『新・人間革命』第7巻 操舵の章 P342~
本部幹部会で発表された2月度の弘教は、なんと学会始まって以来の、16万世帯余であった。300万世帯を達成した学会の勢いはとどまることを知らなかった。
布教がますます歓喜を呼び覚まし、さらに、布教への活力となっていったのである。しかも、同志は、自分たちのそうした日々の活動が、着実に社会を変えている手応えを感じていた。
公明会は前年の参議院選挙で候補者が9人当選し非改選の6人と合わせて15人になったことを契機に、独立会派として結成された。3月に開催する地方大会に山本伸一に出席を依頼した。
伸一は、制度的には一定の距離を置き、それぞれ自主的に運営していくべきだとの判断から、当初、公明会の国民大会に出席するつもりはなかったが、原山の懸命の説得もあり、学会と公明会や公政連の関係を十分に理解できないでいる人がいることから、考え方を明らかにするために出席することにした。
第一に、確認すべきは、公明会の精神である。既成政党は、大企業や労働組合の擁護、利益を考え、全の幸福ということを忘れているといってよい。こうした偏狭な既成政党の悪弊を打破して、全国民が、全民衆が、等しく政治の恩恵を受け、幸せになれる政治を実現することが、公明会結成の原点であったはずである。
創価学会が政治を牛耳るなどといった狭小な考えから、公明政治連盟を、あるいは、公明会をつくったのではないことを、徹底しておくべきであろう。
第二には、公明会はまだ、少数勢力にすぎない。その公明会が現実の政治の世界で、自分たちの主張を実現していくうえでは、時には他の勢力と強力しあっていくこともあるであろう。現実の政治は、ある意味で妥協がなければ成り立たない世界であるといえる。
そして、そうした具体的な対応については、支援団体である学会は、一線を画し、すべて公明会にまかせていくという原則を明らかにしなければならない。
第三に、“政治を監視せよ”というのが戸田先生の指導であった。学会は、各政党の在り方にも厳しく監視の目を向けていくが、それは公明会に対しても同様である。もし、公明会の議員が堕落し、私利私欲に走り、所期の目的とその精神を忘れ、不祥事を起こすようなことがあれば、学会はそうした人物とは徹底して戦うことを、明言しておく必要があると伸一は思った。
公明会の国民大会での伸一のあいさつは、この三つの骨子を踏まえて行われた。また、「昭和の岩窟王」といわれた吉田岩松翁の冤罪事件について述べた。
伸一自身、無実の罪で裁判闘争を展開してきただけに、彼の苦しみ、悲しみ、怒りを誰よりもよく理解することができた。戦わずして、人権は守り抜けないことを教えているともいえる。
「公明会は、その権力に監視の目を向け、もしも、権力が魔性の牙をむいたならば、民衆の幸福、人権擁護のために、身を賭して戦う勇者であっていただきたいのであります。権力の魔性と命をかけて戦おうとせず、民衆を守りきれぬ政治家であれば、民衆を自分の選挙のために利用し、踏み台にしているだけにすぎません。それ自体が、既に自らが権力の魔性に同化した姿であります。どうか、公明会の皆さんは、人権を守り抜くために戦う、勇敢な闘志であってください。」
今後、公明会が多くの国民の支持を得ていけばいくほど、その母体である創価学会に対して、既成政党が圧力を加えてくるであろうことが予感されたからである。
布教がますます歓喜を呼び覚まし、さらに、布教への活力となっていったのである。しかも、同志は、自分たちのそうした日々の活動が、着実に社会を変えている手応えを感じていた。
公明会は前年の参議院選挙で候補者が9人当選し非改選の6人と合わせて15人になったことを契機に、独立会派として結成された。3月に開催する地方大会に山本伸一に出席を依頼した。
伸一は、制度的には一定の距離を置き、それぞれ自主的に運営していくべきだとの判断から、当初、公明会の国民大会に出席するつもりはなかったが、原山の懸命の説得もあり、学会と公明会や公政連の関係を十分に理解できないでいる人がいることから、考え方を明らかにするために出席することにした。
第一に、確認すべきは、公明会の精神である。既成政党は、大企業や労働組合の擁護、利益を考え、全の幸福ということを忘れているといってよい。こうした偏狭な既成政党の悪弊を打破して、全国民が、全民衆が、等しく政治の恩恵を受け、幸せになれる政治を実現することが、公明会結成の原点であったはずである。
創価学会が政治を牛耳るなどといった狭小な考えから、公明政治連盟を、あるいは、公明会をつくったのではないことを、徹底しておくべきであろう。
第二には、公明会はまだ、少数勢力にすぎない。その公明会が現実の政治の世界で、自分たちの主張を実現していくうえでは、時には他の勢力と強力しあっていくこともあるであろう。現実の政治は、ある意味で妥協がなければ成り立たない世界であるといえる。
そして、そうした具体的な対応については、支援団体である学会は、一線を画し、すべて公明会にまかせていくという原則を明らかにしなければならない。
第三に、“政治を監視せよ”というのが戸田先生の指導であった。学会は、各政党の在り方にも厳しく監視の目を向けていくが、それは公明会に対しても同様である。もし、公明会の議員が堕落し、私利私欲に走り、所期の目的とその精神を忘れ、不祥事を起こすようなことがあれば、学会はそうした人物とは徹底して戦うことを、明言しておく必要があると伸一は思った。
公明会の国民大会での伸一のあいさつは、この三つの骨子を踏まえて行われた。また、「昭和の岩窟王」といわれた吉田岩松翁の冤罪事件について述べた。
伸一自身、無実の罪で裁判闘争を展開してきただけに、彼の苦しみ、悲しみ、怒りを誰よりもよく理解することができた。戦わずして、人権は守り抜けないことを教えているともいえる。
「公明会は、その権力に監視の目を向け、もしも、権力が魔性の牙をむいたならば、民衆の幸福、人権擁護のために、身を賭して戦う勇者であっていただきたいのであります。権力の魔性と命をかけて戦おうとせず、民衆を守りきれぬ政治家であれば、民衆を自分の選挙のために利用し、踏み台にしているだけにすぎません。それ自体が、既に自らが権力の魔性に同化した姿であります。どうか、公明会の皆さんは、人権を守り抜くために戦う、勇敢な闘志であってください。」
今後、公明会が多くの国民の支持を得ていけばいくほど、その母体である創価学会に対して、既成政党が圧力を加えてくるであろうことが予感されたからである。
太字は 『新・人間革命』第7巻より