小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

年表

春の氷上文化祭と第11回全米総会

『新・人間革命』第19巻 陽光の章 255P~

伸一と峯子は、夕刻、コンベンションを支える"影の力"ともいうべき、コントロールセンターを訪れた。それは、市の全面的な協力によって、市庁舎別館の1、2階に設けられていた。救護や輸送など、各部門の部屋を回っては、一人ひとりに声をかけ、用意した花束や記念品を手渡していった。一つの行事を成功させるためには、幾多の陰の努力が必要である。

「皆さん方は、後世永遠にわたる、大いなる功徳の種子を植えたことは間違いありません。」そして、誠心誠意、深く頭を垂れるのであった。

午後八時、ミッション湾に浮かぶフィエスタ島から花火が打ち上げられ、花火大会が行われた。この花火を山本伸一は、アメリカの下院議員やスペインの大学教授らと共に鑑賞した。伸一はあらゆる機会を、広宣流布と平和のための対話に費やそうと心の決めていた。

彼は自分の生きているうちは、世界広布の盤石な基盤を創り上げねばならないと誓っていた。ゆえに、一分一秒が貴重であった。その大切な時間を、片時たりとも無駄にすることはできなかったのである。
「時」の浪費は、生命の浪費にほかならないからだ。

4月7日、サンディエゴ・スポーツアリーナで「春の氷上文化祭」「第11回全米総会」が、晴れやかに行われた。これには、中南米や日本からの代表を含めた1万2千人のメンバーが集ったのである。氷上文化祭は、スケートリンクが舞台である。

松明を高らかに掲げた青年が一人、リンクを滑る。一人は二人となり、二人は三人に・・・。妙法の青年の輪が、力強く広がる。観客席の伸一は、"そうだ!"と、拳で膝を叩いた。彼は、アメリカの青年たちに、たくましき学会精神を感じた。それが嬉しくて仕方なかったのである。

"すべては一人から始まる。皆が、地域で、職場で、その最初の一人になるのだ。広宣流布の新しき前進のためには、青年が立つ以外にない!君が、君が、立つのだ!頼んだぞ!"

人生に試練はつきものだ。それに負けないことが、勝つことだ。13年半前に、アメリカの大地に蒔いた、妙法の種子は、今、見事な幸の花々を咲かせたのだ。それは日蓮仏法が、国家、民族を超え、人類の幸福の実現を可能にする世界宗教であることを証明する歴史ともなった。

引き続き、「第11回全米総会」が開始されたのは、約1時間後の午後4時前のことであった。その間に、スケートリンクの上に板が敷き詰められ、椅子が並べられ、総会用の舞台が設けられたのである。会場の関係者も、驚嘆するほどの早変わりであった。周到な準備と団結の勝利であった。

伸一の話が始まった。彼は、仏法とは何かということを、簡潔に語ろうとしていた。この歓喜を、決して一時的なものに終わらせるのでなく、それぞれが、人間革命をめざし、生涯、信心を貫き通してほしかった。"持続"によってこそ、信心の本当緒の力を得ることができるからだ。

「広宣流布の使命に生きる皆さんは、いかなることがあっても、退転してはならない。怨嫉があってはならない」山本伸一は、メンバーが一人も洩れなく、広布と人生の勝利者になることを強く念願しながら、話を続けた。

「どうか皆さんは、豊かな福運を身につけ、『社会正義』と『人間革命』の哲学を掲げて、確たる自身の建設と自由の国アメリカの平和を築いていってください。皆さんの勝利こそ、私の最大の喜びです」

総会終了後も、彼のメンバーへの激励は続けられた。伸一は同志の激励のために生命を燃焼した。それが彼の毎日であり、彼が決めた人生でもあった。



太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋

サンディエゴ・コンベンション

『新・人間革命』第19巻 陽光の章 236P~

翌5日、山本伸一は、サンディエゴの市庁舎を表敬訪問した。ピート・ウイルソン市長は、40歳の若さあふれるリーダーであった。市長は、頬を紅潮させて言った。「今回企画されているパレードや花火大会などの催しは、市の歴史に残る祭典となると思います。コンベンションの大成功を祈るとともに、深く感謝を申し上げます」

学会の行事の開催を、市民が心から喜んでくれるーーその状況がつくられた時、広宣流布の流れは大きく加速する。そこに「仏法即社会」の勝利の実証がある。市長から最高賓客の証として「市の鍵」を贈られた。

夕刻、伸一はサンディエゴ会館の開所式に出席した。伸一は、信心の根幹をなす。南無妙法蓮華経とは何かについて、一つの側面からわかりやすく語っていった。「自然界を見ても、さまざまな法則というものがある。それを正しく認識し、合致した生活を営んでいくところに価値の創造があります」

「南無妙法蓮華経とは一言するならば宇宙の根本の法則であり、宇宙を動かしている根源の力であるといえます。それを大聖人は、一幅の本尊として顕されたのであります。その御本尊に唱題する時、わが生命が宇宙の法則と合致し、最大の生命力が湧現し、幸福への確かな軌道を、闊歩していくことができるのであります」

それは、アメリカのメンバーが最も知りたい問題であった。「なぜ」ということがわかれば、納得して信仰に励むことができる。人びとが納得できるように説明するために、努力し、心を砕いていくことは、リーダーである幹部の責務といってよい。

4月6日の午後1時、「サンディエゴ・コンベンション」が「スプリング・フェスタ・パレード」をもって、晴れやかに開幕した。先だって、サンディエゴ郡から山本伸一に「名誉郡民」の称号が贈られた。

隣接したメキシコのティフアナ市の市長からも、「市の盾」が贈呈された。メンバーが良き市民として、日々、黙々と、地域のために献身してきたことが実を結んだのである。

全米各地をはじめ、メキシコ、パナマ、プエルトリコ、ベネズエラなどから集った32チーム総勢約3千人のメンバーによる、1マイル(約1.6キロ)余りにわたる大パレードである。メンバーは、各地の特色を生かした衣装で、歌い、奏で、踊りながら行進した。

沿道に並ぶ万人の歓呼の声に包まれながら、パレードは、晴れやかに、堂々と進んでいった。弾ける笑顔がまぶしかった。参加者には、信仰で人生の試練を乗り越えた体験があり、歓喜と希望があった。

不和を克服して、仲むつまじくパレードに参加している夫妻もいた。肝臓がんの宣告を受けたが、唱題根本に乗り越えた、ブラスバンドの指揮者の青年もいた。鼓笛隊には、父親を亡くし、母と共に家計を支え、弟を大学に進学させた女子部員もいた。

メンバーのなかには、あのベトナム戦争で夫を失った女性もいた。また、徴兵され、帰還したあと、心的障害や健康障害で苦しんできた青年もいた。しかし、そうした悲しみや人生のさまざまな試練を信心によって克服し、晴れやかにこの日を迎えたのである。

パレードにはフロート(山車)も登場した。掉尾を飾ったハワイのメンバーのフロートは山から滝が流れ落ちるという、手のこんだ趣向であった。このフロートを見ると、ハワイに住む、パシフィック方面長になっていたヒロト・ヒラタの、健康回復を願って伸一は心の中で題目を唱えた。

パレードが終わると伸一は直ちに、出場者に、メッセージを送った。メンバーは大歓声をあげ、「フォーエバーセンセイ」の涙の大熱唱となった。

冬の寒さを耐え忍んできた人ほど、春の陽光に感動を覚える。苦労して頑張り抜いた人ほど、伸一のメッセージに彼の真心を強く感じ、その喜びは大きかった。



太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋

UCLAでの講演「21世紀は生命の世紀」

『新・人間革命』第19巻 陽光の章 215P~

伸一は、一人の人間に語りかけるかのように、講演を始めた。まず彼はイギリスの歴史学者トインビー博士との対談の概要を語っていった。そして、博士が、警鐘を鳴らしていたことを紹介した。

「私は、来るべき21世紀は、結論していうならば、生命というものの本源に、光があてられる世紀であると思っております。そうあらねばならないと信じています。そうあってこそ、真実の意味でテクノロジーの文明から、ヒューマニティーの文明へと発展するであろうと思うからであります。」

山本伸一は、仏法という生命哲理の上から、現代文明のひずみの根源を明らかにしようとしていたのである。ここで彼は、仏法では人生を、生老病死など苦しみの集積であると説いていることを語り、「なぜ、人は人生に苦しみを感ずるのか」を論じていった。

それは、万物万象は「無常」であるにもかかわらず、「常住不変」であると思い、そこに執着し、煩悩のとりこになっているからであると、仏法では説いている。現代文明も、この「無常」なるものへの執着、煩悩の充足をバネに発展してきた。

その結果、人類は便利さや快適さなどを手にしたものの、環境破壊や核戦争の脅威に怯え、滅亡の淵に自らを追い込んできたといえよう。

真実の仏法は、煩悩や執着の働きを生み出す生命の奥に、また、無常の現実の奥に、それらを統合、律動させている常住不変の方があると説いているのである。

煩悩に責められているというのは、自己自身の小さな我、すなわち「小我」にとらわれている状態である。普遍的真理を悟り、そのうえに立って、無常の現象を包み込んでいく生き方、つまり「大我」に生きることを教えている。この「大我」とは、生命のさまざまな動きを発現させていく宇宙の根源的な力であり、「法」である。

「大我」に生きるというこ、とは、「小我」をコントロールし、人間の幸福のために生かすことであると述べた。次いで、生死の問題を掘り下げながら、「大我」について論じていった。「仏法では、『生死不二』と説きます。生も死も、永久不変に流れゆく生命の二つの現れ方であって、どちらかに他方が従属するものではない。」

「人間は生まれてから、肉体も、精神も大きな変化を遂げている。しかし、そのなかにも一貫して変わらざる自己というものがある。仏法は、その本質的な『我』が宇宙大の生命、すなわち『大我』に通じていると説きます。」

いかなる死生観をもつかが、人間の生き方を、さらには文明の在り方を決定づける。伸一は、「小我」に支配されてきた文明から、無常の奥にある常住の実在、すなわち「大我」に立ち、宇宙生命と共に呼吸しながら生きる文明への転換を訴えたのだ。

「21世紀は、人間が生命に眼を向ける『生命の世紀』としなければなりません。新世紀が、夢に見た人間謳歌の文明になるかどうかは、常住不変、不動の力強い不変の生命を発見しうるかどうかにかかっているのであります」

最後に 一人ひとりが、「人間自立の道」を考えていただきたい」と話しを結んだ。

1時間15分に及ぶ講演が終わると、講堂を埋めた聴衆は、頬を紅潮させ、総立ちになった。雷鳴のような拍手が轟いた。

講演を聴いた多くの人が、その着眼に、新鮮な感動を覚えたようだ。なかには、初めて接する東洋の英知に、仏法思想に、驚嘆し、しばし呆然とする教授もいた。聴衆が、伸一に握手を求めて殺到した。あいさつに立ったミラー副総長は、叫ぶように語った。「本日、会長は、われわれに新鮮な勇気と感動を与える、歴史的なスピーチをしてくださいました!」

山本伸一にとって海外初の大学講演となる、UCLAでの講演は、大成功に終わった。



太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋

マリブ研修所で若手通訳と語る

『新・人間革命』第19巻 陽光の章 199P~

生きるということは、戦うということである。細胞も戦っている。血液も戦っている。人生も闘争だ。社会も闘争だ。

私たち、はなんのために戦うのか。自身の幸福のためである。何があっても挫けない、自分自身を築くためである。人間革命のためである。また、人びとの幸福のためである。社会の繁栄と平和のためである。

戦う限り、勝たねばならない。絶対に勝つと決めて、戦い抜くのだ。勝利のためには、何よりも己自信を制覇せねばならぬ。
自身に勝つのだ!
臆病に勝つのだ!
あきらめの心に勝つのだ!
怠惰に勝つのだ!
自身に打ち勝ってこそ、大いなる「前進」があり、燦然と「勝利」の陽光は輝くのだ。

1974年(昭和49年)3月28日、山本伸一たちの乗った飛行機は、アメリカのロサンゼルスへと向かっていた。午後11時、給油のために、メキシコ市の国際空港に到着した。

すると空港には100人ほどのメンバーが、伸一に会いたいと空港に集っていた。伸一が9年前、メキシコを訪問した時皆、身なりは質素であったが、ここに集った同志は、衣服も立派であり、功徳に満ちあふれていた。伸一は、皆と一緒に記念撮影をした。出発時刻ぎりぎりまで、励まし続けるのであった。

伸一たちが、ロサンゼルスの空港に到着したのは、現地時間の午前3時過ぎ。リマを出発してから、14時間が経過していた。マリブ研修所には夜明け前に到着した。伸一の体を心配する幹部に「私に『疲れた』という言葉はありません。」と毅然とした口調で答えた。

アメリカ青年部の代表や若手通訳らとも懇談した。通訳のポイントを5つあげるとともに、通訳は、事前の準備が大事で、相手の経歴や、著作、国や、地域、自然、歴史などもしっかり勉強しておかなければならないとアドバイスした。

「皆さんの使命は限りなく深く、大きい。実力を蓄えて、偉大な通訳、力ある翻訳者に大成長するんだよ」

31日は、サンタアナ会館の開所式に出席した。これには、同市のジェリー・M・パターソン市長も来賓として出席し、伸一に名誉市民称号を授与し、市の「鍵」と「盾」を贈った。

4月1日 いよいよUCLAでの記念講演の日を迎えた。伸一にとって、世界の大学での正式な講演は、これが初めてであった。

ミラー副総長は、前年の73年に伸一が創価大学で行った「スコラ哲学と現代文明」と愛する講演に言及。現代文明が行き詰まりを呈した今、中世の時代精神を形成したスコラ哲学に新たに光をあて、新しい時代の開幕のために、新しい大学、新しい哲学の興隆が必要であるとの講演に大いに共感したという。

同行の幹部たちは、世界の知性による賞讃に驚嘆した。同時に、身近にいながら、師の本当の偉大さが、まだまだわかっていなかった自信を恥じるのであった。

講演会場となったディクソン講堂の外には、既に1時間も前から多くの学生たちが待っていた。伸一の歴史的な大学講演が始まったのは、現地時間の4月1日午後3時過ぎであった。日本時間では、4月2日、つまり戸田城聖の祥月命日の朝である。伸一は、講演の開始を待ちながら、戸田から世界広布を託された日のことがまざまざと思い起こされてならなかった。

伸一今、心で戸田に語りかけた。"先生!私は今日、アメリカの名門校として知られる、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に来ております。これから先生に代わって、先生に教えていただいた仏法の生命論の一端を語ってまいります。世界に向かって、創価思想の叫びを放ちます。弟子の戦いをご覧ください"伸一の胸に、微笑みながら頷く、戸田の顔が浮かんだ。師を思うと、勇気が涌いた。歓喜があふれた。それが師弟である。

ほどなく、嵐のような拍手が轟き、伸一の講演が始まった。


太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋

宗教裁判博物館

『新・人間革命』第19巻 凱歌の章 191P~ 

山本伸一が夕食を終えた頃、サンマルコス大学のゲバラ総長が、ホテルを訪れたのである。伸一の体を心配して、見舞ってくれたのだ。

総長夫人は ホテルの玄関で待っていた。一緒に訪ねたのでは山本会長を疲れさせてしまうと考えての配慮であった。総長夫人は総長を送って来た峯子を強く抱きしめ旅の無事を祈ると言った。

この時、ペルーで結ばれた、山本伸一とゲバラ総長との友情の絆が源流となり、サンマルコス大学と創価大学の交流が始まる。また、1981年4月、同大学は、伸一の世界的な平和活動と、科学、哲学、宗教、文化への貢献を高く評価し、南米の大学として初めて、彼に名誉教授の称号を贈っている。


出発の日、ペルー最後の一日を精力的に動いた。
なすべきことをしなければ、必ず悔いが残る。使命に生き抜こうと心を定めた人間にとっては、後悔は恥辱となる。

伸一は、出発までの時間を使い、前日訪問できなかった「ペルー中央日本人会」を訪ねた。肝心なのは、最後である。そこで手を抜いてしまえば、「九仭の功を一蕢に虧く」ことになる。

一行は空港へ向かう途中、「宗教裁判所博物館」に立ち寄った。インカ帝国を征服したスペインが1570年に開設したものである。スペインは「キリスト教の布教」による心の支配を考えていた。ペルーは300年近くにわたってスペインの植民地となり、この間、ローマ・カトリックの信仰に反する行為は、すべて禁じられたのである。

宗教裁判所では、キリスト教のカトリック以外の教えを信ずる異教徒や、異端と見なされた人たちは、厳しく審問され、拷問を受けた。

「人間の救済を掲げてスタートした宗教が、やがて異教徒を迫害、弾圧したり、宗教同士が戦争を引き起こしているのが、残念ながら人類の歴史といえる。本来、宗教は人間のためのものだ。ところが、その原点を忘れ、宗教のための宗教や、権威・権力のための宗教になってしまえば、宗教が人間を抑圧するという本末転倒が起こってしまう」

「人類の未来を考えるなら、宗教差別や宗教戦争を根絶していくために、人間という原点に立ち返って、宗教間、文明間の対話を展開していくことが、何よりも重要な課題になる。その突破口を開いていくのが、仏法者としての私の使命であると思っている。仏法の本義は、一言すれば、"人間宗"ともいうべき、人間生命の尊重の思想だよ」伸一の言葉には、なみなみならぬ決意があふれていた。

「宗教の名において、人間が抑圧されたり、尊い血を流す。そんなことは、絶対にあってはならない。」

宗教紛争には、長い歴史がある根深い憎悪や怨恨があり、一筋縄ではいかないかもしれない。しかし、憎み合い、人を殺し合っていれば、憎悪はますます深まり、その連鎖は果てしなく続く。

未来のために、これから生まれてくる人たちのために、そんな連鎖は、絶対に断ち切らねばならない。憎悪を友情に、反目を理解に変えるのだ。人間は皆、平和を求めているのだ。ゆえに、互いに一念を転換し、勇気の対話に踏み出すのだ。自身の心に巣くう、不信と憎悪と恐怖を打ち破るのだ。

伸一は、同行のメンバーに強い決意を込めて語った。「宗教間の紛争もそうだが、国家間の争いや、イデオロギーの対立をどう超えるかも、原理は同じだ。人間という根源にたって対話し、粘り強く、人間の心と心を結んでいく以外に解決の道はない。そこに、真実の平和の道、立正安国の道、人間の勝利の道があることを、私は生涯をかけてしめしていく覚悟だ」

午後4時過ぎ、飛行機は離陸し、空高く上昇していった。新しき、希望の明日に向かって。

< 凱歌の章 終了 >

太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋

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