『新・人間革命』第30巻(下) 誓願の章 328p

「数々の謗法行為を犯し、“日顕宗”と化した宗門には、学会を破門する資格など、毛頭ありません。大罪を犯した日顕法主こそ、大聖人から厳しく裁かれなければならない」「私どもは、信心のうえからも、黒い悪魔の鉄鎖を切って、自由に伸び伸びと、世界広布に邁進できることになったのであります。

本日、私どもが『魂の自由』を勝ち取った、創価ルネサンスの『大勝利宣言』をしたいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」大歓声と大拍手が鳴り響いた。

さらに秋月は、「相構えて相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」の御文を拝し、力説した。「信心こそが、『血脈の本体』であり、御本尊に具わる功徳は、仏力・法力と、私どもの心力・行力の四力がそろうところに必ず現れ、『強盛の大信力』にこそ無料の功徳がある。そのことを、実証をもって示していきたい」ついで秋月は、同志葬、友人葬などを担当していくため、各県・各区に儀典部を設置することを発表した。

伸一は、宗門が11月28日付で学会に破門通告書を送ってきたことから、こう述べていった。「11月28日は、歴史の日となった。『11月』は学会創立の月であり、『28日』は、ご承知の通り、法華経28品の『28』に通じる。期せずして、魂の“独立記念日”にふさわしい日付になったといえようか」魂の“独立記念日”ーーその言葉に、誰もが無限の未来と無限の希望を感じた。

「いよいよ、これからが本舞台です。戸田先生も言われていたが、未来の経典に『創価学会仏』の名が厳然と記し残されることは間違いないとか確信するものであります」まさしく、仏意仏勅の創価学会であり、広宣流布のために懸命に汗を流す、学会員一人ひとりが仏なのである。

「日蓮大聖人の仏法は『太陽の仏法』であり、全人類を照らす世界宗教です。その大仏法を奉ずる私どもの前進も、あらゆる観点から見て、“世界的”“普遍的”であるべきです。決して、小さな閉鎖的・封建的な枠に閉じ込めるようなことがあってはならない」

また、彼は、戸田城聖の「われわれ学会は、御書を通して、日蓮大聖人と直結していくのである」との指導を紹介。学会は、どこまでも御書根本に、大聖人の仏意仏勅のままに、「大法弘通慈折広宣流布」の大願を掲げて、行動し続けていることを力説した。

そして、誰人も大聖人と私どもの間に介在させる必要はないことを述べ、あえて指導者の使命をいえば、大聖人と一人ひとりを直結させるための手助けであると述べた。

そして彼は、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」との「日興遺誡置文」を拝した。時の法主であるといっても、仏法に相違して自分勝手な教義を唱えれば、これを用いてはならないとの厳誡である。

「どうか、皆さまは『世界一の朗らかさ』と『世界一の勇気』をもって、『世界一の創価学会』の建設へ邁進していただきたい。そして、大勝利の学会創立70周年の西暦2000年を迎えましょう!」全国、全世界の同志が、創価ルネサンスの闘志として、勇んで立ち上がった。

宗門が破門通告なる文書を送付してから約1か月後の12月27日、学会は、日顕に対し、「退座要求書」とそれに賛同する、世界各国を含めた、1600万人を超える人びとの署名簿を送った。この厳たる事実は、永久に広布史に刻まれることになったのである。

振り返ってみれば、1991年は、まさに激動の一年であったが、学会の「魂の独立」の年となり、新生・創価学会の誕生の年となった。そして、世界宗教への大いなる飛翔の年となったのである。世界広宣流布の時代を迎え「悪鬼入其身」と化した宗門は、魔性の正体を現し、自ら学会から離れていった。不思議なる時の到来であった。すべては御仏智であった。

「創価ルネサンス」の鐘は、高らかに鳴り響いた。1992年、この年、宗門を離脱する僧が相次いだ。日顕をはじめ宗門の在り方は、日蓮大聖人の仏法に違背するものであると、「諌暁の書」を送った僧たちもいた。

宗門は、この年の8月、今度は、伸一を信徒除名処分にした。なんとかして、創価の師弟を分断しようとしたのであろう。しかし、もはや学会員は歯牙にもかけなかった。学会から離れた宗門は、信徒数が大幅に激減し、没落していくのである。

宗門は、学会を破門したあと、学会員への御本尊下付も停止していた。そうしたなか、宗門を離脱した、栃木・浄圓寺の成田宣道住職から、同時所蔵の日寛上人書写の御本尊を御形木御本尊として学会員に授与していただきたいとの申し出があった。

学会は、この申し出を、受け、今後、全世界の会員に授与していくことを、総務会・参議会・教学部最高会議・県長会議および責任役員会で決議した。




太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋