小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

新・人間革命  第1巻

あとがき

『新・人間革命』第1巻 「あとがき」 P347

あとがきで 池田先生は つづっている。


命の続く限り、私は書き続ける。
正しい仏法とは何か。
正しい人生とは何か。
そして、何が歴史の「真実」か。人間にとっての「正義」の戦いとは何かを。
そこに、人類の未来を開く、一筋の道があるからだ。


創価学会の歴史は、まさに、迫害の連続であった。・・・


日本は民主主義の時代となった。しかし、・・・


民衆の自立のための、確かな哲学・宗教がなかった。
ゆえに、たやすく国家の権力や世の中の大勢に迎合する付和雷同の風土も、
なんら変わることがなかったといってよい。

創価学会は、その「哲学なき社会」のなかで、民衆の時代を築くために、
仏法の生命の哲学を掲げ、「正義」と「良心」の叫びをあげたのである。・・・



何も行動しょうとせず、ひたすら傍観者を決め込むならば、批判されることはあるまい。
しかし、民衆のため、平和のために生きることは、信仰者の使命である。
また、そこに創価の仏法の不滅の精神がある。

私は、その「真実」を書き残すために、小説『人間革命』、そして、
『新・人間革命』の筆を執ってきたのである。・・・



師の偉大な「構想」も、弟子が「実現」していかなければ、すべて幻となってしまう。
師の示した「原理」は「応用」「展開」されてこそ価値を持つ。
ならば、師なき後の弟子の生き方を書きとどめてこそ、
広宣流布の永遠の方程式を記すことができると考えたからである。

また、私とともに、弟子として立ち上がり、人びとの幸福と世界の平和のために、
広宣流布の聖業に献身し抜いてくれた同士のことを、「民衆の英雄」のことを、
断じて書き記しておきたかったからでもある。




『新・人間革命』を執筆されることによって、池田先生は
創価三代の精神を命がけで 後世に、永遠にとどめようとされた。


そして、1993年 8月6日 長野研修道場で、最初の原稿を
書き始められたのである。

その時、池田先生は 65歳。


それから30巻を書きあげるまでには
限りある命の時間との壮絶な闘争となるに違いない。
しかし、自身のこの世の使命を果たし抜いてこそ、まことの人生である。




1993年11月18日 聖教新聞連載開始。
1998年1月2日 『新・人間革命』1巻が発刊された。
池田先生が 70歳 古希を、迎えた日。


「70歳まで・・・新しき人間主義の哲理を確立
 80歳まで・・・世界広布の基盤完成なる哉 このあとは、
 妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する」 
と「随筆 新・人間革命」で、語っている。




太字は 『新・人間革命』第1巻「あとがき」より抜粋




人事任命

『新・人間革命』第1巻「開拓者の章」 P332

ロスアンゼルスに支部が誕生した!

セントルイス、オリンピック、ファースト、ウェスト、ロングビーチ
サンディエゴの 6地区が 結成される。


支部長に任命されたイシバシ、婦人部長に任命されたクワノは 
「とてもできないので、他の人にやってもらったほうが・・」
「そんな力はありません・・・」としりごみするが、伸一に指導されて
決意を新たにする。

その人事に嫉妬の炎を燃やしたのが、カズコ・エリックだった。
クワノは渡米してわずか10か月。活動で大きな成果を残したわけでもない。

エリックは米軍兵と結婚し、渡米。
嫁姑問題や 結核による入国許可延期など、
難問を すべて 信心で乗り越えてきた体験がある。

信心への情熱や 行動力は 誰もが評価していた。

人事に納得がいかないエリックに対し、山本伸一(池田大作)は
厳しい口調で言った。

「学会の組織は、あくまでも日蓮大聖人の御聖訓のままにすすみゆくための、
信心の組織です。自分が中心者にならなければいやだというのは、信心ではありません。

それでは、名聞名利です。わがままです。

仏意仏勅の団体である学会の団結を乱すことになる。

これまで、どんな戦いをし、実績をあげようが、自分の感情によって自身の
信心が破れた姿です。

また、役職につかないというのも、同じくわがままです。
謙虚さの仮面を被った怠慢であり、利己主義です。

広宣流布のためにはなんでもやろう、みんなのために奉仕しようというのが
仏道修行です。」


それを聞いても納得がいかず、悔し泣きをしていたエリックだったが、
御本尊に唱題するうちに 冷静になり、自分が 信心ではなく 
名聞名利だったと気づき、素直に純真に信心を続けることを伸一に誓う。


一人の活躍や 一途な情熱は 評価したうえで、組織が発展するには
皆の調和を図り、一人一人の力を最高に生かし、組織の総合力を高めていくことが
大事な要件である。
また、リーダーには 良識や冷静さ、緻密さも求められる。・・・


組織の力というのは、人と人との組み合わせによって決まると言ってよい。
むしろ、タイプも、個性も、考え方も違う幹部が力を合わせることによって、
多種多様な人材をはぐくみ、いかなる問題にも対処できる、幅の広い
人間組織が出来上がるのである。
つまり、人の和こそが組織の強さに他ならない。



太字は 『新・人間革命』第1巻「開拓者の章」より抜粋




誓願の祈りとは

『新・人間革命』 開拓者の章 P295


ブラジルで新たに始めた野菜作りに失敗し、借金が膨らんでしまったと言う
壮年の質問に答える山本伸一


“この人は自分なりに一生懸命働いてきたにちがいない。
しかし、誰もが一生懸命なのだ。それだけで良しとしているところに
「甘さ」があることに気づいていない。”


伸一は 原因を徹底して究明し、成功した人の話を聞き、
失敗しないための十分な対策をたてることだと話す。


「真剣勝負の人には常に研究と工夫がある。それを怠れば成功はない。
 信心をしていれば、自分の畑だけ豊作になるなどと、思ったら大間違いです」

「仏法というのは最高の道理なんです。ゆえに信心の強情さは、人一倍、研究し
 工夫し、努力する姿となって現れなければならなりません。」


「その挑戦のエネルギーを湧き出させる源泉が真剣な唱題です。
 それも“誓願”の唱題でなければならない」

「“私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な
 実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください”
 という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。
 そのうえで、日々の自分のなすべき、具体的な目標を明確に定めて、
 一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことです。その真剣な一念から知恵が沸き、
 創意工夫が生まれ、そこに成功があるんです。」


「『決意』と『祈り』、そして『努力』と『工夫』が揃ってこそ、
 人生の勝利があります。一攫千金を夢見て、一山当てようとしたり、
 うまい儲け話を期待するのは間違いです。
 それは、信心ではありません。」


『新・人間革命』 開拓者の章より抜粋
~~~~~

『誓願』とは 自ら誓いをたてて、願っていくこと
棚ぼたを願うような祈りは 人間をダメにする宗教だ!
一生懸命やっているのに というのは 甘えだ。



太字は 『新・人間革命』 開拓者の章より抜粋

開拓者

『新・人間革命』 開拓者の章 P271

ニューヨークを発ち ブラジルのサンパウロを目指す。
現地の学会員の状況もわからず、
ポルトガル語と英語を話せる人もいないなか、ブラジルを目指す一行。

激しく揺れる機内で最悪な体調にもかかわらず、
ブラジル広布におもいをめぐらす山本伸一(池田大作)。

空港に到着したのは 午前1時半過ぎ。
二時間余り遅れての到着であったが、空港のロビーには
学会歌で、出迎える二~三十人の学会員がいた。


ほとんどが、日本から移住し、農業に従事していた男性だった。
座談会では、日系移住者の過酷な生活状況が 語られた。


明治41年に 日本政府による、ユートピアのようなうたい文句に、
「契約移民」としてこの世の楽園ブラジルにやってきた人たち。

だが、実際の ブラジルは 奴隷制廃止にともなう人手不足を補うため、
かつての奴隷に代わる 新たな低賃金労働者を 欲していたのだった。

夢を抱いてブラジルに来た人々を待っていたのは悲惨な生活であった。

戦後になるまでの、ブラジル日系人の“勝ち組”と“負け組”の対立など、
終戦後に移住が再開されるまでにも 長い歴史があった。


~~~~~~~

知らなかったブラジル移住民の歴史。
政府に「ユートピア」だと言われて・・・。
どこかで聞いた文句だ。歴史は繰り返す。
政治も繰り返す。



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折伏精神と 友情

『新・人間革命』1巻 慈光 P241

大仏法の慈光は ニューヨークの摩天楼にも降り注ぐ。
10月13日 トロントを出発した飛行機が ニューヨークに到着した。


「破邪顕正」の折伏精神と 人にたいする寛容性は 相反するのか?


「仏法の正邪に対する 厳格な姿勢と 人に対する寛容は 本来一体のものである。」

例えれば、
毒キノコを食べた病人に 医者がもう 絶対毒キノコを食べてはいけないと 注意する。
患者が おいしいから 又、食べたいと言っても 医者は絶対反対するようなもの。


仏法者であれば、慈悲と信念から苦しみを取り除こうとする。
部分観にすぎない、低い教えを 最高の法と信じてしまえば、
最高の 法を 信じられなくなり、結局人々は不幸になるのが目に見えている。

悪を見逃すことは 結果的に悪を野放しにすることになるのだ。

根本は 慈悲の心だから、信心に励めば励むほど より、大きな心で
友をつつみ、友情も深まっていくのが 本来の姿。

折伏とは 対話による 生命の触発作業だから、
信頼と友情がなくては 成りたたない。


宗教の違いを超え、人間としてより、多くの人と深い友情を結びあい、
友の幸せを願える人間になることが 仏法の広がりと深さを示す証明になる。


仏法のヒューマニズムの精神


カトリック教徒の夫に対し、山本伸一は
「教団に属するか、属さないかは、問題ではありません。
仏法を信じ、一遍でもお題目を唱え、私たちと同じ心で、奥さんやメンバーを見守り
、応援していただければ十分です。そうすれば、さらに仏法の素晴らしさがわかります」
と言って壮年と握手した。



広宣流布とは、即、人類の幸福であり、世界平和の実現である。
それは、人間の心に内在する、「仏」という善なる生命を開き、耕し、
ヒューマニズムの友情の輝きをもって、世界を包みゆくことにほかならない。
いわば、人間という普遍の大地に立った生命のルネサンス運動が、
広宣流布であるといえよう。



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素晴らしい!
半世紀以上も前に 池田先生が 書いていた通りに
今、世界中でヒューマニズムの友情が輝いている!!!


太字は『新・人間革命』第1巻 「慈光」の章より抜粋


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