『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 327p
伸一は、26歳で青年部の室長になると、実質的に学会の全責任を担った。「鳳雛会」は、私の弟子ではないか!つまり、皆が山本伸一の分身ではないか!『山本伸一』とは、師と共に広宣流布に生き、勝利の旗を打ち立てる闘士の異名だ!
伸一は、そう信じるがゆえに、今後、創価学会の前進が、後退するようなことがあれば、「その全責任は諸君にある。諸君が、だらしないからである」と、言明したのだ。
伸一は、「鳳雛会」に限らず、すべての人材育成グループは、いな、すべての同志は、広宣流布の使命を共に分かち合う"山本伸一"であると確信していた。彼が、各種の人材育成グループを結成してきた目的の一つは、その自覚を促すための契機をつくることにある。
ゆえに、いかなるグループのメンバーに選ばれようが、本人が自覚をもとうとしなければ、人材育成のための周囲の人たちの努力も、水泡に帰すことになる。
自覚ーーそれは、本来「自ら覚す」、自ら悟りを開くことを意味する。われらの自覚とは、戸田城聖が獄中で悟達したように、自身が地涌の菩薩であると確信し、生涯、師弟不二の心で、広宣流布の大願に生き抜くことだ。全人類の幸福と平和の実現を、わが使命とすることだ。
その時、自らの幸福のみを願っていた生命の扉は開かれ、崇高なる"利他"の大道が広がるのである。そこに、境涯革命、人間革命の直道があるのだ。まさに、"地涌の使命"の自覚は、偏狭なエゴイズムの対極に立つ、人間の生き方の確立であるといってよい。
九州総合研修所では、連日、人材育成グループなどのさまざまな行事が行われ、山本伸一の敢闘が続いていた。1976年(昭和51年)後半を飾る活動が、庶民文化の祭典ともいうべき、県・方面の文化祭であった。
愛する同志が、郷土愛と不屈の闘志を燃やして創り上げる、汗と涙と歓喜の、華麗なる人間賛歌の舞台である。「私は、埼玉の天地に、幾つもの闘争の歴史と学会の精神をとどめてきました。それらの精神を受け継ぐ、民衆凱歌の文化祭にしてほしい。」
「東京は、どんな活動でも、学会員が多いだけに、自分が本気になって頑張らなくても、なんとかなるなどと思ってしまいがちだ。しかし、そうした感覚に陥ることこそが"魔"に負けた姿だ。心のどこかで人を頼み、"一人立つぞ!"と決めなければ本当の力は出ない。
すべての力を出し尽くし、自分を完全燃焼させてこそ、仏道修行なんです。広宣流布の戦いは、皆が主役です。皆が一人立ってこそ、本当の力が出る。それぞれは力があっても、力を出しきらなければ、ないのと同じ結果になってしまう。東京の文化祭は、そうした、一人立つ精神を示し、教えるものにしてほしい。
あの『人間革命の歌』の、『君も立て 我も立つ 広布の天地に 一人立て』という言葉は、東京の諸君にこそ贈りたいんだ。
政治の中心地で戦いを起こせば、権力の弾圧も受けやすい。しかし、国主の諫暁には、最も適した地であるし、一国の中心地で敢然と妙法の旗を掲げ、正義を宣揚してこそ、広宣流布の成就もある。それゆえに、法難を覚悟のうえで、あえて鎌倉で戦われた。今日、その使命を担っているのが、首都・東京の同志だ。
本陣は堅固であり、無敵の強さがなければならない。したがって、本陣・東京の文化祭は、不屈の闘魂を表現することも大事だね。」
「関西魂とは、勝利への執念です。民衆の幸福を実現するまで、何があろうが、"一歩も引かぬ""あきらめるものか"という闘魂です。それが私の心です。いよいよ、弟子が立ち上がる時代だよ。」
「戸田先生がお元気なうちに、広宣流布は、必ず弟子の手で成し遂げられるという、一つの実証をご覧いただき、安心してもらおうとの思いで戦いました。それが弟子です。」
「みんなの力で、私が出席した以上に、意気軒昂で、大歓喜が爆発する文化祭にしてください。それができてこそ、本当の弟子です。じっと見守っています」
「戦おうよ。限りある一生だもの。得がたい生涯だもの。悔いなど、絶対に残してはならない。生命を燃焼させつくし、永遠の思い出となる、青春の勝利の詩を綴るんだよ」
太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋
伸一は、そう信じるがゆえに、今後、創価学会の前進が、後退するようなことがあれば、「その全責任は諸君にある。諸君が、だらしないからである」と、言明したのだ。
伸一は、「鳳雛会」に限らず、すべての人材育成グループは、いな、すべての同志は、広宣流布の使命を共に分かち合う"山本伸一"であると確信していた。彼が、各種の人材育成グループを結成してきた目的の一つは、その自覚を促すための契機をつくることにある。
ゆえに、いかなるグループのメンバーに選ばれようが、本人が自覚をもとうとしなければ、人材育成のための周囲の人たちの努力も、水泡に帰すことになる。
自覚ーーそれは、本来「自ら覚す」、自ら悟りを開くことを意味する。われらの自覚とは、戸田城聖が獄中で悟達したように、自身が地涌の菩薩であると確信し、生涯、師弟不二の心で、広宣流布の大願に生き抜くことだ。全人類の幸福と平和の実現を、わが使命とすることだ。
その時、自らの幸福のみを願っていた生命の扉は開かれ、崇高なる"利他"の大道が広がるのである。そこに、境涯革命、人間革命の直道があるのだ。まさに、"地涌の使命"の自覚は、偏狭なエゴイズムの対極に立つ、人間の生き方の確立であるといってよい。
九州総合研修所では、連日、人材育成グループなどのさまざまな行事が行われ、山本伸一の敢闘が続いていた。1976年(昭和51年)後半を飾る活動が、庶民文化の祭典ともいうべき、県・方面の文化祭であった。
愛する同志が、郷土愛と不屈の闘志を燃やして創り上げる、汗と涙と歓喜の、華麗なる人間賛歌の舞台である。「私は、埼玉の天地に、幾つもの闘争の歴史と学会の精神をとどめてきました。それらの精神を受け継ぐ、民衆凱歌の文化祭にしてほしい。」
「東京は、どんな活動でも、学会員が多いだけに、自分が本気になって頑張らなくても、なんとかなるなどと思ってしまいがちだ。しかし、そうした感覚に陥ることこそが"魔"に負けた姿だ。心のどこかで人を頼み、"一人立つぞ!"と決めなければ本当の力は出ない。
すべての力を出し尽くし、自分を完全燃焼させてこそ、仏道修行なんです。広宣流布の戦いは、皆が主役です。皆が一人立ってこそ、本当の力が出る。それぞれは力があっても、力を出しきらなければ、ないのと同じ結果になってしまう。東京の文化祭は、そうした、一人立つ精神を示し、教えるものにしてほしい。
あの『人間革命の歌』の、『君も立て 我も立つ 広布の天地に 一人立て』という言葉は、東京の諸君にこそ贈りたいんだ。
政治の中心地で戦いを起こせば、権力の弾圧も受けやすい。しかし、国主の諫暁には、最も適した地であるし、一国の中心地で敢然と妙法の旗を掲げ、正義を宣揚してこそ、広宣流布の成就もある。それゆえに、法難を覚悟のうえで、あえて鎌倉で戦われた。今日、その使命を担っているのが、首都・東京の同志だ。
本陣は堅固であり、無敵の強さがなければならない。したがって、本陣・東京の文化祭は、不屈の闘魂を表現することも大事だね。」
「関西魂とは、勝利への執念です。民衆の幸福を実現するまで、何があろうが、"一歩も引かぬ""あきらめるものか"という闘魂です。それが私の心です。いよいよ、弟子が立ち上がる時代だよ。」
「戸田先生がお元気なうちに、広宣流布は、必ず弟子の手で成し遂げられるという、一つの実証をご覧いただき、安心してもらおうとの思いで戦いました。それが弟子です。」
「みんなの力で、私が出席した以上に、意気軒昂で、大歓喜が爆発する文化祭にしてください。それができてこそ、本当の弟子です。じっと見守っています」
「戦おうよ。限りある一生だもの。得がたい生涯だもの。悔いなど、絶対に残してはならない。生命を燃焼させつくし、永遠の思い出となる、青春の勝利の詩を綴るんだよ」
太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋