『新・人間革命』第24巻 人間教育の章 193p

<人間教育の章 開始>

創価学会はどこにあるのかーー。遠く彼方にあるのではない。自分が暮らし、日々戦い、励ましの歩みを運ぶ、わが地域、わが地区、わがブロックにこそ、絢爛たる創価の大城があるのだ。ゆえに、そこに、「わが組織を見よ。これが創価学会だ!」と胸を張れる、歓喜と麗しき人間共和の実像をつくらねばならない。

わが組織に、功徳の体験の花は咲き薫っているか!信心の歓喜と確信はあふれているか!宿命の嵐に敢然と挑み立つ、勇気はみなぎっているか!仏道修行への挑戦と、切磋琢磨はあるか!粘り強い
励ましの対話はあるか!信頼の絆と団結はあるか!皆に創価の師弟の誇りは脈打っているか!

御聖訓には、「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」と仰せである。自分が今いる活動の舞台が、「当詣道場」、すなわち、一生成仏のための仏道修行の場となるのだ。したがって、どこか別の世界に、本当の「創価学会」があるなどと考えるのは誤りである。

"広宣流布の建設とは、まず、自分のいる組織を、盤石に築き上げていくことだ。それには、自身が、建設の勇者となることだ。誰かではない。自分が立つのだ。一人立つーーそこから、すべては始まる。それが、創価の永遠の精神だ。皆が山本伸一の分身だ。皆が会長だ!"これが、伸一の生命の叫びであった。

1977年(昭和52年)「教学の年」は、大ブロックの教化をめざし、活動方針の一つに「座談会運動で魅力ある大ブロックの建設」を掲げてスタートした。さらに、毎月、「大ブロック建設週間」を設け、座談会を中心に、全幹部が大ブロックに入り、協議会や家庭指導に力を入れていくことになったのである。

山本伸一は、大ブロック担当員勤行会で訴えた。「私たちの現実の日々は、悩みだらけでしょう。学会活動の場でも、"わからずや"ばかりで、もうやっていられないと思うこともあるかもしれない。病苦と闘っている方もいるでしょう。しかし、戸田先生は、大確信をもって、よく、こう言われておりました。『朝晩の勤行を励行し、懸命に唱題氏、折伏を行っていくならば、人間革命できないわけがない。幸福にならないわけがない。これだけは断言しておきます』」

伸一は、集った大ブロック担当員の生命の奥深く、仏法への大確信を打ち込んでおきたかった。彼に話は一転して、家庭での振る舞いに移った。「人間革命といっても、決して特別なことではないんです。一例をあげれば、・・・いつも怒りっぽかったのに、怒らなくなった。笑顔で接するようになった。よく気遣いできるようになった。ーーそれが、人間革命なんです。

幸せといっても、自分の身近なところにあるんです。家庭で、隣近所との付き合いの中で、あるいは、職場で、いい人間関係をつくれるかどうかです。そして、心から感謝でき、幸せだと思えるーーそこに、幸福があるんです。」

最後に彼は、「愚痴」について語っていった。「せっかく頑張っても、愚痴ばかり言っていると、その福運を消してしまうし、功徳もありません。卑近な例でいえば、風邪を治そうと薬を飲みながら、薄着をして、雨に打たれて歩いているようなものです」

「愚痴の怖さは、言うたびに、胸中に暗雲を広げていくことです。心を照らす太陽が闇に覆われ、希望も、感謝も、歓喜も、次第に薄らいでいってしまう。御聖訓にも『わざわいは口より出でて身を破る』と仰せです。さらに、愚痴っぽい人というのは、自分では気づかぬうちに、全体の空気を重くし、人のやる気をも奪っていく」

「つまり、広宣流布への勢いを削ぎ、戦いの力がみなぎるのを止めてしまっているんです。それでは、功徳どころか罰を受ける結果になりかねない。だから、皆で、互いに戒め合っていくことが大事なんです。大聖人が『心こそ大切』と仰せのように、大事なことは、どういう一念で信心に励んでいくかです。どうせ信心をするなら、愚痴を言いながらではなく、自ら勇んで、実践していかなければ損です」

婦人部は、創価学会の太陽である。その婦人たちの、はつらつとした姿が、包容の微笑みが、幸の光源となって、暗く閉ざされた友の心に降り注いでいくのだ。


太字は 『新・人間革命』第24巻より 抜粋