小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

政治と宗教

地方の時代への提言

『新・人間革命』第29巻 力走の章 123p~
<力走の章 開始>

1978年(昭和53年)11月18日、創価学会創立48周年を記念する幹部会が、東京・荒川文化会館で盛大に開催された。

席上、会長・山本伸一は、学会が7年ごとに前身の節を刻んできた「7つの鐘」が、明年には鳴り終わることを述べ、その翌年の80年から2000年まで、5年単位に、21世紀への新たな前進の節を刻んでいくことを発表した。

また、「11・18」を記念して、今や人類的課題となった環境問題を中心に、「地方の時代」などについての提言を行うことを語った。提言では、まず、「地方の時代」が叫ばれ始めた背景について論じていった。

山本伸一は、記念提言で、「地方の時代と創価学会の役割」にも言及していった。そして、社会に生きる限り、「私ども一人ひとりも、地域に深く信頼の根を下ろし、人びとの心のひだの奥にまで分け入り、苦楽を共にし合う決意がなくてはならない。そうした地道な精神の開拓作業のなかにしか広布の伸展もないし、また、真実の復興もあり得ない」と訴えたのである。

ついで、環境問題について論じるにあたり、巨大産業による公害などもさることながら、最も大きな環境破壊をもたらしてきたものは、今も昔も戦争であると語った。

「エゴイズムの正当化」によって科学技術の発達がもたらされたが、そうした人間中心主義は、公害の蔓延等の事実が示すように、既に破綻をきたしている。東洋の発想である自然中心の共和主義、調和主義へと変わらなければ、環境問題の抜本的な解決は図れない。

伸一は、戦争をはじめ、核の脅威、自然・環境破壊、貧困、飢餓など、人類の生存さえも脅かす諸問題の一つ一つを、断固として克服しなければならないと決意していた。そのために、仏法という至極の英知を広く世界に伝え抜いていくことを、自らの“戦い”としていた。

そして、日々、人類の頭上にに広がる破滅の暗雲を感じながら、“急がねばならぬ”と、自分に言い聞かせていたのである。記念提言の論述は、核心に入っていった。

伸一は、今や世界は一体化しており、なかでも自然・環境破壊は、一国や一地域を越えて、全地球に壊滅的な影響をもたらすと警告を発した。そして、各国の英知を結集して、全地球的規模において人類が生き延びる方策を研究、討議し、具体的な解決策を見いだしていくべきである。そのための話し合いと取り決めの場として、「環境国連」の創設を提唱したのだ。

さらに、環境破壊をもたらした大量消費文明を築き上げてきたのは、人間の欲望のとめどなき拡大であり、その欲望を限定、抑制することこそ、最重要の課題であると訴えた。

「そのためにも、そうした英知を開発する哲学、なかでも宗教の重要性を訴えたいのであります。“もの”から“こころ”へ、物質至上主義から生命至上主義へーーすなわち、御書に仰せの「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」との価値観が、今ほど要請される時代はありません。

この価値観が、人びとの心に定着していく時、人類のかかえる大きな問題も、いかなる試練があろうと、もつれた糸をほぐすように、解決の方向へ進むと、私は確信しております。“内なる破壊”が“外なる破壊”と緊密に繋がっているとすれば、“内なる調和”が、“外なる調和”を呼んでいくことも、また必然であるからであります」
仏法の視座からの、伸一の叫びであった。

記念提言の最後に、伸一は、ヨーロッパで起こったルネサンス運動について論じた。ルネサンスは、一切に君臨していた絶対神を個人の内面へおろした、画期的な時代の流れであったといってよい。

「私は、これからの理念は、人びとの心の奥に根をおろした宗教から発するものでなければならないと信じております。外なる権威の絶対化から、一個の人間の内なる変革を第一義とすべき時代に入ってきている。

それは、地道ではあるが、第二次ルネサンスともいうべき、時代の趨勢とならざるをえないと考えるのであります。その主役は、一人ひとりの庶民であり、その戦いは、自己自身の転換から出発すべきであります」
そして伸一は、それを可能にする道は、日蓮大聖人の仏法にあることを示して、結びとしたのである。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋

神札事件

『新・人間革命』第27巻 正義の章 114p~

結局、不惜身命の決意で正法正義を守り抜いたのは牧口と戸田の師弟だけであった。牧口と戸田の、死身弘法の大精神が、未来永劫に脈動し続けていってこそ、創価学会の魂は受け継がれ、広宣流布の清流が、大河となって広がっていくのだーーそう山本伸一は痛感していた。

人間の一念、精神にこそ、広布前進の原動力がある。ゆえに伸一は、諸会合などで、両会長の闘争と精神を訴えぬくとともに、末法広宣流布のうえで、二人が果たした甚深の意義についても、さまざまな角度から言及していった。そして、両会長の遺徳を宣揚するとともに、その精神と実践を伝え残し、継承していくために、全国の主要会館等に恩師記念室を設置するよう提案し、推進してきた。

日本の既成仏教は、長い間、政治権力に与してきた。江戸時代になると、寺請制度によって大きな力を得た。各寺院の発給する寺請証文は、いわば、戸籍の役割を担い、徳川幕府のもとで民衆の支配機構として絶大な権力を振るうようになっていった。

さらに寺院は、葬儀などの法事、儀式を執り行うことによって、布施、供養を得て、富を手にしていく。また、檀信徒を下に見る僧侶中心主義に陥り、葬儀や先祖供養などの儀式を重視する葬式仏教へと、仏教そのものを変質させていった。

僧侶の妻帯が認められると、それを受け入れ、世俗にまみれていったのである。宗門も例外ではなかった。明治に入って条件付きながら信教の自由が認められても、僧侶が折伏・弘教に奔走する姿は、ほとんど見られなかった。

牧口常三郎は、日蓮仏法に深く感銘し、日蓮正宗信徒として信仰の一歩を踏み出す。しかし、牧口は、既成仏教化した宗門の信心の在り方、つまり“寺信心”に甘んじようとしたのではない。本来の日蓮大聖人の教えに立ち返り、その御精神のままに、真正の日蓮門下の大道を歩もうとしたのである。

「仏教の極意たる『妙法』が万人必然の生活法則たることを、科学的に実験証明しよう」ーーそれが、牧口常三郎の企図であった。

さらに、牧口は、こう述べている「失礼ながら僧侶方の大概は御妙判と称して御書やお経文によつて説明はして下さるが、現証によって説明してくださらないのを遺憾とする」実生活において悩み苦しむ人に徹して関わろうとせず、苦悩を乗り超える道が仏法にあることを、大確信をもって訴えられぬ僧侶への、鋭い指摘といってよい。

また、彼は、仏法の法理の上から、魔が競い起こらぬ宗門の信心の在り方に疑問を投げかけている。本当の信心があれば、魔は怒涛のごとく競い起こるものであるからだ。

宗門も含め、日本の仏教各派が宗論を回避し、教えの高低浅深を問うことなく、もたれ合っていた時代のなかで牧口は、宗教の検証に着手し、宗教革命の烽火を上げたのである。牧口の起こした創価教育学会の宗教運動は、長く民衆を支配してきた僧侶によるものではなく、在家、民衆の手による宗教革命であった。

牧口は、日蓮正宗も、時代の変遷のなかで、儀式主義に陥り、葬式仏教化していたことに、強い危惧をいだいていた。それでは、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を成就していくことはできないからだ。

後に牧口は、次のように語っている。「私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此処に創価教育学会の特異性があるのであります」端的に言えば学会は、人びとの幸福生活を確立することによって、御本尊の力、大聖人の仏法の力を実証し、広宣流布を推進してきたのだ。

しかし、学会が宗教の教えには、高低浅深があり、人生の根本法則である正法への信・不信が、生活上に価値(功徳)・反価値(罰)、幸・不幸の現証もたらすことを訴えていくと、宗内からは強い反発が起こった。葬式仏教となった他宗派に同化して、折伏精神を失っていた僧たちは、大聖人の仰せ通りに、仏法の王道を突き進むことを恐れていたのである。

広宣流布を忘れ、その実践を失えば、難が起こることはない。だが、そうなれば、大聖人の御精神を、魂を、捨て去ることになるのだ。それを物語る驚くべき出来事が起こった。いわゆる「神札事件」である。国家神道を精神の支柱にして、戦争を遂行しようとする軍部政府は、思想統制のため、天照大神の神札を祭るよう、総本山に強要してきた。

そして、法主・鈴木日恭ら立ち合いのもと、「学会も、一応、神札を受けるようにしてはどうか」との話があったのだ。宗門は、既に神札を受けることにしたという。軍部政府の弾圧を恐れ、迎合したのである。


太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

先師牧口常三郎生誕100年

『新・人間革命』第15巻 開花の章 300P~ 

<開花の章 開始>

1971年(昭和46年)6月6日は、先師牧口常三郎の生誕百年にあたり、牧口の胸像の除幕式が、東京・信濃町の聖教新聞社で行われた。

誤った思想、宗教は人間を不幸にする。正法に目覚め、大善生活を送れーーというのが、牧口の叫びであった。正義によって立つ彼の批判は、国家神道にも、容赦なく向けられた。

しかし、思想統制を行い、国家神道を精神の支柱にして戦争を遂行する軍部権力が、それを許すはずがなかった。会長の牧口常三郎、理事長の戸田城聖が拘束され、最終的には、逮捕者は幹部21人に上ったのである。

だが、牧口は屈しなかった。拘置所の係官は何度も牧口に、病監に移るように進めたが、彼は辞退し続けた。しかし、自ら病監に移ることを申し出た翌日11月18日息を引き取った。

牧口常三郎が推進した創価教育学会の運動は、日蓮仏法をもって、人びとの実生活上に最大価値を創造し、民衆の幸福と社会の繁栄を築き上げることを目的としていた。

自分が法の利益を受けるために修行に励むだけでなく、他人に利益を受けさせるために教化、化導していく「自行化他」が、日蓮仏法の修行となる。

そしてまた、日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。

ところが、日本の仏教は、寺にこもり、世の安穏や死後の世界の安楽を願って、経などを読むことでよしとしてきた。社会の建設を忘れた宗教は、現実逃避であり、無力な観念の教えにすぎない。大聖人は、そうした仏教の在り方を打ち破る、宗教革命を断行されたのである。

創価教育学会は、最盛期といえども、会員は三千人ほどの小さな団体にすぎなかった。だが、小さくとも、正義の教団であった。唯々諾々と軍部政府に従う、権力に骨抜きにされた宗教ではなかった。

ここに邪宗門と化す宗門との根本的な違いがあった。権力は民衆を支配し、隷属させ、意のままに操ろうとする”魔性”をもつ。それゆえに、獰猛な弾圧の牙を剥き、学会に襲いかかったのだ。

戦後、時代は、軍国主義から民主主義へと変わった。学会は、民衆のスクラムを広げ、「立正安国」の実現のために、文化・社会の建設に着手した。政治を民衆の手に取り戻すために、政治の変革にも取り組んでいったのである。

そこに、国家権力をはじめ、既得権益をむさぼり、権力の“魔性”の毒に侵された諸勢力は、強い怖れと危機感をいだいた。そして学会への攻撃、迫害が繰り返されたのである。

地域で、権勢をふるう有力者らの画策による村八分。既成宗派の寺院が、学会員の遺骨の埋葬を拒否した墓地問題。北海道の夕張炭鉱で、「天下の炭労」と言われた炭労労働組合が、学会員を締め出そうとした夕張炭労事件。山本伸一が選挙違反という無実の容疑で不当逮捕された大阪事件・・・。

さらに、教団の名誉を棄損する虚偽の報道など、マスコミによる誹謗中傷も繰り返されてきたのである。伸一が第三代会長に就任してからは、攻撃の的は、会員の団結の要である彼に絞られていった。しかも、その弾圧の手口は、次第に、巧妙、狡猾になっていったのだ。

学会に偏見と嫉妬をいだく評論家や学者などを使って、非難の集中砲火を浴びせ、学会排斥の世論をつくろうと躍起になる、新聞や週刊誌も少なくなかった。

国会で議員が、事実無根の話を織り交ぜ、学会を激しく中傷し、会長の伸一を証人喚問せよと騒ぐ、卑劣極まりない宗教弾圧の暴挙も、何度となく繰り返された。

権力の“魔性”といっても、それは権力を手中に収めた人間の生命に宿る"魔性"である。
ゆえに、創価学会が「広宣流布」と「立正安国」の使命を果たし抜くためには、権力の弾圧、迫害と永遠に戦い、勝ち越えていく以外にない。


太字は 『新・人間革命』第15巻より 抜粋

創価学会は保守か革新か

『新・人間革命』第8巻 布陣の章 P18~

会長就任3周年の本部総会での山本伸一の講演となった。
伸一は、この席で、4月に行われた統一地方選挙の際に、一部の評論家やマスコミが盛んに取り上げた、”学会は保守か、革新か”という問題を明らかにしておきたかった。

「創価学会は、どれほど社会のために貢献しても、決して、ほめられることはなく、常に批判にさらされてまいりました。しかし、その批判の根拠は何かを見ていきますと、極めてあいまいなものにすぎません。」

「世間は、学会を保守か革新かに立て分けたいと思いながらも、確かな答えを出せないでいるのが実情のようです。そもそも、保守・革新という枠にあてはめ、物事をとらえようとする考え自体が、いかに革新を口にしようが、既に保守的な思考に凝り固まった行き詰まった姿であると、私は思うのであります。」

ついで伸一は、学会の根本的な立場について、言及していった。「経文には、『無量義とは一法より生ず』と仰せですが、南無妙法蓮華経を、御本尊を根本とし、日蓮大聖人の生命の大哲理を根底に、全世界の民衆を幸福にし、永遠の平和を築いていくのが、学会の精神であります。」

「したがって、保守の人であろうが、革新の人であろうが、三世のうえから、すべて平等に幸福の道を教えていくのが、私どもの使命といえます。」

「自由主義も社会主義も、保守も、革新も、ともに指導していく大哲理に生きるのが、わが創価学会です。」

伸一は、大事な会員が、学会を政治の次元でとらえようとする世間の論評に惑わされ、信仰の王道を見失っていくことを憂慮していたのである。
さらに、公明政治連盟の拡大につれ、学会を利用したり、便乗して、学会の組織をせんきょのために上手に操ろうとする人間が、出てくることを警戒していた。

「私どもは、どこまでも、信心第一に進んでまいりたいと思うのであります。」「人間の本当の輝きは、なんによって決まるか。」「日蓮大聖人の弟子として、仏の使いとして、不幸な人びとの味方となりゆくことです。そのわが使命に生き抜く時に、最高最大の歓喜と輝きの人生を歩むことができる。」

「この内なる生命の燃焼こそが、色褪せぬ人間性の輝きであり、三世を荘厳する光彩であります。ゆえに、生涯、流れる水のごとき信心を貫き、自身を成長させながら、また、一家の和楽を築きながら、尊き使命の大道を、誉の大道を、ともどもに前進していこうではありませんか」

今、会長就任三周年の、新しき旅立の号砲は鳴りわたった。決意を込めた拍手が、ドームに響きわたった。

山本会長が上着を脱ぎ、扇を手にして、すっくと立ち上がた。伸一は大空を舞う大鷲のように、悠々と、堂々と舞い始めた。

この日から、また再びの伸一の陣頭指揮が始まったのである。
彼は、自らの行動を通して、学会の真実の精神を、幹部の在り方を、皆に教えようとしていたのである。

太字は 『新・人間革命』第8巻より

権力の魔性

『新・人間革命』第7巻 操舵の章 P360~

山本伸一は 選挙違反という無実の容疑で逮捕され、出獄した時の、
戸田城聖の言葉を思い返した。

「今回の事件は、私が 弟子たちを参議院に送ったことから起こった。国家権力は、新しい民衆勢力が台頭してきたことに恐れをいだいた。民衆を組織した学会の団結が怖いのだ。だから、学会を叩きつぶそうとして、私を逮捕しようとした。そのために、会員の小さな選挙違反を見つけて、無理にでも会長である私に結びつけようとした」と語った。

「私を捕らえて、犯罪者にすれば、学会は極めて反社会的な、犯罪集団であるとのイメージをつくることができる。リーダーを狙い撃ちにするというのは、弾圧の常套手段なのだ。」

「伸一、君を逮捕し、責め立てたのも、私に操作の手を伸ばしたかったからだ。だが、君は、それを見破った。そして、罪を一身に被ろうとした・・・」この時、戸田の目頭が潤んだ。その瞬間の光景が、伸一の心に焼きついて離れなかった。

「今回のことは、君の人生にとっては、予行演習のようなものだ。やがて将来、権力は魔性の牙をむいて、本格的に襲いかかってくるに違いない。弾圧は、決して戦時中の昔の話ではないよ。」

「権力のもつ、魔性の本質は何も変わっていない。それだけに、より巧妙な手口で、弾圧することになる。それが、いつ起こるかはわからないが、学会がもっと社会的にも力をつけ、飛躍的に発展した時が危ないぞ。」

「学会を封じ込めるために、なりふり構わず、卑劣な攻撃を仕掛けてくるだろう。その時は、君が狙われることになる。覚悟しておくことだ。」

「日蓮大聖人は、『今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり』と仰せだ。大聖人は、味方よりも、強敵が人をよくすると言われているのだ。大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。獅子になる!」

「学会が難をうけた時に、自分には、直接、関係ないといって黙って見ているのか、自分も難の渦中に躍り出て、勇んで戦っていくのかが、永遠不滅なる生命の勝利、すなわち、一生成仏ができるかどうかの境目といえる。」

「また、難が起これば、人間の真価がわかるし、一人ひとりの信心の真偽も明らかになる。そして、学会を利用しようとしていた者や、臆病者は去って行く。難はまやかしの信仰者を淘汰し、獅子をつくる。それでよいのだ」
伸一は、この時の戸田の言葉を、片時も忘れることはなかった。

政権党の大物代議士が、伸一とケネディとの会見に横槍を入れてきたことも、その一つの現れといえるだろう。

学会を封じ込めるために、ありとあらゆる手段を駆使してくるに違いない。

あとで、いかに無実が証明されても、会長である自分を逮捕や起訴に持ち込み、大々的に報道させれば、学会は危険極まりない、反社会的な犯罪集団であるかのようなイメージを定着させることができる。そうなれば社会的な信用を失い、学会は孤立していくことになるからだ。

あるいは、退転者を取り込み、“内部告発”というかたちをとって、ありもしないスキャンダルをでっち上げることも十分に考えられる。

その虚偽の“告発”を、一部のマスコミを使って流すことによって、会員に不信感を植えつけ、団結に亀裂を生じさせようとする謀略である。

いずれにせよ、政党から宗教団体、マスコミなど、学会の前進を恐れる、ありとあらゆる勢力が、学会憎しの一点で、主義主張もかなぐり捨てて手を結び、集中砲火を浴びせる事態が、必ずくるに違いないーー。

伸一は、戸田城聖が詠んだ、一首の和歌を思い起こした。

いやまして 険しき山に かかりけり
 広布の旅に 心してゆけ


やがて至るであろう広宣流布の険路を思うと、彼の胸に、闘魂が赤々と燃え上がるのであった。



太字は 『新・人間革命』第7巻より

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