『新・人間革命』第29巻 清新の章 283p~
青森・秋田合同の代表幹部会は、1月14日の午後1時半から青森文化会館で開催された。参加者は、降りしきる雪のなか、頬を紅潮させ、喜々として集って来た。
伸一は、皆の日ごろの苦労が吹き飛び、体が軽くなるような、楽しく、愉快な、人間味あふれる会合にしたかったのである。形式に則ることは、もちろん必要である。しかし、形式だけに寄りかかってしまうと、型通りにやっていればよいという考えに陥ってしまい、工夫も怠り、マンネリ化が始まる。生き生きと広宣流布の運動を進めていくには、日々絶えざる確信が必要である。
伸一は、この日、「信心」と「実践」の関係について語っていった。「正しい仏道修行には、『信』と『行』の両方が、正しく備わっていなければなりません。その実践は、大聖人が『行学は信心よりをこるべく候』と仰せのように、『行』も『学』すなわち教学の研鑽も、御本尊への強い『信』から出発するものでなければならない。『信』なき実践は、一生懸命に動いていても、形式的なものになり、惰性化し、次第に歓喜も失われていってしまいます。
ともあれ、純粋にして強き信心は、おのずから、果敢にして忍耐強い実践につながっていく。『我もいたし人をも教化候へ』の御請訓のごとく、自行化他にわたる実践を展開し、この東北の天地から、新しい広布の光を放っていただきたいのであります」
伸一は、代表幹部会に続いて、秋田県の代表との懇談会や弘前大学会のメンバーと記念撮影に臨み、さらに、青森文化会館のある地元・大野支部の激励会に出席した。支部長の中沢正太郎と支部婦人部長で彼の妻である美代子が、声をそろえてあいさつした。
二人は7年間にわたって、この大野支部の支部長婦人部長を務めてきた。「支部長も、婦人部長も、いつ行っても唱題していますね」と評判になった。「何かあると一緒に悩んでくれる」ーーそれが学会の世界である。支部のメンバーも、夫妻の個性や性格をよく理解し、力を合わせ、支え合って、支部の建設に取り組んできた。一人を大切にするリーダーの祈りと行動、皆の団結が、模範の支部とつくり上げてきたのだ。
青森支部の初代支部長の金森夫妻は、自分たちのことよりも、常に同志のことを第一に考える人であった。諸会合の会場として自宅を提供するため、皆が集まりやすいようにと、わざわざ駅の近くに家を構えた。困っている人がいると聞けば、すぐに飛んでいって励ました。
”歩いた分だけ、広宣流布の道が広がる。人を励ました数だけ、人材の花が咲く、動いた分だけ、福運となる”と自分に言い聞かせながら、青森の大地に、広布開拓のクワを振るい続けたのである。
伸一は、深い感慨を込めて語った。「青森支部の誕生から、既に満20年が過ぎた。その間の青森広布の伸展は目覚ましいものがある。それは、金木夫妻のように、ただただ広宣流布のために、一切をなげうつ思いで、懸命に走り抜いてきた方々がいるからだ。
その決意と実践がなければ、広宣流布の前進はない。いよいよ学会は、これから広宣流布の総仕上げの時代に入っていく。それは東北の時代が到来したということだ。地道に、何があっても信念を曲げない、青森の“じょっぱり魂”が光輝く時代だよ」
「青森の青は、“青年の青”だ!青森の森は、“人材の森”だ!どうか青森青年部は、広宣流布を担い立つ人材の森に育ってほしい。21世紀の学会の柱は、青森の君たちだよ」
創価学会の信心は、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の御本尊への絶対の確信から始まる。そして、地涌の菩薩の使命を自覚し、死身弘法の決意に立って、日蓮大聖人の民衆救済の大法を広宣流布していく、仏意仏勅の団体が創価学会である。
ゆえに、もしも、御本尊への大確信を失うならば、創価の信心の火は消え失せてしまう。また、折伏・弘教の実践がなくなれば、学会の魂は絶え果てる。したがって、この二つを受け継ぐなかにこそ、創価の師弟があり、後継の正道があるのだ。
あの宗門が、戦時中、権力に迎合する一方で、権威の維持に汲々とし、不敗堕落していったのも、御本尊への絶対の確信なきゆえであり、宗開両祖の精神である。広宣流布の大願に生きることを忘れたからである。
青森・秋田合同の代表幹部会は、1月14日の午後1時半から青森文化会館で開催された。参加者は、降りしきる雪のなか、頬を紅潮させ、喜々として集って来た。
伸一は、皆の日ごろの苦労が吹き飛び、体が軽くなるような、楽しく、愉快な、人間味あふれる会合にしたかったのである。形式に則ることは、もちろん必要である。しかし、形式だけに寄りかかってしまうと、型通りにやっていればよいという考えに陥ってしまい、工夫も怠り、マンネリ化が始まる。生き生きと広宣流布の運動を進めていくには、日々絶えざる確信が必要である。
伸一は、この日、「信心」と「実践」の関係について語っていった。「正しい仏道修行には、『信』と『行』の両方が、正しく備わっていなければなりません。その実践は、大聖人が『行学は信心よりをこるべく候』と仰せのように、『行』も『学』すなわち教学の研鑽も、御本尊への強い『信』から出発するものでなければならない。『信』なき実践は、一生懸命に動いていても、形式的なものになり、惰性化し、次第に歓喜も失われていってしまいます。
ともあれ、純粋にして強き信心は、おのずから、果敢にして忍耐強い実践につながっていく。『我もいたし人をも教化候へ』の御請訓のごとく、自行化他にわたる実践を展開し、この東北の天地から、新しい広布の光を放っていただきたいのであります」
伸一は、代表幹部会に続いて、秋田県の代表との懇談会や弘前大学会のメンバーと記念撮影に臨み、さらに、青森文化会館のある地元・大野支部の激励会に出席した。支部長の中沢正太郎と支部婦人部長で彼の妻である美代子が、声をそろえてあいさつした。
二人は7年間にわたって、この大野支部の支部長婦人部長を務めてきた。「支部長も、婦人部長も、いつ行っても唱題していますね」と評判になった。「何かあると一緒に悩んでくれる」ーーそれが学会の世界である。支部のメンバーも、夫妻の個性や性格をよく理解し、力を合わせ、支え合って、支部の建設に取り組んできた。一人を大切にするリーダーの祈りと行動、皆の団結が、模範の支部とつくり上げてきたのだ。
青森支部の初代支部長の金森夫妻は、自分たちのことよりも、常に同志のことを第一に考える人であった。諸会合の会場として自宅を提供するため、皆が集まりやすいようにと、わざわざ駅の近くに家を構えた。困っている人がいると聞けば、すぐに飛んでいって励ました。
”歩いた分だけ、広宣流布の道が広がる。人を励ました数だけ、人材の花が咲く、動いた分だけ、福運となる”と自分に言い聞かせながら、青森の大地に、広布開拓のクワを振るい続けたのである。
伸一は、深い感慨を込めて語った。「青森支部の誕生から、既に満20年が過ぎた。その間の青森広布の伸展は目覚ましいものがある。それは、金木夫妻のように、ただただ広宣流布のために、一切をなげうつ思いで、懸命に走り抜いてきた方々がいるからだ。
その決意と実践がなければ、広宣流布の前進はない。いよいよ学会は、これから広宣流布の総仕上げの時代に入っていく。それは東北の時代が到来したということだ。地道に、何があっても信念を曲げない、青森の“じょっぱり魂”が光輝く時代だよ」
「青森の青は、“青年の青”だ!青森の森は、“人材の森”だ!どうか青森青年部は、広宣流布を担い立つ人材の森に育ってほしい。21世紀の学会の柱は、青森の君たちだよ」
創価学会の信心は、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の御本尊への絶対の確信から始まる。そして、地涌の菩薩の使命を自覚し、死身弘法の決意に立って、日蓮大聖人の民衆救済の大法を広宣流布していく、仏意仏勅の団体が創価学会である。
ゆえに、もしも、御本尊への大確信を失うならば、創価の信心の火は消え失せてしまう。また、折伏・弘教の実践がなくなれば、学会の魂は絶え果てる。したがって、この二つを受け継ぐなかにこそ、創価の師弟があり、後継の正道があるのだ。
あの宗門が、戦時中、権力に迎合する一方で、権威の維持に汲々とし、不敗堕落していったのも、御本尊への絶対の確信なきゆえであり、宗開両祖の精神である。広宣流布の大願に生きることを忘れたからである。
太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋