学会への間違った情報を聞かされていた偏見から信じられなかった。
恒光に「何も知らないで批判するというのは、青年として、人間として恥ずべきことではないか」と言われ、学会の実体を確認するために 座談会に参加した。彼は、驚嘆した。"学会は、民衆という社会を支える土台から変革している!しかも、人間の精神という内面からの変革を実際に行っている!"
三賀は、"もっと創価学会のことを知ろう"と、入会したのである。彼らの家族は、皆、創価学会に入会したことに賛同していたわけではなかった。仕送りを打ち切られたり、減額され、アルバイトで働いた。先輩幹部が 池上兄弟の御書を通して激励してくれた。三人の学生部員は、親の反対に屈せず、真剣に信心に励んでいった。
生活が楽ではない、二部学生の先輩も 餃子を持ってきてくれた。地域の婦人部も励ましの言葉をかけてくれた。教学を学ぶなかで、仏法の生命の法理に感嘆した。壮年や婦人の体験を聞き、それらを通して、信心への確信を、より深めていったのである。
同士との友情と連帯の絆、歓喜の実感、教学の深化、体験の共有ーーそこに、信心の成長を促し、人材を育てていく要件がある。
伸一は、三人と懇談した。「大学での研究が、ただ、研究のためだけに終わってしまっては、なんにもならない。また、開業医も、日々、進歩している研究の成果を、どう取り入れていくか、真剣に勉強していく必要がある。最新の研究が医療の現場で、患者さんの役に立っていくことが大切なんです。
歯科医に限らず、医療者にとって大事なことは、患者さんの立場に立って、ものを見ていくことです。私は、名医の第一の条件は、患者さんの気持ちがわかることだと思っています。つまり、同苦の心をもつことです。」伸一の指導は、三人の歯科医師にとって、人生の指針となったのである。
太字は 『新・人間革命』第25巻より 抜粋