『新・人間革命』第29巻 常楽の章 103p~

よく“信心の根を張る”というが、それは、“持続の信心”ということなんです」

人生には、さまざまな試練が待ち受けている。その時に、信心を奮い起こし、苦難に挑み、悩み、戦うなかで、自らを磨き鍛えていくことができる。そこに、人間革命がある。勤行会で彼は一家和楽を築く要諦について言及していった。

「一家で一人、立派な信心をしていけば家族全員を救うことができる。たとえば、子どもさんが信心をしていない場合もあるでしょう。信心を勧めるのは、ご家族の幸せのためです。ところが、信心をめぐって諍いがが起きたという人の話をよく聞いてみると、自分のために信心させようとして、感情的になってしまっている。

子を思う真心はいつか必ず通じます。焦る必要はありません。人間は感情の動物ですから、追及や命令ではなく、思いやりにあふれた、賢い言い方が大事です。たとえば、こう言うんです。

『あなたが、どう人生を歩んでいくかは自由です。でも、何があるかわからないのが人生よ。その人生を生きるうえで、私には、ただ一つ教えてあげることができる最高の宝がある。それが信心なの。どんなことがあっても、負けない力を引き出していくことができるわ。何かあったら、お題目をあげるのよ。そうすれば、必ず乗り越えられる。これだけは覚えておいてね』ーーこう語れば、子どもさんも“そうだな”と思うものです。」


家族が未入会であれば、家族みんなの幸せを願い、「一家和楽の信心」をめざして、真剣に題目を唱えていけばよい。

地涌の菩薩とは、苦悩と戦いながら、それに負けずに、広宣流布の使命に生き抜く、不屈なる、“歓喜の人”である。

伸一は、泉州の同志に、新しき常勝の時代の幕開けとして、「泉州の歌」を作詞して贈りたいと思い、歌詞を作り始めた。

伸一は、泉州の女子部総会に続いて行われた、各部合同勤行会にも出席した。この参加者は、泉州文化会館を菊の花で荘厳するために、丹精込めて菊を育てた各大ブロックの有志たちであった。人びとを思う、一つ一つの配慮のなかにこそ、人間主義の輝きがある。

加古川文化会館の勤行会で、伸一は「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」との御文を拝して指導。生活、仕事、商売等、人生のすべては、信心によって勝利していけることを述べ、「大確信心の信心を!」と力説した。

さらに、姫路圏の代表幹部との懇談会でも、全精魂を注ぎつくした。蓄積する疲労を跳ね返して「臨終只今にあり」との思いでの行動であった。

創価の航路には、いまだ暗雲が垂れ込め、さらに激しい嵐の予兆を感じさせた。同志は皆、さまざまな苦悩をかかえ、悶え、あがきながらも、今世のわが使命を果たそうと、必死に戦い、生きている。まさに、泥中に咲く蓮華のごとく、健気にして崇高なる、仏の使いの人びとである。

伸一は、讃え、励まさずにはいられなかった。一人として負けることなく、皆が人生の凱歌を声高らかに響かせてほしかった。その赤裸々な姿のなかに、尊き地涌の菩薩の実像があるからだ。“同志よ、負けるな!”との祈りを込め、彼は獅子吼を放ち続けた。

<常楽の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋