『新・人間革命』第27巻 正義の章 105p~

<正義の章 開始>

伸一は、いよいよ本格的な世界広宣流布の流れを開こうと、着々と準備を整えてきた。国境を越えて、団体と団体とが連携を強め、啓発、協力し合っていきたいとの声が起こった。

その意向に基づき、「ヨーロッパ会議」や、「パンアメリカン連盟」、「東南アジア仏教者文化会議」が結成された。さらに、各国・地域の連帯を世界に広げて交流を図るために、その要となる機関「国際センター」が誕生。

75年(昭和50年)1月26日、グアムの地に世界51カ国・地域のメンバーの代表が集い、歴史的な第1回「世界平和会議」が開催されたのである。席上、国際仏教者連盟(IBL)が発足し、会長に山本伸一が、名誉総裁に日達法主が就いた。

また、この席で、創価学会インターナショナル(SGI)が結成され、伸一がSGI会長に就任。世界広宣流布をめざす創価学会の地球的な規模のスクラムが組まれたのである。

あいさつに立った日達は、大聖人は、仏法の流布は“時”によると仰せであり、その“時”は、山本会長の努力によってつくられ、今、世界的な仏法興隆の“時”を迎えたと明言し、「最も御本仏の御讃嘆深かるべきものと確信するものであります」と述べている。

当時、東西冷戦も続いていた。伸一は、それらの諸問題を解決していくことこそ、仏法者としての重要な課題であり、使命であると考えていたのだ。

伸一は、世界広宣流布を推進する一方で、世界の指導者たちと本格的な対話を重ねた。日中、日ソの新たな友好の道を開くとともに、中ソ紛争の解決の道を探るために、世界の指導者との対話を展開していった。互いに敵対視し、関係悪化の一途をたどる中ソ両国に、対話の窓を開いてもらいたいとの思いからの行動であった。

75年になると、伸一の平和の行動は、ますます勢いを増していった。ワルトハイム事務総長を訪ねて、核廃絶・中東問題などについて意見交換したほか、「国連を守る世界市民の会」をつくることを提案した。そして、青年部が集めた「核廃絶1千万署名簿」を手渡したのである。

日蓮大聖人は、「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」と仰せである。伸一は、この御聖訓のうえから、“戦争が絶えず、あらゆる危機的な状況が打ち続く今こそ、世界広宣流布の時代が到来したのだ。人類は、日蓮大聖人の仏法を渇望しているおだ”と、ますます強い確信をいだいた。

仏法には、現代がかかえる諸問題の、根本的な解決の原理と方途が示されている。法華経では、万人が仏の生命を具えた尊厳無比なる存在であることが説かれ、他者の幸せを願う「慈悲」という生き方が示されている。

また、自分と環境とが不可分の関係にあるという仏法の「依正不二」の哲理は、環境破壊をもたらした文明の在り方を問い直し、人類繁栄の新たな道を開く哲学となろう。肉体と精神とは密接不可分の関係にあると説く「色心不二」もまた、人間の全体像を見失いがちな現代医学の進むべき道を示す道標となる。

さらに、人は、一人で生きているのではなく、互いに深い因縁で結ばれ、支えあって存在しているという仏法の「縁起」の思想は、分断した人間と人間を結合させる力となろう。

生と死を解明し、生命変革の方途を明かし、真実の人間道を示す仏法は、人類の珠玉の叡智であり、至宝である。その仏法を、人類の共有財産とし、平和と繁栄を築き上げることこそが広宣流布である。

山本伸一が、「広布第二章」の世界広宣流布にあたって、最も力を注いできたのは、教学の進化と展開
であった。また、伸一は、「広布第二章」を迎えた時から、全会員が、先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の精神を継承していかなければならないと強く感じていた。

先師、恩師の精神とは、全人類の幸福と平和を実現するために、広宣流布に一新を捧げぬく決意である。日蓮大聖人の正法正義を貫く、慈悲と勇気の信心である。それは、「現人神」といった国家神道の考えを、根本から否定するものにほかならなかった。そこに、牧口、戸田の戦いがあった。

軍部政府の弾圧の嵐が創価教育学会を襲い、会長・牧口常三郎、理事長・戸田城聖らが逮捕されると、迫害を恐れて、多くの退転者が出たのである。



太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋