『新・人間革命』第30巻(上) 大山の章 63p~

学会は、民衆の幸福のため、世界の平和のために出現した広宣流布の団体である。ゆえに、その広布の歩みに停滞を招くことは、断じて許されない。彼は、自分は自分の立場で新しい戦いを起こす決意を固めるとともに、創価の新しき前進を祈りに祈り抜いていた。

“必死の一人がいてこそ道は開かれる。わが門下よ、師子と立て!いよいよ、まことの時が来たのだ”と、心で叫びながらーー。

山本伸一は、4月24日付の「聖教新聞」一面に所感「『七つの鐘』終了に当たって」と題する一文を発表した。彼は、学会が目標としてきた「七つの鐘」の終了にあたり、苦楽を分かち合って戦ってくれた同志へ、感謝を伝えるとともに、新しい出発への心の準備を促したかった。

彼は、人類の危機が現実化しつつあるなかで、地涌の菩薩の連帯は世界90数か国に広がり、日蓮仏法が唯一の希望となっていることに言及し、未来への展望に触れた。宗教は社会建設の力である。仏法者の使命は、人類の幸福と世界の平和の実現にある。ゆえに日蓮大聖人は「立正安国」を叫ばれたのだ。

伸一は続けた。「ともあれ、ここに広布の山並みが、はるかに展望し得る一つの歴史を築くことができました。既に広布への人材の陣列も盤石となり、あとには陸続と21世紀に躍り出る若人が続いている。まことに頼もしい限りであります。私どもは、この日、この時を待ちに待った。これこそ、ありとあらゆる分野、立場を越えて結ばれた信心の絆の勝利であり、人間の凱歌であります」それは、彼の勝利宣言でもあった。

創価学会が、わが同志が成し遂げた、厳たる広宣流布の事実は永遠不滅である。偉業は、継続のなかにある。真の大業は、何代もの後継の人があってこそ、成就するのだ。

伸一は、さらに所感で述べていった。「ここで大事なことは、広宣流布は、不断の永続革命であるがゆえに、後に続く人びとに、どのように、この松明を継承させていくかということであります。一つの完結は、次への新しい船出であります。一つの歴史の区切りは、今再びの新たなる壮大な歴史への展開となっていかねばなりません。

・・・そして今ここに、化儀の広宣流布の歩みは、渓流から大河に、さらに大河から大海へと新しい流れをつくるにいたりました」続いて、この大河の流れを安定し、恒久ならしめなければならないことを痛感しているとの真情を披歴。

伸一のこの所感が掲載された「聖教新聞」を見た学会員は、同志に対する伸一の深い感謝の心と新出発の気概を感じ、新たな決意に燃えた。この日に会長辞任が発表されるなど、誰も予想だにしなかったのである。

実は、学会員は大きな喜びに包まれるなか、この朝を迎えたのだ。前々日の22日、第9回統一地方選挙を締めくくる東京特別区議選、一般市議選、町村議選などの投票が行われ、23日夕刻には、学会が支援した公明党の大勝利が確定したのである。

4月24日午前、新宿文化会館で県長会が開催された。全国から集ってきた参加者の表情は、晴れやかこのうえなかった。冒頭、理事長の十条潔が登壇した。七つの鐘の淵源を語り始めた。十条は話を続けた。「先生が、今回、『七つの鐘』の終了という歴史の区切りを見極められ、会長辞任を表明されたのであります」

この瞬間、誰もが息をのんだ。耳を疑う人もいた。伸一の会長辞任は、あまりにも突然の発表であり、県長会参加者は戸惑いを隠せなかった。皆、“山本先生は宗門の学会攻撃を収めるために、一切の責任を背負って辞任された”と思った。だから、十条から“勇退”と聞かされても、納得しかねるのだ。

宗門との問題が、会長辞任の引き金になったことは紛れもない事実である。しかし、伸一には、未来への布石のためという強い思いがあった。

十条は、皆の表情から、まだ釈然としていないことを感じ取ると、一段と大きな声で、「山本先生は、ご自身が勇退される理由について、次のように語っておられます」と言い、伸一の話を記したメモを読み上げた。

彼の話は終わった。その時、伸一が会場に姿を現した。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋