『新・人間革命』第24巻 母の詩の章 7p

<新・人間革命第24巻 開始>
<母の詩の章 開始>

1976年(昭和51年)8月末、山本伸一とアンドレ・マルローとの対談集『人間革命と人間の条件が、発刊された。この本には、フランス文学者で著名な評論家でもある桑原武夫が序文を掲載している。
「これは二人の大実践者の対話である」と彼は、伸一を「平和精神の普及と、それによる人類の地球的結合とを説いて全世界に行脚を続ける大実践者「と評している。

マルローが、なぜ、創価学会へ強い関心をいだいているのか 桑原は「西欧の知識人は、創価学会にたいして、日本の知識人とは比較にならぬほど強い興味をもっている。トインビーもその一人である」

対談でマルローは、学会という「ひじょうに有力な組織」が、環境汚染などと戦うことを希望するとともに、伸一が世界のさまざまな危機への問題提起を、重要な国々に行い、そのイニシアチブをとるように勧めている。

伸一は、そうした行動の必要性も、十分に認識したうえで、人類の平和と繁栄を創造するための土台作りとして、人間生命のなかに潜むエゴの克服こそ、必要不可欠であると主張した。

伸一は、未来を考えるにあたっての、自分の態度を語った。「私は未来予測という作業は、未来はどうなるかではなく、未来をどうするかーーということに真の意義があると思います。一人ひとりの人間の生きることへの意志が人生の全体に反映され、その時代を彩り、やがて歴史へと投影されていく。新しい道は、こうして開かれていくと信じています。

したがって未来は、現在を生きる一人ひとりの胸中にある、さらに日々を生きゆく日常性のなかにあるとみたい」未来は、自己自身の胸中の一念にこそある。

伸一は人間革命の必要性を訴え抜いた。「たとえば、一地域や一国の問題が、そのまま全地球的問題としてかかわってくる時代にあっては、自分だけというエゴは通用しません」

人類の未来に光を注ぐために、伸一は、対話に生命を注ごうとしていた。人間革命ーー世界の知性は、それを可能にする哲理を渇望していた。その確かなる方途を求めていた。創価学会は、人間革命の宗教である。広宣流布とは、人間革命運動の広がりである。

この年の8月半ばから10月上旬にかけて開催された、県・方面の文化祭は人間賛歌の絵巻を繰り広げた。

地区婦人部長の橋塚由美子の夫は事業が行き詰まり、橋塚が文化祭の練習会場に通う交通費を工面することさえ、容易ではなかった。彼女は、低血圧症で、目まい倦怠感に悩んでいたが、聖教新聞を配達し、主婦業、地区婦人部長、合唱団の練習と励んでいた。

夫は、仕事がないため、酒を飲んで荒れ、茶碗を投げつけることもあった。彼女は疲れ果て、文化祭の出場もやめようと思ったが、関西文化祭のテーマ「人間革命光あれ」であった。彼女は"この文化祭のテーマは、私自身のテーマなのだ。なんとしても人間革命してみせる!"寸暇を惜しんで、彼女の懸命な唱題が始まった。

体は疲れているが、心は軽やかであった。いつの間にか、低血圧症に悩まされることもなくなっていた。また、次第に、夫の仕事の状況が好転していったのである。

神奈川文化祭では、松葉杖の青年の奮闘があった。彼は、1歳の時にポリオにかかり、足が不自由であることから、消極的な性格になっていった。しかし、信心に励み、やがて学生部員になった彼は、文化祭への出演を決意する。"足が不自由だから"と挑戦をあきらめたり、自分の不幸や敗北の原因を、そこに求める"弱さ"と決別したかった。また、肉体的なハンディも、信心を根本に、懸命に頑張ることで、必ず乗り越えられるという実証を示したかったのである。

人間革命によって、変わらぬ世界はない。

太字は 『新・人間革命』第24巻より 抜粋