『新・人間革命』第30巻(上) 大山の章 87p~

玄関で、妻の峯子が微笑みながら待っていた。「長い間ご苦労様でした。健康でよかったです。これからは、より大勢の会員の方に会えますね。世界中の皆さんのところへも行けます。自由が来ましたね。本当のあなたの仕事ができますね」心に光が差した思いがした。

4月24日の夜明け、山本伸一は日記帳を開いた。“本来ならば、21世紀への新たな希望の出発となるべき日が、あまりにも暗い一日となってしまった。”彼は、今日の日を永遠にとどめなければならないと、ペンを走らせた。

日記を書き終えた時、“ともかく人生のドラマの第二幕が、今開いたのだ!波乱万丈の勝利劇が、いよいよ始まるのだ!”と思った。“新しい青年たちを育て、もう一度、新たな決意で、永遠不滅の創価学会をつくろう!”

学会員の衝撃は、あまりにも大きかった。しかし、同志の多くは自らを鼓舞した。“辞任は山本先生が決められたことだ。深い大きな意味があるにちがいない。今こそ広布に走り抜き、先生にご安心していただくのが真の弟子ではないか!”皆の心に、師は厳としていたのである。

激動の一夜が明けた4月25日4月度本部幹部会が開催された。参加者が会場に入ると、いつも会長のスピーチのために、前方に向かって左側に用意してあるテーブルとイスがなかった。そんなことも、寂しさを募らせるのである。

やがて伸一が入場した。歓声があがった。力強い声に勇気が沸いた。一人の闘魂が、皆の闘魂を呼び覚ます。伸一の言葉には、次第に熱がこもっていった。「広布の旅路には、さまざまな出来事がある。変遷もある。幹部の交代だって当然あります。そんなことに、一喜一憂するのではなく、ひたすら広宣流布に邁進していくんです。それが学会精神ではないですか!」

創価の新しい前進の歯車は、山本伸一が見守るなか回転を開始していったのである。翌26日、伸一は、法主の日達を訪ね、法華講総講頭の辞表を提出した。その折、日達からは、長年にわたり宗門の隆盛に尽くしてきた伸一の功労をねぎらう言葉があり、法華講名誉講頭の辞令が渡された。

彼の会長辞任にあたって、学会の支配を企む弁護士の山脇友政と宗門僧らの陰謀によって、伸一は自由に会合にも出席できない状況がつくられていたのだ。ーー会長を辞めるのだから、会合に出席して指導するのはおかしい。その話や行動を機関紙誌に報道する必要はない。

邪智の反逆者と悪僧らの狙いは、伸一を徹底して排除し、学会員と離間させることにあった。そうすれば、学会を自在に操り、会員を自分たちに隷属させられると考えたのだ。

かつて戸田は、「学会は、この末法にあって、これだけ大勢の人に法を弘め、救済してきた。未来の経典には、『創価学会仏』という名が厳然と記されるのだよ」と語っていたことがあった。

法華経の不軽品に、「威音王仏」という名前の仏が登場する。この仏は、一人を指すのではない。最初の威音王仏の入滅後、次に 現れた仏も「威音王仏」といった。そして「是くの如く次第に二万憶の仏有し、皆同一の号なり」と記されている。つまり「二万億の仏」が、皆、同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたと説かれているのだ。

戸田城聖は、「これは、威音王仏の名を冠した『組織』『和合僧団』とはいえまいか」と鋭く洞察していた。個人の今世の寿命は限られている。しかし、広宣流布に戦う根本精神が師匠から弟子へと脈々と受け継がれ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは、民衆を救済し続ける恒久的な仏の生命力をもつことになる。

「創価学会仏」とは、初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖という師弟に連なり、広宣流布大誓願の使命に生きる同志のスクラムであり、地涌の菩薩の集いである。その「創価学会仏」を永遠にならしめていく要件とは何か。

第一に、一人ひとりが「広布誓願」の生涯を生き抜くことである。第二に、「師弟不二」の大道を歩み抜くことである。第三に、「異体同心」の団結である。学会は、「創価学会仏」なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない。また、それゆえに、第六天の魔王は、牙を剥いて襲いかかるのである。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋