『新・人間革命』第29巻 源流の章 378p~

山本伸一たち訪印団一行は、ICCR(インド文化関係評議会)が主催する歓迎レセプションに出席した。歓迎レセプションには、クンドゥ外務担当閣外大臣をはじめ、ICCR副会長ロケッシュ・チャンドラ博士、インド外務省アジア局のランガナッタ局長、デリー大学のメヘロトラ副総長ら各界の要人約250人が出席した。

伸一は、一人ひとりと御礼の言葉を交わしながら、日印間の友好と学術交流などについて意見を交換した。この訪問は、創価学会の会長である伸一をICCRが招聘した公式訪問であり、仏法を基調に平和・文化・教育運動を展開する学会との交流を目的としていた。インドは、日蓮仏法を実践する学会に強い関心を寄せていたのだ。まさに「仏法西還」の一つの証といえよう。

レセプションが終わると、伸一は、インドのメンバーをはじめ、日本から来た「インド文化研究会」一行らとの会食懇談会が予定されていた。1961年、(昭和31年)、伸一がインドを初訪問した時、インド人の学会員を目にすることはなかった。

そして今、インド広布の決意に燃える約40人のメンバーが、全インドから喜び勇んで集って来たのである。今、18星霜を経て、その萌芽の時を迎えたのだ。仏教発祥のインドの大地に、地涌の菩薩の先駆けが、さっそうと躍り出たのだ。

メンバーのなかに、全インドの責任者である地区部長を務める女性がいた。デリー大学で、経済学の講師として教壇に立つラビーナ・ラティである。信心に励むなかで、難関の就職を勝ち取り、原因不明の頭痛や吐き気、めまいを克服した体験をもっていた。

北インドの責任者を務めるハルディープ・シャンカルという壮年は、中学校の教師であった。鬱病で悩んだ末に信心をはじめ、乗り越えることができたという。家族が仏法に無理解のなか、ただ一人、信心に励んでいるアローク・アーリアという青年もいた。

さらに、2か月前に入会した婦人のスパルティナ・パテールは、日蓮大聖人の仏法に巡り合った喜びに燃えて集ってきた。彼女は、のちに夫を病で、息子を交通事故で亡くすが、この日の伸一との出会いを胸に、勇気を鼓舞して、苦難を克服していくのである。

ここに集ったメンバーの多くは、その後、インドSGIの中核に育っていく。インドのメンバーとの語らいを通して伸一が感じたことは、多くの人が宿命の転換を願って信心を始めたということであった。インドでは、業(カルマ)という考え方が定着している。

この生命の因果は、仏教の教えの基調をなすものでもあるが、問題は、悪果に苦しむ現世の宿業をいかにして転換していくかにある。輪廻を説くだけでは、いかに善業を積み重ねても、今世にあって悪業の罪障を消滅することはできない。

しかし、日蓮大聖人の仏法では一生成仏を説き、今世において自身の仏の生命を顕現し、宿業の鉄鎖を打ち砕く道を教えている。信心によって人間革命し、何ものにも負けない自分をつくり、一切の苦悩を乗り越えていくことができるのだ。

いわば、苦悩は、正法の功力を示すための不可欠な要件であり、宿命は即使命となっていくのだ。信心によって「あきらめ」の人生から「挑戦」の人生へーーインドのメンバー一人ひとりが、それを実感し、歓喜に燃えていたのだ。

信仰体験も乏しく、指導に際して自身がもてずに困っているという質問もあった。「高みから人を引っ張っていこうなどと考える必要はありません。皆の輪の中に入り、一緒に広宣流布をめざしていこうと、進むべき方向を示していくのが指導なんです。

皆の疑問に、なかなかうまく答えられないこともあるでしょう。そうした時には、まず自ら真剣に教学を研鑽していくことです。人に教え、納得させなければならないというテーマがある時、研鑽は最もはかどり、自分の理解も深まるものです。人を懸命に育てようとする時、いちばん成長しているのは自分なんです。

ともあれ、行き詰まったら、真剣に唱題し、思索していくことです。仏法では『以信代慧』と説いています。強盛に祈れば智慧が湧く。誰よりも御本尊を信じ、自分を信じて、唱題第一に進んでいくんですよ」

伸一の妻の峯子は、こう語った。「インドには、たくさんの人材が誕生していて、未来が楽しみですね」「インドは広大だもの。大勢のリーダーが必要になる。決して焦ることはないから、まず、2、30年ぐらいかけて、しっかり人を育て、盤石な組織の礎を築いていくことだね」

太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋