『新・人間革命』第28巻 革心の章 259p~

9月11日夕刻、山本伸一は孫中山故居を見学しながら、同行のメンバーに語った。「孫文先生の生き方のなかには、”天道”という考え方が確立されていた。この天道に従うという考えのもとに、革命を組み上げていった。だから、そこには、自分を律する力が働き、困難に屈しない力が沸く。

“法”が根本になければ、結局は、崇高な理想を掲げた運動も欲望に蝕まれ、頓挫してしまう。いかなる革命も、人間革命なくしては、本当の意味で成就することはできない」

私利私欲、立身出世といった“小物語”を越え、人びとのため、世界のためという、“大物語”を編むなかに、人生は真実の輝きを放つ。

伸一たちは、上海市の関係者が主催する歓迎宴に出席した。「周総理が御健在であれば、どれほど、『日中友好条約』を喜ばれたことでありましょう。『画餅に帰す』との言葉があります。条約は調印されたとしても、これまでの諸先生方のご苦労を偲び、その条約の文言に血を通わせて行かなくては、条約は一枚の紙と同じことになってしまいます。断じて、そうさせてはならない。

私どもは、日中の友好こそが、アジアの平和、世界平和の大きなカギになることを知っております。新しい時代の、新しい出発のために、誠心誠意、力を尽くし、世々代々にわたって、日中友好の永遠の流れを開いてまいります」

伸一は、文化の交流をもって、人びとの相互理解と信頼を育み、心を結び合わせようとしていた。それこそが、万代の平和の礎であると確信していたからである。

訪中団一行は、宿舎の錦江飯店で、中日友好協会の孫平化秘書長らと共に朝食をとった。日本への留学
経験をもつ孫平化には、「対日接待」の仕事が与えられた。これが、彼が中日友好に従事するようになるきっかけとなったのである。

伸一の一行は、周西人民公社を参観した。現代化に向かい、皆、喜々として働いていた。なかでも若い女性たちの姿が目立った。伸一は未来を展望する時、女性の社会進出は、とどめることのできない時代の趨勢であろうと思った。

そのためには、制度をはじめ、女性が働きやすい、環境づくりが求められることはいうまでもない。そして、その根本の第一歩こそ、男性の意識改革であろう。従来の「女性は家にいて家事をこなし、子育ては女性が行うもの」という発想も、転換が迫られる時代を迎えたといってよい。

時とともに生活様式など、さまざまな事柄が、大きく変わっていく。変化、変化のなかで人は生きていかざるを得ない。ゆえに、自身の観念や、これまでの経験にばかり固執するのではなく、変化への対応能力を磨いていくことが、よりよく生きるための不可欠な要件となる。

その国の未来を知りたければ、青年と語ればよい。青年に、人びとのため、社会のために尽くそうという決意はあるか。向上しようという情熱はあるか。努力はあるかーーそれが、未来のすべてを雄弁に語る。

12日の午後には、一行は、上海の楊浦区少年宮を訪問した。友誼の泉は、未来へ、子々孫々へと、大河となって流れなければならない。伸一は、一過性の交流に終わらせぬために、ありとあらゆる努力を重ねようとしていたのだ。

翌13日、山本伸一は創価大学の創立者として、復旦大学を訪問した。1975年に引き続き、教育交流の一環として、図書を贈呈するためである。「蘇歩青学部長も仙台の東北大学で学ばれたと伺っております。こうした教育面の交流は、両国の文化を豊かにしい、明るい未来創造の大きな力になっています」

友誼の絆を永遠のものにしていくには、大学交流は極めて重要になる。政治や外交の世界で、日中関係が揺らぐことがあったとしても、学術・教育の交流があれば、中国の将来を担う若きリーダーたちと相互理解を図り、より強い友情の絆を結ぶことができるからだ。

あいさつを終えた伸一は、蘇学長に、一千冊の贈呈目録と、その本の一部を手渡した。蘇学長は、中日の平和友好条約の締結は、一衣帯水の間にある両国の友好善隣関係を子々孫々まで伝え、引き続き新たな輝かしい歴史を書き加えていくものであるとの確信を語った。

太字は 『新・人間革命』第28より 抜粋