『新・人間革命』第27巻 激闘の章 213p~
ヨーロッパ統合の父クーデンホーフ・カレルギーは、信念の言葉を記した。「人生は闘争であり、また、いつまでも闘争であるべきである」
山本伸一の会長就任18周年となった、1978年(昭和53年)5月3日、全国各地の開館で、「5・3」を祝賀する記念勤行会が、晴れやかに開催された。「広宣流布の流れは、“大河”の時代から“大海”へと向かっております。大海原の航海には、激しい風雨も、怒涛もあることを覚悟しなければなりません。
しかし、競い起こる諸難は、経文に、御書に照らして、正義の信仰を貫いている証明です。私たちは、いよいよ信心強情に、何ものをも恐れず、満々たる功徳を受けながら、楽しい人生を歩んでいこうではありませんか!」簡潔なあいさつであったが、参加した同志の心を強く打つ指導となった。
学会の組織は、大きな世代交代の時期を迎えていた。新しいリーダーが、功労者の先輩を最高に遇していけるかどうかが、広宣流布進展の重要なポイントとなる。具合的には、その組織に、どんな先輩がいるのかを知っていくことから始まる。そして、一人ひとりにお会いし、敬意をもって、広宣流布とともに歩んだ体験に耳を傾け、そこから真摯に学んでいくことである。
さらに、どうすれば、その先輩がいかんなく力を発揮し、皆が喜び、地域広布が前進するのかを考えていくことだ。学会は、人材の大城である。さまざまな力、実績をもった多くの功労者がいる。その方々に光を当てて、力を借りていくならば、組織は何倍も強くなる。広宣流布を決するのは、総合力である。総合力とは団結力である。
大聖人は仰せである。「いよいよ強情の信力をいたし給へ」明日へ、未来へと、命ある限り法を求め、自分を磨き、鍛え、挑戦していく。それが、仏法者の生き方である。ゆえに、信心の功労者とは、過去の人ではない。未来に向かって、広宣流布のために、新たな挑戦をし続ける人である。
伸一は、創価大学の会議室で、テレビ局や新聞各社の記者と懇談会をもった。「私は、教育の主軸は『教』から『育』に移していかなければ、豊かな創造性は培えないと思っています。この『人を育てる』作業にこそ、時代の再生と、未来の建設があると考えています」
記者が質問した。「青年たちに、特に強く訴えておられるのは、どんなことでしょうか」「私が強調していることの一つは、『苦難を避けるな。苦労しなさい。うんと悩みなさい』ということです。近年、青年たちは、苦労を避け、悩もうとしない傾向が強くなっています。」
「私は、青年たちに、苦闘を厭わぬ信念と哲学をもってほしいんです。自分の置かれた現実と、そこに横たわる困難を避けずに直視し、真正面からぶつかっていくことが大事なんです。労苦のなかった偉人も、英雄もいません。人生の一つ一つの苦しみが、自身の向上の力となり、創造の源となっていきます」
「苦労せずしては、人の苦しみはわかりません。もしも、そんな指導者が社会を牛耳るようになれば、民衆が不幸です。だから私は、未来を担う青年たちに、『苦労しなさい』と言い続けています。人びとの苦労がわかる人になってもらいたいんです。そのためには、自ら困難を避けず、勇んで苦労を引き受け、人一倍、悩むことです」人間が大成していくうえで、不可欠なものは、悩むということである。人間のもつさまざまな能力は、悩む力、いわば“悩力”の産物であるといっても過言ではない。
「私は、来年の5月で、会長就任20年目に入ります。その意味では、この1年は、会長として総仕上げの年であると、心を定めております。後継の青年たちを、全力で育て上げていきます」
伸一は、可能な限り、新聞記者など、マスコミ関係者の要望を受け入れ、懇談の機会を持つようにしていた。誤解や偏見の多くは、直接会い、真実の姿を知ってもらうことによって、払拭していくことができる。
しかし、一部のマスコミ関係者が、政治的な意図や悪意をもって、初めから学会を中傷し、攻撃することを目的に、接触してくるケースもあった。誠実に応対しても、善意は踏みにじられ、発言は、ことごとく悪用された。それでも伸一は、学会の真実を伝えようと、真心を尽くして、マスコミ関係者との語らいに努めてきたのである。
<激闘の章 開始>
ヨーロッパ統合の父クーデンホーフ・カレルギーは、信念の言葉を記した。「人生は闘争であり、また、いつまでも闘争であるべきである」
山本伸一の会長就任18周年となった、1978年(昭和53年)5月3日、全国各地の開館で、「5・3」を祝賀する記念勤行会が、晴れやかに開催された。「広宣流布の流れは、“大河”の時代から“大海”へと向かっております。大海原の航海には、激しい風雨も、怒涛もあることを覚悟しなければなりません。
しかし、競い起こる諸難は、経文に、御書に照らして、正義の信仰を貫いている証明です。私たちは、いよいよ信心強情に、何ものをも恐れず、満々たる功徳を受けながら、楽しい人生を歩んでいこうではありませんか!」簡潔なあいさつであったが、参加した同志の心を強く打つ指導となった。
学会の組織は、大きな世代交代の時期を迎えていた。新しいリーダーが、功労者の先輩を最高に遇していけるかどうかが、広宣流布進展の重要なポイントとなる。具合的には、その組織に、どんな先輩がいるのかを知っていくことから始まる。そして、一人ひとりにお会いし、敬意をもって、広宣流布とともに歩んだ体験に耳を傾け、そこから真摯に学んでいくことである。
さらに、どうすれば、その先輩がいかんなく力を発揮し、皆が喜び、地域広布が前進するのかを考えていくことだ。学会は、人材の大城である。さまざまな力、実績をもった多くの功労者がいる。その方々に光を当てて、力を借りていくならば、組織は何倍も強くなる。広宣流布を決するのは、総合力である。総合力とは団結力である。
大聖人は仰せである。「いよいよ強情の信力をいたし給へ」明日へ、未来へと、命ある限り法を求め、自分を磨き、鍛え、挑戦していく。それが、仏法者の生き方である。ゆえに、信心の功労者とは、過去の人ではない。未来に向かって、広宣流布のために、新たな挑戦をし続ける人である。
伸一は、創価大学の会議室で、テレビ局や新聞各社の記者と懇談会をもった。「私は、教育の主軸は『教』から『育』に移していかなければ、豊かな創造性は培えないと思っています。この『人を育てる』作業にこそ、時代の再生と、未来の建設があると考えています」
記者が質問した。「青年たちに、特に強く訴えておられるのは、どんなことでしょうか」「私が強調していることの一つは、『苦難を避けるな。苦労しなさい。うんと悩みなさい』ということです。近年、青年たちは、苦労を避け、悩もうとしない傾向が強くなっています。」
「私は、青年たちに、苦闘を厭わぬ信念と哲学をもってほしいんです。自分の置かれた現実と、そこに横たわる困難を避けずに直視し、真正面からぶつかっていくことが大事なんです。労苦のなかった偉人も、英雄もいません。人生の一つ一つの苦しみが、自身の向上の力となり、創造の源となっていきます」
「苦労せずしては、人の苦しみはわかりません。もしも、そんな指導者が社会を牛耳るようになれば、民衆が不幸です。だから私は、未来を担う青年たちに、『苦労しなさい』と言い続けています。人びとの苦労がわかる人になってもらいたいんです。そのためには、自ら困難を避けず、勇んで苦労を引き受け、人一倍、悩むことです」人間が大成していくうえで、不可欠なものは、悩むということである。人間のもつさまざまな能力は、悩む力、いわば“悩力”の産物であるといっても過言ではない。
「私は、来年の5月で、会長就任20年目に入ります。その意味では、この1年は、会長として総仕上げの年であると、心を定めております。後継の青年たちを、全力で育て上げていきます」
伸一は、可能な限り、新聞記者など、マスコミ関係者の要望を受け入れ、懇談の機会を持つようにしていた。誤解や偏見の多くは、直接会い、真実の姿を知ってもらうことによって、払拭していくことができる。
しかし、一部のマスコミ関係者が、政治的な意図や悪意をもって、初めから学会を中傷し、攻撃することを目的に、接触してくるケースもあった。誠実に応対しても、善意は踏みにじられ、発言は、ことごとく悪用された。それでも伸一は、学会の真実を伝えようと、真心を尽くして、マスコミ関係者との語らいに努めてきたのである。
太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋