『新・人間革命』第30巻(上) 大山の章 74p~

「先生!」いっせいに声があがった。彼は、悠然と歩みを運びながら、大きな声で言った。「ドラマだ!面白いじゃないか!広宣流布は、波乱万丈の戦いだ」

「既に話があった通りです。何も心配はいりません。私は、私の立場で戦い続けます。広宣流布の戦いに終わりなどない。私は、戸田先生の弟子なんだから!」

一人の壮年が立ち上がって尋ねた。「今後、先生は、どうなるのでしょうか」「私は、私のままだ。何も変わらないよ。どんな立場になろうが、地涌の使命に生きる一人の人間として戦うだけだ。広宣流布に一身を捧げられた戸田先生の弟子だもの」

青年の幹部が、自らの思いを確認するように質問した。「会長を辞められても、先生は、私たちの師匠ですよね」「原理は、これまでに、すべて教えてきたじゃないか!青年は、こんなことでセンチメンタルになってはいけない。皆に、『さあ、新しい時代ですよ。頑張りましょう』と言って、率先して励ましていくんだ。恐れるな!」

伸一の声が響いた。「辞任が大前提でいいじゃないか。私は、そう決めたんだ。これで新しい流れができ、学会員が守られるならば、いいじゃないか。声を荒げるのではなく、学会は和気あいあいと、穏やかに、団結して進んでいくことだよ。私と同じ心であるならば、今こそ、同志を抱きかかえるようにして励まし、元気づけていくんだ。みんなが立ち上がり、みんなが私の分身として指揮を執るんだ!」

「物事には、必ず区切りがあり、終わりがある。一つの終わりは、新しい始まりだ。その新出発に必要なのは、断固たる決意だ。誓いの真っ赤な炎だ。立つんだよ。皆が後継の師子として立つんだ。いいね。頼んだよ」県長会は、涙の中で幕を閉じた。

正午ごろになると、「創価学会の山本伸一会長が辞任へ」とのニュースがテレビ、ラジオで流れた。報道では、宗門の法華講総講頭も辞め、新会長には十条潔が就任し、伸一は名誉会長となる見込みであることなどが伝えられた。

全国の学会員にとっては、まさに寝耳に水であった。学会本部には、問い合わせや憤慨の電話が殺到した。夜には、創価学会として記者会見を行うことになっていた、既に新聞各紙は夕刊で、大々的に報じた。それらの報道では、この日の「聖教新聞」に、伸一の所感「『七つの鐘』終了に当たって」が掲載されたことに触れ、それが「辞意」の表明であるなどとしていた。

記者会見の会場である聖教新聞社には、次々と新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミ関係者が訪れ、記者らでごった返していた。

「現在の心境と会長勇退の理由をお聞かせください」との質問が飛んだ。「大きな荷物を下ろしてホッとした気持ちです。ただし、新しい会長中心の体制、これからの前進を見守るという意味では、また新しい荷物を背負ったような気持ちもいたします。ゆっくり休ませてくれないんですよ」

彼の言葉に、どっと笑いが起こった。どことなく重たかった空気が一変し、十条の顔にも笑みが広がった。伸一は、新体制の出発を明るいものにしたかったのである。ユーモアは暗雲を吹き払う。伸一は、記者団の質問に答えて、今後の自身の行動について語っていった。

それから別室に移り、青年部幹部らと懇談した。彼は魂を注ぎ込む思いで訴えた。「私が、どんな状況に追い込まれようが、

青年が本気になれば、未来は開かれていく。弟子が本当に勝負すべきは、日々、師匠に指導を受けながら戦っている時ではない。それは、いわば訓練期間だ。師が直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負だ。

しかし、師が身を引くと、それをいいことに、わがまま放題になり、学会精神を忘れ去る人もいる。戸田先生が理事長を辞められた時もそうだった。君たちは、断じてそうなってはならない。私に代わって、さっそうと立ち上がるんだ!皆が“伸一”になるんだ」
これで人生のドラマの第一幕は終わったと思うと、深い感慨が胸に込み上げてくる。すべては、広布と学会の未来を、僧俗和合を、愛するわが同志のことを考えて、自分で決断したことであった。

“これからも、学会の前途には、幾たびとなく怒涛が押し寄せ、それを乗り越えて進んでいかなくてはならないであろう。私が一身に責任を負って辞任することで、いったんは収まるかもしれないが、問題は、宗門僧らの理不尽な圧力は、過去にもあったし、今後も繰り返されるであろうということだ。それは広宣流布を進めるうえで、学会の最重要の懸案となっていくにちがいない。


信心の眼で、その本質を見破り、尊き仏子には指一本差させぬといいう、炎のような闘魂をたぎらせて戦う勇者がいなければ、学会をまもることなど、とてもできない。広宣流布の道も、全く閉ざされてしまうに違いない。”未来を見つめる伸一の、憂慮は深かった。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋