『新・人間革命』第29巻 源流の章 387p~
「21世紀になって、基盤が完成したら、本格的な広宣流布の流れを開いていくんだ。その時に、全面に躍り出るのは、今日、集った人たちの後輩や子どもさん世代になるだろう。しかし、万年にわたるインド広布の源流を開く大事な、誉れあるインド広布のパイオニアとして信心を貫き通してほしい。どこまでも後輩を育て守り、今後の団結を誇るインド創価学会を創り上げてほしい。インド広布の未来を思うと胸が躍るね」
「あの雄大にして悠久なるガンジス川の流れも、一滴の水から始まる。同じように皆さんは、インド広布の大河をつくる、源流の一滴、一滴となる方々です。洋々たる未来を信じて前進していっていただきたい。20年、30年、50年後をめざして、広布のガンジスの流れを開いていこうではありませんか!」
ガンジスの一滴にーーそれは、インドの同志の誓いとなり、合言葉となっていった。
2月8日、山本伸一は、インド外務省に、アタル・ビハーリー・バジパイ外相を表敬訪問した。外相は、今回、訪印団の招聘元となったICCRの会長であり、詩人、作家でもある。
伸一は、国境紛争が続いている、インドと中国の関係について尋ねた。日本への要望を尋ねた。外相は雄弁家として知られる。雄弁と饒舌とは異なる。人びとの心をつかむ雄弁は、皆の思いの代弁であり、一人ひとりの意見を忍耐強く聴く努力から始まる。
熟慮と信念と情熱をもってする魂の叫びなのだ。外相は、詩人だが、観念の人ではなかった。行動の人であった。インドの独立運動では、若くして投獄されもした。また近年も、与党であった勢力によって、獄につながれた。だが、その微笑には、不屈の精神がみなぎっていた。
バジパイ外相は、後に首相となり、長年、対立していた中国との関係を改善している。困難のなか、インドの未来を担い立とうとする外相との語らいは、伸一にとって忘れがたいものとなった。
対談を終えた伸一の一行は、ラージ・ガートへ向かった。一行は、偉大なる魂の人ガンジーへの敬意を表するとともに、その精神の継承を誓い、献花を行うことにしていた。ガンジーは、道場での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れていたという。
伸一は、ガンジーの碑に献花し、祈りを捧げながら、深く心に誓った。ーー非暴力の象徴たる対話の力をもって、人類を結び、世界の平和を築くために、わが生涯を捧げていこう、と。
一行は、続いて、国立ガンジー博物館を見学した。一つ一つの品々から、ただひたすら人びとの幸福のために尽くし抜いた78年の尊き一生が、ありありと眼前に迫ってくる。ガンジーは訴えてきた。「私の宗教は地理的な限界をもたない」と。その言葉は、人間という共通項に立脚した、宗教のあるべき姿を示している。
2月8日の午後8時から、山本伸一主催の答礼宴が、アショーカホテルで開かれた。答礼宴での語らいは弾み、なかでもシン副会長とは2時間ほど意見交換した。
2月9日、午前11時には、パサッパ・ダナッパ・ジャッティー副大統領をニューデリーの官邸に訪ねた。会談は、アショーカ王、カニシカ王といった仏教に縁の深い古代インドの王の話から始まり、その政治哲学へ、さらにタゴールの崇高な精神、平和主義へと及んだ。
伸一は、この年が「国際児童年」であることから、子どもについてのインドの課題を尋ねた。副大統領は、まず“生きる”ことを確保する必要性を訴えたのだ。「第二の問題は、子どもの人格形成をいかに図るかです。」伸一は、指導者たちが、未来の発展のために、インドの深き精神性を青少年に伝え、教育に力を入れようとしていることを強く感じた。
21世紀の世界を考えるうえでも、極めて重要な着眼点であると思った。物心両面にわたって、子どもを守り育てていくことは、大人の責任であり、義務である。
「あの雄大にして悠久なるガンジス川の流れも、一滴の水から始まる。同じように皆さんは、インド広布の大河をつくる、源流の一滴、一滴となる方々です。洋々たる未来を信じて前進していっていただきたい。20年、30年、50年後をめざして、広布のガンジスの流れを開いていこうではありませんか!」
ガンジスの一滴にーーそれは、インドの同志の誓いとなり、合言葉となっていった。
2月8日、山本伸一は、インド外務省に、アタル・ビハーリー・バジパイ外相を表敬訪問した。外相は、今回、訪印団の招聘元となったICCRの会長であり、詩人、作家でもある。
伸一は、国境紛争が続いている、インドと中国の関係について尋ねた。日本への要望を尋ねた。外相は雄弁家として知られる。雄弁と饒舌とは異なる。人びとの心をつかむ雄弁は、皆の思いの代弁であり、一人ひとりの意見を忍耐強く聴く努力から始まる。
熟慮と信念と情熱をもってする魂の叫びなのだ。外相は、詩人だが、観念の人ではなかった。行動の人であった。インドの独立運動では、若くして投獄されもした。また近年も、与党であった勢力によって、獄につながれた。だが、その微笑には、不屈の精神がみなぎっていた。
バジパイ外相は、後に首相となり、長年、対立していた中国との関係を改善している。困難のなか、インドの未来を担い立とうとする外相との語らいは、伸一にとって忘れがたいものとなった。
対談を終えた伸一の一行は、ラージ・ガートへ向かった。一行は、偉大なる魂の人ガンジーへの敬意を表するとともに、その精神の継承を誓い、献花を行うことにしていた。ガンジーは、道場での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れていたという。
伸一は、ガンジーの碑に献花し、祈りを捧げながら、深く心に誓った。ーー非暴力の象徴たる対話の力をもって、人類を結び、世界の平和を築くために、わが生涯を捧げていこう、と。
一行は、続いて、国立ガンジー博物館を見学した。一つ一つの品々から、ただひたすら人びとの幸福のために尽くし抜いた78年の尊き一生が、ありありと眼前に迫ってくる。ガンジーは訴えてきた。「私の宗教は地理的な限界をもたない」と。その言葉は、人間という共通項に立脚した、宗教のあるべき姿を示している。
2月8日の午後8時から、山本伸一主催の答礼宴が、アショーカホテルで開かれた。答礼宴での語らいは弾み、なかでもシン副会長とは2時間ほど意見交換した。
2月9日、午前11時には、パサッパ・ダナッパ・ジャッティー副大統領をニューデリーの官邸に訪ねた。会談は、アショーカ王、カニシカ王といった仏教に縁の深い古代インドの王の話から始まり、その政治哲学へ、さらにタゴールの崇高な精神、平和主義へと及んだ。
伸一は、この年が「国際児童年」であることから、子どもについてのインドの課題を尋ねた。副大統領は、まず“生きる”ことを確保する必要性を訴えたのだ。「第二の問題は、子どもの人格形成をいかに図るかです。」伸一は、指導者たちが、未来の発展のために、インドの深き精神性を青少年に伝え、教育に力を入れようとしていることを強く感じた。
21世紀の世界を考えるうえでも、極めて重要な着眼点であると思った。物心両面にわたって、子どもを守り育てていくことは、大人の責任であり、義務である。
太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋