『新・人間革命』第27巻 正義の章 194p~
戦後、波多の夫は9人の子どもを残して他界。彼女は必死に生きた。さまざまな信仰にもすがった。75万世帯達成をめざす広宣流布の弘教の波が、三重の山村にも広がる。露崎アキという婦人が実家の白山町に帰り、魚の行商をしながら女で一つで3人の娘を育てていた。彼女が波多に仏法の話をしたのだ。
波多は自分と同じ境遇でありながら、生き生きとした姿に魅了され、入会を決意した。露崎の、”日蓮大聖人の仏法は、自行化他の信心であり、自分の幸せしか考えない宗教は本当の宗教ではない”との言葉に、その通りだと、仏法対話に歩いた。
周囲の人たちから、猛反発が起こった。他の信仰をしていた時には、全くなかったことである。仏道修行に励めば魔が競い起こると、覚悟を決めることこそ、信心の第一歩である。新入会者に、弘教の実践とともに、それを徹底して教えてきたことによって、広宣流布の盤石な基盤がつくられたのだ。
幹部から”魔が競い起こるか否かによって、その教えが正しいかどうか、自分の信心が本物かどうかを、見極めることができる””法難に遭うことによって、過去背からの悪業を今世で消して、一生成仏することができる。だから、難を呼び起こしていく信心が大事なんです”と指導を受けた。
退転の本質は、臆病であり、保身にある。しかし、自己を正当化するために、問題を方法論などにすり替えて、正義の人を攻撃するのが、退転の途の常套手段である。いかに時代は変わろうが、信心ある人には、広宣流布の前進あるところには、必ず魔が競い、魔が襲う。
波多は、周囲のいかなる仕打ちにも、迫害にも挫けまいとの決意を固めた。入会した友を、その決意に立たせてこそ、本当の折伏である。それが、広宣流布の大いなる拡大の原動力になるのだ。
彼女は燃えていた。貧困に喘ぎ、汲々としてきた自分が、人びとを幸福にするために情熱を燃やしていること自体、不思議な気がするのである。「楽して、楽してかなわんわ」それが、彼女の口癖であった。やがて、子どもたちも、全員、信心に励むようになった。さらに、家も新築することができたのである。
何を言われようが、どんな目に遭おうが、自分が弘教した人が、功徳を受け、幸せになっていくことに勝る喜びはなかった。
伸一が、波多に「いちばん辛かったこと、悔しかったことはなんですか」と尋ねると、「葬式に、正宗の坊さんがきてくれんだことですわ…」と口ごもりながら答えた。そして、露崎と二人で勤行し、野辺送りを済ましたが、それがよかったのかと思い続けていたのだ。伸一は、「故人も、最高に喜んでいるでしょう」と包み込むように言った。
同行の幹部に「君たちは、大学を出て、若くして幹部になったことで、自分は偉いかのように思ったりしてはいけません。そんな考えが微塵でもあるなら、既に生命が慢心に毒されている証拠です。君たちには、地域広布に命をかけてきた、このおばあちゃんのような戦いはできていないではありませんか!」厳しい口調であった。
「幹部は、寸暇を惜しんで、皆の激励に回ることです。“もう一軒、もう一軒”と、力を振り絞るようにして、黙々と個人指導を重ねていくんです。何度も何度も、粘り強く、個人指導を重ねてこそ、人材の大地が耕されていくんです」
三重支部結成18周年の記念幹部会に出席した。この席でも、個人指導重要性について訴えた。「一人でいたのでは、信心の触発や同志の激励がないため、大成長を遂げることも、試練を乗り越えていくことも極めて難しい。私どもが、個人指導を最重要視して、対話による励ましの運動を続けているゆえんも、そこにあるんです。
自分一人の信仰では、進歩も向上も乏しい。我見に陥り、空転の信心になりやすい。ゆえに広宣流布のために和合の組織が必要不可欠であることを、私は強く訴えておきたい」伸一にとっては、一回一回の会合が、一人ひとりの同志との出会いが、生命触発の“戦場”であった。真剣勝負であった。広布破壊の悪侶らは次第に数を増し、牙を剥き、愛する同志を虎視眈々と狙っていたからである。
魔の執拗な攻撃を打ち破るには、正義の獅子吼を発し続けるしかない。
4月30日「千葉文化祭」を鑑賞した。
牧口・戸田の両会長が日蓮仏法に帰依して満50年を迎えようとする今、本来ならば、創価学会を最も賞賛すべき僧のなかから、死身弘法の決意で広宣流布を進める学会を悪口し、その仏意仏勅の組織を攪乱しようとする悪侶たちが出たのだ。
伸一は、時の不思議さを感じた。そして、「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし」との御文を、噛みしめるのであった。
<正義の章 終了>
波多は自分と同じ境遇でありながら、生き生きとした姿に魅了され、入会を決意した。露崎の、”日蓮大聖人の仏法は、自行化他の信心であり、自分の幸せしか考えない宗教は本当の宗教ではない”との言葉に、その通りだと、仏法対話に歩いた。
周囲の人たちから、猛反発が起こった。他の信仰をしていた時には、全くなかったことである。仏道修行に励めば魔が競い起こると、覚悟を決めることこそ、信心の第一歩である。新入会者に、弘教の実践とともに、それを徹底して教えてきたことによって、広宣流布の盤石な基盤がつくられたのだ。
幹部から”魔が競い起こるか否かによって、その教えが正しいかどうか、自分の信心が本物かどうかを、見極めることができる””法難に遭うことによって、過去背からの悪業を今世で消して、一生成仏することができる。だから、難を呼び起こしていく信心が大事なんです”と指導を受けた。
退転の本質は、臆病であり、保身にある。しかし、自己を正当化するために、問題を方法論などにすり替えて、正義の人を攻撃するのが、退転の途の常套手段である。いかに時代は変わろうが、信心ある人には、広宣流布の前進あるところには、必ず魔が競い、魔が襲う。
波多は、周囲のいかなる仕打ちにも、迫害にも挫けまいとの決意を固めた。入会した友を、その決意に立たせてこそ、本当の折伏である。それが、広宣流布の大いなる拡大の原動力になるのだ。
彼女は燃えていた。貧困に喘ぎ、汲々としてきた自分が、人びとを幸福にするために情熱を燃やしていること自体、不思議な気がするのである。「楽して、楽してかなわんわ」それが、彼女の口癖であった。やがて、子どもたちも、全員、信心に励むようになった。さらに、家も新築することができたのである。
何を言われようが、どんな目に遭おうが、自分が弘教した人が、功徳を受け、幸せになっていくことに勝る喜びはなかった。
伸一が、波多に「いちばん辛かったこと、悔しかったことはなんですか」と尋ねると、「葬式に、正宗の坊さんがきてくれんだことですわ…」と口ごもりながら答えた。そして、露崎と二人で勤行し、野辺送りを済ましたが、それがよかったのかと思い続けていたのだ。伸一は、「故人も、最高に喜んでいるでしょう」と包み込むように言った。
同行の幹部に「君たちは、大学を出て、若くして幹部になったことで、自分は偉いかのように思ったりしてはいけません。そんな考えが微塵でもあるなら、既に生命が慢心に毒されている証拠です。君たちには、地域広布に命をかけてきた、このおばあちゃんのような戦いはできていないではありませんか!」厳しい口調であった。
「幹部は、寸暇を惜しんで、皆の激励に回ることです。“もう一軒、もう一軒”と、力を振り絞るようにして、黙々と個人指導を重ねていくんです。何度も何度も、粘り強く、個人指導を重ねてこそ、人材の大地が耕されていくんです」
三重支部結成18周年の記念幹部会に出席した。この席でも、個人指導重要性について訴えた。「一人でいたのでは、信心の触発や同志の激励がないため、大成長を遂げることも、試練を乗り越えていくことも極めて難しい。私どもが、個人指導を最重要視して、対話による励ましの運動を続けているゆえんも、そこにあるんです。
自分一人の信仰では、進歩も向上も乏しい。我見に陥り、空転の信心になりやすい。ゆえに広宣流布のために和合の組織が必要不可欠であることを、私は強く訴えておきたい」伸一にとっては、一回一回の会合が、一人ひとりの同志との出会いが、生命触発の“戦場”であった。真剣勝負であった。広布破壊の悪侶らは次第に数を増し、牙を剥き、愛する同志を虎視眈々と狙っていたからである。
魔の執拗な攻撃を打ち破るには、正義の獅子吼を発し続けるしかない。
4月30日「千葉文化祭」を鑑賞した。
牧口・戸田の両会長が日蓮仏法に帰依して満50年を迎えようとする今、本来ならば、創価学会を最も賞賛すべき僧のなかから、死身弘法の決意で広宣流布を進める学会を悪口し、その仏意仏勅の組織を攪乱しようとする悪侶たちが出たのだ。
伸一は、時の不思議さを感じた。そして、「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし」との御文を、噛みしめるのであった。
<正義の章 終了>
太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋