『新・人間革命』第25巻 福光の章 7p~ 

< 福光の章 開始 >

春を告げよう!
新生の春を告げよう!
・・・

君よ!
「悲哀」を「勇気」に変えるのだ。
「宿命」を「使命」に転ずるのだ。
・・・
「みちのく」に春を告げる
新生の太陽となって踊り出るのだ!


1977年(昭和52年)3月11日、山本伸一は、福島県に向かった。前年、日本は、冷夏や台風の影響で、米が戦後5番目の不作となっていた。多くの農家が辛酸をなめたのである。

さらに、12月から2月にかけて、日本は強い寒波に襲われた。寒波の影響は、農作物にも被害をもたらし、一時期、価格が急上昇した。東北は、この寒波でも、大きな影響を受けたのである。

福島県の榛葉則男と東北長の利根角治に視線を注ぎながら、気迫のこもった声で語りかけた。「来ましたよ!新しい福島を、東北を創ろう!今日からは、新章節への出発だよ」

伸一は、榛葉に広宣流布建設の本当の力とは何かを、語っておこうと思った。「新しい福島をつくるためには、根本は全同志の一念の転換であり、生命の革新だ。わが郷土を愛し、広宣流布に生き抜こうという、本物の闘士をつくっていくことだよ」

「広宣流布は、永遠の闘争だ。日蓮大聖人は『然どもいまだこりず候』と獅子吼され、迫害に次ぐ迫害をものともせずに、折伏の戦いを続けられた。これこそが、大聖人の御心であり、学会精神だ。

過去の歴史が、いかにすばらしくとも、皆が、草創期の闘士を失い、実践がなくなれば、やがて、広宣流布の衰退が始まってしまう。そうなれば、個人の宿命転換もできなければ、立正安国の実現もない。いよいよこれからだよ。

『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』というのが、大聖人の御指導ではないですか。誉れある創価の師弟であるならば、命の燃え尽きる瞬間まで、戦って、戦って、戦い抜くんです。

戦い続ける人が幸福なんです。その人が人生の勝利者です。したがって、今回は、草創期を切り開いてくださった指導部の方々との、新出発の意義もとどめておきたいんです」

伸一の話は「世代論」になっていった。「組織もできあがってから、幹部になってきた世代だけに、本当の苦労をしていない。そのためか、広宣流布の開拓力に欠けているという弱点がある。本当の折伏精神が身についていないというのが、私の実感でもある。だから、運営能力には長けていても、大闘争となると、生命が一歩引いてしまい、すぐに、腰が砕けてしまいがちだ。

苦戦のなかで勝利をもぎ取ってくるには、捨て身になって戦う、必死の覚悟がなくてはならない。広宣流布とは、未踏の原野の開墾作業だ。苦労して苦労し抜くんだ。

折伏や個人指導をはじめ、一つ一つの課題に、全力で真っ先に取り組み、自ら勝利の結果を示していくんだ。一人ひとりの同志に、誠実に、真剣に、体当たりでぶつかっていくんだ。それが師子王の生き方だよ」

自身の生命を磨き、鍛えるのは、広宣流布への「真剣な献身」である。伸一は、その精神を、若き県長に注ぎ込みたかったのだ。

どのようなことを心がけて、青年の育成に当られたのかとの質問に、「常に自分の方から青年たちに声をかけ、率直に対話して、励ましてきた。胸襟を開いて飛び込んでいくんです。『よく来たね。ご苦労様!大変だっただろう。頑張ったね』と包み込むように、力の限り励ましていくんです。『励ます』ということは、『讃える』ということでもあるんです」

「私は、青年を包容しながら、大きな責任を託した。そして、失敗した時には、最後は、全部、私が責任を取った。大切なのは、その度量だよ」

「学会の後継者として、青年時代に必ず身につけてほしいのは折伏力だ。創価学会は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために出現した折伏の団体だもの。その後継者である青年たち阿、弘教の大闘志に育たなければ、学会の未来は開けないからね」

「先輩は、『なぜ、折伏をするのか』を、いろいろな角度から、納得のいくように話してあげてほしい」「弘教に限らず、あらゆる活動を進めるうえで大事なのは、"なんのためか"を明らかにし、確認し合っていくことです。それによって皆が、軌道を外れることなく前進することができるし、力を発揮することができる」