小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

人材育成

荒川区民会館での第三回鼓笛隊総会

『新・人間革命』第30巻(上) 雌伏の章 183p~

話題が1957年8月の、伸一の荒川指導に及ぶと、彼は言った。「私は、あの闘争で、草創の同志と共に、あえて困難な課題に挑戦し、“勝利王・荒川”の歴史を創りました。この戦いによって、皆が、“広宣流布の苦難の峰を乗り越えてこそ、大勝利の歓喜と感動が生まれ、崩れざる幸福境涯を築くことができる”との大確信を、深く生命に刻みました。あれから20余年がたつ、今度は、皆さんがその伝統のうえに、さらに新しい勝利の歴史を創り、後輩たちに伝えていってください。

広宣流布の勝利の伝統というのは、同じことを繰り返しているだけでは、守ることも、創ることもできません。時代も、社会も、大きく変わっていくからです。常に創意工夫を重ね、新しい挑戦を続け、勝ち抜いていってこそ、それが伝統になるんです。つまり、伝えるべきは“戦う心”です」

“戦う心”という精神の遺産は、話だけで受け継がれていくものではない。共に活動に励む実践のなかで生まれる魂の共通と触発によって、先輩から後輩へ、人から人へと、伝わり流れていくのである。

「今こそ、荒川の一人ひとりが、山本伸一となって敢闘してほしい。一つの区に、未来へと続く『不敗』『常勝』の伝統ができれば、学会は永遠に栄えます。皆が、そこを模範として学んでいくからです。荒川には、その大使命があることを忘れないでください。

先日、足立の婦人から手紙をもらったんだよ。あれが、みんなの思いなんだろな。“・・・でも、負けません。今こそ、学会の、先生の正義を叫び抜いていきます”この闘魂が『不屈の王者・足立』の心意気なんです。

第三回鼓笛隊総会の最終公演が、荒川区民会館で華やかに行われた。第二部「希望の行進」では、交響詩「民衆」となった。詩「民衆」は、1971年(昭和46年)9月、女子部幹部会を祝して、伸一が贈った詩である。

伸一は、女子部員には、虚栄に生きるのではなく、“民衆の子”であることを誇りとして、民衆の大地に根を張り、民衆と共に、民衆のために生き抜いてほしかった。そこにこそ現実があり、そこで築いた幸せこそが、幸福の実像であるからだ。

伸一は、交響詩を聴きながら、学会が担っている使命の意味を、深く噛み締めていた。“あらゆる権力の軛から、そして、宿命の鉄鎖から民衆を解放するーーそれが創価学会の使命だ!それがわれらの人間主義だ!私は戦う!民衆のため、広布のために。そして何があっても民衆を守り抜き、民衆の時代を開いてみせる!”

伸一は、あいさつの要請を受けていた。「今日の総会のテーマに掲げたように、まさしく『2001年 大いなる希望の行進』の開幕でした」鼓笛隊総会は、歴史の大きな節目となった1979年の有終の美を飾り、21世紀への新しい出発を告げるファンファーレとなったのである。

創価学会創立50周年を迎える1980年が明けた。元日付の「聖教新聞」3面には、山本伸一の近影と、新春を祝賀して彼が詠んだ2種の和歌が掲載された。それを目にした多くの学会員から、伸一のもとへ、また、学会本部や聖教新聞社へ、喜びの便りが寄せられたのである。

新しき10年の開幕となるこの年、世界は激動していた。世界の行く手は極めて不透明であり、不安の雲が垂れ込めるなかでの新年の出発であった。

1月14日の正午前、山本伸一は、妻の峯子と共に、横浜にある神奈川文化会館の一室から海を見ていた。この日、四国の同志約800人が客船を借り切り、丸一日がかりで、伸一を訪ねて神奈川文化会館へやってきたのだ。

四国長の久米川誠太郎は胸を痛めた。“先生が会長を辞められてから、皆の心には、空虚感のようなものが広がり、歓喜も次第に薄れてきているように感じる。今こそ、弟子が立ち上がるべき時であることは、よくわかる。しかし、そのための契機となる起爆剤が必要なのだ”

「先生の行動が制約されているのなら、私たちの方から、お伺いしよう!」1月13日の午後1時、大型客船「さんふらわあ7」号は、香川県の高松港から海に船出した。

四国の同志がタラップを下りてくると、出迎えた神奈川の同志の大拍手に包まれた。伸一は、下船してきた壮年たちを笑顔で包み込み、肩を抱き、握手を交わし、励ましの言葉をかけていった。この伸一の歓迎風景も、「聖教新聞」に報じられることはなかった。新聞では、彼の姿はカットされ、拍手する腕から先だけが写っているに過ぎなかった。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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学会の永遠の黄金則

『新・人間革命』第30巻(上) 雌伏の章 175p~

活動の方法に、“絶対”や“完璧”ということはありません。メリットもあれば、なんらかのデメリットもあるものです。したがって、問題点があったら、皆で知恵を出し合って、それをフォローする方法を考えていくんです。柔軟に、大きな心で、互いに力を合わせていくことが大切です。

どの団体や宗教も、多くは運動上の意見、方法論の違いから対立や憎悪を生み、分裂しています。学会は、断じて、そんな轍を踏むようなことがあってはならない!今日は、将来のために、広宣流布をめざすうえでの、最大一の鉄則とは何かを、あえて言い残しておきます。それは、金剛不壊の異体同心の団結です。

大聖人は、こう仰せになっている。『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か』

ここには、すべての日蓮大聖人の弟子・檀那ら、つまり、広宣流布に生きる私どもが拝すべき根本精神が述べられています。いっさいの差異にとらわれることなく、共に同志である。等しく地涌の菩薩であるとの原点に、常に立ち返っていかなくてはならない。

同志は皆、親密な、切っても切れない関係にあることを自覚し、互いに尊重し合い、守り合っていくことです。今、共に信心に励んでいるのは、決して偶然ではない。過去遠遠劫からの深い縁に結ばれ、一緒に久遠の誓いを果たすために末法濁世に出現したんです。

何があろうが、“広宣流布のために心を合わせ、団結していこう”という一念で、異体同心の信心で進むことこそが私たちの鉄則です。いや、学会の永遠の“黄金則”です。

最大の悪とは、内部から広宣流布をめざす異体同心の団結を攪乱、破壊することです。異体同心を破る者は、いかに自己正当化しようが、第六天の魔王の働きをなすものです」

「自分が中心になると、御書や学会指導に立ち返ることも、異体同心を第一義にすることもなくなってしまう。つまり、本来、仏法者の基本である、自身を見つめ、内省するという姿勢が失われていく。また、自分の心が“師”となってしまうから、自身を制御できず、その結果、我欲に翻弄され、名聞名利に走ったり、自分勝手なことをしたりする。そして、皆に迷惑をかけ、さまざまな不祥事を引き起こす。
これが退転・反逆していく共通の構図といえます」

この伸一の言葉通り、やがて、学会支配を狙い、陰で宗門僧と結託していた悪徳弁護士らが仮面を脱ぎ、正体を明らかにしていくのである。

「戸田先生を知る人は多い。しかし、先生に仕え抜き、その遺志を受け継いで、仰せ通りに広宣流布の道を開いてきたのは私だけです。したがって、あえて申し上げるけれども、学会のことも、先生の真実も、誰よりも私がいちばんよく知っている。

その意味からも私は、世界の同志が、また、広宣流布のバトンを受け継ぐ後世の人たちが、創価の師弟の道をまっすぐに歩み通していけるように、小説『人間革命』を書き残してきたんです。君たちは、常に、勇んで試練に身を置き、自らを磨き、鍛えてほしい。そして、どこまでも団結第一で、共に前へ、前へと進んで、21世紀の学会を創り上げていくんだよ」

同志の中へ、心の中へーー山本伸一は、日々、激励行を重ねていった。激動の1979年(昭和54年)は師走に入り、あわただしい年の瀬を迎えた。12月26日伸一は、東京・荒川文化会館を訪問した。第三回鼓笛隊総会に出席することになっており、それに先立って、同志を励ましたかったのである。

伸一の荒川への思いは、人一倍強かった。1957年の大阪事件から1か月後の8月、広布の開拓に東奔西走したのが荒川区であったからだ。不当な権力に抗し得るものは、民衆の力の拡大と連帯しかないと、心の底から痛感していた。

ゆえに、人情味豊かな下町の気質を受け継ぐこの荒川の地で、広宣流布の大いなる拡大の金字塔を打ち立てることを決意したのだ。伸一は、“荒川闘争”にあたって、ある目標を深く心に定めていた。それは、1週間ほどの活動であるが、区内の学会世帯の1割を超える拡大をすることであった。

皆が、想像もできない激戦となるが、ここで勝つならば、その勝利は、誇らかな自身となり、各人が永遠に自らの生命を飾る栄光、福運の大勲章となろう。伸一は荒川の同志には、困難を克服し、確固不動たる“東京の王者”の伝統を築いてほしかったのである。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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東京戸田講堂で初の学会歌指揮

『新・人間革命』第30巻(上) 雌伏の章 167p~

11月16日、創価学会創立49周年を記念する本部幹部会が、東京・巣鴨の東京戸田記念講堂で開催された。講堂の立つ豊島区には、初代会長・牧口常三郎と第二代会長・戸田城聖が軍部政府の弾圧によって投獄された東京拘置所があった。牧口は、ここで殉教の生涯を終えたのだ。

戸田記念講堂は、その場所にも近く、両先生の死身弘法の精神をとどめる創価の新法城として
工事が進められ、この年の6月に完成したのである。しかし、山本伸一落成式への出席を控えた。
そうしたなかでも、講堂のオープンに尽力してくれている方々を讃え、御礼を述べようと、
式典の前日に行動を訪れ、同志と語らい、励ましたのである。

伸一は、先師の殉難の地である豊島区から、東京勝利の広布の大波を起こそうと決意していた。戦い抜こうという一念があれば、いかなる状況にあろうが、戦うことはできる。鉄格子のなかでさえ闘争の道はある。伸一は今、彼を封じ込め、仏意仏勅の広宣流布の団体である学会を崩壊させようとする策謀のなかで、必ず突破口を開こうと、懸命な戦いを開始していた。

伸一は、11月16日の本部幹部会は学会創立49周年を記念する式典であるだけに、わずかな時間でも出席し、同志と共に新しい広宣流布のスタートを切りたかった。彼は、長い話をすることは自粛し、上着を脱ぎ、扇を手に壇上の中央に立った。

「今日は、学会歌の指揮を執ります。『威風堂々の歌』にしよう!」会長辞任後、初めての伸一の指揮である。講演ばかりが、指導・激励ではない。戦いは智慧である。工夫である。創造である。どんなに動きを封じられようが、広宣流布への不屈の一念があれば、前進の道が絶たれることはない。伸一は、一曲の指揮で、皆の魂を奮い立たせようと、決意したのである。

彼は、まさに威風堂々と、大鷲のごとく、力強く舞った。“大東京よ、立ち上がれ!全同志よ、立ち上がれ!”と心で叫びながら。皆の息はピタリと合い、生命は一つにとけ合った。吹き荒れる嵐のなかで、この日、東京から、再び凱歌の行進が開始されたのだ。

山本伸一は、来る日も来る日も、各地や各部の代表らと懇談し、指導・激励を続けた。伸一は、青年たちとも好んで懇談した。男子部の幹部が、「先生が会合で指導されることがなくなってしまい、皆、寂しい思いをしています」と話すと、「そう感じたならば、青年が立ち上がるんです。そうでなければ、傍観者であり、主体者ではない。自分が一切を担おうと決めて、前進の原動力となっていくのが青年です」

「新しい活動などを提案しても、壮年の先輩たちは、なかなか賛成してくれません」と困惑した顔で
語ると、「年配者には、豊富な経験がある。この経験則という裏づけがあるだけに、年配者の判断には
間違いが少ない。しかし、自分が経験していない物事には否定的になりやすい。

壮年幹部の側は、その点を心して、青年の意見に、積極的に耳を傾けていくべきです。青年幹部の
側は、先輩の壮年や婦人の幹部に賛成してもらうためには、まず、説得力を培っていくことです。
それには、“なぜ、それが大事なのか”を、明快に、理路整然と説明できなくてはならない。

また、その根拠を示すことが大事です。道理に適った話であれば、誰もが納得せざるを得ない。その説得力を最も磨いていけるのが折伏です。さらに、青年らしい、一途な情熱が大事です。結局、人の魂を揺り動かした時に、事態は大きく進展するんです。

そして、実績を積むことです。実証が信頼につながっていきます。すぐにあきらめたり、挫けたり
しないことです。指摘された問題点を検討し、改善し、何度でも案をぶつけていくことです。
粘り強さが大事だよ」伸一の言葉は、自身の体験に裏づけられていた。

「意見というのは、人の数だけあるといっても過言ではない。でも、どれかに決めなければならないので、皆で協議して決まったことに対しては、自分の希望通りではなくても、心を合わせ、成功するように最大の努力を払っていくことが大事です。

座談会を運営していく側の人は、参加できないメンバーのことを考慮して、別の日に、小さな単位での語らいの場をもつとか、たまには曜日を変えてみるとか、皆が平等に、喜々として信心に励めるように工夫をしていくことが必要です。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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人材の熊本

『新・人間革命』第25巻 人材城の章 321p~

女子部の若いリーダーには、年長の部員さんに信頼されるように、適切なアドバイスができない場合には、先輩幹部や、経験豊かな婦人部の幹部に会わせ、相談にのってもらうことが大事だと話す。

「皆さんに、新しい時代の、新しい幹部像をつくっていってほしいんです。これまで、幹部というと、"号令をかける人"との印象があったかもしれない。しかし、これからは、そうではありません。"自ら率先垂範で、何をすべきかを示していく人"が、新時代のリーダーです。

自分が真っ先に行動を起こして、『こうやって実践しています』と語っていくことが重要なんです。失敗も語ってください。結果は実っていなくとも、挑戦の苦闘と喜びを、ありのままに語り、頑張り続けていくという決意をぶつけていくんです。

そうすれば皆が、"それなら、私にだってできる。私も挑戦しよう"という思いをいだいていきます。一生懸命で健気な姿勢に、人は、世代を超えて共感するんです。ありのままの自分、等身大の自分でいいんです」伸一は、一人ひとりを知り、未来の大成のために、発心の種子を植えておきたかったのである。

「広宣流布の主体者になることこそが、福運を増す要諦なのであります。ゆえに、"守られる側から、同志を守る側になろう""受働から能動の姿勢に立とう"とするなかに、大聖人につながる信心の確立があることを、私は訴えておきたいのであります」

「人材は自然に育つものではありません。人材を育成しようとする先輩幹部の、誠意あふれた行動によってのみ、後輩たちの人材たろうとする使命の自覚がなされていきます。人間を育むのは、どこまでも人間です。"ここまで自分を信頼し、期待してくれているのか!""自分のことを思い、尽くしてくれるのか!"という、熱い真心に触れて、使命に生きようという意志力が燃え上がるんです」

「先輩幹部は、"どうすれば人材の活躍の場をつくれるのか"を常に、一生懸命に悩み考えていくことが大事なんです。どうか、熊本県の皆さんは、今後は『人材の熊本』を合言葉として、幹部自らが"人材になろう!人材をつくろう!"と、強い祈りと持続の実践をもって、多くの逸材を育んでもらいたいのであります」

伸一は、さらに、「広宣流布は、長途の旅ゆえに、健康に留意し、リズム正しい信心即生活の日々であれ」と訴えた。「生活のなかに運動を上手に取り入れて、体を鍛えていくことも必要です。また、無理をしても、信心しているんだから…という安易な考えで、非常識な行動をし、生活のリズムを崩し、体を壊すようなことがあっては、絶対になりません」

初めて熊本県を訪問した折のことを話す伸一。「戸田先生は、『熊本に行きたい』と言われていたが、実現できずに、4月に亡くなられた。だから、"戸田先生に代わって、私が熊本へ行こう!そして、皆が、心から歓喜、感動し、決意を新たにする支部結成大会にしよう"と、心に決めていたんです。

師を凌ぐ戦いができてこそ、本当の弟子なんです。師が指揮を執っていた以上に、広宣流布を前進させてこそ、令法久住なんです。その勝利のなかに、師弟不二があるんです」

それは、恩師の逝去から、7か月後のことであった。当時、学会の一切の責任は、事実上、30歳の伸一の双肩にかかっていたのだ。

益城本部長の坂上良江は、熊本県の三角に第一歩をしるされた日を「三角の日」と決め、当時、三角駅にあった長椅子を地元の佐々井ユリが譲り受け宝としていると話す。

「私の基準は、御書であり、それを実際に身で読まれ、実践されてきた戸田先生です。"こう
いう時、先生ならどうされるか""自分の今日の行動は、先生のご精神にかなったものであるのか""先生が今の自分を見たら、喜ばれるのか、悲しまれるか"そして、"必ず、先生にお喜びいただける勝利の戦いをしよう"と、自分を鼓舞してきたんです。それが、私の勇気の源泉です。常勝の原動力なんです」

師弟不二とは、師の心をわが心として生きることであり、いつ、いかなる時も、己心に厳として師匠がいることから始まる。師匠を"自分の心の外にいる存在"ととらえれば、師の振る舞いも、指導も、自身の内面的な規範とはならない。

そして、師匠が自分をどう見ているかという、師の"目"や"評価"が行動の基準となってしまう。そうなると、"師匠が厳しく言うから頑張るが、折あらば手を抜こう"という要領主義に出していくことになりかねない。そこには、自己の信心の深化もなければ、人間革命もない。



太字は 『新・人間革命』第25巻より 抜粋

熊本での人材育成

『新・人間革命』第25巻 人材城の章 307p~
<人材城の章 開始> 

中国の名宰相・諸葛孔明は、「国を治める道は、力を尽くし、優秀な人材を見出し、登用することにある」との言葉を残している。創価学会の未来もまた、一に、どれだけ多彩な、たくさんの人材が育成できるかにかかっている。

1977年(昭和52年)熊本文化会館に到着した。石碑の除幕を行い、県青年部長勝山平八郎に碑文を読むよう指示。彼は「聳ゆ」などの読み方でつまづく。「青年は、未来のために、どんなに忙しくても、日々、猛勉強するんだよ」と教養を深く身につけ、一流の人材に育ってほしいと、あえて、厳しく指導したのだ。

「学会の人材の要件とは何かーー。根本的には、生涯、広宣流布のために生き抜く人です。学会と共に、師弟不二の大道を歩み続けていこうと決意し、それを実践している人です。しかし、人間の心のなかを見ることはできない。自分が偉くなって権勢を得ようという、野心である場合もあります。最悪なケースは、中心幹部が、それを見抜けずに、そういう人たちにおだてられ、乗せられてしまうことです。ゆえに、リーダーは、一人ひとりの奥底の一念を見極めていく眼をもつことです。

奥底の一念を見極めていくには、自身の生命に濁りがあってはならない。わが生命の鏡が、曇っていたり、歪んでいたりすれば、一人ひとりを正しく見極めていくことはできないからです。結局は、我見になり、自分の好き嫌いで、人を見ていってしまうことになる。ゆえに、常に唱題第一で、わが生命を磨き抜くんです。

それでも、人間の奥底の一念は、すぐにはわからないものです。短期間で見極めることは難しいこともある。しかし、一年、二年と、長い時間をかけて見ていればわかります。どんなに表面を装っていても、ふとした時に、驚くような傲慢極まりない言動や、怠惰な態度が出てしまうものだからです。

また、人が見ていない時に、何をしているかに、その人の本質が表れます。ともかく、人材の根本要件を、一言でいえば、"労を惜しまず、広宣流布の師弟の道に生き抜く人"ということです」

どんな優れた能力をもち、社会的に高く評価される立場にあったとしても、信心の一念という根本が揺らいでいたのでは、広宣流布の本当の人材とはなり得ない。奥底の一念を"広宣流布のため"という大目的に定めてこそ、性格も、能力も、地位も、すべてが生かされ、人びとの幸福実現のための大きな力となるのである。

「入会した時から、広宣流布のために生きようと決意している人はほとんどいないでしょう。今度は皆さんが、広宣流布の大願に生き抜こうという、決定した信心の人たちを育てていくんです」

「皆、さまざまな宿業をもっていますから、何があるかわからないのが人生なんです。ですから、若い世代に、福運をたくさん積み、宿命の転換に励むとともに、何があっても負けない心の強さを培うことが大事になる。そのための信心なんです」伸一は、女子部員は、一人も残らず幸せになってほしかった。

本当の幸福は、自分で創り上げていくものだ。誰かから与えられるものではない。幸せになるには、「幸せとは何か」を明らかにした「哲学」が必要になる。「哲学」というのは、生き方の根本となる考え方である。

仏法では、生命の因果の理法によって、その原因を明快に説き示している。過去世からの自身の言動や心が、宿業を形成する。そして、現在の自身の生き方が、未来を決していくと。

しかも、自身のあらゆる「宿命」は、それを転換して幸福の実証を示し、人びとに希望と勇気を与えるための、尊き「使命」となることを教えているのである。

「学会の根本精神は、どんなに時代が変化しても、変わってはなりません。しかし、活動形態などは、時代とともに、また、世代によって、当然、変化していかなくてはならない」

「『激励』というのは、年長者が、年少の人に対して行うものであるかのように思い込んでいませんか。『激励』は、双方から発信できるんです。人間は、たとえ、自分より年下の人であっても、"いつも自分のことを思ってくれ、一生懸命励ましてくれる""信頼し、尊敬してくれている"という人がいれば、嬉しく、力強いものです。人間は人との絆のなかで、勇気を得るし、希望を得ていきます。その麗しい励ましの絆を、社会の隅々にまで広げていくのが、広宣流布とも言えます」


太字は 『新・人間革命』第25巻より 抜粋
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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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